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レディ・ジョーカー
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【この小説が収録されている参考書籍】
レディ・ジョーカーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.49pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全127件 61~80 4/7ページ
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強烈な余韻を残すラストシーン。 主人公は合田刑事であり、レディ・ジョーカーの面々でもある―幼い「レディ」の周りに集まった、悲しくも優しい人々…。 物語は不可解な「手紙」から始まり、レディ・ジョーカーの出会い、その鮮やかな犯行が語られる。が、被害者の日之出ビールを追いつめていくのは、別の暗いつながりの方のようである。 著者の圧倒的な博識、想像力、知性…。作品の深さは、「カラマーゾフの兄弟」を連想させる。 レビューを書き終えて、私の心は青森の田舎の夏のトマト畑に戻っていく…。 | ||||
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ああ、これはきっと、『ファウスト』の物語なんだな、と思った。 伝説のほうではなく、ゲーテの書いてみせた『ファウスト』。 破滅的な厭世観に囚われた主人公を、悪魔が救おうと説得する話。「この世は美しい、捨てたもんじゃない」と。 やがて主人公は、この世の美に気がついて、そしてその魂は救済される。 「美しいものは人を卑しさから救ってくれる」って言葉がいい。 この美と救済のエピソードは、作中で何度か繰り返される。 ビールの美味さや、ヴァイオリンの音色、無能だけど無垢なレディ、それに密かな人物同士の関係。 けして大仰なものではなく、ささやかで世俗的で日常の中に転がっている美が、人の魂を、混沌としたゴミタメから救い出す。 真の美は、そういった日常の中に美しいものを見いだせる人の心。 だから、刑事が主役にも関わらず事件は解決しないのに、カタルシスがある。 それがたとえ、狂気を孕んだ美だとしても。 この現実世界そのものが、どうしようもない狂気を湛えてるんだから。 ……レビューじゃないですね; | ||||
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映画化、ドラマ化されていますが、映像では何が何だか理解できないので 原作を読んでいます、これが読み応え十分、映像化が難しいのがよく分かります 映像化の解説書みたいなものです。 | ||||
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こちらのショップを初めて利用しましたが、商品の裏表紙にはシミ、水にぬれた跡があり、ふやけていました。商品自体も角に擦れた傷が多く、帯が裏内側の一部のみにのりで貼り付けてありました。また包装もただ、紙袋に入れてあるだけで、防水対策等とっていないので、このような状態なのでしょうか。他のショップでこのようなことは今までありませんでしたので、とてもコンディションが「良い」とは言えないと思います。 二度と利用したくないショップです。 | ||||
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個人読書履歴。一般文学通算371作品目の読書完。2011/06/21 | ||||
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個人読書履歴。一般文学通算371作品目の読書完。2011/06/25 | ||||
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個人読書履歴。一般文学通算371作品目の読書完。2011/07/04 | ||||
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長編にもかかわらず、一気呵成に読了した。この圧倒的な描写力はお見事! 著者の高村薫を、ポスト山崎豊子とでも言ってしまって良いだろうか?(いや、まずいだろうな) 複雑に絡み合う人物の背景を、最終的には「ああ、なるほど」と万人を納得させてしまうテクニックには脱帽だ。登場する個々のキャラクターそれぞれが、どうしようもない孤独の闇を抱え、持て余しながらも、その上さらに社会という荒波に揉まれていくのだ。 この作品は、30年ぐらい前に日本社会を騒然とさせたグリコ・森永事件をモチーフとして描いている。ここでは製菓会社の代わりにビール会社がターゲットとなっているのだが、この企業テロをめぐる裏取引やら警察、公安、ジャーナリズムの世界が、おもしろいように現実味を帯びていて息を呑む。 女流の社会派作家と言えば、やはり山崎豊子が白眉だと思う。だがミステリー作家と違うので、エンターテインメント性にはやや欠ける。比較の対象としては、むしろ宮部みゆきあたりになるのだろうが、こちらはどちらかと言えばのど越しスッキリ、ライトな感覚の作風で、高村の人間存在の意義や意味を問うた作風の前には撃沈かもしれない。 事件の発端となったのは、岡村清二という東北大学理学部出身の、日之出ビール社員が解雇されたことに始まる。岡村清二が労組運動に関わったとするのが原因だった。晩年は痴呆を患い、郊外の老人ホームでひっそりと亡くなるという設定なのだが、この人物一人を取っても、人生って一体何なのか? という命題を突きつけられるストーリー展開となっている。 被差別部落問題も扱っているので、いいかげんな気持ちで字面だけを追うなんてことは、一切できない。 さて、ここまで書いてみると、『レディ・ジョーカー』がいかに優れた長編小説であるか、お分かりになっていただけたのではと思う。だからこそあえて釘を刺しておきたい点が一つだけある。 それは、登場人物に同性愛的傾向のある男性二人が出て来るということだ。しかも主要人物。男でありながら女の心を持っているとか、女装趣味があるとか、そういうのとはワケが違う。しっかりとした男であり、男として男を愛しているようだ。(たぶん) 性的マイノリティーについては、非常にデリケートな部分なので、多くは語れないが、この小説ではそこらへんが何かしら異質な雰囲気を漂わせている。平等主義・思想にこだわる著者の意図的な工作だったとしても、若干のムリを感じさせるものがあった。 私は1997年に単行本化されたものを読んだのだが、その後、文庫化されるにあたり、かなり改稿されたようだ。このあたりの描写が一体どんなふうに変更されたのか、興味津々ではあるけれど、硬派なはずの社会派サスペンスが最後に来て「あれれ?」という感触は否めない。 もちろん、こういう世界観もひっくるめて人間存在の深淵を追求するのだという意見もあるだろう。だがしかし・・・。 高村作品に女性読者の多い理由が分かるような気がする。 いずれにしても、圧倒的なリアリティで完成度の高い社会派長編小説だ。 | ||||
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読了まで相当の知力・体力を要する大作である。あの『マークスの山』と比べても、さらに数倍のエネルギーを、読む者に要求する。 満点から★を1つ減らしたのは、誰にでも薦められる平易な物語ではないため。個人的嗜好としては★5つでも足りないくらいに、好きである。 お世辞にも読みやすいとは言えず、広くお薦めするのは無責任かと思う。だが、”忍耐力がある知的な読書好き”には是非、手にとっていただきたい。 知性と根気に欠ける私は、途中で何度も投げ出しそうになった。重層的に進む物語に混乱し、前を読み返すこともしばしば。オーバーロード気味の脳にチョコレートや煎餅でエネルギーを補給しながら、しかし、上巻・後半からは溺れるように読んだ。泳げなかった… 登場人物が生身の体、現実の思考をあたかも持ったかのように、脳裏に起ち上がる、動き出す。 なるほど疲れる訳だ。 最終ページ。とにかく「凄い」としか感じられなかった。 抽象的で申し訳ないが、読了時の放心状態を表現するには、これ以上の言葉が浮かばない。 そして穏やかに湧き上がる、耐久スポーツのような達成感。 強い文体・人物造形・ストーリーは、著者の性別を意識させない。「女」を武器にすることなく「らしさ」に甘んじることもなく、ただ一人の作家として執拗に筆を駆る。高村氏の覚悟と執念が伝わってくる。 穏やかな筆致で人の強さ、したたかさを謳(うた)い上げた終章は圧巻。 ヌーベルバーグの秀作にも似た物語の余韻。単なる感動とは違う、震えるような余韻。凄い、本当に凄い。この人の筆は、怖い。 | ||||
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大手のビール会社を取り巻く未曾有の事件。警察・検察・記者・企業人を多角的に描きながら人間の根底にある欲を 素晴らしく広大に描いている。冒頭から惹きつけられた要因は文章の奥深さもあるが、それ以上に読み進めて行く内に ここまで世界に引き込まれるとは想像もしていなかった。読了した後の心に刻まれたものは爽快感にも近いものだった。 もっと読みたい、この後の日の出ビールの行く末はどうなるのか。上・中・下巻あっという間だった。 また読み返したい。 | ||||
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必ずしも未解決事件の真犯人に迫っているわけでもないが、確実に事件の核心をついているような気がする。 題材はグリコ・森永事件だが、警察無線の傍受、「部落解放同盟幹部」からの脅迫テープ、アベック襲撃事件、週刊現代記者が指摘した「株価操作説」など、かなりディーテールな要素まで盛り込まれている。 そして、事件の不可解性、複雑性。解放された際の江崎社長の憔悴しきった顔は、誘拐だけによるものとは思えず、かなり重い何かを背負っているとも思わせるものだっと記憶している。 社長が背負ったものとはなんであったか、犯人グループは何によって結ばれ、何を目的としていたのか、レディジョーカーはそういった疑問の核心をついている。 | ||||
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若い人には、初めの長い手紙文を読めない人が多いですね。 たったの10頁ほどなのになぜ読めないか。 富裕で高慢になった日本人は、その内容に共感できなくなっているんでしょうか。 あの手紙文の後に、もの凄い世界が待っているのに。 私は「レディ・ジョーカー」を7回読みました。 | ||||
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本書を読む前に以下の本を再読した。 「緊急報告 グリコ・森永事件」、「闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相」。「緊急報告――」は文字通りグリコ・森永事件の表面的事象を、新聞記事より詳細に書かれてあり、事件の何たるかはこれを読めば判るようになっている。「闇に消えた怪人――」は事件の真相を著者なりに追いかけており、一応読み応えがあった。 本書は云うまでもなくグリコ・森永事件から発想を得ているが、舞台は東京で合田警部補が登場する。「照柿」以来だ。 いつもながら高村の圧倒的筆力には感嘆させられるが、かなり改訂しているのか、単行本で読んだ印象と較べると、この文庫版はやや硬さが取れ読み易くなっている。 冒頭から、被差別部落、日共等々の言葉が羅列され、これは一体何なんだと思わせ、次に競馬場、そこに集まる個々の人物を描写していく。 薬局の老主人、現役刑事、在日の信用金庫の職員、旋盤工、トラック運転手、そのトラック運転手には障害をもった娘(レディ)がいて、競馬のファンなのでいつも連れてくる。 やがて、これらの人物がとてつもない企てを起こす。「レディ・ジョーカー」と名乗って、大企業・日之出ビールの社長を拉致・監禁するのだ。 そして解放した後、ビールを人質にとって20億円を要求する。警察、新聞記者、仕手集団、総会屋、右翼、政治家等々を巻き込み、風呂敷をどんどん広げていくのだが、構成が見事なのと緻密な描写でリアル感があり、自然と収斂されていく。 ともあれ、私自身の熱い思い入れはあるものの、本書は日本ミステリー史上に燦然と輝く作品である事は論を俟たないだろう。 | ||||
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すでに多くのレビューが絶賛されているところへ、 屋上屋を重ねることになるが、ぜひとも79翁の感想を書きたい。 なぜなら、この著作をもっともっと多くの人に読んだもらいたいから。 わたしは、上巻を読んだばかりで、これ以降にどんな展開になるのかは知らない。 「うん。これからどうなるの?」とページをめくろうとする衝動を抑えるのに苦心惨憺した。 周到に練り上げられた構成と、徹底した取材をベースに書き上げられたこの著作を、 一語一語、噛みしめて味読するのが、著者に対するわたしなりな勤めだと思ったからである。 超一級のすごい作品だと思う。 | ||||
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レディ・ジョーカー上〜下の三部作を読んでの感想。 正直言ってかなりつまらなかった。 上巻だけなら☆2つだったが、中下巻と読み進めていくうちにだんだんと疲れてきた。 というのも、話がなかなか進まないから。 1巻で収まるものを長々と引き伸ばして3巻にしたような印象。 いわば、サスペンスの正反対のような小説。 話も経済的な難しいもので、理系の私にはちんぷんかんぷんだった。 表紙裏にも明記されていないとおり、ジャンルが不明。 結局何が言いたいのかもよくわからなかった。 純粋に楽しめる小説ではなかったので、この評価。 | ||||
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97年新潮社より刊行された作品の文庫版。いつものとおり大幅な改稿あり。単行本を読んでからかなりの時間が経過しているので初読のつもりで読んだ。いまさら言うまでもないが、この作品においても、登場する人物の誰もが心に闇や屈託を抱えて沈殿している。そして沈殿しつつも深く、本当に深く考える。その結果堂々巡りに陥り、自分自身が何をしたいのか、どうすればよいのかが判らなくなってしまう。また、その闇や屈託の理由が漠然とした曖昧なものであったり、たとえそれが最初のうちは明瞭であっても、ではどうすればよいのかということを考え続けているうちに思考の迷路に堕ちこんでしまう。そして、彼等は夫々の方法で出口を目指して喘ぎ苦しみ、時には開き直って(普通の人にとっては突飛な)何らかの行動を起こす(起こしてしまう)ことになる。この作品ではそんな人物達(レディ・ジョーカー)が計画実行した事件が大きな波を起こす。そして関係する多くの組織、登場人物すべてがこの波から逃れることができずに飲み込まれてしまう。レディ・ジョーカーも自らが起こした波に飲み込まれてしまう。合田も例外ではない(と、いうか一番先に飲み込まれそうだが)。その合田とレディ・ジョーカーの一人が最後に到達した世界は一種の狂気だ。「晴子情歌」「新リア王」「太陽を曳く馬」。これらの本作以降に書かれた作品を読んだ後で、本作を再読して強く感じたのは、著者にとって、事件は人間そのものを描き出すための単なる舞台装置に過ぎなかったのでは、ということだ。これほど練られた構成とストーリーに対し失礼であることも、前記三作で描かれる人間観や宗教観が圧倒されことによる思い込みであることも、極論であることも理解できるが、どうしてもそのように感じてしまうのだ。ただ、わたしは、前記三作に圧倒されつつも人間観(特に宗教観)の描写に純化していった作品(特に「太陽を曳く馬」)に対して、ついてゆくことの辛さと多少の窮屈さを感じた記憶がある。比較して「レディ・ジョーカー」は、人間が描かれることとストーリーの巧みさやおもしろさがバランスよく同居した見事な作品だと思う。 | ||||
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高村薫は文庫化の際大幅に「書き替える」ので有名なクセ者だ。自糞をイジるかブランドに狂う如きミテクレ自己愛過剰な文庫化は無視し、映画化時点の原作たる本作・毎日新聞社刊上下巻のみをベースとしたいが、「毎日新聞社」は意味深だ。確か今は無き「噂の真相」がグリコ事件を追求した「一橋文哉」の名を「一橋のブン屋=毎日記者」暗号と看破したが、ブン屋描写がリアル過ぎる点から一橋文哉「ネタ元」説も浮かぶからだ〜だがブン屋含め本作諸人物には真のリアルとは違う「リアルっぽさ」が漂う。エンタメならOKなのか、マンサラデカのルサンチマン塊に過ぎぬ半田が「発狂」する展開こそは、心理系研究者なら怒り狂うだろう超デタラメだ。高村は石原慎太郎との対談で「世代」を理由に本作頻出の「存在の不確かさ」を頻発したが、正直理解不能だ〜しかし理不尽極まる経緯で孫を亡くした物井はじめ「親族を失った喪中」の者が主に集って犯罪集団に至る心理過程こそ、真にリアルな「人生の鬼」(物井)=狂気のリアリティが極まる!「喪中」をこそ癒す珠玉の1冊! | ||||
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これ以上、日本の現代文学において生きることの意味を問うた作品があるだろうか。 大企業家、政治家、警察、マスコミ、そこに寄生する世界、こぼれ落ちた人々の住む世界。 戦後の日本が有耶無耶にしてきた、闇と光の間合いのような世界(その象徴が競馬場か)で、登場人物のそれぞれが傷を追い、それまでの人生で抱えてきた痛みと理不尽さを内包し、うまく分かち合うこともできずに、それでも自分がこの世に生を受けた意味を問う。なぜ生きるのか。なぜ人とかかわらないと人は生きていけないのか。答えなど見つかるはずがないのだ。人それぞれの営みの隣で動く、巨額な金、陰謀。気づかずにそこに巻き込まれている私達。それでもこの世に生きてきて、我々が生を全うする意味を、高村薫は全身全霊で描き出してくれる。山村でのラストシーンに震え、号泣した。 | ||||
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政界、財界、警察機構、ジャーナリズムなどがよく調査されていてその意味では欧米の作家の水準に達していると感じました。 一方で、現職刑事をはじめ引き入れられる犯罪者達の動機の不明確さ、ちょっと有能すぎるのではと感じる企業経営者、個人的に 人物像に合致しない同性愛性向など、キャラクター、物語の背景に違和感を覚えました。 | ||||
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こんなに夢中になるとは予想していなかったが とにかくおもしろくてぐいぐい引き込まれた。 シリーズものとは知らず、誰が主人公なのかがはっきりしないまま 物語が進んでいったので変な感情移入もなく客観的に物語が楽しめた。 | ||||
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