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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.11pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全550件 141~160 8/28ページ
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| 2016年1月に鳴り物入りでドラマのコマーシャルがあったので、内容を早く知るために映画のDVDを見てから、原作の小説を読んだ。結果的に「正解」だったと思う。 予備知識ゼロでこの小説を短時間で読み切るのは難しい。最初のうちは話が遅々として進まず、「早く先を教えてくれ」という気持ちになるが、一向にスピードアップする気配がない。映画を先に見ていると、ストーリー展開がわかる、すなわち「地図を持っている」から、映画では描かれてないところがあっても、次に何が起こるかわかる。「今日はここでやめた」とたいしてページが進まないのに本を投げ出すことがない。 著者のカズオ・イシグロ氏も参画した映画は、文庫本で439ページの内容を104分に凝縮させている。さすがに短すぎるが、小説を読み進めていくと、重要な部分はほぼ映画で再現されていることがわかる。また、1回目は映画では何のことかわからなかったことが、小説を読み終えてから映画を見直すとものの見事に意味がわかる。小説と映画は「一心同体」なのだ。 以下、本日ひさしぶりに小説の第三部を読んだ後の感想である。 映画のラストシーンでキャシーが「私たちと私たちが救う人たちの違いは何か。誰もが終了する。誰もが生きることの意義を見いだすことなく、生きることの短さを嘆くのだろう」と独白していた。原作の小説には書かれてない映画オリジナルである。 著者はインタビューで「この物語(小説)が、物質的な財産や出世の道よりも、愛や友情、そして我々がそれらを経験した大切な記憶が、本当は価値があると思わせてくれることを願います」と言っている。映画のキャシーの独白は「現実にはそれが難しい」ことへの悲嘆なのだろう。 わたしはそれ以外に、「人類が便利になれば何をしてもよい」という「極端な科学技術信奉」に著者は一石を投じたかったのではないかと思う。 | ||||
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| 高校1年の長女の課題図書になったのですが、カズオ・イシグロの作品ということで、私も読んでみました。ストーリーや評判については、全く予備知識無し。解説の柴田元幸氏もコメントしていますが、予備知識が無かったのが良かったと思います。 主人公のキャシーの、淡々とした起伏のない語り口で語られるストーリーは、何かが引っかかるような語りで、微妙な違和感、というか異物感を感じ、これは何だろう、と感じながら、引き込まれてしまいました。 そして、ヘールシャムの子供達の恐ろしい事実が少しずつ明らかになりますが、その時にはストーリーに完全にハマっていました。科学技術が進歩する中で、「もしかしたら、将来にあるかも。」と思っていたことを突きつけられた気がします。 自分達を待つ恐ろしい結末を知りながらも、ピュアに生きるキャシー、トミー、ルースの思いが伝わってくる感動的な作品です。忘れられない作品になりそうです。 | ||||
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| 以前これを原作んしたドラマ?を見た気がするのです。 その時はあまり印象深くなかった。 この本を読んで、ドラマでは無理だと思った。 原作にはかなわない。 | ||||
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| 綾瀬はるか主演のドラマを見て、原作を読みました。 原作も面白いですが、ドラマのほうが良かったですね。 | ||||
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| 既読の知人から紹介され、同時にとても奇怪に思える設定を耳打ちされ、思わず「その様な内容でノーベル賞作家の作品なの?」と感じ、確認したくて早々に読み始めました。 最後の数頁。キャシーの淡々とした語りに、思わず胸が張り裂ける感動に襲われ嗚咽してしまいました。 この「他の人間の命を救う臓器提供の為だけに生まれ、育てられ、やがて使命(正に命を使う!)を受け入れ、静かに全うして生涯を閉じ行く」と言う、現代人の倫理観では到底受け入れ難い設定ですが、読み終えると作者の静謐な文体と相まって、主人公たちの「短い人生の儚い青春を、(画伯 ターナーの絵画に描かれているような)美しい光りで包み込む」舞台装置に見事に転じさせている事に驚きます。 「こんな他の命の為に彼らが従順に犠牲になり続け反乱しないのはおかしい」とか、「IPS 細胞等の医療技術の革新がある昨今となっては陳腐だ」とかの批評を拝見致しましたが、臓器提供の為に死んで行くという設定は、この物語で作者が描きたかった事をより鮮明化させる「仕掛け」に過ぎないのではないでしょうか。それにほんの70数年前に、国家国民の為と称して青年たちの命を有無を言わさず殲滅させてしまった「特別攻撃隊」という痛ましい行為を、私たちは既に過去に現実化させてしまっているではありませんか。 主人公の3人はいつもぶつかり合う程本音でないと生きられず、故に真っ直ぐに互いに対して正直に成長して行きます。そして限られた時間故に、生命と言うものと逆にしっかりと向き合い、その生涯を閉じて行きます。「どんな時代でもどんな状況下に置かれていようとも、人が生を全うする事の尊さ」、それが作者イシグロ氏の本作の主旨だと感じました。 欠けがえのないルースも最愛のトミーも喪い、最後にキャシーが3人の想い出の地であるノーフォークにまた向かいます。それは有刺鉄線や高い木の枝が彼らの「生きた証」をしっかりと掴み止め、決してここから「彼らを離さない」運命の地である事を象徴しています。 この本に出会い、こんな歳になっても感動を与えて貰い、私は本当に幸せです。 | ||||
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| まさか、これほど人間について考えさせられるとは思わなかった。 小説世界はSFで、設定が破綻ギリギリのところに成立していると思うが、それでもその欠点を補ってあまりある繊細的な描写のおかげで、この小説世界にはおおいに感動させられた。 ひとつひとつの場面の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい、まさに驚異的である。ここに描かれている子供時代は、自分とはまったく関係ないのに、自分の子供時代を彷彿とさせ、共感することができた。これはまさに作者の力量であり、驚くべきことだと思う。 問題は、最初に述べた、人間について、である。 果たして生徒たち(クローン)は人間だろうか、やはりクローンは人間ではないのではないか、マダムやエミリ先生などの保護管たちが彼らに対して恐怖や不気味さを感じたように、ぼくは彼らに疑いの目を向けずにいられない。 なぜなら、彼ら生徒たちはあまりに従順すぎる、保護官や自分たちの運命に対して。もし人間なら、彼らの中の少なくない人が戦うだろう、反抗し、危険をおかし、権利を主張するために戦うだろう。しかし彼らはそういうことをなにもしない、作者はあえてそれを書かなかったのだろうか? 作者は彼らが人間であるとはっきりさせず、曖昧にしたかったのだろうか? しかし、彼等は明らかに人間なのだ。そういう風に書かれている。人間特有のある側面が非常に丁寧に、繊細に描かれている。子供時代の人間関係や、微妙な心理、優しさ、滑稽さ、愚かさ、友情…… 一方、人間の暴力性は、トミーの切れやすさに込められているにすぎない。 イシグロはいわば、弱い力を扱う作家だ、あるいは決して声高にではなく、あくまでも間接的にささやくように訴えかけてくるような。しかしその弱い声が、まあよく心に響くのである。 そのおかげで、読んでいるうちに、クローン人間と自分の人生が重なっていくという、他ではあり得ないような体験に誘われていくのである。生徒たちクローン人間を自分のことのように思うのは、ちっともおかしなことではない。なぜなら、生徒たちの人生も、自分のそれも、遅かれ早かれ終わるのだから。そして、人生は残酷で厳しい。過去の楽しかった記憶がどれだけ支えてくれるか。それがないよりあった方が断然いい。 後半、「将来に何が待ち受けているかを知って、どうして一生懸命になれます?無意味だと言い始めたでしょう」と書かれているが、終わりが見えた時、人は少しでも楽しもうとし、愛する人をもっと愛そうとするのではないか。そういう前向きな人は少なからずいるだろう。だから、トミーはエミリ先生よりルーシー先生の方が正しいと言ったのだと思う。真実を知ったことによって、生徒たちが凶暴化する、という恐れが保護官たちにはあったのかもしれないし、生徒たちをコントロールできなくなるのを心配していたようではあるが。 最後の場面はほんとに素晴らしかった、こんな美しい終わり方があるのだろうか、というほどに。すごい作家である、カズオ・イシグロは。 | ||||
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| 緻密な描写と構成。語り言葉で綴られ回想が時間を行きつ戻りつ先へ進み不思議なキーワードが突然現れ徐々に解明されていく。だから引き込まれる。結末は絶対に知らない方が良い。ですが、確認しながら再読したいと思わせるでしょう。 | ||||
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| カズオ イシグロ の、静かな、上品な文章が いつの間にか、私の心を掴んで放さなくなりました。クローン人間の感情や、心の動きは、決してクローンではないのです。 臓器提供は、これからの大きなテーマとなると思いますが、この小説の話は、1950年代からイギリスではクローン人間を作り出し、臓器移植をシステム化していたとされています。 現代、世界のあちこちで、臓器売買の為、子どもたちの誘拐、人身売買などが起こっています。 いろいろと考えさせられた小説でした。 カズオ イシグロの文体が、とても好きです。 | ||||
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| いつ書かれた作品かは、確かめなかったが、 作者の、この発想(clone・臓器移植)に、驚いた。良くこういう事を発想出来るものだ!! 時間を置いて、また読んで観たい。 | ||||
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| 普段読書を全くしないものです。久々にこんな長編を読みました。他の方も仰っているように、抑制のきいた丁寧な文章という印象を受けました。 しかし、文章ももちろん、ストーリー展開にも抑揚がなさすぎて、特に前半部分は読み進めるのが辛かったです。提供者のネタバレがあって以降は、話の全体像が見えてそれなりに読み進めるのが楽しかったのですが… | ||||
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| まさか1冊の本にこれほど打ちのめされるとは。私にとってカズオ・イシグロは「日の名残り」に続く2冊目なので、ほんの短い一言でも読者を動かし翻弄するほどの力のある著者であることくらいは既に知っていた。知っていても、やられてしまった。 この小説は、臓器提供を目的として育てられ短い生涯を終えるクローン人間の子たちとその施設についての空想の物語だが、過去もしくは現代に起きている他の問題と多少なりとも類似もしくは共通するものもあるだろう。100人いれば100通りの感想あり、印象深く思うポイントをいくつも挙げ、その濃淡コントラストをさまざまに語ることもできよう。そのような感想の広がり、奥行きのような点とは別に、小説の世界を突き抜け、自分が現に生きる世界の自分を中心とする人生を脅かす、「重量感」とでもいうのか、ある重さを伴った感情から容易に逃げられないのではないか。介護人の仕事を終え、まもなく自らも提供者になって遠からず世を去るキャッシーは、物語を語り終えるが、これまでのいきさつをすっかり聞かされた読者のほうは、「はい、これでおしまい」とはいかない。人生の相当部分を共有したルースやトミーが亡くなったことも淡々と語ってきているが、語られないキャッシーの悲嘆が読者にはむしろつらい。 「失われた土地(ロストコーナー)」を「イギリスの遺失物保管所」と読み違えたことのあったノーフォークの街で、キャッシ―は失くした宝物のカセットテープを偶然にも発見。そのカセットテープの唄が小説のタイトル Never let me go(私を離さないで)で、それこそが、この物語の核心をなしている。さて、実際のところクローンでなくても人生は決して長くない。時には立ち止まって、失くしてしまった大事な宝物を探しにノーフォークへ行ってみるのはどうだろう。ぜひ行ってみたいと思った。 訳者あとがきには、1つの疑問が書かれている。主人公たちが過ごしたHailshamの施設の管理者であったエミリ先生やマダムが自分の病気の治療の機会を迎えた時、主人公キャシーの臓器を使うことを望むだろうか、ということだが、マダムは涙ながら明快にすでに答えてくれているように私は理解した。 | ||||
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| 作品の中にも、なにか日本、日本人の香りが感じられ、しかも普遍的真理を求める作家の静かで鋭い視力が素晴らしい。 | ||||
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| 臓器移植のためのクローン人間として誕生した子供たちが、施設で集団生活をしながら成人し、やがて役目を担って死を迎える。 そこにミステリーや事件があるわけではなく、むしろ心情が淡々と描かれていてかえって怖い。人間が科学の進歩によって恐ろしいことを平気で行うのはいまに始まったことではないし、劇画の世界にあったことが現実になる日も近いのかもしれない。 | ||||
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| ハルキ二ストの僕は今年のノーベル文学賞者の名前がチョット気になり、、著作を4冊程アマゾンで取り寄せました。作者に対する知識が無かったので、さて何れから読もうかな?小説のタイトルとしては何かベタ(そのまま英語で良かったのにな、まてよ、翻訳なのだからこれ位の感覚のブレはあるよと云う訳者の断りなのか?作品は非常に繊細)と感じた本作を手に取り読み始めたのですが…感想、読み進むうちにホコロビを嗅技分けようと必死になるのですが、全く秀逸なるラスト2ページをもって投了。暫し動けない、、、ジワりと背筋から這い上がる得体の知れない塊、嘔吐、ゲップ、いや嗚咽?。感想戦、日の光の下で描かれた作品ではないのに静かなる感銘を受ける。何とか僕が記憶の内で擦り合わせたのは、もののあはれ、はかなさ、お能。人生のどのタイミングで読むか?で好き嫌いの分かれる作品だとは思いますが、これぞ読書の醍醐味、だから読書はやめられないと思える大満足の作品でした。 | ||||
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| 主人公キャシーによって、なんでもない学校の日常が淡々と語られていく。ただそれだけで、起伏が無いなあ、と思っていたら突然出てくる「提供者」「ポシブル」という耳慣れない言葉。気になりながらも、なかなか全体像が現れて来ず、ようやく最終章で、ヘールシャムの生徒たちは臓器を提供するためのクローン人間であることが(そうだと明示されてはいないけど)理解できる。 途中、じれったく思いながら読み進めたが、この物語は主人公がヘールシャムの出身者で語られ、最後の最後まで全体像を語らないことに意味があるのだ、と感想を抱いた。ヘールシャムの生徒達は結局は臓器を提供する提供者であり、結婚をて家庭を持ったり、提供者・介護者以外の仕事に就くといったことはない。生まれた時から可能性は閉ざされており、だからこそキャシーはその事実を嘆くこともない。そしてヘールシャムの教師たちは、時に生徒たちに向き合うことができず去っていく。こう書くと閉塞感しか見えないが、作中の登場人物は感情豊かに活動し、笑い、怒り、悲しむ。将来は提供者しかないが、その運命も彼らにとっては人生の一部で、いたずらに嘆かないといけないものではない。 もしクローンができて、作中の提供者というシステムができたらどうなるのか、という思考実験にも見える。しかし私は、この物語は現在進行形で起こっていると考えている。例えば、チョコレートを食べるためにはカカオが必要だけど、そのカカオは児童労働によって栽培・収穫されていること、携帯電話を作るために、アフリカで紛争が起きていること。 作中には提供を受ける人々がどんな様子なのか、どんな考えを持っているのかは書かれていないが、今、私達がチョコレートを食べて携帯電話を利用しながら、児童労働や紛争についてどれくらい意識的か考えると、だいたい想像はついてしまう。問題意識を持っている人は居るけど、大半は意識をしていない。意識しないで済むような仕組みが構築されてしまっている。 本書は2回読むことを勧める。全てがわかった後で見えるキャシーの語り口は、何かどうしても悲しいものを感じてしまい、1回目と同様に読めなかった。 | ||||
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| 終始閉塞感があり、息がつまり、どっと疲れる本。終始クローンの立場から物語が描かれるからだと思います。そのため、クローンでもないのに「クローン対人間の戦争が起こりクローンの勝利!」という結末を期待していた自分に気づいて驚かされました。この物語の中のクローンは、いじらしいほど自分の運命を受け入れていて、粛々とその時まで生きます。クローン利用にハッピーエンドなど無いと思い知らされます。作者はこの閉塞感を描きたかったかと思えました。 そして私にはなぜかこの閉塞感が現代人にも共通するように思えました。自分の考えがある一線を越えてはいけない、空気を読むべき、何か大きなものによって自分が監視されていて皆がはみ出さずに役割を演じているという風潮と重なりました。 最近読んで一番よかったと思います。 | ||||
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| 独語、しばらく余韻に浸ってしまった本。ドラマ化された作品も見て、なるほど機転の利いた脚本と思いましたが、本のほうがいろいろ自由に描写できる分、刺激的で心にぐさぐさきました。 | ||||
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| 私にとって、初めてのカズオ・イシグロ作品です。 予備知識なく、知人が読んでいるというので、話のタネに…と思って読み始めたのでした。 素晴らしく抑制された、わざとらしいところのない、きわめてイメージの豊かな作品であると思いました。 読んでいる最中は、不気味なエンディングを予想していましたが、読後感は実に穏やかなものでした。感動を強いるような作品ではなく、深い余韻を残すような作品です。 しばらくは、この作品のことをあれこれ思い出して、思い出に浸ってから、少し時間をおいて再読したいと思います。 素晴らしい読書体験でした。 | ||||
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| 非常に興味深い主題 「クローン人間臓器移植工場」 ですので、非常に興味深く読みました (思わず、読まされました・・・・が、より正確な表現かも)。 クローンという主題で小説を書いてみようと思いついた時、当然のことながら、 「クローンの元親をどのように取り扱うか?」 「クローンの元親の精神的葛藤は?」 「クローン作成者とクローンとの関係は?」 「クローン人間の心はどのようなものか?」 「クローンの元親とクローンとの出会いは?」 「クローンの元親とクローンとの心の類似性は?」 「クローン人間をどこで生産(成長させる)するの?」 「クローン人間同士の恋愛は?」 「ひとりのクローンからどの臓器をどれくらいの取り出すの?」 「どの臓器をどんな病気の患者に提供する?」 「クローンが臓器提供の責務を終えた後は死ぬことになる?」 「クローンへの報酬は?」・・・・・について描写しようと考えた事と思います。 イシグロは、この小説で上記主題のすべてを扱っているわけではありませんが、これらのことを非常に上手に書きあげていて―――必然的に多少ミステリー仕立てにも、なってしまいます―――ほとんど一気に読んでしまいました。ただ、非常に重たい主題ですので、読みながら、じーっと、考えさせられる時間が長くなり・・・・・読み進むのに自分のこころを平衡にするための時間が必要でした。 いわゆる、小説らしい小説ですので一冊読み上げるための実時間はそんなにかかりませんが・・・・。 村上春樹との比較で、《どちらが優れているの?》 的な論評がいろいろな紙面でたくさんありますが、わたしには殆ど意味のないように思います。 ふたりが表現しようとしている 『文学』 への視点・観点は、オーバラップはもちろんありますが、『心理学』 と 『生理学』 の副読本くらいには異なっているので、「どちらの本が生物にとって重要か?」 と問うているようなものなのでしょう。 村上とイシグロが立っている土俵が、中央にネットはあるものの、テニスとバレー・ボールくらい違うのですから、比較するのは滑稽なのかもしれません (とはいえ読者としては、比較しないではいられませんけれど)。 ノーベル文学賞に関わらず、平和に寄与する世界に冠たるノーベル賞としての必須要綱には 『人類平和に、根源的に資する良点を持っているか? 』 というチェック欄に “✔ 印” が入っていることが―――たぶん―――必須条件 となっているのでしょうから、《審査員ら》の“村上″ という選択は・・・・選択の視点が変化しないかぎり、今後も無いように思います。 | ||||
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| 恥ずかしながら、ノーベル賞のニュースを聞くまで、この著者のことは知らなかった。 その後、ドラマ版の再放送があったので観てみたのだが、正直、北朝鮮みたいな国なら兎も角、臓器調達の為のクローン人間達を製造し、臓器を提供させ、死に追いやるという、倫理や道徳を圧倒的に逸脱した行為が先進国と思しき場所で堂々と行われるという設定に全く現実感を感じられず、また(ドラマの演者や製作陣はかつて時代を超えて残る程の名作を創った、才能のある人達の筈なのに)その有り得ない設定の中で、ひたすらドラマチックに、感動的に、衝撃的に純愛物語を作ろうとしているが、実際は気が滅入る陰惨なものになってしまっており、途中で観るのをやめてしまった。 しばらくして、書店でたまたまこの原作本を見かけ、何故世界中でこの作家がこれ程評価され、ノーベル賞まで受賞するに至ったのか、半信半疑ながら今一度確認してみようと言う気になった。 読み始めて理解した。 この著者がここで描こうとしているのは、勿論(ことに英国人は敏感であろう)クローン技術へのアンチテーゼもあろうが、それよりも、何処にでもいる様な人間達が、誰でも経験する様なさりげない日常の機微であり、友情であり、恋であり、成長であり、別れなのであろうと。 言わば、クローン人間達であると言う事が唯一のファンタジーであり、そのファンタジーの舞台で、ごく普通の人間達の日々の物語が切なく、懐かしく、哀しく、とても大切に描かれているのだ。 著者は壮年の男性でありながら、少女から大人の女性へと成長して行く主人公の心理や感受性をきめ細やかに、鮮やかに表現している。 また、あまりにも普通な主人公とその仲間達が我々と同じ様に青春を送り、幸せを感じたり、傷付いたり、成長して行く姿がごく自然に表現されているが故に、人間に奉仕するために造られたクローンと言うコンセプトの残酷さが際立ち、アンチテーゼとしても高く成功している。 この著者が所謂「特別な才能」を持っていることは疑いようがないと感じた。 確かに、ナッツをかじりに恵比寿のバーに入って「やれやれ、僕は射精した」の著者が中々取れないノーベル賞をカズオ・イシグロが取れたのもなんだか納得出来る。 ただ唯一、女性は本当は基本的に性に奔放と言う風に描かれているところは共感出来ない。 そう言う女性が多いのも事実、でも、影響力のある作家が「それが普通」と言う風に描いてしまうのには抵抗を感じる。 ともあれ、一読に値する書である。 念の為、もう一度ドラマ版も最後まで観ようと言う気になった。 | ||||
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