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ピストルズ
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ピストルズの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.37pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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シンセミアのような、町中の群像劇とはうってかわって、ここでは一族の歴史というようなものが語られていきます。 その歴史は幻想と現実がいりまじった協奏です。 シンセミアと同じく、これまた多様な読みを可能にする大きな寓話。素晴らしい作品です。 | ||||
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読んでいてドキドキしてしまうのは、この著者の力量の凄まじさによるのでしょうね。 著者の過去作品をも包含していく物語には、胸が熱くなります。 ラストも気になりますね。次作オーガ(ニ)ズムを予見させます。 | ||||
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大きく分けると、菖蒲家の「父」とそれに関係する女性たちなどの物語と、能力を受け継いだみずきの物語に分けられるだろう。 シンセミアも結構面白かったし、これも退屈せずにどんどん読めた。作者の小説系譜にまた一つ傑作が付け加えられたのだ。 どこが面白いかというと、それぞれのキャラクター設定のメリハリと行動の多様性、それらが細かいところまでつなげられ、他の作品に使われたキャラと設定が再利用されているところだろう。 いろいろ情報も入っているが、物語が情報に圧されたりしていない。 | ||||
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読んでいる間も読み終えた後も気になっていたのが題名の由来である。字義通り「鉄砲」を想起していた。でもどこをどういじっても作品の暗喩として物語と拳銃が結びつかない。読了後、帯の見返し部分を見て「そうか、同音異義語の手もあったか!」と額を打った。もし帯が手元になかったら永久に謎のまま腑に落ちなかったのだろう。でも本書が「ピストルズ」以外の書名だったら棚から取り出していなかったかも知れない。すごくインパクトのある題名ですよね。冒頭、すごく複雑な家系図が載っていて本文に目を通すの止そうかなと躊躇わせるけれど、「ミレニアム1」のヴァンゲル家の人たちほど手強くはないと思う。帯の裏側にすごく詳細なあらすじが記載されている。そこから類推されるのは、この分厚さと著者の文体が醸し出す相乗効果を編集者が考慮したということだ。いつまでも読んでいたい、どれだけ長くても良いと思える小説と出会えたときは幸せだが、その書物の厚さだけが異様に気になり、達成感としてのカタルシスよりも疲弊感だけが残って、しばらく無気力無感動な停滞に苛まれることほど不幸なことはない。高踏な一読者に憧れは募るけれど、私は「いいや、別に」と開き直ることにした。 | ||||
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「ピストルズ」の本(4cm667頁)を手に取った感想は予想したものより「厚い」であった。本を開けてみると、字も幾分小さめで、1900円にしては、お得な内容かと思えた。そして読み進めていくと、以前読んだ同著者の第15回伊藤整文学賞・第58回毎日出版文化賞「シンセミア」と重複する部分があり、「神町サーガ」の世界が待っていた。「シンセミア」のとは違い難漢字の多用は少なく、読みやすく、主な登場人物の相関図が載ってるのも理解の助けとなっている。しかし読み進めてゆくと、第一部「魔法使いは真実のスター」の、書店主石川が語る部分はよいとしても、次の第二部「夢の花園より」では、父水樹や異母姉妹の母達について等の冗長な「説明」が繰り返されて辟易させられる。また父水樹との間に子を設けた智子、聿子の両者がともに頑なに婚姻の求めに応じない不自然さに腑が落ちず、祖父の洗脳で父水樹が次から次へとヒーリングサロンアヤメを訪れる女性四人に子をはらませてゆく説明では納得がゆかない。一子相伝の秘術も、ヒカゲシビレタケ、マオウの説明はあるが読者を到底納得させるものではなく、菖蒲家の家屋敷地が、ヌーディストやドラッグ中毒者の溜まり場となる説明はまだしも、体中に秘薬を塗りこめた父水樹が賭場に赴き、その香りで胴元を思うままに操り、掛けに勝ち続けるという話は絵空事にもならない。ただ第四部「抱擁の歌」で明かされるショウブ湯に浸かる修行の話「まことに口にしがたい話ではありますが、ショウブならぬショウ○○、つまり○○○○をたたえた樽の中に」(375頁)は何回読んでも声を出して笑える。第三部「局部麻酔」の相関図に載っていない、とある男性アイツへの自称映画監督との報復の失敗で、異母姉妹の母の一人捷子が国外へ抜け出す下りは真実味に欠ける。第四部「抱擁の歌」(338頁)で「シンセミア」で起こったある事件についての真相が明かされるのは大変面白く、第六部「オーロラの救世主」(471頁)でも同様に「シンセミア」のある事件について言及がされ興味をひく。第六部では修行により逸材の四女みずきが歌唱「愛の力」の秘術でとうとう父をも凌駕してしまい、七月十六日の放課後にはみずきが、秘術を父の許しなく披露してしまう。三女あい子の合コンにもみずきの秘術は使われ、十二月二十四日小学校の屋上で出会う、二人の女子麻耶・亜美についても深くかかわってしまう。この二人の詳細は同著者の第132回芥川賞「グランド・フィナーレ」に詳しいのだが、この芥川賞作品の核心である「再生の希望の光」や読者に続き結末を想像させる点が、みずきの秘術の係わりで汚濁された帰来はある。先述した「シンセミア」ではたくさんの登場人物が次々と起こる事件の展開に織り込まられて重層的に物語が流れてゆき読者を魅了するが、「ピストルズ」では第二部「夢の花園より」から第四部「抱擁の歌」までと第六部「オーロラの救世主」は、書店主石川に対し菖蒲家次女あおばが応えて長く語り続けるという形式をとったために、語り口の妙が、まさに「嘘がまことに反転して虚構が史実になり変わり」(325頁)となるかの要となる。しかし母聿子の失踪で母を知らず育てられたあおば自身に心の陰影などの彩もなく平板に、「どこか作為的と思えるほど人情味が欠けておりますため」(327頁)、また女性が語る語り口と思えない部分もあって、どの人物も浮かんではこない。また「シンセミア」では物語が、箱庭的に進展し成立するが、「ピストルズ」では第四部「抱擁の歌」でアメリカ陸軍の特務機関やらアルカイーダと見られる国際テロ組織によるバイオテロ攻撃など箱庭を逸脱する話もあって、箱庭「神町」のまことらしさに程遠くなってしまった。このような欠点もある小説ではあるがそれにしても、大作であるし力作であることは間違いない。読むのに大変な長さであった。と同時によくこの長さを書いたと思う。第46回谷崎潤一郎賞の受賞の所以でもあろうと思うが、神町サーガの着想の点に興味が惹かれて、個人的には「シンセミア」の方が好きである。まず「シンセミア」、「グランドフィナーレ」の方から読んで頂きたいものである。とくに第七部「神の鞭」は女子中学生殺人事件に「グランド・フィナーレ」の主人公とみずきとが関ってみずきの予想を超えた結果となり…という後日譚であるから、「ピストルズ」を読んでから「グランド・フィナーレ」を読んでしまうのは避けたい。ところで他の作家にはありそうでない語句の使い方も好きで、例えば「端正ないずまいながらも彼女の身ぶりには」91頁、「二の句が継げなくなってしまった」92頁、「物がなしげな顔ばせをこちらに向け」96頁、「わかりにくい点については斟酌せざるを得なかった」101頁、「かまびすしく談笑に耽る」118頁、「気心が知れた間柄といえども面はゆくなって」129頁、「いろいろな物事がその符帳に」164頁、「ひとりごちしていたのかもしれない」216頁、「ほっとくわけにはゆかないと父は思いなしたそうです」218頁、「心理の仕組みを微に入り細にわたり」307頁、などですが、察するところ第四部「抱擁の歌」(393頁)の「子ども時分にはまず国語辞典を買いあたえられ、〜毎日毎日それらばかり読ませられ、日本語の語彙や語法を孤独に学習していった」の表記は作者に通じるものがあるのではないでしょうか?それから389頁2行目『〜水中にとどまるという方法を選」び、』は、『〜水中にとどまるという方法を選び」、』の誤植でしょう! 617頁『犯人逮捕をひと向きに望む〜。』は『犯人逮捕をひた向きに望む〜。』の誤植でしょうか? | ||||
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毀誉褒貶が多いレビューが多いのだが、本作は圧巻の完成度を誇る名作だと思う。緻密なディテールが見事な語りの芸によって重層的に構築されており、「シンセミア」に並ぶ圧倒的な作品で、僕は購入してから一気読みで読了した。本作のレベルなら谷崎賞の受賞も当然だと思う。しかし不思議なのが阿部和重氏は凡作の「ミステリアスセッティング」などに高い評価のレビューが多く、本作のような圧倒的な完成度の作品には否定的意見が多い。何故なのだろうか・・・?特に「シンセミア」には『エンターテイメントの手法を持ち込んだ後退作』といった意見を見たとき、正直驚いた。純文学をエンターテイメントのストーリテリングにて作劇するほうが、単に描写で綴るより遥かに難しい。純文学が売れない理由には様々な時代的な要因もあるが、まず第一に「面白くないから売れない」のだ。本のページをめくるのももどかしいほどに面白い、それが読書の一番の原点だと思う。本作と「シンセミア」のレベルは間違いなく世界レベルの作家と戦える完成度だ。 | ||||
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「神町サーガ」三部作の第二作目にして、かつ一作目の「シンセミア」だけでなく「グランド・フィナーレ」「ミステリアス・セッティング」「ニッポニアニッポン」などとも関連性のある大作。……ってもうどんなことになるのか、身を乗り出していたら、何とも不思議な小説でびっくり。一子相伝の秘術を伝える悲劇の一族の壮絶なできごとや、このことが神町に引き起こした壮大な惨劇を扱いつつ……物語は少女小説家の何ともガーリーな語り口で、花や果物の楽園での出来事から語り起こされるのだ!いやー、もう阿部和重にはいつも関節はずされます。 この一族の系図を語る前半の長い長い物語(四人姉妹と四人の母親!)が何とも馬鹿馬鹿しいおもしろさに満ちていて(八十年代的なできごとを非八十年代的な言葉で語るおもしろさと言うのか)、血なまぐさい「神町サーガ」を読んでいることをふと忘れてしまう、そのこと自体がおもしろいと言うか、「えーっ、でも『グランド・フィナーレ』や『ミステリアス・セッティング』を閉じられたひとつの物語として読んじゃった過去の自分はまるで菖蒲家の秘術にかかってたみたいでかわいそう!」と騒いでみたりして。まんまと作者の戦略に乗せられてしまったよ。……まあ、菖蒲家の秘術ですべてを忘れさせられるわけでなく、本棚を開ければどの本もすぐ読み返せるのだから、いいんだけど。 それでも懲りずに、と言うか、それだからこそ一層、結末となる第三作はやっぱり、四人姉妹の異父兄弟カイトを中心に進むのかなあ……みずきがなぜか妙にカイトを好きっぽいのは、最後に一大ロマンスがあるからなのか……といろいろ期待してしまう。と言うかもうこうなったら、同時代の読者の最大の特権として、期待を上手に裏切られることを期待。 | ||||
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阿部和重の「ピストルズ」です。山形県東根市神町の物語。「かみのまち」と読める作者の生まれた地、神町(じんまち)を舞台に物語を紡いでいる作者です。以前このあたりを担当営業として回っていたので、記載のある地名は体に染み込んでいますので、個人的には楽しめる物語たちです。 本作は神町で繰り広げられたピカレスク小説であった「シンセミア」を引き継ぎ、「ニッポニアニッポン」「グランド・フイナーレ」「ミステリアスセッティング」などの神町舞台作品を全て包含する物語となっている。「インディビジュアル・プロジェクション」にも通ずる世界感である。作風は「ミステリアスセッティング」の流れを汲む、優しい文体で描かれている。 それにしても作者の物語は慣れるまで大変である。物語の世界感を得る為に必要な読者の「義務」なのかもしれない。しかし、その「義務」を越えた先には、「神町」で繰り広げられる、ある意味「別世界」を読者である我々は垣間見るのである。その別世界は、作者の頭の中で、実在の「神町」が再構築された世界なのである。その世界に入ることの出来ない読者には用は無い、と言い放っている作者が見える。 そこが本作を評価できるか否かの分かれ目なのであろう。因みに私はその作者の頭の中の「神町」にすんなり入ることができました。 | ||||
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本著は神町の怪しげな一家、菖蒲家の次女が語る、 一族の秘術「アヤメメソッド」をめぐる因果が大半を占める。 しかし、実はこの作品のミソは、これまでの阿部作品、 「グランドフィナーレ」「シンセミア」「ニッポニアニッポン」 「ミステリアスセッティング」等が、すべてその菖蒲家と関係があったこと、 が明らかになるにつれ、その驚きのほうが強くなっていく。 作者自身、「グランドフィナーレ」よりも前に本著の構想があったというくらいで、 その壮大さには目もくらむほどであるが、それで本著は終わりではない。 最後に作者はある仕掛けをもって、上記すべての虚実を宙ぶらりんにする。 本著の語り手、そして作者という点があいまいになっていく。 物語そのもののインパクトは「シンセミア」より少ないが、 これまでと今後の阿部作品のキーとなる作品であることは間違いない。 | ||||
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レビューの賛否が分かれることが、この大きな本が単なる 傑作以上の小説であることを裏付けているのではないか。 否定的意見の多くは、『シンセミア』からの隔たりによるものと思われる。 日本文学にフィストによる激しい一撃を加えた大傑作 『シンセミア』の続編として『ピストルズ』を読み始めると、 同じ作者によるとは思えない文体の違いに驚くことは確かだ。 徹底して下品で動物的だった前作にくらべ語り口が植物的というか フェミニンなのだ。 しかしタイトルの音が「雌しべ」とも「拳銃」ともとれるように この優雅な文体は曲者で、中毒性を持っている。 麻薬の効果は『シンセミア』の性的焦燥感に満ちた気配 (とそれからの解放)ではなく、アダム徳永的な、読書の あいだじゅう続く包まれるようなゆるやかな高揚感である。 そして最後に訪れるその高揚から突き放される感じが またたまらなく気持ちいい。まさに読書の醍醐味である。 みずきが操る秘術は作者が読者にかける小説の魔法にほかならない。 はたして、予定されているパート3は『シンセミア』の男性性と 『ピストルズ』の女性性が正面からぶつかる、夢のワールドシリーズの 様相を呈するのだろうか。 期待に胸ふくらませつつ、その準備としても繰り返し読むべき本である。 | ||||
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