■スポンサードリンク
レベッカ
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
レベッカの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
話の展開が遅く、あまりにも心情を解説しすぎる作品。半分の量で充分かな? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
翻訳がいまひとつかと思いました。英文をそのまま訳したような文章になっていて、文の流れがなく読みづらかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「良い」状態とのことで、表紙に使用感があるという説明はされていたのですが、本文のページの1/20か1/30?にも相当するページで、はっきりとした折り目がつけられていました。1円という安い値段で購入しているので、文句は言いにくいのですが、折り目があることを知っていたら、たとえ1円でも購入しなかったと思います。 下巻のほうは、「非常に良い」状態という説明で、こちらは説明どおりでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
レベッカ、世界中の本の中で一番好きで、古典と言われるほどのイギリス文学です。物語といい、心理描写といい、読み手をあっという間に物語に引き込んで、主人公の「わたし」と一緒に苦悩や喜びを感じられる素晴らしい本です。 旧版が古くなったので、新しい翻訳本に買い替えました。 翻訳者には、大変申し訳ないのですが、出版できるレベルの日本語ではありません。文章は、基本、校正と言って、日本語がきちんとできる人が最終チェックをするはずなのに、校正者は、いったい、どういうチェックをしていたのか。 文学には、言い回し、言葉の使い方、様々な要素が絡み合って、芸術の域に達するはずなのに、その基本の日本語さえ、きちんと書かれていないくらい酷い内容です。 そもそもの日本語のレベルが出版できるレベルに達していないのではないか、とさえ思います。 中古でいいから、旧版で翻訳されたほうが全然いいですよ。 マンダレイファンとしては、これはあまりにもひどすぎる。他の方が、翻訳が酷い、と言っているのは本当でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
著者の作品の大ファンであり、手に入る著書はすべて読み、著作活動をしていたコーンウォールのFoweyも訪れました。レベッカ(大久保訳)は何度読み返したか分かりません。 文章の1行1行に込められた思い、単語選び、使いまわし、1つの作品に仕上げる苦労。 残念ながら、それを新訳では全く顧みず、ぶち壊しにしているようです。 著者は(イギリス人らしく)同国の歴史、古い時代、古典文学を愛し、あえて古風な、シニカルで遠まわしな文体を用いることにこだわっていました。 この重く、暗く、自身の好みのままに綴った作品が世界中で受け入れられたことに女史自身驚いていたそうです。 内容では直截的な表現を避けつつも、読者の理解・共感を信じているのが感じられます。勿体ぶって読者を悩ませる意図はありません。 この作品の素晴らしさは、他のレビュアーの方が十分表していますので、省きます。 ぜひ読む方に理解して頂きたいのは、これはイギリス文学ということです。 新訳では意味だけを拾い、著者がこだわって練られた表現は抜き取られています。 この作品の英語表現を難解と感じ、嫌がったと思われる茅野氏の誤訳と大雑把な文章からも窺えますが、 ありありと表現されるはずのイギリスらしさを容赦なく削り取ることはまた、世界文学に対する侮辱だと思います。 (もしかしたら、簡略なアメリカ英語であれば、こんな訳でもいいのかもしれませんが。) マキシムを古い時代の貴族のようだと表現し、「わたし」の名が古風であることが暗示され、歴史あるマンダレイ屋敷を舞台にしていることから、現代風で奥行きの無い新訳がどんなに作品の魅力を貶めているか、悔しくてなりません。 装丁もまた、作品のイメージを全く無視しているあたり、出版社の意気込みの低さを表していますね。 新訳の試みは、この訳者に関しては、失敗であったと言えます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
はじめて読んだ著者の作品は、創元社から刊行されている「鳥−デュ・モーリア傑作集−」という短編集なのだが、これを読んで、この作家の魅力は、(余計なことを)書かないあるいは説明しないことによって例えば表題作“鳥”であれば恐怖感を読者に増幅させるところにあると感じていた。一言でいえば語らない魅力ということなのだが、この“新訳版”で初めて読んだ「レベッカ」に違和感を持った。 主人公の「わたし」をはじめ登場人物が皆饒舌で感情的なのだ。そして書き手(=翻訳者)も。 作品中には登場しない影のようなレベッカ、語り手でもあり主人公でもあるはずなのに名前が出てこない「わたし」、著者デュ・モーリアの狙いが“饒舌な”登場人物達に多くを語らせることによって物語を展開させるということにあったとは思えない。また、そういった主人公達にそういう凝った趣向を凝らしているにもかかわらず、不思議なことに読後感は、構成や展開の巧さを除いて考えれば2時間ドラマを見たような気がするという不思議な感想となってしまった。 しかし、それも良く考えてみると、随分と昔に書かれたこの作品が現代のサスペンス作品としても通用するおもしろさを持っているという証明だ。ただ、それは薄っぺらいという証明でもある。 構成も素晴らしい、ストーリーとしても現代に通用するものがあるこの名作と呼ばれる作品に何故そういう感想をもってしまうのか?時代を無視したかのように現代人に読まれるということだけを前提とした翻訳だけで、ここまでの違和感は持たなかったはずだがと思いつつ、翻訳者あとがきと解説を読んだところ・・・ 翻訳者はあとがきで“訳しているときは主人公の「わたし」と完全に一体化していたといっても過言ではない”ということを記している。そして、解説の恩田陸は、“かつての重厚な「ゴシックロマン」そのままのイメージだった『レベッカ』が今回新訳になったことで、この小説の読みどころが「わたし」の愛と成熟になったことは間違いないだろう”と記している。 この新訳に対して、ゴシックロマンの重厚さをぶち壊しにしているという意見がある。確かにこの新訳に“重厚さ”はない。良くも悪くも現代人を意識し“読みやすさ”を主眼に置いた結果なのだと思う。それがまた中途半端で成功しているとは言い難いが試み自体は否定しない。 でも、作品の読みどころまで変えてしまうのはどうなんだろう。それって、翻訳者の越権行為じゃないのか・・・。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ヒッチコックが映画化もしている、いわずとしれた名作「レベッカ」。 その「新訳」が出るとなれば、当然期待しますよね。しかし。。。 ひどいですよー。この訳! 翻訳学校の生徒か、下訳の人が推敲もせずに出したのか、 というレベル。いや、もっとひどいな。 うすっぺらい文章、無理な若者(?)言葉。 原作の繊細な怖ろしさ、邸の描写の美しさ、、 、すべて台なしです。 ここはぜひ、古くても、最初に出た大久保訳で読んでください。 この作品の良さは、こちらでないとまったくわかりません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まるではーれくいんロマンス・・・ 文章は蓮っ葉で内容が薄く あきらかに誤訳と思われる箇所 たぶん訳者の知識不足から来るものと思いますが・・・ ものすごくがっかりしました | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大久保康雄さん 訳でぜひどうぞ・・・ まったく違った作品として 驚かれるのでは? 原作のゴシックロマンをじっくり味わいたい方はぜひ・・・ 違う訳で同じ作品を読み比べてみるのも楽しいので 今回大好きなレベッカが新しい訳で出たので 買ってみましたが・・・ 正直まったくお手軽な訳でがっかりです 誤訳も勉強不足なのでは? 本物のこの作品のよさを味わっていない読者さんの レビューをよんで気の毒になりました・・・ あらすじ書いたレビューのかたで本当にどの位の方がこの新訳よんでいるのか お話知ってるってだけで書いているかたもいるのではないでしょうか? 気になりました | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!