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天地明察
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天地明察の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.20pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全32件 21~32 2/2ページ
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時代小説きで、江戸もの好きなので、少々期待して読んだが、 途中、かなり斜め読みしてようやく読了。 テーマ自体は興味深いものだが、長編小説として描ききるには 著者の力量不足といった感が否めない。 むしろ、映画やドラマで観た方がそこそこ楽しいのでは。 | ||||
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500ページあって全6章からなりますが、 枚数は多いのですが、内容は終始盛り上がりませんでした。 ネタバレすると、主人公たる渋川春海が、 一度失敗して、改暦に成功するんですが、 本の終わりの方で急に改暦に成功して ♪ハッピーハッピーボーイ みたいな流れなんです…。 まさに、プロットを読まされてる感じ 原因は、 科学的&歴史的な解説がなかったり、 主人公&執筆者が『大和歴』そのものに迫ってないからでしょう。 少なくとも、歴史小説じゃないと思います。 小学生の時に読んだ伝記シリーズ もしくは 歴史小説風ラノベ と思えば腹も立たんです。 映画どうすんだこれ? | ||||
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本屋大賞をとっていると言う事で自分の中で期待値ハードルが高くなりすぎたせいか、、、設定は面白いのですが、いまいち入り込めませんでした。 最近の本屋大賞って「謎解きはディナーのあとで」もそうだけど、自分の好みに合わないものや何がそんなに面白いのか理解できない作品が多い。 | ||||
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ハードカバーで500P近いので重厚なのかと思えば、韻律の効いた文章でテンポよく読める。 が、あまり本を読まない人間向きに書かれていて、はっきり言うと、本を読む人間ほど読むのが辛くなる。 題材は非常に野心的なのだが、内容には著者が自慰に耽る姿を見せるハーレクインのような印象が残った。 悪い意味でポスト団塊ジュニア世代の気風を代表した小説だと思う。 某文学賞のある選考委員は、本書を「明かるすぎるといってよい作品である。しかし陰翳が足りない。」と評した。 お世辞にもこの論評もあまりほめられた文章ではないが、はっきりと面白くないと言っているのは評価できる。 著者なりには陰翳はあるのである。この本は主役がまさに著者の投影であって、多才な男がその才能の大半が二流であることに絶望して全く別の自分の道を見つけ出す、という自己へのナルシストじみた皮肉譚でもあるからだ。 ただ、その見つけた道もやっぱり二流である上に、根気よく続けて向上する気もいまいちなのが透けてしまうことが、はたして いいことなのだろうか。 率直に言って、この小説は表面が整っているだけだ。 文体は整っているのだが、主人公が有り余る自信を見せて回る鼻持ちならない男にしか見えないくらい描写力が甘い上に、暦を独自に作るという行為の価値や革新性を追求する部分を、物語のゆるさを確保するために意図的に捨てている。 読んでいて著者側の出し惜しみばかり目につく…というか、題材に著者の筆力が負けてこぢんまりとしているように見える。 著者の筆の走りで読者を引き込もうとしている部分で、過剰に力をセーブしすぎているように見えるし、対して丁寧な説明が求められる部分では文章が知性を失ってしまっている。 好き嫌い以前に、単純に小説としての実力が低い。 また何よりも、本作は作者の創作姿勢が後退し、逃げに入り出した様子を克明に記している。 殺伐とした世界観を売りにした作風に頼らず、平和な状況を舞台にした小説を書きたいという著者の本作への意図はわかるのだが、平和な雰囲気を大切にするがあまり、テーマを追求する姿勢がすべての面で弱くなっていて、作家として追求していくべき精神性がライトノベル時代よりも後退してしまっている。 こういう停滞はライトノベルならば「作者の個性」として許されるのかもしれないが、幅広い層の読者の目に晒される(本書は極端に読者層を絞っているが)一般向けの小説でこういった力の出し惜しみはどこまで続けられるのだろうか。 この姿勢がこのまま続くのであれば、著者と出版社の財布を潤す以外に新規の読者を参入させる理由はない。 少なくとも、漫画よりも時間がかかる媒体として読ませる価値はない。 やることなすことだけでなく自分の心の中の一番美しい信条に対してまでも「まあまあでいいじゃないですか、まあまあで」と言い訳する物語のどこがいいのか。 怠惰な人間を描く小説は物語として十分ありだ。 しかし、この小説は筆力の低さのせいで怠惰な生き方や姿勢を肯定するように読めてしまう。 本を読む人間が本に求めるのは、怠惰さの肯定ではなく、怠惰に生きざるを得ない心情の肯定ではないか。 多数のインタビューやエッセイで著者のパブリックイメージが確立されているが、一度それらを外して冷静な目で読んでみるといい。その姿には自分への諦めと世の中への無気力を優しく肯定するカルト性以上のものは見えない。 本書に文学的な賞を与えるのであれば、賞の対象に漫画を加えて青年誌以上で活躍する漫画家を候補に入れ、本書よりも先に該当する賞を与えるべきではないか。 少なくとも、本書よりも薄くて価値のある本は山ほどある。 なお、さんざん書いたあげくに著者を擁護するわけではないが、ネットにおける本作の資料の歪曲疑惑について述べる。 結論としては「時代小説の信憑性やディテールなどそんなもん」である。著者は時代小説界で許される範囲の想像・改変に従ったに過ぎない。 何せ司馬遼太郎でさえも、小説の設定として「江戸時代の医者の社会的地位は幇間と同程度であった」という暴論を書くのだ。 もともとジャンル全体が時代風俗を忠実に再現する意識をそれほど高く持っていないのである。 | ||||
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作者と他の作家さんとの対談を読んで、かなり期待して手に取ったのですが… 調べたことを、深く理解せず、自分の言葉として文章に起こさず、そのまんま羅列したって感じでした。 背伸びして深いテーマを「頑張って」書いてみました。って感じの文章です。 ところどころ筆が乗ったような面白い部分もありましたが、最後まで書ききれず尻すぼみに終わっているのが、とても残念です。 もう少し、他の話で筆慣らししてから取り組んだら、もっとこなれた面白いものになったと思います。 | ||||
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本屋大賞1位だし、帯の裏にも著名人から数々の賛辞のコメントが。これはきっと面白い小説に違いない。と思ったのもつかの間、全然ペースが上がらない。 最後まで盛り上がりのないまま終わってしまった。 私としては、なぜ暦がそこまで大事なのか、この大和暦を作るのにどのような苦労があって、そのようなプロセスで主人公はこれを作ったのか、もっと科学的な解説も付け加えて欲しかったし、それを期待していたから最後までペースがあがらなかったのだ。最後のあたりで、いつの間にか大和暦が出来あがってて、あれっていう感じです。 | ||||
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あっという間に読み終えました。 最近の人気小説と同じく、あらすじを読んだとの感想です。文学とは感じ得ませんでした。 | ||||
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深い洞察もなく、見せびらかすような薄っぺらな文書。 中学生でもおかしく思う算術問題が恥ずかしげもなく登場する 無能さ。これが吉川文学賞なの、読者対象なの。 延べて程度が落ちたということかな。 | ||||
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ストーリーとしては面白いと思う。 だが、それだけで終わってもらっては困る。 著述を生業とする人には、正しい日本語を後世に伝えるということについて気概を持ってもらいたいものだ。 本書においては、随所に見られる単語の誤用、そして歴史小説にそぐわない軽薄な言葉遣いが物語の面白さに水をさしている。不必要な背伸びをしている様子が感じられてならない。 他の方が書かれたレビューを見ると暦や算術に関する解釈や記述についても苦言が呈されているようだが、それらもさることながら、文章を書くという行為における最も基本的な部分がおろそかにされていると思う。 この点については著作者本人だけでなく編集者の資質と責任も見逃すことはできまい。 もう一度自分の立ち位置を見つめ直すことをお勧めする。 | ||||
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先に言っておきますが、話自体は結構面白かったです。主人公が数学や新暦にかける情熱がとてもよく伝わってきています。それらの学問に馴染みのない方でも興味をそそられる内容だったと思います。 しかし、です。この作者は作中で決してやってはいけないことをしました。(以下少しだけネタバレ) 作中には主人公が数学の天才である関に挑戦するべく問題を作る場面があります。必死になって主人公が作った渾身の問題は、しかし答えのない誤問であり、そのことに気付いた主人公は失意のどん底に落とされます。しかし、様々な人に支えられて立ち直り、リベンジを決意します。「関にといて欲しい」その一心で前以上に慎重に推敲を重ねて作った主人公の問題に、関は見事な解答を添え、主人公の宿願は叶うのです… ですが、関が作中で解いて見せたリベンジ問題…なんと解答不可能な誤問です。というより、問題の前提が既におかしいです。具体的には、問題の前提では宿星がだんだん大きくなるはずなのに、宿星1・2の円周の合計が10(平均5)宿星5・6・7が27.5(平均約9.2)宿星11・12・13・14・15が40(平均8)と途中で縮んでしまっており、問題文が既に矛盾しています。 調べてみたところ、この問題は渋川春海が実際に出した問題を、作者が数字を変えたもののようです。(現実の春海の問題ではこの矛盾は起きていません) このリベンジ問題のシーンは物語なかばのクライマックスというべきシーンであり、ストーリーの流れからしてリベンジ問題が「誤問ではなかった」ことこそが重要なシーンです。にも関わらず作中でベタぼめされている「良問」が作者が勝手に数字を改変したせいで、単なる「誤問」になり下がっているという事実は、知ってしまうと一気にこのシーンのやりとりが白々しく感じられてしまいます。 数学ができないならできる人に聞く…その位のことは出来たはず。 | ||||
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知人の推奨があったので最後まで読通したが、ガッカリした。理由を列記する。 1.天文暦学者渋川春海にして囲碁の二代目安井算哲の話だが、著者の時代風俗への貧弱な知識が目について興ざめである。髪型を束髪とするがそんな髪型はない。また20歳過ぎの大人が前髪とはあり得ない。 2.碁打ちを描くには著者の囲碁知識はなさ過ぎる。初手天元を白が打ったように読めるのもオカシイ。囲碁は黒が先番である。また誰であれ素人が専門家に指導碁を打って貰うときは石を置いて教えをこうものだ。著者はそのような場面を経験していないようで、非常にオカシイ。また囲碁の勝敗では5目負けの次に3目負けになったとしても、技量の接近とは取らない。負けは負けなのだ。その辺りも無知だ。 3.江戸の富士塚があるように述べているが、江戸に富士塚第一号が築かれたのは1779年でこの小説の時代よりも百年ほど経っている。 4.文章中に「がっくり来る」などおよそ文章語と思えない言葉が登場する。品格に欠ける。 以上、直木賞に選定されなかったのも当然である。 囲碁を知っている者はイライラするだけなので読まないことを薦める。 | ||||
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江戸の数学者が主人公という着眼点は斬新でした しかし登場人物は皆あまりにアニメ的な造形で、物語の深みも何もありません 文章も個性がなくおもしろくも何ともありません 帯に時代小説とあるのも謎です 実在の人物を書いて史実を追うなら歴史小説でしょう 編集者の無知でしょうか 絶賛されるほどではないです ジュニア小説かと思いました | ||||
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