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隣の家の少女
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隣の家の少女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.75pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全134件 101~120 6/7ページ
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涙にしろ怒りにしろ恐怖にしろ、感情を激しく揺さぶる作品であれば、それは名作であると思います。ただ残虐さや過激さを追い求めただけの作品なら沢山ありますが、この本は実際に読むことそれ自体が痛みを伴う代物です。私は読み始めてからページをめくる手がとまりませんでした。続きが気になるという生易しいものではなく、一刻も早く自分の中でこの物語を終わらせたいと言う一心で読み続けました。エドワード・ゴーリーの「不幸な子供」を容赦なくえぐく書いた感じかな。コレは名作です。 | ||||
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10代前半という微妙にいろんなものが芽生え、 成熟にはまだ至れない年頃の心理に重ねて紛れて、 この物語は自然に日常から狂気までがなだらかに続いているのだと思う。 気がつけば狂気のなかにおり。 「僕」が気づくのは遅すぎた。 気づくことは彼の精神が成長することでもあるのだが きっかけがあまりにも残酷すぎた。 彼女が自壊をはじめるころには絶望的になった。 救いようのない話が好きな方に。 | ||||
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14歳の少女が監禁暴行され殺されるという話だが、 個性溢れる拷問シーンは少ない。 私に耐性があっただけかもしれないが、 口に○○を突っ込むシーンは、 その前に蛙スープとかミミズスバゲティを食わせるべきだと思いました。 爽やかな青春小説のような出だしで始まるが、 だんだん残酷小説になっていくサスペンスを楽しむ小説かもしれないが、 虐められ殺される少女のキャラ造形が失敗していると思う。 メグに私は萌えません。 美人で頭も良く身体能力も男子とタメを張り、 画才もあり、 家事手伝いを一生懸命やり、 虫も殺せない心優しき少女であったが、 私はメグにはムカツイタ! 自分が良い子であるということを主張し過ぎたのが、 メグが虐められた原因になったと思う。 いつもおとなしく読書していた妹のスーザンは標的にならなかった。 能力を鼻にかけるしぐさはムカツクのである。 能力の無い凡人に擦り寄る姿勢を見せなかったのがメグの敗因。 控えめな渋みの精神に気付いていなかったのがメグのミス。 虐められて殺されない為には、目立ってはダメポ。 さあ皆さん静かに読書する人生を楽しみましょう! | ||||
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うーん、久々に小説を読んでブルーな気分になりました… だいたいストーリーは分かし、もとの事件も知っているのですが、 レ●プシーンが、なんだろう、すごく不快でした。もっと表現が嫌なものや、 もっとグロイものもあるのですが、なんでだろう、子供が子供をするからか、 親がそばにいるからか… だけど読まなきゃよかったとは思わないです。 | ||||
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最初からホラーである事を、読者にバラしておいて(物語のプロローグにあたる部分で行われる)想像力を刺激し、ある程度予想させているにも関わらず、さらにその上の恐怖を展開させる、ケッチャムは素晴らしい。 頭で、読んでしまった状況を考える事を(その情景を映像として、音や、ある意味臭いまでも)ヤメル事は出来ない! スティーブン・キングが好きになるのもよく理解できる、キング作品が好きな方にオススメ致します。ちょっと読んだら止められない、中毒性は高いです。 ただ、救いはありませんが...いや、だからこその... | ||||
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私がこの作品を読んで一番感じたことがこれでした。 小説・・作り物という前提で読み進めてるので、ある意味安心して読めました。 しかし、作り物ではなく現実にこういう事が起きたとしたら・・・・ 似たような事件は日本でもありましたね。 虐待につぐ虐待によってだんだん被害者を弱らせて精神力も奪っていき 人間らしさも根こそぎ奪って家畜以下の扱いをしながら絶命させる、 それはただの殺人よりも残酷で恐ろしい犯罪。 それを可哀相と思いながらも、何もせずただ傍観する人こそ 一番の悪かもしれない。 主人公にはもっと早く勇気を出してもらいたかったなぁ。 そこが一番イライラした。 ケッチャム作品の中では死人が少ない方です。 | ||||
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スティーヴン・キングが絶賛している、が、自分はキングのどこが面白いのかさっぱりよくわからないので、そんな人でも楽しんで読める。 隣の家の女の子が監禁されて暴行を受けて、主人公はそれを傍観しているしかない、というまったく救いようのない話。真に怖いのは「傍観」という事実で、そこをもっと掘り下げてもらえばよかった。というか、何故エンターテイメントに走ったのか、そこが気になるところ。文章を洗練し、サスペンス部を取りのぞき、四分の三か三分の二程度にぎゅっと圧縮すれば、ハヤカワepi文庫で出ててもおかしくないような作品だと思うのだが、アメリカ的エンターテイメントに最後走ってしまったのが、個人的に不満。 | ||||
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今や「虐待もの」「DVもの」が書店の棚を一つ占める位、出版されています。 この『隣の家の少女』はフィクション。 だから、「おもしろい」のは当たり前なのかもしれません。 「おもしろい」とは「虐待作品」に対して、使うべき言葉ではありませんのが、この作品はフィクションなので、使わせてもらいます。 文句なしに「おもしろい」。 人間の、「恐怖への好奇心」「しちゃいけないこと」「隣の家の中身」「アメリカの内輪の話」・・・。 これらすべてを満たしてくれる作品が、ほかにあるでしょうか? しかし、問題は、この作品を「楽しんだ」後には、ちゃんと「おまけ」がついてきてしまうことです。 それは、「虐待を傍観」する主人公の姿。 それは、「弱い私」がするかもしれない姿?という疑問。 主人公の姿とその疑問が、数年たった今も私の頭の一部を占めているのです。 決して脳裏に焼きついて離れてくれない主人公の姿。 よって、この作品はある意味とても民主主義的な作品です。 楽しむ「権利」を行使してしまったのだから、考える「義務」を果たせという・・・。 | ||||
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例えばメグが背負わされた言葉の、あまりに不条理な暴力性。まぎれもなくそれは苦痛だが、しかし主人公の消えない苦痛とは全く異なる。 やわらげる薬も眠りもショックも昏睡もない苦痛。 主人公は言う。 「苦痛を目にし、苦痛をとりいれると、人は苦痛になる」 読者はそれを思い知らされるであろう。 | ||||
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とても衝撃的な本だ。 所詮は物語、と切り捨てられない重みを噛み締めながら本を閉じた。 紛れもなくこのような事は現実に起こっているのだと思うと、ひどく暗い気持ちになる。 いつだって我々は非力な傍観者だ。 残酷な事件のニュースに耳を傾ける傍ら、我々は被害者に対してどんなに同情を抱こうが、 結局は何の救いも手渡すことができない。 目の前の人間にだって――。 傍観者という立場に置かされた人間の無力を改めて思い知らされた。 | ||||
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最初の数行で中断できなくなる。こなれた訳文、忘れ難いキャラクタ ー、効果的な演出(構成)。これで陰惨な物語を紡ぎだすのだから読 者はたまったものではない。14歳くらい、そして9歳くらいの姉妹 が苛まされる。救いはまったくない。いじめの心理はこの小説から十 分読み取れるかもしれない。しかし、これを書いた作者の冷めた神経 も恐ろしいが、読み通し、そして小説であるということで済まそうと する自分も恐ろしい。それでも読み通せるのは、端々に救いの心理が 文章として潜んでいるからである。不快・悲惨というだけで敬遠する のなら小説は発展しないだろう、とも思う。 | ||||
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陰惨で救いようのない内容だ。それは確か。 それなのにするすると読んでしまう。そればかりではない。 虐待される少女に同情し、救いたいと思う一方で、次に何が起こるのかと半ば期待の入り混じった感情が生まれてきていた。 自分の中の被害者性と加害者性を浮き彫りにされてしまったのだ。 恐ろしいのはこの小説の内容ではなく、ジャック・ケッチャムという作家本人だろう。 | ||||
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鬱すぎです。途中で何度も読むのをやめようと思いました。('-,_ω-`)プッ 近所の家に養子として連れてこられた少女が気が狂っている養母に虐待されるお話です。('-,_ω-`)プッしかも養母だけではなく、その子供達まで虐待に加担するんです。それを止める事ができずにただ傍観しているディヴィットという少年の視点から物語は語られます。悲惨で、救いがなく、特に虐待の模様を綴った文章には目を覆いたくなりますが、それでもこの小説は読むのをやめさせてはくれないのである。 先が気になって仕方が無いのだ。バッドエンドであることを確信していながらも、先が気になって読むのをやめられない。読後感は最悪だが、僕は読者をこれほど夢中にさせるジャック・ケッチャムと言う小説家に畏敬の念を抱かずにはいられなかった。これから彼の著作を読み漁ってみようと思う。('-,_ω-`)プッ | ||||
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読み始める時点で、恐ろしい内容であるという事はわかっていました。 その年の「このミス」で取り上げられており、わかった上で読み始めたのですが、あらかじめあった覚悟など吹き飛んでしまう、「酷い内容」です。読者はそれをわかっており、期待すらしてしまうのが、内容以上に「恐い」点です。 とある街でおきた凄惨な虐待事件。 あの家の地下室で起こっている事は、住民の誰もが知っているのに、なにも変化がなく、子供達は毎日のようにやってきて、ちょっとしたサロンのようになる。スゴイ状況ですよ。 この話は、実際におきたシルヴィアという少女がこの作品と同じように虐待されて死んで行った事件が元ネタです。とても奇麗な女の子が同じように居候先のガートルートという女性に様々な暴行の末に殺されます。実話だと知るとさらに恐ろしくなりますが、ケッチャムは、作品化するにあたり、最後に慈悲を加えているようです。それを知ったときは、とてもスカッとしました。 | ||||
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~書評などでけなされていたり、最低の評価を受けていると逆に好奇心が働いて読んでしまうことがある。すると、星5つもつけてはいけないのかもしれないけれど、グロテスクかつホラー味たっぷりの本作を読まなければ勿体ないとも思う。センセーショナルな内容とキングからのオマージュで彩られてばかりなのでそれ以外のことも書いておくと、結局アメリカの~~片田舎だとこういうことって起こりえるんじゃないか、という話。残虐な事件は本当は沢山おこっているんじゃないか、という。そういういみで全然空想物語じゃないと思うのです。この作家の創作の根底に人間が単に人間の皮をかぶっている悪魔のようなにおいに対して敏感であること(本人がそうであるというわけではない)があると思われます。読んでし~~まったら読む前のあなたには帰れないかもしれない。でも、この世界を知らなければあなたは陽気な世界の能天気な住人でしかないということかもしれません。~ | ||||
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「蠅の王」に匹敵するくらい人間を表現している。 | ||||
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一読してベッドに突っ伏しました。 ジャック・ケッチャムは天才だと思う。でも、もう二度と読み返したくはない。 スティーブン・キングは文庫版の解説で「ジャック・ケッチャムは徹底した偶像破壊者だ」と書いた。それは間違いだ。ジャック・ケッチャムは偶像自体は最後まで守り抜いた。読後の胸の痛みは、それが守り抜かれた証だ。 破壊されたのは・・・。 小説がどれほど人の心に影響(影響?いや、衝撃と言ってすら生やさしい)を与えうるかを示した傑作である。僕は、読む気はないのに自分の本棚においている。 なるべく見えないところにだ。 | ||||
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度々話題になる、職場・校内でのいじめや家庭内の虐待。バカな評論家たちの話を聞くより、これを読んだほうがいい。 ただし、この作品と違って、現実世界のこういった出来事においてもっとも悲惨だと思うのは、「かすかな希望」を与えておいてそれをぶち壊すことでさらにダメージを大きくできるということを、ヤツラが本能的に知っている場合がある、という事だ。 | ||||
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ふと、これをマルキ・ド・サドが読んだら、どう思うだろうかと考えた。たぶん自分の書いたものとは比較にならないことを悟って、真っ青になり、絶句するんじゃないだろうか。この本を読む以前、いくら紙の上の作り話とはいえ、書いていいことと悪いこと(要するに倫理観のようなもの)は、やはり存在すると思っていた。もちろんこれを読んで、そんな甘い考えは吹っ飛んだ。真の芸術とは、読者が顔をそむけるところまで踏み込まないと、ほんとうの理解はえられないのだ。キングが絶賛したのも、わかる気がする。金子氏の翻訳の文章もいい。どの角度からみても、ほぼ完璧な小説だ。おそらく僕のこれから先の人生において、これ以上の作品に巡り合えることはないだろう。 | ||||
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この小説は沢山の絶望と少しの希望の話だと思う。 だから私はホラーと言うよりも救いの無い童話の様に思えた。 と言っても全く怖くない、と言う訳ではなく 主人公が足を踏み外してしまわないか、それだけが怖かった。 希望である主人公が居なかったら本当に陰惨な話というイメージだけになってしまう。主人公が居たからこそ、ヒロインは僅かな希望を持てた。 私はこの小説を読んでそこが一番好きだ。 ただ実話では全くの希望も無かったらしい。 だから実話の方では陰惨な出来事と言うイメージしか私には無い。 小説においては主人公の存在で僅かではあるが、希望を持つ事が出来たヒロインは、ほんの少しだけ幸せだったのでは無いか?と思う。 何故そう思うのか?と聞かれたらそう思わなければ、この本はこんなにも面白いのに、本当に二度と読めない本になってしまうから、と言うと思う。 | ||||
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