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レベッカ
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レベッカの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全82件 41~60 3/5ページ
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レベッカ、世界中の本の中で一番好きで、古典と言われるほどのイギリス文学です。物語といい、心理描写といい、読み手をあっという間に物語に引き込んで、主人公の「わたし」と一緒に苦悩や喜びを感じられる素晴らしい本です。 旧版が古くなったので、新しい翻訳本に買い替えました。 翻訳者には、大変申し訳ないのですが、出版できるレベルの日本語ではありません。文章は、基本、校正と言って、日本語がきちんとできる人が最終チェックをするはずなのに、校正者は、いったい、どういうチェックをしていたのか。 文学には、言い回し、言葉の使い方、様々な要素が絡み合って、芸術の域に達するはずなのに、その基本の日本語さえ、きちんと書かれていないくらい酷い内容です。 そもそもの日本語のレベルが出版できるレベルに達していないのではないか、とさえ思います。 中古でいいから、旧版で翻訳されたほうが全然いいですよ。 マンダレイファンとしては、これはあまりにもひどすぎる。他の方が、翻訳が酷い、と言っているのは本当でした。 | ||||
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英語版をみてみると、確かに大久保訳では誤訳と思われる箇所があるようです。しかし、大久保訳のほうが「雰囲気」があります。正直なところ、茶菓子のクランペットが「汁の垂れる焼菓子」でも別にいいですと思う私ですが、勿論、そういう細かい部分が大切だという意見もあるとは思います。ただ、今の我々にはやや古めかしいと感じられる言い回し・表現・登場人物の言葉遣い等が、「ある邸宅の物語」、ゴシックロマンとしての雰囲気を醸し出していると思われます。とくに人物の言葉遣いは、年齢・階級差のある主人公夫婦のときに生硬な関係、大家の家政婦たるデンヴァース夫人(ダンヴァースという読みに多少の抵抗感あり)の貫禄などは、新訳では伝わってきません。このあたり、決定的に物語の雰囲気が異なっているように思いますので、誤訳があるからと片付けず、新訳と併せてぜひこの大久保訳も読んでみてもらいたいと思います。 | ||||
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著者の作品の大ファンであり、手に入る著書はすべて読み、著作活動をしていたコーンウォールのFoweyも訪れました。レベッカ(大久保訳)は何度読み返したか分かりません。 文章の1行1行に込められた思い、単語選び、使いまわし、1つの作品に仕上げる苦労。 残念ながら、それを新訳では全く顧みず、ぶち壊しにしているようです。 著者は(イギリス人らしく)同国の歴史、古い時代、古典文学を愛し、あえて古風な、シニカルで遠まわしな文体を用いることにこだわっていました。 この重く、暗く、自身の好みのままに綴った作品が世界中で受け入れられたことに女史自身驚いていたそうです。 内容では直截的な表現を避けつつも、読者の理解・共感を信じているのが感じられます。勿体ぶって読者を悩ませる意図はありません。 この作品の素晴らしさは、他のレビュアーの方が十分表していますので、省きます。 ぜひ読む方に理解して頂きたいのは、これはイギリス文学ということです。 新訳では意味だけを拾い、著者がこだわって練られた表現は抜き取られています。 この作品の英語表現を難解と感じ、嫌がったと思われる茅野氏の誤訳と大雑把な文章からも窺えますが、 ありありと表現されるはずのイギリスらしさを容赦なく削り取ることはまた、世界文学に対する侮辱だと思います。 (もしかしたら、簡略なアメリカ英語であれば、こんな訳でもいいのかもしれませんが。) マキシムを古い時代の貴族のようだと表現し、「わたし」の名が古風であることが暗示され、歴史あるマンダレイ屋敷を舞台にしていることから、現代風で奥行きの無い新訳がどんなに作品の魅力を貶めているか、悔しくてなりません。 装丁もまた、作品のイメージを全く無視しているあたり、出版社の意気込みの低さを表していますね。 新訳の試みは、この訳者に関しては、失敗であったと言えます。 | ||||
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以前に読んだ時には、話全体に流れる謎めいた雰囲気と やはり、死者にも関わらず、 「わたし」に対して強烈な存在感を発揮するレベッカ、 そして館の中で、カリスマとも言えるような存在だった レベッカとの比較に苦しみ、ダンヴァーズ夫人の敵意と その威圧感に怯える主人公の「わたし」、 ダンヴァーズ夫人の妄執、前半と後半でミステリーからサスペンスへの、 急激な展開の変化などが印象的でした。 しかし数年経ってから読み返してみると、 マンダレーの自然描写や数少ない、当初からの主人公の味方である、 親切だけれど、無神経な所があるビアトリス、控えめだが、終始主人公の 良き理解者であるフランクなど、主人公夫妻やレベッカ達以外の、 脇を固める人物達の個性にも目が行きました。 そして何よりも圧倒されたのは、まるですでにそれ自体が意志を持ち、 あたかも個別の存在として生命を持っているかのような、 マンダレーの存在感とその神秘性でした。 何よりこのマンダレーの存在が、この作品に強い神秘性を与えているのだと思います。 そして、印象的なのは「わたし」と「レベッカ」との関係についてです。 私は当初から、この「わたし」というのは、作者のデュ・モーリア自身の投影 ではないのか?という印象を受けてきました。聞く所によると、 デュ・モーリアは芸術家一家の境遇、そして写真からも伺えるその美貌などにも関わらず、 あまり社交を好まず、自然の中で過ごす方を好むような性格だったとか。 こういった作者の人柄も、どこか主人公の「わたし」と重なります。 そして本作中で、その強い存在感を発揮しているレベッカとは、 作者の理想としていた姿だったのではないのかな?と。 物怖じせず、マンダレーの華やかな女主人として君臨し 、客へのもてなしも見事にそつなくこなすレベッカ。 やはり、様々な要素が混在している小説だと思います。 | ||||
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はじめて読んだ著者の作品は、創元社から刊行されている「鳥−デュ・モーリア傑作集−」という短編集なのだが、これを読んで、この作家の魅力は、(余計なことを)書かないあるいは説明しないことによって例えば表題作“鳥”であれば恐怖感を読者に増幅させるところにあると感じていた。一言でいえば語らない魅力ということなのだが、この“新訳版”で初めて読んだ「レベッカ」に違和感を持った。 主人公の「わたし」をはじめ登場人物が皆饒舌で感情的なのだ。そして書き手(=翻訳者)も。 作品中には登場しない影のようなレベッカ、語り手でもあり主人公でもあるはずなのに名前が出てこない「わたし」、著者デュ・モーリアの狙いが“饒舌な”登場人物達に多くを語らせることによって物語を展開させるということにあったとは思えない。また、そういった主人公達にそういう凝った趣向を凝らしているにもかかわらず、不思議なことに読後感は、構成や展開の巧さを除いて考えれば2時間ドラマを見たような気がするという不思議な感想となってしまった。 しかし、それも良く考えてみると、随分と昔に書かれたこの作品が現代のサスペンス作品としても通用するおもしろさを持っているという証明だ。ただ、それは薄っぺらいという証明でもある。 構成も素晴らしい、ストーリーとしても現代に通用するものがあるこの名作と呼ばれる作品に何故そういう感想をもってしまうのか?時代を無視したかのように現代人に読まれるということだけを前提とした翻訳だけで、ここまでの違和感は持たなかったはずだがと思いつつ、翻訳者あとがきと解説を読んだところ・・・ 翻訳者はあとがきで“訳しているときは主人公の「わたし」と完全に一体化していたといっても過言ではない”ということを記している。そして、解説の恩田陸は、“かつての重厚な「ゴシックロマン」そのままのイメージだった『レベッカ』が今回新訳になったことで、この小説の読みどころが「わたし」の愛と成熟になったことは間違いないだろう”と記している。 この新訳に対して、ゴシックロマンの重厚さをぶち壊しにしているという意見がある。確かにこの新訳に“重厚さ”はない。良くも悪くも現代人を意識し“読みやすさ”を主眼に置いた結果なのだと思う。それがまた中途半端で成功しているとは言い難いが試み自体は否定しない。 でも、作品の読みどころまで変えてしまうのはどうなんだろう。それって、翻訳者の越権行為じゃないのか・・・。 | ||||
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ヒッチコックが映画化もしている、いわずとしれた名作「レベッカ」。 その「新訳」が出るとなれば、当然期待しますよね。しかし。。。 ひどいですよー。この訳! 翻訳学校の生徒か、下訳の人が推敲もせずに出したのか、 というレベル。いや、もっとひどいな。 うすっぺらい文章、無理な若者(?)言葉。 原作の繊細な怖ろしさ、邸の描写の美しさ、、 、すべて台なしです。 ここはぜひ、古くても、最初に出た大久保訳で読んでください。 この作品の良さは、こちらでないとまったくわかりません。 | ||||
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外国小説は翻訳によって作品自体が損なわれることを 今回まざまざと感じました 新訳のは買ってみて・・・お金をどぶに捨てたような気がします 残念 女性ならではの視点からどのように訳されるのか 期待していたのに はすっぱで拙い文章にあきれてしまいました 今の若い女性を意識しすぎたのかどうかわかりませんが・・・ この作品のゴシックロマンを十分に味わうには やはり大久保さんの訳でしか味わえないことを レビューとして書きたいと思います ぜひ読み比べてみてください ここまで違うとは・・・と驚かれますよ〜 | ||||
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この読後感は何なのだろうと、頭がゆらゆらしています。 たぶん、冒頭の夢のシーンから“わたし”の視線に引き込まれ、茫然となってしまったラストまでずっと“わたし”と同化したまま読み切ったからでしょうか。 映画版・ミュージカル版と観てからの原作でしたが(内容にはちょっとした差異もあり驚きました)やはり原作は良いです!! 想像力をガシガシ刺激する文学の力を感じました。 そして、ああ、マンダレー。マンダレーこそがこの作品の主人公だったのだと、よくわかりました。 | ||||
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この本の主人公は、名前が無い。「わたし」です。そして、いないのに存在するように話題になるレベッカ。イギリスの大邸宅マンダレーを切り盛りしていた女主人であった。それは、過去のことで、今は「わたし」が女主人。しかし、レベッカの存在が「わたし」をおびやかす。そして、意外な展開で、最後は、はらはらどきどきの場面展開となる。 読み継がれるだけのおもしろさのある小説だ。 | ||||
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物語の始めに、結末が暗示されていたのだが、実際に読んでみると、ラストで急転直下。やはり、驚かされます。 主人公である「わたし」のある意味、成長物語であるのかもしれません。しかし、物語の本筋は、マキシムと前妻レベッカの闘争のような気がします。 物語中の、マキシムのセリフ―「いまでも結局はレベッカの勝利だったという気がしないでもない」 何もかも終わった後のはずの、物語の冒頭のマキシムの精彩を欠いた姿を見ていると、そんな感じがします。主人公が勝ち取ったはずのマキシムは、抜け殻のようで…。 物語は面白かったし、サスペンスの展開も素晴らしかったと思います。 ただ、古い由緒ある館―マンダレーという道具立ての割には、「ゴシックロマン」な雰囲気があまりしないのは、訳のせいもあるのかもしれません。 他を比べて読んだことが無いので分からないのですが、マキシム達の貴族階級にクラス感を会話では感じられませんでした。(ビアトリスの話し方とか。他の訳も同じかもしれませんが…) そういう意味での演出的効果が、ひょっとして他の訳に比べて足りないのかも知れませんが、話そのものは読みやすかったです。 | ||||
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TVのリフォーム番組で、古くて狭いごちゃごちゃした家の中で見た時には普通のおばさんにしか見えなかった主婦が、リフォーム後の家の中で見た時に初めて実は結構美人だったことに気づくことがあるように、家(住環境)が人間を規定するようなところが確かにあると思う。 この物語の中では主人公夫妻の住まう屋敷・マンダレーの姿が微に入り細に入り執拗なほど丁寧に描かれており、それがごく自然に主人公の心象となって読者を物語の中へ導く役割を果たしている。冒頭の朽ちたマンダレーの描写からすでに、読者はかなり鮮明な感覚を伴って「マンダレー」に引き込まれて行く。 マンダレーは亡き前妻レベッカが今の姿にまで築き上げたもので、レベッカの象徴、分身、レベッカそのものとも言える。マンダレーの美しさ、マンダレーの不気味さは、レベッカの美しさ、レベッカの不気味さだ。そんな家の中では、主人公は名前すら持つことができない。 サスペンス的な展開はあらかた想像がついてしまったのだが(どこかで映画のあらすじでも目にしたことがあるからかもしれないが)、それでもなお先へ先へとぐいぐい読み進めさせる推進力を感じる小説だった。 名も無き主人公の思わぬ強さ、レベッカ(マンダレー)の思わぬ弱さも、この物語の見所である。 ただ、原書ではどんな表現だったのかは知らないが、ところどころ中途半端に古い若者言葉?(「サイコーにご機嫌」とか)で訳されている部分があって、思わず奥付の出版年を確かめずにはいられなかった。無理しなくていいのに、と思ってしまった。 | ||||
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まるではーれくいんロマンス・・・ 文章は蓮っ葉で内容が薄く あきらかに誤訳と思われる箇所 たぶん訳者の知識不足から来るものと思いますが・・・ ものすごくがっかりしました | ||||
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大久保康雄さん 訳でぜひどうぞ・・・ まったく違った作品として 驚かれるのでは? 原作のゴシックロマンをじっくり味わいたい方はぜひ・・・ 違う訳で同じ作品を読み比べてみるのも楽しいので 今回大好きなレベッカが新しい訳で出たので 買ってみましたが・・・ 正直まったくお手軽な訳でがっかりです 誤訳も勉強不足なのでは? 本物のこの作品のよさを味わっていない読者さんの レビューをよんで気の毒になりました・・・ あらすじ書いたレビューのかたで本当にどの位の方がこの新訳よんでいるのか お話知ってるってだけで書いているかたもいるのではないでしょうか? 気になりました | ||||
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1938年刊行の「20世紀ゴシックロマンの金字塔」と言われる、ヒッチコックの映画でも有名な作品の新訳版である。 うら若きヒロインの‘わたし’は、20才以上も年の離れたイギリスの貴族に見初められ、マンダレーという地所の、豪壮な館で新婚生活を始めるが、そこには前妻レベッカの影が・・・という物語である。 序盤は抒情的な恋愛小説の趣があるが、中盤は使用人や夫の親族はもとより、近所の人々からも「才色兼備で活動的で誰からも好かれていた」レベッカと比べられ、右に左に揺れ動く‘わたし’の心理描写がなんとも頼りなげで切ない。 そして終盤、一年前に溺死して下流に流され、夫マキシムによって確認されていたはずのレベッカの本当の遺体が、ヨットのキャビンに閉じ込められて湾の底で発見されるに至って物語はミステリー的な急展開をみせる。 不可解なラストは、もう一度第一章と第二章を読み返してみないと分からない仕組みになっている。 それにしても、この物語の骨格をなしているのは、いうまでもなくマキシムの告白の中でしか描かれず、作中一度も登場しないレベッカのその存在感であろう。70年もの間読み継がれ、今なお高い評価を得ている秘密はそこにある。 | ||||
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1938年刊行の「20世紀ゴシックロマンの金字塔」と言われる、ヒッチコックの映画でも有名な作品の新訳版である。 うら若きヒロインの‘わたし’は、20才以上も年の離れたイギリスの貴族に見初められ、マンダレーという地所の、豪壮な館で新婚生活を始めるが、そこには前妻レベッカの影が・・・という物語である。 序盤は抒情的な恋愛小説の趣があるが、中盤は使用人や夫の親族はもとより、近所の人々からも「才色兼備で活動的で誰からも好かれていた」レベッカと比べられ、右に左に揺れ動く‘わたし’の心理描写がなんとも頼りなげで切ない。 そして終盤、一年前に溺死して下流に流され、夫マキシムによって確認されていたはずのレベッカの本当の遺体が、ヨットのキャビンに閉じ込められて湾の底で発見されるに至って物語はミステリー的な急展開をみせる。 不可解なラストは、もう一度第一章と第二章を読み返してみないと分からない仕組みになっている。 それにしても、この物語の骨格をなしているのは、いうまでもなくマキシムの告白の中でしか描かれず、作中一度も登場しないレベッカのその存在感であろう。70年もの間読み継がれ、今なお高い評価を得ている秘密はそこにある。 | ||||
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1938年刊行の「20世紀ゴシックロマンの金字塔」と言われる、ヒッチコックの映画でも有名な作品の新訳版である。 うら若きヒロインの‘わたし’は、20才以上も年の離れたイギリスの貴族に見初められ、マンダレーという地所の、豪壮な館で新婚生活を始めるが、そこには前妻レベッカの影が・・・という物語である。 序盤は抒情的な恋愛小説の趣があるが、中盤は使用人や夫の親族はもとより、近所の人々からも「才色兼備で活動的で誰からも好かれていた」レベッカと比べられ、右に左に揺れ動く‘わたし’の心理描写がなんとも頼りなげで切ない。 そして終盤、一年前に溺死して下流に流され、夫マキシムによって確認されていたはずのレベッカの本当の遺体が、ヨットのキャビンに閉じ込められて湾の底で発見されるに至って物語はミステリー的な急展開をみせる。 不可解なラストは、もう一度第一章と第二章を読み返してみないと分からない仕組みになっている。 それにしても、この物語の骨格をなしているのは、いうまでもなくマキシムの告白の中でしか描かれず、作中一度も登場しないレベッカのその存在感であろう。70年もの間読み継がれ、今なお高い評価を得ている秘密はそこにある。 | ||||
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ナチス・ドイツがオーストリアを併合し、日本では国家総動員法が施行された1938年に刊行された本である。すばらし作品は時の試練に耐えるということをあらためて発見させられた。 以前の翻訳が手元にないので比較できないが、前半は表現がもたつく感じがあるが文体になれると主人公の気持ちが丁寧に表現されており好感が持てる。さらに、いくつかの会話表現は結構大胆な言葉づかいが選ばれており、現代の読者を対象にしているんだという明快な翻訳者の意図が読み取れて心地よい。 ゆうべ、またマンダレーに行った夢を見た。 という有名な書き出しで、やや唐突ともいえる形で、読者は主人公の回想に引き込まれれていくが、本書を最後まで読んで、はじめて、第一章の意味が明確になるあたりが、映画mimentを見ているようでなんとも斬新な感じがする。 貴族マキシムとの出会い、恋に落ち、そして結婚。その後、豪華な邸宅、マンダレーに踏み入れた後、少しずつ明らかにされて行く前妻レベッカの秘密。主人公はそこで、前妻を慕う家政婦頭の敵意に満ちた視線にさらされ、少しずつ、精神の安定を失っていく。レベッカとはいったいどんな女性だったのか。夫マキシムとの間に横たわる秘密とは。主人公、わたしの視点で、数多くのなぞが少しずつ、そしておどろおどろしく示されていくのが上巻の展開である。 | ||||
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上巻が謎編とすると下巻は解決編。マンダレーで開かれた豪華な仮装舞踏会の翌日、海底から前妻レベッカのヨットとその死体が引き上げれる。話はこの事件を気に急展開を示す。レベッカとはどんな女性だったのか。夫との間に何があったのか。そして主人公、夫の運命はどうなるのか。 ミステリーを読む楽しみは物語の前半で示された謎が、一気に解決されていくことにあると思うのだが、このあたり、しっかりとこの作品は読者のつぼを心地よく刺激してくれる。 そして思わぬラストの後に、本書上巻の第一章の意味が明確になり、事件の後の主人公とその夫の人生までもがすべて一気に明らかになる展開になっている。 ゴシックロマンスというと何だかよくわからないのだが、ヒッチコックが映画化したのでわかるように、本書はまさにミステリーなのだ。難しいしことは、考えず是非、下巻のこのカタルシスを楽しんでください。 | ||||
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両親をなくし、夫人の話し相手として働く「わたし」は 滞在先のホテルで出会った紳士・マキシムに心を奪われた。 彼と結婚し、美しい屋敷として有名なマンダレーに 女主人としてすむことになった「わたし」だったが 屋敷や近所の人々の口から知るマキシムの前妻・レベッカの すばらしい評判と強い影響力に、飲み込まれていく。。。 「わたし」の感情がむきだしに鮮やかに書かれていて 引き込まれます。 わけがわからなくなるほどマキシムを想う気持ち。 20歳ほど年上のマキシムに、妻として愛されているか不安に想う気持ち。 慣れない、人を使う立場におろおろする気持ち。 屋敷や人々の口の端、マキシムの心に残る、前妻レベッカの影と レベッカを慕っている家政婦頭のダンヴァーズに追い詰められる恐怖。 ひとつひとつが痛々しいほどむきだしで、 「わたし」のマキシムへの愛を感じます。 美しく優しく有能で、マキシムとつりあう年齢と家柄のレベッカ。 ことあるごとに比較されるだけでも大変なのに、 ダンヴァーズ夫人はさらに「わたし」を追い詰めようとし。。 レベッカの強い印象とともに、下巻へ続きます。 | ||||
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有名なお屋敷に住む紳士・マキシムに、 拾われるように結婚した、身よりのない「わたし」。 美しく有能な前妻・レベッカの影と、 彼女を慕う家政婦頭ダンヴァーズに追い詰められていくが。。 ダンヴァーズに陥れられ、マキシムを怒らせてしまった「わたし」。 けれど翌日、レベッカの死体が新たに見つかったために、 事態は思わぬ展開へと動き出していきます。 ロマンス小説的な雰囲気だった上巻とは異なり 下巻では推理小説的な趣が加わっています。 とはいえ、お話の中心は「わたし」の気持ちです。 マキシムの秘密を告白された「わたし」がむかえる気持ちの変化。 それは「わたし」の望むものであったし、成長なのでしょうが あざやかな彼女の感情が消えたことは残念でした。。 上巻冒頭でも示唆はされていましたが。。。 そして衝撃のラスト。 思わぬ終わり方だったので、落丁かと思いました。 上巻のはじめ、回想部分を読み直し、納得。 もう少し、その後の説明がほしい気もしますが、 このラストゆえに名作と挙げられているという気もします。 | ||||
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