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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.11pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全550件 421~440 22/28ページ
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| 2005年発表の本作品は、長崎県出身の英国人作家である著者の新しい代表作と評価されている作品です。 −−と、「新しい代表作」などと書きながら、じつは著者の作品を読むのは初めてでした。名前は知っていたものの、文芸作品をあまり読まない私にとって、これまで触手が伸びずに来たのです。 この作品を読むきっかけは、「謎めいた作品設定」に興味を覚えたから。 物語は、介護人キャッシーの視点で、子ども時代を過ごしたヘールシャムという施設での出来事を回想する形式で語られる。 ここで共に暮らした友人達は、「提供者」と呼ばれ、世間から隔絶され、図画工作に没頭するような授業を受けるとともに、健康診断を毎週のように受診させられていた。 彼らには、想像を絶する運命が決定づけられていたのだった…。 エンタテインメントではないので、「提供者」が意味するところは、物語の早い段階で明らかになりますし、その真相を楽しむといった類のものではありません。 それでは、「提供者」にどんな意味があるかと言うと、本書で著者が語りたいことを描写するための、見事な舞台設定になっていると言えましょう。 このレビューを書いている2011年4月現在、本作品は映画化され、日本公開中です。 著者は公開前の本年1月に日本を訪れており、映画の公式サイトにインタビューの結果が掲載されています。 そこには、「この物語のメッセージは『皆が思うより、人生は短いということ。その中で最も重要で、やるべきことは何なんだろうか?』ということです。」との言葉がありました。 そう、本作品の「提供者」は、「生を実感しながら生きていくこと」を私たちに考えさせるきっかけとなっているのです。 優しく繊細な著者の文体は、主人公の友人達の運命を通して、私たちに「自分の人生」とどう向き合うかについての、ヒントを与えてくれているような気がします。 | ||||
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| 映画化されるにあたって、改めてゆっくり読ませて頂きました。 著者の他の作品は読んだことがないのですが、はじめの数ページ、いや数行を読むだけでその世界観に入り込ませてくれました。 いわゆる際立った台詞まわしや文章が、ということでなく、あくまでその世界がじんわりと伝わってくる感じです。 翻訳もこの作品体験を骨格として支えているような、歯ごたえのある文章で、噛み解いていく心地良さがありました。 多くのレビュアーの方々が大変しっかりとしたレビューを書かれているので、いまさら中身について触れるのも、とは思いますが、 一点だけ書くとすれば、この物語の問いかけについてです。 私にとっては「生きること」に対する、真剣で、暖かい問いかけを持っている作品だと思います。 我々の目の前にある一歩一歩が、隣人や、自分の知らないところで実は絆のある方々の一歩一歩が、 実はこんな形で刻まれていくのだな、と言った事を考えさせられました。 生きることは、決して、それだけの事ではない、そんなことを感じさせてくれました。 お読みになって居ないかたで、こういった問いについて普段から興味のある方であれば、 必ずや何かしら(言い意味で)心身ともにかき回してくれると思います。 是非たくさんの人におすすめしたい小説です。 映画も上映初日に見に行きましたが、小説の世界を見事に抽出された名作品でした。 映画もあわせて是非ご覧下さい。 | ||||
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| 仕事・家事・子育てに翻弄される日々の中、 TVのバラエティー番組で紹介されていたのを観て本書を知りました。 それまで「カズオ・イシグロ」が有名な作家というのも知らず... 英国的な美しく静かで規律のある寄宿舎生活の描写の中、 時折現れる不協和音的なエピソード。 淡々とした日常の回想から、後半にかけて徐々にスピード感のある展開もすばらしい。 読み進むうちに、なんとなく頭の中に浮かぶ、ぼんやりとした像が、 最後にピントがはっきりし、さらに想像以上の姿を現した時の衝撃、 さらに予想を裏切るかのような結末と、感動的なラストシーン! 「物語は映像的・映画的に考えてしまう」とイシグロ氏の言葉にもあるように、 情景の描写が細やかでわかりやすく、頭の中でスムーズにビジュアル化しながら ぐんぐん読み進むことができました。 「生きること」や「いのち」、そして「アイデンディティ」について深く考えさせられる、 哀しくせつない愛の物語です。 今回、映画化を知り、予告を見ただけで、涙が。。。 かなり忠実に再現されているそうなので、公開が楽しみです。 | ||||
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| これまで読んだ小説の中でも、最も好きな小説の1つです。土屋政雄さんの翻訳も素晴らしい。現代文学の最高峰の1つと言ってもいいかもしれない。 1923年から2005年までの英語で書かれた小説を対象にした、タイム誌のオールタイムべスト100にも選ばれている作品です。(もとのタイトルは、Never Let Me Go) http://www.time.com/time/2005/100books/the_complete_list.html 内容については書かずにおきます。多くの書評が言うように、最初は、事前に何も知らないままに読んでもらいたいです。ただ1つ言えるのは、静かに、ほんとうに静かに、少しずつ明かされていく事実が、そして事実を運命として受け入れる人間のあり方が、読者の胸を締め付けるということです。 | ||||
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| 「おれはな、よく川の中の二人を考える。どこかにある川で、すごく流れが速いんだ。で、その中に二人がいる。互いに相手にしがみついている。必死でしがみついてるんだけど、結局、流れが強すぎて、かなわん。最後は手を離して、別々に流される。おれたちって、それと同じだろう?」。 キャシー、トミー、ルース。へールシャム出身の若者たち。 淡々と落ち着いた語り口で物語りは進む。 平静でいられるはずがないし、 あてにならない希望にすがるときもある。 でも、結局彼らはそれぞれのやり方でその感情を処理し、 成長し、運命を受け入れてゆく。 最初から、それしか選択肢がないことも本当はわかっている。 現実にはありえない設定の話だ。 日本と違い、米国サイトでは否定的な意見も結構多い。 ただ、この作品は、強引に読者をこの世界へ引きこもうとはしない。 本人たち以外にはそれほど意味の無い、ちょっとした出来事の重さや、 秘密や、わずかな心の乱れを、慎重に描き出す。 穏やかでとても繊細な文体だ。美しさすら感じる。 本の扉を閉じながら、言葉にするのが難しい静かな感動に包まれた。 | ||||
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| 近未来SFともみなしうるからイシグロの新境地だろう。もっともこの作家は常に新しいものにチャレンジしているようなところがあって、その点はいつも感心するのだが、しかしこの作品はまた、ここまで来たか、と思わせるものがある。 いわゆるネタばれにならずにこの小説について語るのは難しい。近未来の、いささか混乱し傷つき希望を持つことが難しくなっている世界の中で、先端科学がからむ話としておこうか。トーンは暗い。 だがホラー小説にもなりうる設定でありながら、むしろここにあるのはひたすら哀しみである。この小説の映画版が間もなく公開されるのに際して、2月10日の毎日新聞夕刊にイシグロのインタビュー記事が載った。それによると、イシグロが考えたかったのは、前面にあるように見える生命科学の倫理よりも、限りある人生という普遍的な問題だったという。 イシグロといえば、いわゆる「信頼できない語り手」の問題が定番である。つまり、語り手の嘘=不確かさ=生き方の希薄さが、別に浮かび上がる事実によって明らかになる、というパタン。だがここでは、それは使われていないのではないか。とすればそれは何を意味するのか。 上述の夕刊では「記憶を武器に死と戦う」という見出しがあったが、興味深い点である。今までの作品では、語りの元となる記憶は不確かで、しばしば欺瞞につながるものだった。だがこの物語ではそれが転倒している。ほかの現実はすべてが失われてゆく中で、語り手の語る記憶だけが、確かな真実、生きる拠り所としてあるのである。それがとても切なく辛い。しかしそれゆえに深い感動を呼ぶ。 今更のようにイシグロの重要テーマの一つとして、人間の絆の分断というものがあることに気付かされた。 | ||||
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| 著者はインタビューでこの作品について「完全に幸せな子供時代を描きたかったのです」と語る。確かにヘールシャムにおいて養育されていた時期には主人公たちはそのように感じていた。子供の眼はすべてを見てすべてを見てはいないからだ。 15歳を過ぎてコテージに移ると自分たちをとりまく世界とどうかかわってゆくかが彼らの課題となってゆく。その際に主人公が語るように彼らにはモデルがいないため、住居(飼育場所)にあるTVや雑誌により 情報を得てそっくりコピーせざるえをえない。複製が人間のしぐさや言い草までも複製するという、苦い ユーモアを著者はあちこちにちりばめるが、それは物語の中盤から始まる。5歳から英国人となり成人して 小説を書くイシグロは英文学特有のユーモアと諧謔を織り交ぜ、やさしく温かいのか冷たく突き放しているのか読書にとり認識しがたい状況をいくつも繰り出し、ヒロインに語らせる。(複製が小説家の複製をする)。たとえば性に関する彼らの悩みや行動は共感を喚起しつつ、読者にとってほとんど立ち直れないくらいの衝撃や絶望感や哀れみをもよびおこす。なぜ彼らは逃亡しないのか。なぜ自ら命を断ってむごい運命から逃れようとはしないのか。それは教育のなせる技なのか、それとも心すら操作できる科学技術を人間たちが獲得している近未来なのか。いくつもの謎を提供し、読者に沈思させる。涙や微笑がいつしか無限のおそろしさに変化し、魂が震え身動きすらできなくなる。たんなるSF小説と断じることを阻む傑作である。 | ||||
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| 2011年春の映画公開の前に再読。 展開が分かっていても、淡々とした独白によって、少しずつ物語の核に近づいていく感覚を改めて味わうことができた。なぜ彼らはこんなに文化的な生活を送る必要があったのか、そもそも彼らは生きているといえるのか。そして、静かな残酷さに包まれながら読了後に思う、果たして私は彼ら以上に人生を生きることができているかと。 日本語はほとんど話すことができないという著者の、日本人としての死生観が垣間見れる部分も非常に興味深い。 | ||||
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| カズオ・イシグロ氏の名前はかなり前から知っていたのだが、氏の作品に接するのはこれが初めてとなった。 まず、これほど哀切で美しい小説はそう存在しない。余分な虚飾をそぎ落とした文体は怜悧で見事にシーンを構成し、そのストーリーテリングも卓越している。〜設定そのものに余り触れるとネタばれになってしまうが、ある施設で育てられている子供達の『役割』は非常にシュールでありながら、極めてリアルに創られている。下手をすれば二級のSF小説のようになってしいそうなモチーフを、イシグロ氏の緻密な設定と文体はその存在をおおげさな誇張なく、けれんのない文章で、いやだからこそ、私達の胸に痛みをもって突き刺さる。 人生とはなにものなのだろうか。 彼ら彼女らのような存在に生まれた事は、人として存在する事の意義を哀しくあぶりだす。ラストのある種の「逃げ道」がふさがれてしまった時の絶望感は舌筆に尽くせない・・・。 イシグロ氏は本作で作風が変わったと側聞する。しかし、これだけ『魂』を感じさせる小説を書く作家なのだから、作風が変わったとしても期待に胸が膨らむ。ハヤカワからでている文庫は本書以外すべて未読なので、これからが楽しみだ。 | ||||
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| 穏やかながら、全体的に悲壮感がうっすらとにじみ出ている。 大きな波はなく、うつりゆくように話が展開していく様が芸術的。 人の成長、時間の移り変わりなど 誰とでも隣り合わせになっているはずの普遍のテーマを ひっそりと書き上げている。 | ||||
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| (まだこの作品を読んでいない方へ) ここに投稿されているレビューの中にも、ネタばれに近いことを書いてあるものがいくつかあります。 先入観なく読んでいただくためにも、あまり読まないことをお勧めします。純文学でありながら『このミステリがすごい!2007年』の第10位にランクインした魅力が薄れてしまいます。 もっとも、たとえ先に知ってしまったとしても、それでもなお余りある魅力に溢れた作品なのですが。純文学やミステリという特定の分野に収まる作品でもありません。 鮮やかな衝撃とともに、感情を奥底から揺さぶられるような、鮮烈な読書体験をさせていただきました。 文庫では、イラストレーターの松尾たいこ氏の手によるカバーのついた〈プレミアム・カバー・エディション〉があります。個人的にはこのカバーもとても気に入っています。 | ||||
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| 映画をキッカケに読みました。 原作の素晴らしさはもとより、 思った以上に忠実に描かれていた 映画にも驚かされました。 映画でも涙が止まらなかったラストは、 原作でも眼が潤んでしまいました。 ファンタジックな世界ですが、 近未来に本当にありそうと想像すると、 背筋がゾクッとしてしまいます。 ラブストーリーでありながらも、 そんな社会的なものも含んでいる今作。 映画も、もう一度、見に行こうかな♪ | ||||
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| 小説を読み進めて、一体誰がこの世界を思いつくだろうか…?と驚かされた。 物語は劇的な状況に中に進むが、最初、読者は 主人公の子どもたちがどんな状況におかれているのか、 よくわからないまま読まなくてはいけない。 イギリスの片田舎にある寄宿学校に生活する生徒たちの生活ぶり、日常の小さなこたごた、 さまざまな性格の監督者たち…そしてその日常の中に、小さな謎が、目を凝らして見ると 数多くちりばめられている。 その小さな謎が明らかにされていくのは、物語が半分ほどに近づいてから。 読者は、子どもたちの本当の存在意義に、驚愕することだろう。 それでも物語は進んでく… 物語の異質性そのものにも驚くが、 同時に、些細な日常の出来事、表面的には何でもないやりとりに、 主人公たちの関係や心の趣が微妙に変化していくのだが、その心の 繊細な動きの描写が、筆者は絶妙にうまいのだ。素晴らしいくらいに。 そして何よりも素晴らしいのは、筆者が、子どもの側から物語を 書いていること。きっとほかの人だったら、子どもを見る人の側から書くと思う。 子どもの側から書くことに、よりオリジナリティを感じた。 | ||||
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| 読みはじめの印象はなにやら大友克洋『アキラ』のラボの子供たちのような.特殊な施設であることは何となくわかるのですが孤児院?の様ではないし、ミステリアスな施設に集められ育てられている子供たちの物語り。孤児院ではないことはすぐにわかります。彼らについては乳幼児期、まして肉親について全く語られないし語らないのです。これはいったいどういうこと?子供たちの中で、成人したキャシーが一人語り始めます。ミステリアスなんだけど、ミステリーではない、SF的ではあるんですがSFではない。「使命」とは?「提供」とは?「介護人」とは? 短く特殊な人生を刈り取られていく子供たちの透明感あふれる切ない青春と、やがて彼らに明かされるその事実。 かれらは人なのか、一体何者なのか。 読後のカタルシスには大切な人を失った悲しみと不思議な透明感と景色がいつまでも心に残ります。 | ||||
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| 青春小説ですね。光景がまざまざと感じられるように映像的な書き方なので 美しいイギリス寄宿学校の雰囲気を楽しめると思います。 SFや社会派小説と思って読むと冗長で読み切れないと思います。 基本的にライトな感じで、サクサクと読み進められますが、 主人公キャシーが心のままに思いだして語るという形式のためか、 時間が前後する場合が多いのが、少し分かりにくく感じました。 作者のインタビューがwebで見られたので読んでみたのですが、 なるほどと思う感じでした。人は意外と運命を選べませんし、 どんな環境でも、良くも悪くも人間的に生きているということでしょうか。 | ||||
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| 私は初めてカズオ・イシグロの作品に触れました。翻訳ではありますがやさしい言葉づかいと一人称での語りは、読者を前にして静かに過去を初めて語る人のもつ真摯さを感じさせて新鮮です。私には全編を流れる白い背景と無機質な情景が印象になって残りました。その中に登場する人たちの姿形が現実味を帯びるのは卓抜な表現力のなせる技でしょうか。イシグロにとって読者は彼自身なのかもしれません。 臓器移植のために生まれ育てられる子供の心身の成長を学校という世界と学校(施設)を出てからの生活の流れの中で描かれています。そのエピソードは友人間の嫉妬だったり憧れだったり強い性の欲求だったりするのですがその背景には臓器提供者という定められた運命を密かに感じているという漠とした足かせが横たわっています。著者は最後まで臓器という用語を使いません。提供者とだけ それが読者の私には涙がでるほどやさしく感じられました。提供するものとその介護にあたるものとの間の埋まらぬ溝も最終章の重要なテーマです。この作品はおそらく「私は私」というはっきりした気持ちを強くもつ人よりも「私はだれだろう。私はどこからきてどこへ向かうのだろう」と自問自答する読者に多くの共感を得ることができると思います。 | ||||
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読みだしころは、Kathyの淡々とした語り口と、Hailshamでの出来事に、どんな物語性があるのかよくつかめず、なかなか入りこめませんでした。 短い通勤時間に読んでいたんですが、興味が持てなくなり、会社に置きっぱなしにしたくらい(笑) けど、しばらくしてちょっと長い待ち時間のトモに読みだしたら、一気に中盤まで話が進み、そこからはドラマに引き込まれ、気づいたら予想が全くできない展開に辿り、最後はとってもショックでした。 予備知識がなかったので、この本ってラブストーリー?スリラー?なんて思いながら読んでいましたが、まさかSFでもあったとは。。。 個人的には、ちょこちょこ通勤時間などに読むより、わーーっと一気に読んだほうが、もやもやせず、一気に楽しめるタイプの本だと思います。 読み終わると、Hailshamでの章における、何かよくわからないなー、と思っていた箇所こそストーリーの重みを感じ、また、Kathyのどこか醒めた、第三者的な表現が切なくなってしまい、読み返してしまいました。 | ||||
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| 私は何の予備知識も無く本書を手に取ったので、初めのうちは英国の孤児院を舞台にした話かと思っていたが、 読み進めるうちに段々と普通でないことに気付き、やがて子供達の驚くべき運命と様々な謎が明らかにされていく。 どこまでネタばれして良いのか悩んでしまうので、本書の素晴らしさを伝えるのは非常に難しい。 本書のテーマについては、大野和基氏のホームページの中のイシグロ氏へのインタビューにおいてかなり詳しく述べられている。 そこでも、本書はネタばれもからんでしまうので書評を書くのが難しいだろう、という様な事が著者自身によって述べられている。 その一方で、イシグロ氏は、「この小説は最初から読者が結末を知っているかどうかは重要ではない」とも語っている。 私は本書を続けて2回読んでしまったのだが、2回目の方がより深い感動を味わう事ができたので、確かに著者の言うとおりかもしれない。(一冊の本を続けて2度読むなんて事は今までなかった!) 本書の題名にもなっている「わたしを離さないで」という曲に合わせて少女時代の主人公が踊り、マダムが涙をうかべて見ている場面は非常に心を揺さぶられる。また、その時主人公とマダムがそれぞれどう思っていたのか、読者によって様々に解釈されるであろうという意味でも非常に奥の深い場面だと思う。 ちなみに「わたしを離さないで」という曲もジュディ・ブリッジウォーターという歌手も私は知らなかったのだが、ネットで調べてみたところ、ちょっとした驚きがあった事を一応付け加えておく。 | ||||
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| 本の帯に柴田元幸氏が現時点で最高傑作と書かれていたのを見て、期待して読んだが、自分はそうは感じなかった。正直言って、「日の名残り」を超えてないし、「わたしたちが孤児だったころ」の方がよい作品に思えます。 ヤングアダルトに読ませたい成人図書、アレックス賞も受賞したと帯に書かれているのですが、なんかずれているように思えます。 所詮ありえないクローンの若者達に感情移入して、自分達がいかに自由で恵まれているとは思い込めない。 作品に主役のキャシーがルースという、わがままで自分勝手な女性といつまでも友人関係を続けているのも疑問です。散々振り回されているのに、どうしてもっと早い段階で距離を置かない?それには相当の理由があってもよさそうだと思ったのだが・・・。 マダムや展示館やその他の保護官の度重なる不可解な出来事が興味をそそられるが、 その割にはオチが平凡すぎた。 それと、彼らの生い立ちについてが疑問を残したまま。 もし途中に「親」を捜しに行くエピソードがなかったら、気にならなかったけど、 彼らはどうやって選ばれてクローンになったのか、ここは結構重要ではないかな? | ||||
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| Kazuo Ishiguro はスタイルやテーマを一作ごとに変化させ、一か所に自分のスタイルを決めこんでしまうことがないが、じんわりと心に響くことは共通である。この作品はMary ShelleyのFrankensteinの流れを継ぐクローン人間の話である。心を持ったクローン人間たちが、自分たちの知らないところで進んでいる科学の流れに押し流されながら、抵抗もできずに運命に従って行く過程が描かれている。生産されてから、臓器提供で完結する一生のなかでの生活が、寄宿舎での生活、友情、自分の出所や将来への疑問、運命を知っていながらも残る生への渇望そして従順などとして、描かれている。人間の延命のための必要悪として、どうしようもない悲しみを背負ったクローン達の生活が抑えられた表現,常に静かな雰囲気の中で進むので、それだけ恐怖がじわっと感じられると共に、人間はどこまで科学を推し進めることが許されるのかとも考えさせられてしまう作品である。ほんの一部の人間たちがクローンの状況に心を痛め、改善努力をしているのがでてくることは慰めであるが、彼らとても科学の発達の勢いに,なすすべをなくしていく。クローンがもう現実のことであるから、単なるSFであったFrankenstein よりも恐怖が募るとともに、現代の我られに、問題提起をしている作品である。 | ||||
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