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わたしを離さないで



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【この小説が収録されている参考書籍】
わたしを離さないで
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないでの評価: 4.10/5点 レビュー 707件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.10pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全544件 401~420 21/28ページ
No.144:
(5pt)

空気までも感じさせる

カズオ イシグロの作品は以前から気になっていましたが中々手をつける機会がなく先日NHKの特集で読む決心をしました。ストーリーはそれゆえに何んとなく把握済みでした。文章の読みやすさもあり一気に読み終えました。主人公のゆっくりとした間を置いたような語り口で彼女たちの取り巻く環境が特殊でありながら全くそれを感じさせず、3人の登場人物に起きるちょっとした事件や、やりとりに自分を投影させながら読んでいきました。何気なく語られるエピソードや感情が特別なようで特別はなく、しかもそれは彼女たちにとってとても大切なものであるということが自分の生活においてもいろんなものを見過ごして本当は大切なものであることを適当にしているんではないかと感じさせられました。ただストーリーを追って読んで行くだけでも面白い作品ではありますが、空気感が素晴らしく、最後のシーンは小説の中で吹く風を自分自身も感じることができました。言葉の力をつくづく思い知らされた作品です。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.143:
(4pt)

読んで観て、また読み返す

映画を観にいく前の予習として購入。コシマキは出演者が印刷されたものでした。
映画のほうは、原作のエピソードを大幅に端折ってあるので、映像だけを記憶に残し、ゆっくり読み返すとよろしいかと。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.142:
(4pt)

わからない

自分の感受性では、最後まで本書を理解することができなかった。

他のレビューにあるようなリアリティについては気にならず、文章の良さもあってすんなり入り込むことができた。内容が退屈だということもなく、400ページ以上にわたってぎっしりと文字がつまっているが、割と短時間で読めた。

しかし、本書をどのように受け止め、どう表現していいのかがわからない。
確かに読了後、何かが心の中に残っている。しかし僕の感受性、表現力、語彙では、これが何かを表現できないばかりか、自分自身でもよくわからない。何だか、モヤモヤしている。


本書は極力ネタばれはない方がいいと思うので気をつけたいが、

しかし、以下、ちょっとだけネタばれになるかもしれない。


本書の中心となる3人は、運命を受け止め、抗うことなく生きているように見える。あるとき、ひとつの希望が見えた。その時の彼女らの反応はどうか。著者のまさに抑制のきいた文章のごとく、彼女達は自分達を抑制しながら行動する。
その心の動きは理解できる。どうしようもならないと運命を受け止めているとき、人はそのように行動するのかもしれない。でも、本心は、望んでいるのは、きっと違うのだろう。

次のセリフが、頭に残っている。
「よく川の中の二人を考える。どこかにある川で、すごく流れが速いんだ。で、その水の中に二人がいる。互いに相手にしがみついている。必至でしがみついているんだけど、結局、流れが強すぎて、かなわん。最後は手を離して、別々に流される・・・」
そこで、本書のタイトルを思い浮かべる。そう、あのカセットテープの。Never Let Me Go・・・わたしを離さないで。わたしを行かせないで。そんなことをしないで。

そして、彼女たちの出来事と、想いとを想像するのだけれど、その想像が最後まで辿り着けない。
まだ、僕には本書を理解することができない。
何か重要そうなことだと思うのだけれど。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.141:
(5pt)

失われてゆくものの物語

これは「失われてゆくものの物語」。
この物語が描く「失われるもの」とは何か。
本当に様々な解釈で読む事ができるのです。

私たちが人生で触れるものは、観念的事柄であれ、具体的事物であれ、
全て、ひとつ残らず、失われてゆきます。
それだからこそ美しい、と思う人もいるでしょう。
愛おしさ、あるいはやりきれないほどの切なさを感じる人も、
失われるものそのものによっては、不安や恐怖を抱く人も…。
それがそのまま、この本の読後感となります。

それはつまり、読み手によって、また、人生の折々で読み返す度にも、
まるで違う物語となり得る、素晴しい小説。
緻密な筆致、隙のない構成も見事です。

まるでその世界を手に触れることができるような、緻密な描写。
誰しもが子供だった頃、ティーンエイジャーだった頃、
経験したような事ばかりではないでしょうか?
抑制のきいた文体で語られてゆく、想い出のエピソードの数々は
本当に些末な出来事がほとんどです。(しかし物語にとっては重要な…)
それと対照的に、この物語世界に終始して横たわる、非常にヘビーな「現実」。
そのコントラストが、
キャシー達をより「私たち側」のリアルな存在として感じさせ、
その世界の異様さを、あくまで叙情的に受け入れる事に成功させている、ような。

何にしろ、私にとっては非常に思い入れの深い一冊であり、
この先、一生にわたり幾度も読み返してゆくだろうことを予感させるのです。
この本を幾度失おうとも、その度に、取り戻すのです。なんちゃって。
(実際、一度なくして買い直しました)
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.140:
(5pt)

精緻な文章、重いテーマ

KAZUO ISHIGUROの名前を知ったのは数年前のことだが、数冊の本を出していて、それぞれの本がせいぜい200〜300ページくらいの厚さしかないと言うことにちょっと感心しただけだった。今回この本を手に取ったのは映画化されたのがきっかけだったが、彼の作品の短さだけでなく寡作であることにも驚かされた。デビュー作の「A PALE VIEW OF HILLS」が出版されたのが1982年で、最新作で七作目の短編集「NOCTURNES」が2009年に出されているから、およそ4年に1作と言うところだろうか。4年と言えば、STEPHEN KING氏だったら数百ページの長編を毎年出すことができるだろうし、村上春樹でももっと短い間隔で作品を発表できるだろう。それなのにISHIGUROはその道を辿らなかった。

この本を読み始めて感じたのが、恐ろしく愛想の無い小説だと言うことだった。なかなか心の中に染み通ってこない。英語も、単語はそれほど難しいものは使われていないのだが、構文は平易でないし、近づきがたいものがある。しかし読み進むうちに漸く分かった。わざとこんな書き方をしているのだ。一つ一つの作品が短いと言うことは、各作品が決して雑に仕上げられたと言うことではないのはすぐに理解できる。それどころか彼の場合、一つ一つの文章に掛ける時間が恐らく長いのだろう。ありきたりの言い方だが、彫琢の限りを尽くして創造したと言って良いかもしれない。

主人公であり語り手でもあるKATHYが、友だちと幼少年期過ごしたHAILSHAMと言う学園は最初のうちはなんでもない雰囲気で、物語の展開も単なる学園小説だと勘違いしてしまうほどだ。ところがある雨の日、Miss LUCYと言う女性が生徒たちに語った言葉でやっとこの小説の重さが理解できた。ある目的で作り上げられた生命と言うのは、何かしら家畜や農作物を想像させてしまう。こう言ったテーマの小説は、他の作家も書けるかもしれない。星新一だったらきっと、さらっとショート・ショートを仕上げててしまうだろう。筒井康隆だったら、批判されそうな小説を書き上げてしまうかもしれない。もちろん二人とも奥底に持っている考えは深いことは言うまでもないだろうが……。

この小説は長編小説だが、ペーパーバックで300ページくらいの手ごろな小説だ。長編に慣れている読者だったら、面白いかどうか分からないうちに読み終えることができるだろう。ぜひMiss LUCYが生徒に向かって発言するところまで読み進んでほしい。そうすれば、この小説の重みが理解できるのではないだろうか。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.139:
(4pt)

何気なく過ごす日常が実は大切

若い女性が語る形式で物語りはすすみ、最初のページで施設育ちの介護士の話かと思ったが、すぐに提供者、保護官などの言葉が出てくるのでこれは違うのだと思うようになった。一部、二部、三部とだいたい時間に合わせて物語はすすむし、日本語にも違和感はなくとても読みやすい。性格表現もすばらしく、語り手の友人トミーとルースには読み進むうちに実在の人物のように思えるようになるから不思議である。登場人物がいかにも語り手のように行動しそうに思うようになる。語り手の疑問も、最後には登場人物により語られる。が、読者には正直、疑問な点もあるだろう。だから、星5と言いたいが、読者の疑問、たとえば作品の科学的背景や社会的背景が少し現実離れしている気がするので、星4。余談だが、解説者が遺伝子工学云々されるが、逆に関係ないとした方がいいと思う。つまり、チェスの駒の動きの規則に疑問を挟んでもしょうがない、ナイトは何でこんな動きなの?、これに答えろと言われても。ところで、あのジュール・ベルヌも大砲で月旅行に行き、宇宙空間で窓を開けて物を捨てて閉める物語をまことしやかに書いて、読者、つまり小学生は信じた。いまはなぜできないかわかるが、このことが進歩とは思えないし、ベルヌはいまだに好きだ。カズオ・イシグロのファンも同じと思う。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.138:
(4pt)

あきれるほど幸せな人生

幼い頃から手厚く「保護」され、
親のエゴの被害も受けず、純粋培養される提供者たち。
彼らは自分たちの使命を、幼い頃からたたき込まれる。
提供に相応しい身体を作るために若年同士の「セックス」も奨励される。

自分自身の「完了」に対する恐怖は、ない。

一定の年齢になると「提供」が始まり
介護人としての道も選べる。
芸術作品の創造により、提供を猶予されるかもしれないという希望が打ち砕かれても、
一瞬の絶望の後、穏やかにそれを受け入れる。
戦慄のストーリー?それは違う。

私たちは、むしろへールシャムの生徒たちに羨望を覚えるだろう。
彼らの,意義ある短い人生の何と輝いていることか。
目標もなく,寿命が終わるまで漂い続ける「普通の人生」のなんと残酷なことか。

私は断言する。
ヘールシャムの彼らは、この上なく「幸福」なのだと。
この世の誰もが決してたどり着けない
「生の意義」を達成して逝けるのだから。

読後感は、萩尾望都氏の「トーマの心臓」を読んだときに似ている。
出来れば萩尾氏に漫画化してほしいけれど、映画にもなっているし無理な話か。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.137:
(5pt)

切ない

読了した後、”切ない”という感情が胸にあふれてくるような小説。
最近”泣ける”というキャッチコピーが大流行りだが、泣くという単純で直接的で幼稚な感情に
うったえる安易な小説に辟易している人にこそおすすめ。
切ないという感情は泣けるよりもずっとはかなくて、もっと優しくて、より深く心にしみいるものだと思う。
こんな小説はめったに出会えるものではない。

いくつかのレビューを読むと、この小説の特異な世界設定や、物語における謎にとらわれている人が多いようだが、
この小説は決してSFでもミステリーでもなく、純粋な青春小説である。
SF的な要素やミステリー的な要素があったとしても、それは子どもから大人になるという青春時代にだれもが感じる切なさを
表現するために必要な設定にすぎない。
フィクションとしての設定を最大限に活用することにより、現実よりもリアルな感情を読者の心に
生み出すことに成功しているこの小説こそ、まさに本当の小説というものだろう。






わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.136:
(5pt)

こころがプルプル

飛ばし読みしたけど、ラストらへんで心がプルプルふるえました。けど涙は出ない。ふしぎな読後感でした。 個人的に、トミーが「キャス、おれは介護人を替えようと思う」と言い出したところがシビレました。これぞデリカシーじゃないかと。 あと、トミーが「(フランクな)ルーシー先生が正しいと思う。(厳格な)エミリ先生じゃない」というとこは、非常に悩ましかった。そんな単純じゃないだろうというか。 ちなみに映画版は超駄作でした。製作費50億円で、興行収入が2億円というのが超納得。観客の女の子たちからはすすり泣きがきこえてきましたが、泣いてる意味がわかりませんでした。これは、僕の心がこわれてるせいかもしれません。というか途中で居眠りしたせいかもしれません。 主人公たちが生体移植用のクローンという設定は、すべてが経済原理で格付けされてしまう民衆のメタファーになっているようで、魂の自由の問題をあつかっているのかもな〜。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.135:
(5pt)

カズオイシグロがあぶり出す人間像

読みながら背筋が寒くなるほどの戦慄を覚えた。本書のタイトルが示す情感と、カズオイシグロの代表作『日の名残り』のレトロロマンな読後感から、同様の期待を持って読み始めたのだが、まるで違った現代版ホラーだった。SFといえば近未来を扱ったものがほとんどだが、この小説の舞台は1990年代という同時代である
 臓器移植を扱った小説や映画は、例えばテオ・アンゲロプロス監督の『一日と永遠』や日本にも梁石日の『闇の子供達』といった秀作が存在するが、臓器提供者は他者化されており、彼等を巡る人物たちのヒューマニティーが課題だった。これと違って、この物語は提供者の一人称の語りで展開する。主人公のキャシー・Hの賢さと優しさに感情移入すればするほど、常識がひっくり返ってこの世界の狂いようが剥きだしになる。
 もちろん現実にこんなことが起きているはずはない。作者の度を超した妄想と笑い飛ばすことは可能である。だが人間が人間以下の人間を作り出してきた歴史は否定しようがない。古代ギリシャでは奴隷は人間ではなく「労働する動物」(ハンナ・アレント)だったし、アメリカでは19世紀まで黒人が人間以下であることを「科学的」に証明しようとして躍起になっていた(S・J・グールド)。奴隷と黒人が人間に「昇格」した後、苦役労働をロボットに肩代わりさせようとの期待があった。しかし何万もの精巧な部品を組み合わせて知能を有するアンドロイドを組み立てるより、クローンを作る方が易しいという風に技術開発の方向が変わって来ている。クローンにはこれに加えて人間に臓器を提供するという新しい役割が担わせられ得る。現在のところは人間のクローンを作ることは禁じられているが、増加する臓器需要を満たすことは緊急の課題でもあり、古典的な倫理観がどこまでこれに耐えられるかどうかは甚だ心許ないのであって、そう考えると、カズオイシグロの想像力はそれ程荒唐無稽ではない。
 クローン人間たちは、アシモフが唱える人間とロボットの主従関係−人間に危害を加えない、人間の命令に服従する、自分の身体を守る−に添うように作られているようである。クローンの若者は彼等を待ち受ける運命に逆らわない。
 ヘールシャムではクローンは人間的な全寮制学校で育てられるが、他の場所では家畜のように飼育されている様子。妊娠機能を失っている彼等だが、セックスは臓器の発育によいとして奨励される。フリーセックス的な状況の中で、彼等が唯一望みをかけるのは、「真の恋愛関係」にあるカップルが、それを認められて3年間の臓器提供猶予が許されるという噂である。しかしそれはヘールシャムが発生源の全くの嘘だった。一部の教育者が学校という制度の中でクローンを養育し観察していたのは、クローンの魂の見え方ではなく、クローンに魂が有るか無いかということだった。犬に魂が有るか無いかを議論することと全く等しい発想だ。  
 クローン人間を人間以下とすることは、原理上黒人を人間以下とする発想と変わるところがない。クローン人間の「細部まで抑制が利いた」(柴田元幸)の思考と行動からあぶり出されるのは、人間の側に魂が有るか無いかという問題なのである。2011年の現在に、これを馬鹿馬鹿しい小説だと言って顔をしかめることは出来ても、2025年に同じように顔をしかめることが出来るかどうか、筆者には全く自信がない。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.134:
(5pt)

カバーが巧い

1ページ目から抵抗なく作品の世界に入れて一気に読了。作者と翻訳者の文章にとても魅力があった。
話の設定は突飛ではなかったと思うが、最初に大きい秘密を知るところまでは読むのを急いた。途中、幾度か(漫画で)数作品を思い浮かべる。
主人公の一見冷静な語り口は感情の起伏を感じさせないようでいて、登場人物の置かれた状況に思い入れが入って読めると訴求力が強く在るだろう、不思議な雰囲気をもった大変素敵な作品でした。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.133:
(5pt)

自分の中のベスト5入り

衝撃的な内容であるにも関わらず
その出来事を越える人間の心の動きを描いている。
素晴らしい小説にめぐり合った喜びがこみ上げてきます。

彼のインタビューで世界中にいる過酷な運命に従うしかない
人たちに心を寄せて書いている・・
初めから漂っているザワザワした不安感はそのまま
へールシャムの子供たちの気持ちをより身近に味わって
ほしいから・・ともありました。

人間の気持ちの真実に近づくために何重にも練られていて
驚きと同時に静かで深い感動を味わえました。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.132:
(5pt)

Great!

旋律と戦慄がフーガのように放射される作品です。何気ない日常の中に忍びよる切ない未来。重く・深いテーマをKazuo Ishiguroはさりげなく私たちの前に提示しています。2010年日本でもロードショウされた映画を見忘れました。英語版も日本語版も公式サイトがあり、予告編もyoutubeで見られます。レビューにはなりませんが、早くDVD化される日を一日千秋の思いで待っています。
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517
No.131:
(4pt)

末期癌患者のメタファーとして読む。残酷な運命をいかに受け入れるか。

過酷な運命を予め定められた若者たちの話なのだが、末期癌を患い、余命があと半年から数年という自分にとっては、本書はSFともミステリーとは読めなかった。

末期癌で、近い将来に死を予定された人が自分の運命をいかに受容し、その過酷さと妥協し、最後は思い出を唯一の糧として死んでいくのか、というメタファーとして読んだ。いわば、数年後に死ぬことが決められており、それを変えられない事実として予め知らされているという状況。自分では運命を変えることはできず(新しい癌の特効薬が出来ない限り。そして、それは絶望的だ)、抗癌剤によって(極めて苦しい副作用を伴うのに、完治されない)余命を数ヶ月、数年引き延ばしているという人生。自分の死を意味する「提供」が数年猶予される僅かな可能性に、主人公たちは心を揺さぶられるが、それは効かないかもしれない新たな抗癌剤の登場に期待をかける末期癌患者(癌難民)に良く似ている。

私のような読み方は邪道で、著者は運命の過酷さと、それにいかに折り合うべきかという主題についてを、臓器提供のためにだけ生まれてきたクローン人間という想像を絶する設定を用いて、淡々と語っているのだろう。しかし、目前に死を控え、抵抗してもしようがないという意味で、本書の主人公たちと似たような人生を送っている私にとっては、全くの絵空事とは思えず、かえって感情移入が難しく(余りにも自分に身近だと、白けてしまうのか)、没頭できなかった。

何故、彼らは自分の運命を変えようとしないのだろうか。

死を目の前にして、私は、自分の人生の意味を考え、無駄な人生でなかったと思いたいのだが、私にとってのヘールシャムは、宝物とはなんだったんだろう、としばし感慨に浸った。
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4151200517
No.130:
(5pt)

生を実感しながら生きていくこと

2005年発表の本作品は、長崎県出身の英国人作家である著者の新しい代表作と評価されている作品です。

−−と、「新しい代表作」などと書きながら、じつは著者の作品を読むのは初めてでした。名前は知っていたものの、文芸作品をあまり読まない私にとって、これまで触手が伸びずに来たのです。

この作品を読むきっかけは、「謎めいた作品設定」に興味を覚えたから。

物語は、介護人キャッシーの視点で、子ども時代を過ごしたヘールシャムという施設での出来事を回想する形式で語られる。
ここで共に暮らした友人達は、「提供者」と呼ばれ、世間から隔絶され、図画工作に没頭するような授業を受けるとともに、健康診断を毎週のように受診させられていた。
彼らには、想像を絶する運命が決定づけられていたのだった…。

エンタテインメントではないので、「提供者」が意味するところは、物語の早い段階で明らかになりますし、その真相を楽しむといった類のものではありません。
それでは、「提供者」にどんな意味があるかと言うと、本書で著者が語りたいことを描写するための、見事な舞台設定になっていると言えましょう。

このレビューを書いている2011年4月現在、本作品は映画化され、日本公開中です。
著者は公開前の本年1月に日本を訪れており、映画の公式サイトにインタビューの結果が掲載されています。
そこには、「この物語のメッセージは『皆が思うより、人生は短いということ。その中で最も重要で、やるべきことは何なんだろうか?』ということです。」との言葉がありました。

そう、本作品の「提供者」は、「生を実感しながら生きていくこと」を私たちに考えさせるきっかけとなっているのです。
優しく繊細な著者の文体は、主人公の友人達の運命を通して、私たちに「自分の人生」とどう向き合うかについての、ヒントを与えてくれているような気がします。

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4151200517
No.129:
(5pt)

決して解かれることのない「生きること」に対する問い

映画化されるにあたって、改めてゆっくり読ませて頂きました。
著者の他の作品は読んだことがないのですが、はじめの数ページ、いや数行を読むだけでその世界観に入り込ませてくれました。
いわゆる際立った台詞まわしや文章が、ということでなく、あくまでその世界がじんわりと伝わってくる感じです。
翻訳もこの作品体験を骨格として支えているような、歯ごたえのある文章で、噛み解いていく心地良さがありました。

多くのレビュアーの方々が大変しっかりとしたレビューを書かれているので、いまさら中身について触れるのも、とは思いますが、
一点だけ書くとすれば、この物語の問いかけについてです。
私にとっては「生きること」に対する、真剣で、暖かい問いかけを持っている作品だと思います。
我々の目の前にある一歩一歩が、隣人や、自分の知らないところで実は絆のある方々の一歩一歩が、
実はこんな形で刻まれていくのだな、と言った事を考えさせられました。

生きることは、決して、それだけの事ではない、そんなことを感じさせてくれました。

お読みになって居ないかたで、こういった問いについて普段から興味のある方であれば、
必ずや何かしら(言い意味で)心身ともにかき回してくれると思います。
是非たくさんの人におすすめしたい小説です。

映画も上映初日に見に行きましたが、小説の世界を見事に抽出された名作品でした。
映画もあわせて是非ご覧下さい。
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4151200517
No.128:
(5pt)

生涯の愛読書となりました

仕事・家事・子育てに翻弄される日々の中、
TVのバラエティー番組で紹介されていたのを観て本書を知りました。
それまで「カズオ・イシグロ」が有名な作家というのも知らず...

英国的な美しく静かで規律のある寄宿舎生活の描写の中、
時折現れる不協和音的なエピソード。
淡々とした日常の回想から、後半にかけて徐々にスピード感のある展開もすばらしい。
読み進むうちに、なんとなく頭の中に浮かぶ、ぼんやりとした像が、
最後にピントがはっきりし、さらに想像以上の姿を現した時の衝撃、
さらに予想を裏切るかのような結末と、感動的なラストシーン!

「物語は映像的・映画的に考えてしまう」とイシグロ氏の言葉にもあるように、
情景の描写が細やかでわかりやすく、頭の中でスムーズにビジュアル化しながら
ぐんぐん読み進むことができました。

「生きること」や「いのち」、そして「アイデンディティ」について深く考えさせられる、
哀しくせつない愛の物語です。

今回、映画化を知り、予告を見ただけで、涙が。。。
かなり忠実に再現されているそうなので、公開が楽しみです。
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4151200517
No.127:
(5pt)

静かに、静かに小説は進むが…

これまで読んだ小説の中でも、最も好きな小説の1つです。土屋政雄さんの翻訳も素晴らしい。現代文学の最高峰の1つと言ってもいいかもしれない。

1923年から2005年までの英語で書かれた小説を対象にした、タイム誌のオールタイムべスト100にも選ばれている作品です。(もとのタイトルは、Never Let Me Go)

http://www.time.com/time/2005/100books/the_complete_list.html

内容については書かずにおきます。多くの書評が言うように、最初は、事前に何も知らないままに読んでもらいたいです。ただ1つ言えるのは、静かに、ほんとうに静かに、少しずつ明かされていく事実が、そして事実を運命として受け入れる人間のあり方が、読者の胸を締め付けるということです。

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4151200517
No.126:
(5pt)

穏やかな感動が心をとらえて離さない作品

「おれはな、よく川の中の二人を考える。どこかにある川で、すごく流れが速いんだ。で、その中に二人がいる。互いに相手にしがみついている。必死でしがみついてるんだけど、結局、流れが強すぎて、かなわん。最後は手を離して、別々に流される。おれたちって、それと同じだろう?」。

キャシー、トミー、ルース。へールシャム出身の若者たち。
淡々と落ち着いた語り口で物語りは進む。

平静でいられるはずがないし、
あてにならない希望にすがるときもある。
でも、結局彼らはそれぞれのやり方でその感情を処理し、
成長し、運命を受け入れてゆく。
最初から、それしか選択肢がないことも本当はわかっている。

現実にはありえない設定の話だ。
日本と違い、米国サイトでは否定的な意見も結構多い。
ただ、この作品は、強引に読者をこの世界へ引きこもうとはしない。
本人たち以外にはそれほど意味の無い、ちょっとした出来事の重さや、
秘密や、わずかな心の乱れを、慎重に描き出す。
穏やかでとても繊細な文体だ。美しさすら感じる。

本の扉を閉じながら、言葉にするのが難しい静かな感動に包まれた。
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4151200517
No.125:
(5pt)

切ない新境地

近未来SFともみなしうるからイシグロの新境地だろう。もっともこの作家は常に新しいものにチャレンジしているようなところがあって、その点はいつも感心するのだが、しかしこの作品はまた、ここまで来たか、と思わせるものがある。
 いわゆるネタばれにならずにこの小説について語るのは難しい。近未来の、いささか混乱し傷つき希望を持つことが難しくなっている世界の中で、先端科学がからむ話としておこうか。トーンは暗い。
 だがホラー小説にもなりうる設定でありながら、むしろここにあるのはひたすら哀しみである。この小説の映画版が間もなく公開されるのに際して、2月10日の毎日新聞夕刊にイシグロのインタビュー記事が載った。それによると、イシグロが考えたかったのは、前面にあるように見える生命科学の倫理よりも、限りある人生という普遍的な問題だったという。
 イシグロといえば、いわゆる「信頼できない語り手」の問題が定番である。つまり、語り手の嘘=不確かさ=生き方の希薄さが、別に浮かび上がる事実によって明らかになる、というパタン。だがここでは、それは使われていないのではないか。とすればそれは何を意味するのか。
 上述の夕刊では「記憶を武器に死と戦う」という見出しがあったが、興味深い点である。今までの作品では、語りの元となる記憶は不確かで、しばしば欺瞞につながるものだった。だがこの物語ではそれが転倒している。ほかの現実はすべてが失われてゆく中で、語り手の語る記憶だけが、確かな真実、生きる拠り所としてあるのである。それがとても切なく辛い。しかしそれゆえに深い感動を呼ぶ。
 今更のようにイシグロの重要テーマの一つとして、人間の絆の分断というものがあることに気付かされた。

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)より
4151200517

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