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ピストルズ
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ピストルズの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.37pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
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シンセミアが面白かったので、神町シリーズ第2弾ということでオーディブルで聴取。 シリーズといっても舞台が神町というだけ、一部登場人物が再登場するだけで全く別ジャンルのストーリー。 最初から最後まで、低い位置で安定したつまらない読み物。 自分には合わなかった。 こういうのが好きな人は好きなのだろう。 | ||||
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シンセミアのような、町中の群像劇とはうってかわって、ここでは一族の歴史というようなものが語られていきます。 その歴史は幻想と現実がいりまじった協奏です。 シンセミアと同じく、これまた多様な読みを可能にする大きな寓話。素晴らしい作品です。 | ||||
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読んでいてドキドキしてしまうのは、この著者の力量の凄まじさによるのでしょうね。 著者の過去作品をも包含していく物語には、胸が熱くなります。 ラストも気になりますね。次作オーガ(ニ)ズムを予見させます。 | ||||
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徹底して表層的。 | ||||
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人気作シンセミアの続きですが、シンセミアはアメリカから流れてきた利権と政治とロリコン警官同盟と、それに対抗するフリーター盗撮集団が衝突して街が壊れましたとかでキツイので、今度は女性のみなさんなんとかしてほしいですという感じか。女性ばかりの一族が裏山に竹の子を取りに行くとか、ヒーリングサロンをやっているとか、前作の続きで読むと白すぎて肩すかしです。 女子向けか、よくわからないけど、シリーズものということで、多分意図的に文体とか扱うテイストを変えたようですが。A面、B面で全然違うというか。 監視はヒーリグサロンみたいな内面性にどこまで食い込めるのか、みたいな監視ディストピアを扱うジョージ・オーウェルの1984に似たテーマはあるかもしれません。 女性だと、カメラの被写体にされる人はもう負けてるんだよ、ニュートラルなポジションには立てない、とかいうのはよくあります。 センシミアの町の男は、互いの下半身をあばきあって自滅しましたが、 女同士よりあつまったときに、自分の浴室などをのぞかれかねない、監視カメラを、互いに利用するかどうか。 その間に男は男社会を維持する陰謀を巡らせたりするので、使わないという仮定は甘いです。 女は男性とのピロートークを拾う能力、女性同士の井戸端会議というツールを持ち、本書は、そこへ忍者というアナクロなツールもでます。 家系図が付いていて、源氏物語とか、マルケスの百年の孤独とかが好きな人向けか。ピストルズは雄蕊、男性は種に過ぎない、という諦観か。 で、ケンカの原因をつくる男性が、あんまりいないです。女性の花園を汚すセクハラ男には、天誅が下ります。 男がクズで女が女神なんて都合の良い世の中は無いので、遺伝的特質や環境が同じなのだから、女性も男性と同じだけの割合、クズ化も神化もし、この本は、女性陣がゆるすぎて、刺激が足りん、と思うのですが、それで彼は女性の本能を暴く、桐野夏生などをリスペクトしているようですが、自書へ取り入れることはしないようです。 こういうものを書いている、東紀之とか阿部和重はロリコンのオタク属性なんだろうか。消費者戦略上、そういうのを装っているだけなのか。情報オタクは恐怖心が強く、本当にそうかもしれないですが。 | ||||
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冗長過ぎる。テンポが欲しい。余りに長い独白で、途中で何回も寝てしまった。 | ||||
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読み始めましたが… 途中でやめてしまいました。 好みの内容、文章ではありませんでした。 | ||||
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小説。ピストルズ(阿部和重・講談社文庫・(上/648円、下/762円)+消費税)。 前作「シンセミア」が面白く、これはその続編ということでワクワクの読書スタート。されど、登場人物も文体も激変し、これはもはや「シンセミア」と別物。 「シンセミア」は「三人称・大人数・多展開・山形弁の会話」に圧倒されたものの、今回の作りはその対極に位置し「一人称・少人数・標準語」に加え、上下巻で展開されるストーリーも前作に比べれば地味なもの。うっすら香ったユーモアも今作には感じられず、振り子は完全に真逆へ振り切った感あり。 数名が独白の形で語る作りは、最近でいえば湊かなえさんの「告白」に似た形で、しかし「告白」のもつストーリーの牽引力や怒濤のクロージングとは異なる。 主要人物の語りは村上龍さんの「限りなく透明に近いブルー」のように連綿と続くが、こちらには「長電話をひたすら聞かされる逃げ場のないストレス」に似たものがあり、終わりそうで終わらず展開がありながら地味という構造に、窮屈な窒息感と閉塞感がある。 巻末の解説を読むと、どうやらこの「地味目のストーリーにエンドレス語りがもたらすネガティブ。ストーリーでネガティブにさせるのではなく、読書という行為自体を不愉快にさせるネガティブ」が、この小説の狙いだったようで、その意味ではその狙いが完全にあたっている。 ただ、通常は「この本ダメだ」となった場合、僕の場合は「読書中止、次の本へ」となるのに、結局この本は最後まで読んでいる。これは上巻第二部の文体の影響で、この日本語には何か「読み続けさせるもの」がある。 なお、この小説はある賞を受賞しているが、その際、賛否両論がはっきり分かれたとのこと、納得。「なんか面白い小説ない?」という期待には答えられないものの「なんか変な小説ない?」の期待には確実に答えられる(←誉めています)。 | ||||
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『シンセミア』程の傑作ではないがこれはこれで一気に読ませる佳作。特殊能力を持つ一族という、半村良『産霊山秘録』のような設定。一族とその末裔の家族の歴史≒偽史に関する語りの部分が大半を占めているので、ここを面白いと思うか退屈と感じるかで評価は変わってくるであろう。 神町サーガはそれぞれが単独の作品として読めるように書かれているが、『ニッポニアニッポン』/『シンセミア』→『グランド・フィナーレ』→『ピストルズ』の順で読めばネタバレなしに読める。『ニッポニアニッポン』と『シンセミア』は直接の関係はないのでどちらを先に読んでもよい。 『グランド・フィナーレ』で『ニッポニアニッポン』と『シンセミア』が繋がり、『ニッポニアニッポン』『シンセミア』『グランド・フィナーレ』のそれぞれの後日談や裏話を含む『ピストルズ』で全体が緩く繋がる。 | ||||
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芥川賞作家の川上未映子氏が激賞していたため、購入した。 大著である。 盛り上がらず、ただ延々とエピソードが連ねられていくのを読み通すのが苦痛だった。読後感は、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』と似たものを感じた。相性の問題もあろうが、私にはとにかく詰まらなくてたまらなかった。 このような作品を愛する人々はいるのだろうが、私の感性とは異なる人々だ。今後は川上氏の褒めるものは読まないようにしたい。徒労感でいっぱいだった。 | ||||
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大きく分けると、菖蒲家の「父」とそれに関係する女性たちなどの物語と、能力を受け継いだみずきの物語に分けられるだろう。 シンセミアも結構面白かったし、これも退屈せずにどんどん読めた。作者の小説系譜にまた一つ傑作が付け加えられたのだ。 どこが面白いかというと、それぞれのキャラクター設定のメリハリと行動の多様性、それらが細かいところまでつなげられ、他の作品に使われたキャラと設定が再利用されているところだろう。 いろいろ情報も入っているが、物語が情報に圧されたりしていない。 | ||||
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とにかくあの『シンセミア』に続く作品であり、谷崎賞受賞作である。しかし、導入部からあと、前半しばらくの説明のところが長い。だれる。蓮實先生が何と言おうと、そりゃ蓮實先生だってかわいがっている作家だから褒めますしそういう人です。さらに、『シンセミア』はもとより、『ニッポニアニッポン』、特に『グランド・フィナーレ』の主人公が再登場するのだが、それは阿部の読者でないと面白くないだろう。バルザックやゾラは、知らないと面白くないという人物再登場はさせなかった。それでクライマックスはなるほど面白いのだが、さてこれは純文学なのかということになると、「少女忍者小説」ではないかと思える。猿飛佐助とか、よくこんな感じで敵に催眠術掛けたりするんだよね。 本来なら『シンセミア』で谷崎賞とるべきだったのだし、谷崎賞には愕然とするほどひどいのもあるから、受賞するのはよし。しかし、やっぱりこれ、純文学じゃないんじゃないか…。 | ||||
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読んでいる間も読み終えた後も気になっていたのが題名の由来である。字義通り「鉄砲」を想起していた。でもどこをどういじっても作品の暗喩として物語と拳銃が結びつかない。読了後、帯の見返し部分を見て「そうか、同音異義語の手もあったか!」と額を打った。もし帯が手元になかったら永久に謎のまま腑に落ちなかったのだろう。でも本書が「ピストルズ」以外の書名だったら棚から取り出していなかったかも知れない。すごくインパクトのある題名ですよね。冒頭、すごく複雑な家系図が載っていて本文に目を通すの止そうかなと躊躇わせるけれど、「ミレニアム1」のヴァンゲル家の人たちほど手強くはないと思う。帯の裏側にすごく詳細なあらすじが記載されている。そこから類推されるのは、この分厚さと著者の文体が醸し出す相乗効果を編集者が考慮したということだ。いつまでも読んでいたい、どれだけ長くても良いと思える小説と出会えたときは幸せだが、その書物の厚さだけが異様に気になり、達成感としてのカタルシスよりも疲弊感だけが残って、しばらく無気力無感動な停滞に苛まれることほど不幸なことはない。高踏な一読者に憧れは募るけれど、私は「いいや、別に」と開き直ることにした。 | ||||
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閉塞的な1人遊び小説で終わっているのかどうか、微妙な作品だ。 私には判断が付かない。 社会に何を問いかけ、提示しているのだろうか。 これまでの阿部作品よりは、やや外界に開いている感じがする。視点人物を複数にして、客観化・対象化の力が働いているからだ。 1人語りは、言葉が大仰になればなるほどホラ話に聞こえてくる。 ホラ話は、愉快でなければつまらない。 少女ミズキの活躍する部分が面白かった。 反面、カイト君は思わせぶりな存在だったのに、何事もなくフェードアウトしてしまって拍子抜け。 | ||||
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「ピストルズ」の本(4cm667頁)を手に取った感想は予想したものより「厚い」であった。本を開けてみると、字も幾分小さめで、1900円にしては、お得な内容かと思えた。そして読み進めていくと、以前読んだ同著者の第15回伊藤整文学賞・第58回毎日出版文化賞「シンセミア」と重複する部分があり、「神町サーガ」の世界が待っていた。「シンセミア」のとは違い難漢字の多用は少なく、読みやすく、主な登場人物の相関図が載ってるのも理解の助けとなっている。しかし読み進めてゆくと、第一部「魔法使いは真実のスター」の、書店主石川が語る部分はよいとしても、次の第二部「夢の花園より」では、父水樹や異母姉妹の母達について等の冗長な「説明」が繰り返されて辟易させられる。また父水樹との間に子を設けた智子、聿子の両者がともに頑なに婚姻の求めに応じない不自然さに腑が落ちず、祖父の洗脳で父水樹が次から次へとヒーリングサロンアヤメを訪れる女性四人に子をはらませてゆく説明では納得がゆかない。一子相伝の秘術も、ヒカゲシビレタケ、マオウの説明はあるが読者を到底納得させるものではなく、菖蒲家の家屋敷地が、ヌーディストやドラッグ中毒者の溜まり場となる説明はまだしも、体中に秘薬を塗りこめた父水樹が賭場に赴き、その香りで胴元を思うままに操り、掛けに勝ち続けるという話は絵空事にもならない。ただ第四部「抱擁の歌」で明かされるショウブ湯に浸かる修行の話「まことに口にしがたい話ではありますが、ショウブならぬショウ○○、つまり○○○○をたたえた樽の中に」(375頁)は何回読んでも声を出して笑える。第三部「局部麻酔」の相関図に載っていない、とある男性アイツへの自称映画監督との報復の失敗で、異母姉妹の母の一人捷子が国外へ抜け出す下りは真実味に欠ける。第四部「抱擁の歌」(338頁)で「シンセミア」で起こったある事件についての真相が明かされるのは大変面白く、第六部「オーロラの救世主」(471頁)でも同様に「シンセミア」のある事件について言及がされ興味をひく。第六部では修行により逸材の四女みずきが歌唱「愛の力」の秘術でとうとう父をも凌駕してしまい、七月十六日の放課後にはみずきが、秘術を父の許しなく披露してしまう。三女あい子の合コンにもみずきの秘術は使われ、十二月二十四日小学校の屋上で出会う、二人の女子麻耶・亜美についても深くかかわってしまう。この二人の詳細は同著者の第132回芥川賞「グランド・フィナーレ」に詳しいのだが、この芥川賞作品の核心である「再生の希望の光」や読者に続き結末を想像させる点が、みずきの秘術の係わりで汚濁された帰来はある。先述した「シンセミア」ではたくさんの登場人物が次々と起こる事件の展開に織り込まられて重層的に物語が流れてゆき読者を魅了するが、「ピストルズ」では第二部「夢の花園より」から第四部「抱擁の歌」までと第六部「オーロラの救世主」は、書店主石川に対し菖蒲家次女あおばが応えて長く語り続けるという形式をとったために、語り口の妙が、まさに「嘘がまことに反転して虚構が史実になり変わり」(325頁)となるかの要となる。しかし母聿子の失踪で母を知らず育てられたあおば自身に心の陰影などの彩もなく平板に、「どこか作為的と思えるほど人情味が欠けておりますため」(327頁)、また女性が語る語り口と思えない部分もあって、どの人物も浮かんではこない。また「シンセミア」では物語が、箱庭的に進展し成立するが、「ピストルズ」では第四部「抱擁の歌」でアメリカ陸軍の特務機関やらアルカイーダと見られる国際テロ組織によるバイオテロ攻撃など箱庭を逸脱する話もあって、箱庭「神町」のまことらしさに程遠くなってしまった。このような欠点もある小説ではあるがそれにしても、大作であるし力作であることは間違いない。読むのに大変な長さであった。と同時によくこの長さを書いたと思う。第46回谷崎潤一郎賞の受賞の所以でもあろうと思うが、神町サーガの着想の点に興味が惹かれて、個人的には「シンセミア」の方が好きである。まず「シンセミア」、「グランドフィナーレ」の方から読んで頂きたいものである。とくに第七部「神の鞭」は女子中学生殺人事件に「グランド・フィナーレ」の主人公とみずきとが関ってみずきの予想を超えた結果となり…という後日譚であるから、「ピストルズ」を読んでから「グランド・フィナーレ」を読んでしまうのは避けたい。ところで他の作家にはありそうでない語句の使い方も好きで、例えば「端正ないずまいながらも彼女の身ぶりには」91頁、「二の句が継げなくなってしまった」92頁、「物がなしげな顔ばせをこちらに向け」96頁、「わかりにくい点については斟酌せざるを得なかった」101頁、「かまびすしく談笑に耽る」118頁、「気心が知れた間柄といえども面はゆくなって」129頁、「いろいろな物事がその符帳に」164頁、「ひとりごちしていたのかもしれない」216頁、「ほっとくわけにはゆかないと父は思いなしたそうです」218頁、「心理の仕組みを微に入り細にわたり」307頁、などですが、察するところ第四部「抱擁の歌」(393頁)の「子ども時分にはまず国語辞典を買いあたえられ、〜毎日毎日それらばかり読ませられ、日本語の語彙や語法を孤独に学習していった」の表記は作者に通じるものがあるのではないでしょうか?それから389頁2行目『〜水中にとどまるという方法を選」び、』は、『〜水中にとどまるという方法を選び」、』の誤植でしょう! 617頁『犯人逮捕をひと向きに望む〜。』は『犯人逮捕をひた向きに望む〜。』の誤植でしょうか? | ||||
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毀誉褒貶が多いレビューが多いのだが、本作は圧巻の完成度を誇る名作だと思う。緻密なディテールが見事な語りの芸によって重層的に構築されており、「シンセミア」に並ぶ圧倒的な作品で、僕は購入してから一気読みで読了した。本作のレベルなら谷崎賞の受賞も当然だと思う。しかし不思議なのが阿部和重氏は凡作の「ミステリアスセッティング」などに高い評価のレビューが多く、本作のような圧倒的な完成度の作品には否定的意見が多い。何故なのだろうか・・・?特に「シンセミア」には『エンターテイメントの手法を持ち込んだ後退作』といった意見を見たとき、正直驚いた。純文学をエンターテイメントのストーリテリングにて作劇するほうが、単に描写で綴るより遥かに難しい。純文学が売れない理由には様々な時代的な要因もあるが、まず第一に「面白くないから売れない」のだ。本のページをめくるのももどかしいほどに面白い、それが読書の一番の原点だと思う。本作と「シンセミア」のレベルは間違いなく世界レベルの作家と戦える完成度だ。 | ||||
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660ページの長編大作。著者らしいしょうさいなディテールとともに、かつて出版された自身の作品と紐付けて構成されている。内容は8割がた説明的な内容となっており、読者としては飽きがこなくもない。もう少し簡単にわかりやすい内容で描かれていれば評価もまた異なったかと思う。総合的に残念な作品だった。 | ||||
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文春の書評につられて読み始めたが、好き好きはそれぞれと痛感した。ノンフィクションはいざ知らず、フィクション(小説)は立ち読みでも最初の30ページを読んでから求めるべしと再認識。凝ってはいるが、この作品世界に最後まで入ることができなかった。 | ||||
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川上未映子さんの新聞書評をきっかけに読みました。 分厚い本だし、出だしはむずかしい言葉が飛び交い、複雑な家族関係がうかがえるミズキ父とカイトのチョウチョ議論の始まりに 大丈夫かなー最後まで読めるかなとも思ったけど、その後、展開は、小説家である菖蒲家次女あおばの長い長い語りがお話になってゆき、 ミステリーを読む気分でスイスイと読み進める事が出来ました。 菖蒲家の抱えているもの、一族の歴史のような長い長いお話です。 この話は、あおばの本の販売促進(のような)の為、かねてより謎であり興味津々であった菖蒲家をたずねた書店主石川が 自分の娘麻弥と同級生の4女みずきとの不思議な関係の謎の問いかけをきっかけに、石川に対して応えるあおばの語りになっています。 と言っても、石川の問いかけがきっかけというよりは、すでに石川は受け身の存在であり、巻き込まれるべくして巻き込まれたのであり・・ これもラストちょっと驚きにつながりました。 菖蒲家4人姉妹のそれぞれ違う母親の話に興味を引かれたし、ヒーリングサロン菖蒲のアロマな香り、植物のみずみずしさ、神秘的な雰囲気に惑わされながら 不思議な感じのする小説に浸っていたのだけど、途中から中だるみ感もあり、またみずきの取り返しのつかない事件(インパクト弱かったけど)や それにつながる女子中学生変死事件とか、何だろう、いい意味とっつきにくいと思っていたのが、マンガチックな感じになってしまって、それが残念ではありました。 でも、つづきは読みたいな。 | ||||
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「神町サーガ」三部作の第二作目にして、かつ一作目の「シンセミア」だけでなく「グランド・フィナーレ」「ミステリアス・セッティング」「ニッポニアニッポン」などとも関連性のある大作。……ってもうどんなことになるのか、身を乗り出していたら、何とも不思議な小説でびっくり。一子相伝の秘術を伝える悲劇の一族の壮絶なできごとや、このことが神町に引き起こした壮大な惨劇を扱いつつ……物語は少女小説家の何ともガーリーな語り口で、花や果物の楽園での出来事から語り起こされるのだ!いやー、もう阿部和重にはいつも関節はずされます。 この一族の系図を語る前半の長い長い物語(四人姉妹と四人の母親!)が何とも馬鹿馬鹿しいおもしろさに満ちていて(八十年代的なできごとを非八十年代的な言葉で語るおもしろさと言うのか)、血なまぐさい「神町サーガ」を読んでいることをふと忘れてしまう、そのこと自体がおもしろいと言うか、「えーっ、でも『グランド・フィナーレ』や『ミステリアス・セッティング』を閉じられたひとつの物語として読んじゃった過去の自分はまるで菖蒲家の秘術にかかってたみたいでかわいそう!」と騒いでみたりして。まんまと作者の戦略に乗せられてしまったよ。……まあ、菖蒲家の秘術ですべてを忘れさせられるわけでなく、本棚を開ければどの本もすぐ読み返せるのだから、いいんだけど。 それでも懲りずに、と言うか、それだからこそ一層、結末となる第三作はやっぱり、四人姉妹の異父兄弟カイトを中心に進むのかなあ……みずきがなぜか妙にカイトを好きっぽいのは、最後に一大ロマンスがあるからなのか……といろいろ期待してしまう。と言うかもうこうなったら、同時代の読者の最大の特権として、期待を上手に裏切られることを期待。 | ||||
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