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隣の家の少女
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隣の家の少女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.75pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全42件 21~40 2/3ページ
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あまりにも不快だったので、クラウドからも削除してしまいました。 | ||||
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正直言って期待外れの部分が多かったです。 この本の元となった事件などを何も知らずに読み始めていれば、だんだんと敵対していく家族たちを想像し 私は気分を害し後を引く恐ろしさを味わうことができたかもしれませんが 言われているほど落胆はしませんでした。 誇大広告と言ってもいいでしょう。 ただ、拷問や残虐さに慣れてない方。特に女性にはひどく応えるかも知れません。 特に話題や、人に教えられるような本には絶対成り得ないので読む価値があるかといえば悩むところですが 文章としては読みやすいほうではあります。難しい言葉は一切なくすんなり頭に入ってきて、場面を想像するのは容易でしょう。 | ||||
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正直☆5にしようか☆1にしようか非常に迷いました。 物語の後半あたりから顔をしかめたり、胸くそ悪くなってきたり、なかなか行動を起こさない主人公にイライラしたりと、サイテーな気分で読み進めていましたが、それでもページをめくる手が止まらない!という風にラストまで一気に読みました。 形はどうあれ強烈なインパクトを受けたのは間違いありません! 最悪であり最高の傑作といった感じです。 ただ、内容が内容なだけに素直に面白かったとは認めたくないし、とても他の人にオススメできるような本ではありません。 映画のほうを観ようとは思わないし、同作者の他の作品を読もうとも思いませんので☆1のほうを選びました…。 | ||||
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ただただ残虐な話。 何が衝撃的なのか、なぜ評価されるのか不明です。 特に救いもなく、想像通りにストーリーが進んでいきます。 何の驚きもなく、意外性も無く残虐なかぎりをつくして話が続いて行く。 時間の無駄でした。 予感はあったのに購入した自分に反省、、、 | ||||
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未成年が読んだらいけないと思うので★1つで。 エログロレベルは普通ですが、人前で堂々と読めるので好きな人にはいいかもしれません。 | ||||
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日本に女子高生コンクリート詰め殺人事件なんてのがありましたね。 ああいう事件に興奮を覚える猟奇的な心の持ち主なら、 面白がって読むんじゃないでしょうか。 自分も結構、ドロっとした闇のある小説は読みますけど、 この作品は本当に胸糞悪いだけだった・・・・。 本作品の登場人物たちはスティーヴン・キングのスタンドバイミーのぐらい年齢の子たちだが、 自分の幼少時代の感覚を思い出しても、この作品にはなんの感銘を受けない。 この登場人物たちの感覚が特殊すぎる。日本の読者にはまず合わないだろうと思う。 ・読みかけの小説を投げ出す気持ち悪さ ・本作品の気持ち悪さ かろうじて、1ミリほど前者が勝って「頑張って」最後まで読みましたけどね。 というか、レビューで酷評するために頑張ったと言っても良い。 もうこういう作品は沢山ですね。 | ||||
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映画化で話題になった機会に読んでみた.ストーリー展開やおぞましいのは予想の範囲内だったが,作品としての完成度やエンターテイメント性などは想像以上で,自分の中では高めの評価をしていた.アマゾンの星で言ったら4はつけるつもりだった. で,この元になった事件を調べてみると,なんと細かい所まで全く同じじゃないか,それでいっぺんにしらけた.この作品の強みともいえる読後感の悪さや迫力もすべて消え去ってしまった. 事件にヒントを得てモチーフにするなら分かるけど,ディテールまで一緒じゃあ,小説家としてなにやってんの?って感じ. | ||||
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’81年、『オフシーズン』でデビューした、アメリカ・ニュージャージー州のホラー作家ジャック・ケッチャムが’89年にペーパーバックで発表し、’96年にハードカバーで復刊された第2作。映像化もされ、DVDになっている。’98年の邦訳以来版を重ねて長く読まれてきたが、ここにきて書店でのPOPや新しい帯のキャッチコピーのアピールで人気が再燃している。ちなみにペンネームのジャック・ケッチャムは、英国の絞首刑執行人に代々受け継がれている名前だそうだ。 ウォール街で成功をおさめ、2度の離婚を経験、3度目の結婚を控えた‘わたし’ことデイヴィット・モーラン41才が、12才半だった1958年の夏を想い出して語る。 全部で5部構成の第2部あたりまでは、‘わたし’が交通事故で両親を亡くして親戚である隣りのチャンドラー家に預けられたメグことミーガン・ロクリンとその妹で下半身に重度の障害を残したスーザンと出会い、メグに“異性”を意識したり、悪童たちと遊んだりといった、まるでロバート・マキャモンの『少年時代』を彷彿させる、ノスタルジックなストーリーだが、第3部から雲行きが怪しくなり、第4・5部は、凄惨な“虐待”シーンの連続となる。 このさしたる理由もない、おぞましくもエスカレートする集団暴行と、それを先導し、その場を支配する隣家の主婦ルースは異常である。これは昨今問題化されている“児童虐待”をはるかに超え、通常の“ホラー”の範疇では理解できない小説である。私は、ホラー小説から受ける生理的な“恐怖”というより、“嫌悪感”を抱いた。 本書は、読者をしばらく眠れない・立ち直れないほどのショックを与える“極悪小説”である。未成年者は決して読むべきではないし、軽い気持ちで手にとってはいけない。 | ||||
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文章も展開もすばらしい。小説として必要なすべてを兼ね備えた、実力派の一作といえるだろう。 しかし、この作者の作品は読者を選ぶ。不向きな人が読んでしまったら、これはもう、言いようもなく不幸で惨めな気分になる。 その意味で、私にとってはこの作品は完全に不向きで、心の底から不愉快で、二度と手にとりたくないものの一つだった。読み終えた本を手元に置くのさえ不快で、慌てて売ってしまったほどだが、それでも記憶の中になまなましく残る内容は、決して消えることはないだろう。そこまでの印象を残す作品として、やはり高く評価されるべきだろうとは思う。だが公平に判断しても、決して青少年に読んでほしくない小説であることは間違いがない。 小説としての筆力は評価されるべきだが、個人の感情としては誰にもすすめたくない本だというより他にない。 | ||||
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私には合わなかった。単純なエンターテイメントだと思って読むとつらすぎる。だからといって、筆者が何を伝えたかったが私にはわからなかった。ある種の実験的行動観察をしているような気がした。作品の完成度は高いが、本棚に置いておきたくない一冊でもある。 教育すべき立場の大人の道徳の欠如が、子ども達の残酷さに歯止めをなくす。そういうものかもしれない。好きだけど期待した見返りがなかったり自分のものにできないことで理不尽な怒りを持った経験を思い出す。このような場合、残酷さを増すか微妙な立場をとるか、正義感を強くするかは何で決まるのだろう? | ||||
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そこかしこで「すごい」という評判が書かれていたので手に入れて読んでみる。スリラーなのかと思うとそうではなかった。単なる少女虐待話である。 あの女子高生コンクリート詰め殺人事件がそのまま再現されているかのような物語で非常に気分が悪い。描かれている、軽い虐待がエスカレートし、激しく、ねちねちしたものになっていく様はリアルな経過なのかもしれない。実はこの物語自体も実際にあった事件をもとに発想を得て書かれたようである。 しかし、実話に発想を得て、残虐な小説を書くというのはどういう事だろうと思う。コンクリ事件は映画化された時、凄まじい非難を浴びたものだが、その作品はその事件そのものを描いたものであり、発想を得たと云うのとはまた異なる。事件に対する製作者の理解・態度がストレートに問われることになる。それに対して、発想を得たと云うだけなら、趣味に戯れることが可能である。 趣味としてはかなりの悪趣味としか云いようがない。 この物語から得られるのは特に何もなく、読み終えるまでの3時間程度を潰せる、いや、潰してしまうということになろうか。 まぁ、悪趣味に走るのなら「終わらない夏休み」くらいまで徹底してやればいいのだ。ここまでくると素直に受け入れられるものがある。もっともあたしは一日目で十分になって、読むのを止めてしまったけどね。 | ||||
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この小説を通じて作家が読者に何を伝えようとしたのか理解できない。 この作品が高評価なのが許せない。 | ||||
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私の感覚が鈍いせいか、それほど怖いとも思いませんでした。 訳者あとがきには「あまりにも後味が悪い」と書いてありますが、 別の意味での後味の悪さを感じました。 それは、「ルースを一瞬で楽に殺していいのか」ということです。 もっと苦しまないと不公平じゃないか、 と考えている私の方が残酷なんでしょうね。 | ||||
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読んだのは10年以上前。 当時独身女性、実家に住む私。 キング絶賛のこの本を購入し、一気に読んでしまった。 吐いてしまいそうなほど気持ちが悪かった。 その本を持っていること自体が罪悪な気がした。 暫く思い出しただけで夜も眠れず、陰鬱な気持ちになった。 色んな本を読んだが、これほど読んだことを後悔する物はない。 生理的嫌悪感、そして傍観者となって読んでしまった罪悪感。 一度読んだきり二度と読みたくはない。 これほどまでにダメージを食らうとは・・・ある意味凄い作品。 | ||||
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あそこまでヒドイ事を書かないと面白く書けないのか、読者をひき付けられないのか!? 作者の筆力の無さを感じた (訳が悪いのか!?) 約400ページ中、300ページくらいは削れる そのくらいの水増しした内容 無駄な時間を過ごした (-.-) | ||||
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"衝撃を受ける"と紹介されていたので手にとってみたが、 衝撃を受けることもなく、悪い小説を読んだな。という感想。 歪んだ理由もなければ過程もない。 ただ流された後の歪んだ描写だけが書かれている。 (理由がないから歪んでいるのかもしれませんが) これほどまでの歪んだ描写は今までの小説になかったものだと思うので、 それを求める方は好きかもしれません。 | ||||
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確かにこの小説は衝撃的で、話題になるのもわかります。 でも、作家にとって大事なのは、何を書くかではない。 この小説で言うなら、「虐待」を事細かに描くことが大事だったのではないはず。 大事なのは、何故書く必要があったのか、書かずにいられなかったのか。 文章にするという多大な労力を払ってまで、読者に何を伝えたかったかでは? もし作者にとって、この小説を書いた意味が外部にあるなら、 要するにただ話題になりそうだから、面白そうだから書いたということであれば、 この作者はただ上手い文章の書ける下種以外の何者でもありません。 少女への虐待をエンターテイメントとして読者に提供しようというわけですからね。 これが読者を楽しませることを目的としているエンターテイメント系の小説であれば、 こんなことは言いませんが、この題材は明らかにそういう風に扱ってよいものではないでしょう。 それなのに、この作品には「何故書きたかったか、書く必要があったのか」の部分がない。 エンターテイメントの薄さでしかない。あるいは「一度書いてみたかった」という興味? 今の社会では、何を書くのも自由ですが、それでも倫理的にタブーとされているものがある。 それを破れば、確かに注目を集められるし、賞賛すら得られるでしょうが、 無責任な禁忌破りは軽蔑を招くということも覚悟しておくべきでしょう。 何故、それを書くことが禁忌とされているのか、それなのに何故自分は書かずにいられないのか、 悩みぬいた作家にだけ、こういった作品を書く権利をわたしは認めます。 それは例えば、カミュやマルケスやニーチェの作品のように。 もう現代にあの人たちのような痛々しいまでに真剣な作家はいない。 禁忌を無責任に破るエンターテイナーしかいない。 50年後には紙屑にしかならない書籍の氾濫する愚かしい時代だということを改めて実感しただけでした。 | ||||
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モラルを超越した理不尽な暴力を描くことは作家ならば容易い作業だろう。過去現在の凄惨な事件を見聞きしていればほんの少しの想像力で事足りるはず。 でもそれを書く意義がなければただの嫌がらせか悪趣味でしかない。ケッチャムという人は本書で一体何を言いたかったのか。この文庫本の帯にあるような「切なく、美しい」なんて表現がどこにあるのだろう。主人公と少女の関係性?特殊な状況における集団心理?どちらも取って付けたような凡庸さで作者のスタンスがまるで見えない。人間の、それも幼い少女という弱者の尊厳を踏みにじることだけに腐心したかのような筆致も腹立たしいが、キングのように本書を異端であるとして祭り上げることのほうがもっと不快である。 | ||||
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表現の自由を錦の御旗にして、なにを書いてもいいものだろうか?社会的に何かの問題提起をしたいと思っているのなら(本書にそんなところはかけらも見出せなかったが)、これほど非道な有様を書く必要があるのだろうか?むしろ少女が虐待の挙句殺されていく様を読んで喜んでいる輩が出てくる可能性を考えると、ぞっとする。読後の不快感は、内容に対してもそうだが、こんなものを世間に晒すことを生業にしている作者に向けられ、読んでしまった自分に対しても嫌悪感を感じた。子供には絶対に読ませたくない一冊である。決して、自分は倫理観の高い人間ではないけれども、超えてはならない一線というのはあると思う。 人間は、恐ろしいことをしてしまう存在であり、それを隠し立てしても現実にはこの小説のようなことが起こっていることは確かだ。現実の腐った部分があるならば、ノンフィクションとして、原因の究明、予防のために記していくというのは納得がいくが、娯楽としてなのか、文学としてなのか、とにもかくにも、これほど残虐非道な内容を表現するのは、如何なものであろうか。比較対象としては、児童ポルノにも等しいものがあると思う。 | ||||
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確かに怖いといえば怖いのですが、謎が解き明かされる展開でもなく、あっと驚く結末でもなく、ケッチャムらしくなく、もっともむごたらしいであろう場面が省略されているので、中途半端な感じがしました。「Itと呼ばれた少年」を過激にしたようなものです。 また、スティーブン・キングが激賞しているように、語り手による往時の回想という形式ゆえに、その複雑な内面がよく描かれていて、それは、アメリカの50年代の記述とともに、この小説に独特の味を加えてはいますが、その分、彼が見ていない場面、虐待する側の心理が描けないというマイナスもあります。 ただ、一気に読ませる小説です。ということで星は2つ。 | ||||
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