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レディ・ジョーカー
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【この小説が収録されている参考書籍】
レディ・ジョーカーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.49pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全127件 21~40 2/7ページ
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父と母を何者かに殺された。巧妙かつ表に出てこない事案だろう。依頼人はそのつもりはなかったが、話の食い違いが原因だった。報告を受けた依頼人が思わず「えっ」と無言になる。依頼人はそのつもりはなかった。それを隠すために大組織がある人物を狙う。徹底的に目を離すな、そんな安易な命令が下された。なんとしても刑務所に入れろ。国家機密の作戦が執行された。 | ||||
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何年も前に古本屋で見つけた<下>¥100を持っていたため、折に触れて<上>を探していました。今回やっと<上><下>が揃いました。 持ち歩くことを考えて、通常コンパクトな文庫本の利用が殆どですが、本来であればこうしたハードカバーを購入し表紙のデザイン、文字フォント、行間の在り方なども含めて楽しみたいものです。なかなか金額が高い上、置き場所もないので買うことは少ないですが、こんな風に綺麗なものがお安く買えて嬉しいです。 | ||||
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ただ長くて複雑で疲れる。何が言いたいのか良く分からない。主に書かれているのは、世の中の金がどう廻っているのか、利潤はどこから生まれるのか。そして、巨大製造業の組織はどう動いているのか、その社長や役員はどうあるべきか、それと総会屋・暴力団などとの関係、ジャーナリズムの有り様などである。部落問題が犯行の一つの原因になっているようだが、それも副題に過ぎない。同性愛など醜い付足しだ。 人間を魔力の虜にするのは酒、賭博、ドラッグなどがあるが、犯罪もそういう魔力があるのだろう。この小説では人質を取って大企業を根底から揺さぶる恐喝が負の魔力であろう。作者が書きたいのは犯罪という負の魔力に取り憑かれてゆく人間模様であると思う。その点で「黄金を抱いて翔べ」と同じ線上ににある。 これに対する警察の捜査も誘拐された本人が事件の核心を隠しているので行き詰まる。警察の捜査も主題ではない。 また、犯罪集団である「レディ・ジョーカー」の真の狙いは何かがはっきりしない。当初は恐喝で大企業の根幹を揺さぶるというつもりだったと思う。しかし、脅し取った金がどうなったか分からないという結末、更に「レディ・ジョーカー」も最後には皆バラバラになってしまうが、やはり犯罪という負の魔力に取り憑かれた結末としか言い様がない。。 最後に、この事件は綿密に計画され周到に実行されるが、その分ミステリー的要素は薄れてしまう。マークスの山の犯行は突発的・無計画的であり、動機も最後になってやっと明かされる。その分マークスの山のほうがミステリー・サスペンス的要素は上である。もっとも作者はこの小説を推理小説とは言っていない。 | ||||
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昭和の未解決事件、グリコ・森永事件を下敷きに書かれた作品。 巨大企業と犯人たち、総会屋、株屋、そこから繋がる政界との黒いつながり。 そして、警察内部のしがらみ…。 全てが絡まり合って混沌として、ぐるぐると暗い中に落ちて行くような感覚に陥る。 だけど、ずっと読んでいたいような不思議な気持ちになった。 そして、最後の最後で思わず身震いしてしまった…。 本当に面白かった! 最初から最後まで重厚で、小説を読み慣れてる人しか寄せ付けないこの感じが堪らない。 ほぼひと月かけて読み終えたけど、貴重な読書体験だった。 そして、合田と加納の関係性に終始ドキドキ…。 高村薫さんの本では『黄金を抱いて翔べ』の幸田とモモとか『李歐』とか。 また読み直したいな。 | ||||
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私が小学生のときに起きた事件です。子供が食べるものをターゲットする卑劣極まりない犯行と思います。死者が出ていないからと言う人もおりますが、間接的に自殺した人、その事件で人生が狂ってしまった人がいるのです。 あのオウム真理教のサリン事件と同類と思います。 これはテロです。未解決事件と言う名目だけが一人歩きになり違和感を感じます。 | ||||
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警察小説とは、それまでミステリーだったり、ハードボイルドだったり、の形態の一つとしてか眺めていなかった。しかし、このレディジョーカーを読んでいると、警察小説とは、組織論や経済やヤクザや、そして世相を取り込む、もっと広い枠組みを持つジャンルなのだと気付いた。この小説が警察小説の完成形であり、もしくはその後の警察小説のはじまりであると強く認識した。 | ||||
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破れいる。どうするのか❓ | ||||
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上巻で犯人たちを主人公のように書いてたのに、何故かやたら不気味な存在として書かれてた人物がズバズバとトリックを見破り犯人達に迫っていくのが意味不明すぎてモヤる。 しかも謎に上げられてチートすぎて男版のメアリースーのように感じました。 上巻を丸々使って犯人たちへの共感を煽ったのは何だったのか…。 しかもネタ元だというグリコ森永事件とはかなり違う…? すぐ尻尾掴まれたりモチーフはそんなにトレスされてない模様。 また実際は警察の縄張り争いで左遷された地方の署長が自殺したとかwikiで見たけど、本編だと署内の管轄区域にうるさいだけ。責任者が左遷されて自殺するんだろうか。 実際の事件がモチーフと謳うならポイントは押さえて欲しい。あと、一巻でまとめてほしい。 レビュアーの方の文章の方が全然端的で面白いです。 | ||||
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私には読みづらかった。速読派だけど上巻を読むのに2週間かかり、下巻を読むのに3日かかった。途中で他の本を何冊も読んだ。 その理由はまず、緩急の緩がない。これだけ登場人物がいながら、誰もユーモアを醸し出さない。そのため、記者なんかは、何人いてもひとからげの平板な印象で区別がつかなくなる。笑いどころのない大長編はしんどい。 次に動機の薄さが理解しがたい。犯人側・企業側とも、え?という動機でありえない選択を重ねていく。男女間、同性間の愛憎と規範意識をまぜこぜにしてリアリティを出そうとしているのかもしれないが、ミステリーとしてはとても納得しがたい。 三つ目に、最後の方で焦点となる事件が大きく変わる。レディ・ジョーカー置いてけぼりやん。金はどうなったんよ、なんじゃこりゃ~と言いたくなる。 おそらく作者はミステリー以上の意味を込めて書き上げたのだろう。読者としての意地で読み通したが、残念ながら満足感は最後まで得られなかった。 | ||||
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いよいよ大詰めの文庫下巻、 中巻ではわずかな登場だったレディジョーカー達の行く末が詳細に描写されてゆく、 もちろんLJに振り回され人生を危うくされた城山・合田・マスコミほかの落ち着き先も余すところなく語られ、大長編ならではの未曾有の娯楽性が”異様に周到かつ高度に計画的”に結論付けられる、 結果、LJ事件は闇に葬られ、さらに巨大な悪の中に希釈されてしまう、 巨大な仕組みとして存在する巨悪にたいし、司法も警察もマスコミも表面を撫で、わずかな膿を除く対応しかとり得ないのだった、 だから本作は作者が感じた20世紀末の日本に対する慟哭の書といっていいかと思う、 たしかにあの時代まではそんなことがあったし、連続する政治家のスキャンダルがそれを裏書していたとも思うが、作者が感じたほどに当時の日本がじじつ陰惨だったかどうかは読者それぞれが自身が経験してきた人生を振り返りつつ疑問を持ったほうがよい、 国家や権力が全否定しなければならないほど我が国が邪悪であったことなど歴史上ただの一度もないからである、 ほかの国々とは、とくにある種の国々とは、そこが決定的に異なる、 クライマックスは合田と半田の対決だ、 なぜ二人が戦う必然が発生するのか? 二人にはもうそれを解読する想像力はなくなってしまう、 ただ対決に向かう熱量だけが増加し、自然発火する瞬間に向かってしまう描写は読んでいていたたまれない思いになる、 そして合田の心の底には加納に対する友情を超えた愛情が存在している、 合田・加納のプラトニック・ラブ描写が合田・半田の対決の熱量をより蓄積させている点が文庫化の改稿で分かりやすくなっているので、単行本を読んだきりの読者はぜひ文庫版も手にとるべきと推薦する、 | ||||
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社長開放時の予告とおり、レディジョーカーによる直接の強請りが始まる、 中巻は、繰り返される身代金偽装取引に翻弄される日の出ビール、警視庁、マスコミだけを執拗に描写する、 600ページに及ぼうとする三巻中でページ数最大な巻にもかかわらず、ここではレディジョーカーたちはまるで作者にとっても触れてはいけないアンタッチャブルたちであるかのように影に徹している、 LJが”高度に計画的かつ異様に周到”な悪鬼たちだからである、 上巻でも詳細された登場人物たちの人物造形はここで更に深みを増してゆく、 各当事者たちがそれぞれのジャンルで事件に立ち向かうのだろうかと思い読み進んでゆくと、城山と合田の二人を場所と時間を共有する関係にすることで物語りは更に未曾有の面白さを発揮してゆく、 そして城山と合田の関係はそれぞれの周囲を巻き込んで、世間の広さと深さ、同時に闇の大きさを読者に実感させてゆく、 合田の警察官としての屈託は彼の行儀のよさに原因している、 つまり合田は最大限好意的に評価して優秀な刑事、つまり組織の枠からけしてはみ出すことのない自身の意思を持たない猟犬なのである、 飼い主の指示にただ忠実な猟犬、それが合田雄一郎なのだ、 映画「ヒート」でアル・パチーノが演じた刑事をマイケル・マン監督はプレデターとして造形したという、 プレデター/食肉獣は自らの意思で獲物を見つけ、自ら計画して獲物を狩る、 だから「ヒート」主人公のヴィンセント・ハナ刑事はプレデターそのものとして犯罪者に立ち向かう、 しかし猟犬合田にはそれができない、 彼はプレデターになった自身を妄想する想像力は持っているが、猟犬の行儀のよさからはみ出すことがない、 合田が警察組織で押しつぶされそうになるのは仕方がないだろうと思う、 作者は合田も城山もカソリック教徒と設定している、 読者はそこに何かを読み取る必要があるのかもしれない、 一神教に批判的な私は、すべてを善悪の二者に分けてしまいたい、分けなければ気がすまない、とにかく判りやすい結論が欲しいと唯一の神にすがっているような彼らの姿勢を幼稚で邪悪と思うだけだが、 城山は優秀なビジネス・マンである、 時と場を得た彼は大きな波乱もないまま一兆円企業の社長に納まったわけだ、 この長い物語は城山の優秀さを称えると共に、彼に何が不足していたのかも詳細に語ってゆく、 バブル景気の後始末が始まろうとしていた1995年、時代が変わり、城山タイプの経営者では今後業界に起きる波乱に立ち向かえない可能性も十分に記述されてゆく、 つかのまの時間であるが、二人は時と場所を同じくしたわけだ、 中巻を読了してみれば、合田が意を決して城山に詰め寄るシーンよりも、二人が昼食を共にしたり、ビールの飲み方を知っている合田に城山が歓心するような些細な描写に本作特有の切なさを感じる、 一昔前、映画版を見てすぐに単行本を手に取り一気に読了した、 今回はわざと気になる箇所はメモを取りながら、ゆっくりと読み進んでみた、 中巻は、心に沁み、身につまされる文章が多い、 その一つとして、作者は合田雄一郎、彼自身の無欲さを語ることを忘れていない、 城山にあって合田に無いもの、それが欲であると断定し、欲望こそが組織で生き抜く原動力と終には断定してしまう、 「羊たちの沈黙」が主人公クラリス・スターリングがDr.レクターの指導の下、他人の欲望をどのように観察するかを学習してゆく物語とするなら、「レディ・ジョーカー」は事件を通して登場人物たち全員が各自の欲望の正体を自覚してゆく物語と評していいかと思う、 エンディングを知っている読者なら自明のとおり、人によっては欲望の正体なぞ知る必要がないことは語るまでもない、 読みながら採ったメモは小説としては例外的に多くなってしまった、 また読み返すときのために文庫と一緒に保存しようと思うが、一つだけ物語の結論めいた箇所だけ以下に抜書きしておく、 P.216 ”犯罪の目的進行を急がず、犯罪行為そのものの倒錯した快感に浸っている。金そのものより金を搾り取る行為事態に執着がある。企業社会全般に憎悪と反感を持ち、経済活動全般に関心と批判があり、一兆円企業を屈服させる自信にあふれている。” 三つ目の文章だけを読めば、まさに共産主義系テロリストの理屈そのものだが、金銭そのものよりも恐喝行為事態に執着しているレディ・ジョーカーたちの負の感情が実はほかの登場人物全員が抱えた人生の負の感情と同質同根であるからこそ生じる感情の連鎖と波紋が本作を他に例を見ないようなただならぬ不穏な物語にしているのだと思う、 | ||||
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上巻は登場人物たちの人となり描写から始まり、事件の発端までを描く、 膨大な登場人物たちが無尽に投入される大長編小説だから、物語のタッチが肌になじむ人なら、誰を主人公にしても、誰に感情移入しても、売り文句にあるとおり”未曾有”の小説として楽しむことができる、 冒頭二十数ページにわたる怪文書(岡村清二による手紙)は本作全編に漲るただならぬ不穏さがシンボリックかつ神話的に語られており、もし大長編を読破する気力がない読書家ならいろいろと紹介されている梗概を知った上で怪文書だけを読み、物語全体を想像するような楽しみ方も可能だと思う、 「レディジョーカー」はすでに二十世紀後半の日本文学史に屹立する傑作の地位を確立していると思うが、大長編の中でそこだけを読むべきと特定するなら誰もが迷わず怪文書を挙げるのではないだろうか、 また、怪文書を味わえるか味わえないかで物語全体の興趣に甚だしい差異が生じることも間違いなく、戦後生まれの著者がかような怪文書を書き上げたことこそ私的には高村薫最大の文学的業績ではないだろうか(ほかの作品は未読なのでただ思いつきではあるが)、 登場人物数は膨大だが、もちろん小説の作法としてそれぞれ軽重を持って造形されている、 本作は合田刑事を主役とする連作のひとつなのでもちろん合田に関する文字数は多いが、最も注目すべき人物であり、あえて主役を特定すれば日の出ビール社長城山であることは読者の誰もが認めるだろう、 つまり警察と犯人が対峙する物語の中で民間人でありながら最重要な登場人物として描写が最大なのが城山だ、 ”高度に計画的かつ異様に周到”と刑事1課長が語る犯人たちの標的になぜ城山が選ばれてしまうのか? じつは風が吹けば桶屋が儲かる式の世間の闇に城山がたまたま取り込まれてしまったからなのであるが、作者は城山をきわめて優秀な経営者の一類型として描写してゆく、 城山の人生と人生観をこと細やかに書き綴ることで、魔に魅入られてしまった民間人の苦悩も細大漏らさず描写してゆく筆遣いから作者が城山の造形に愛着をもって臨んだことが想像できる、 上巻は城山のような優秀なビジネスマンでさえ判断を誤ってゆく様を執拗に描いた巻なのだと思う、 そして城山をミスリードさせてしまう状況を巧みに生み出してゆく犯人レディジョーカーたちの”高度に計画的かつ異様に周到”な行動にはいったいどのような発端があったのか? 怪文書がすべての始まりでありかつまたすべての結論だったことが大長編の冒頭で語られていた本作は犯行と同じように高度に計画的かつ異様に周到なのだと思う、 以下蛇足、 城山が判断を間違えてしまう理由はさらに中巻で詳しく語られるが、先ず上巻で興味深いのが警察は城山の解放直後から彼がすべてを語っていないことを見抜いていることだ、 なぜなら”つじつまが合わない”からである、 彼の迷いを知る読者は彼がそう結論付けてもやむを得ないかもしれないし、まただからこそ中巻以降の混乱を生じさせると冷ややかに読み進むことができるが、私企業と私企業経営者が感じる警察に対する不信は物語り中盤以降のやるせなさを倍加以上に重くしてしまう、 そして開巻当初から警察官としての己の生き方に悩む刑事合田を城山の警察不信がさらに追い詰めてゆく、 現状に悩み追い詰められた主人公がクライマックスで爆発してしまう物語がまるで「タクシードライバー」そっくりに感じるのだが、本作の凄みは暴発するその先に世間の広大さと広大さと不即不離の闇の存在を感じさせる点だと思う(本作がタクシードライバーよりも優れていると言いたい訳ではない)、 レビュー投稿の直前に長くアラブで誘拐されていた日本人が帰国した、 城山に同じく誘拐から開放された彼には、まるで本作の城山同様の”つじつまの合わなさ”がある、 報道もネット上もなぜか自己責任などという方向違いの空騒ぎが起きただけで、彼の発言と行動のつじつまの悪さが解消されることはない、 誘拐とは当事者にとっても世間にとっても最大に卑劣な犯罪だからだと思う、 戦後犯罪史にとりわけ有名なよしのぶちゃん誘拐殺人事件を描いたドキュメンタリ本「誘拐」にも似たようなエピソードが語られている、 あの時、警察はまずよしのぶちゃんの家族を疑っているのである、 よしのぶちゃんの家が警視庁職員の平均よりもはるかに裕福だったからである、 結果、被害者家族と警視庁には超えがたい壁ができてしまう、 黒澤明「天国と地獄」は「レディ・ジョーカー」のアイデアの一つだと思うが、「天国と地獄」でも同じように被害者と警察の溝から語り始めることを黒澤は忘れていない、 身代金を払える裕福さに対する貧乏人の僻み根性が出発点になってしまうからである、 犯人に対する怒りと憎しみの前にそんな屈折した心情を当事者にも第三者にも誘発させてしまう誘拐は犯罪の中でもとりわけ卑劣極まりないからだと思う、 もちろん我々はパトリシア・ハースト狂言誘拐事件を想起しなければならないのだが、そんな人の心のひだに付け入り弄んだレディジョーカーたちそれぞれの落ち着き先は下巻で語られることになる。 | ||||
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世評の高い作品なので無理しても全部読み通してみたが駄作という判断しかない。 まずは題の「レディ・ジョーカー」が意味不明。レディは知的障害の女の子。競馬場で見かけるその子を中心にして小さなコミュニティとビール会社や刑事群像全体が「天秤の両端」を形成しなければ小説としての「張力」が存在しない。まずいと思ったのか最後になって、二ページだけ「レディ」の実像に触れているがすでに遅い。単純な構造こそが長編には必要なのに、そこにもう一つの弱者の問題となる「部落問題」が絡んでいると「レディ」の存在意義が薄くなる。高村は優れた想像力の人だが、それは脳内のイメージをものすごい早さで筆に起こせる能力であり、「小説家」としての本当の素質には達していない。事件の大きさにごまかされないで本当の構造と人間ドラマを追うと、本作品も失敗というしかない。そうした不安は何度も改変する行為に現れているが、この作家を開眼させられるような編集者が未だに居ないことが驚きであり残念である。本作でいえば、高村が知的障害児をもつ家族に寄り添うには遠かったというしかない。その想像力も欠けていた。小説のなかに「レディ」は存在しえなかったのである。 | ||||
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他にも同じことを書いているレビューがありますが、 最初の手紙の部分が確かに読みすすめるのが少し億劫でした。 でもストーリーはとても細かく、よく練られていてかなり読み応えがあります。 登場人物も多いので、時々メモをしながら読みました。 高村さんの小説は始めて読みましたが、別の本も手にとってみたくなりました。 長編なので、読書家の人にはいいと思います。 | ||||
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とても緻密に組み立てられています。登場人物の設定や感情の動きも良いと思います。ぐっとくることが幾度もありました。 | ||||
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とても緻密に組み立てられています。登場人物の設定や感情の動きも良いと思います。ぐっとくることが幾度もありました。 | ||||
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映画は見たくないです。 この作品は文字で読み取りたい 登場人物の気持ちも読み取りたい | ||||
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20年ぶりに、再読、この長い長い物語しかし、、少しも飽きさせない面白さ、すごい、推理小説の作家としては、清張に並ぶ、人だと思う。次は、マークスの山を読もうと、思っている。 | ||||
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読み進める内にページをめくる手が止まらなかった。 緻密に登場人物が描かれていて、緊迫する展開が続く。 重厚感もあり、さすが、と言いたくなるような一冊です。 | ||||
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上手い犯罪小説である。 当時本屋大賞があったとしたら、これが受賞していたと思う。 なんだけどやたら書き込みが細かく、読んでいて疲れる。読者に疲労を催させる。そんな作家である。 | ||||
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