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パールストリートのクレイジー女たち



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パールストリートのクレイジー女たち

パールストリートのクレイジー女たちの評価: 3.00/10点 レビュー 1件。 Dランク
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No.1:
(3pt)

覆面作家が最期に作品にしたのは…

2005年に亡くなった覆面作家トレヴェニアン。これは彼の遺作となる、2005年に発表された小説。
ニューヨーク州オールバニーの、貧民層が暮すパールストリート238番地を舞台とした、主人公の少年ジャン=リュック・ラポアントの一人称で語られる、彼の少年時代の回想記。
しかしその内容からジャン=トレヴェニアン本人と推察される。つまりこれは彼自身の回想記とも云える自伝的小説だ。

私がまず驚いたのは主人公の少年のラストネームがラポアントだということだ。そう、私がトレヴェニアンの中でも傑作と思っている『夢果つる街』の主人公の警官クロード・ラポアントと同じ苗字なのである(厳密に云えば『夢果つる街』の主人公は「ラポワント」だが、原書の綴りは一緒であろう)。
珍しい名前なので私はてっきり『夢果つる街』が関係しているかと思ったが、単に苗字が同じだけのようだ。寧ろ最後にこの苗字を作者が自伝的小説の主人公のラストネームとして選んだのは、やはり『夢果つる街』が作者にとっても特別な作品だったのかもしれない。

恐らく作者自身が死期を悟り、最期に残す作品として自身の生い立ちを綴りたかったのではないかと思われる。

ただ、その内容は思いつくままに語られ、小説としてのいわゆるストーリーがなく、ジャンが人生で出くわした出来事や人々たちの思い出をその時に思い出したかのように語っている形式となっている。従って本書の内容について概要をまとめると非常に取り留めのないものになり、いや正直に云えば、概要をまとめることができないほど、その内容は縦横無尽だ。

まず題名となっているパールストリートのクレイジー女たちとは主人公ジャンの母親ルビー・ルシルも含めたとりわけ個性的な女性たちのことだ。

パールストリートというスラム街に住みながら、まるで掃きだめの中の鶴のように、他の母親たちとは一線を画す美しさと活発さ、そしてフランス人とインディアンの混血という特殊な血筋の荒々しさで街でも目を惹いた母親ルビー・ルシル。しかしその荒々しく、頑なな性格は周囲の人々との軋轢を繰り返し生み、ジャンと妹のアン=マリーはそれに苦労させられる。

近所に住むミーハン家のミセス・ミーハンはミーハン一族の中で唯一血の繋がりのない女性で知的障害者の施設から連れられて、そのまま一族たちの家事をすることになった女性。彼女は時々物から手が離せなくなるという奇妙な問題が発生する。

戦地に行った夫を待つミセス・マクギヴニィ。彼女は街の雑貨屋ケーンの店に行く以外、ほとんど外出せず窓から街を眺めて一日を過ごす。その彼女とジャンはひと時交流を持つ。クッキーとココアを用意してジャンと取り留めのない話をするのが彼女の人生に少しばかりの彩りを与えることになるが、幼いジャンはそれが次第に憂鬱に感じ、ある日彼女の呼びかけを完全無視してしまう。それが彼女との交流の幕切れだった。

そんな“普通じゃない”パールストリートでジャンを中心に物語は進む。
チビなジャンがスラムに生き抜くために知恵を絞り、一目置かれるようになったこと、女性への目覚めやラポアント家の生い立ちのこと―インディアンとの混血であることから差別意識が激しかった当時、彼の祖母がそんな祖父と結婚したことで街の人々から避けられていたことやそれを解決するために祖父が行った殴り込みのエピソードは心に残る―、アパートの最上階に住み着いた流れ者のベンと母との馴れ初め―性格はいいのに、酒を飲むと暴力的になることで数々の失敗をやらかすベンは物語後半の主要人物だ―、やがて訪れる第2次大戦とベンの出兵、そして彼の帰還と母との結婚を機に生まれ育ったパールストリートを離れ、新天地カリフォルニアでの新生活の幕開け、そして挫折と新たな旅立ち。

そんな中、ところどころに挿入される、少年ジャンの視点でのノスタルジックな描写はどことなく心をくすぐる。

女の子のする縄跳びには暗黙の性的タブーによって男の子たちは加われないとか、ラジオは部屋を暗くしてダイヤルだけが琥珀色に光る中で聴くのが最高だとか、プチ家出を繰り返している最中に気付く、自分が将来漂流者になるであろうという悟り、一人空想ごっこに耽る日々、そしてある日目覚める幼年期からの目覚め、等々。

とにかく自分の生きている間に少しでも多くのことを語り、そして記録しようとしているのか、改行が非常に少なく、見開き2ぺージに亘って文字がぎっしりと埋め尽くされている。1ページを1分以上掛けて読む小説に出逢ったのは久々だ。

読むのにかなり手こずったことを正直に告白しよう。そして読んでいる最中はあまりに書き込まれたディテールとあちこちに飛ぶジャン=リュックの話に気疲れがしたことも。

しかし読み終わった後に振り返ると、トレヴェニアンの生い立ちと重ねることで興味深いエッセンスが散りばめられていることに気付かされる。

まず先に挙げた『夢果つる街』の舞台となる街「ザ・メイン」。これは主人公ラポワントの名前も含めてパールストリートがモデルになっているのは想像に難くない。、これは読んでいる間、ずっと思っていた。

また物語の途中で起きる第2次大戦。
最初はドイツの猛攻が語られていたが、この時はまだアメリカは参戦しておらず、対岸の火事のようだったが、日本軍が真珠湾攻撃をしたことでアメリカは参戦するため、従って本書の中で日本人は当時使われていた差別用語であるジャップ呼ばわりされ、またジャン=リュックもまた日本人を敵とみなし、軽蔑している。更にカリフォルニアへの移動の車中で新聞でヒロシマとナガサキに原爆が落とされ、多数の犠牲者が出たことを知り、居合わせた帰還兵と共に驚喜する。

そんな彼が後に日本人の禅の精神とわび・さびをテーマにした『シブミ』を著す。彼にとってこの第2次大戦における日本人への感情は決していいものではなかっただけにこの日本人独特の精神性を敬い、そして深い造詣を示すこの作品を書くようになった心境の変化はいかがなものだったのだろうか。それが語られていないだけに実に興味深い。

それらを含めてなぜこのような取り留めのない自伝的小説をトレヴェニアンは書こうとしたのか。正直云って私にとってこの内容はそれまでの彼の作品に比べても出来が良いとは云えず、散文的で纏まりを感じない。この纏まりの無さは上に書いたように、どうにか生きている間により多くの、自分の人生を語り尽くしたいという思いからだろうが、この分量は異様だ。

私はトレヴェニアンが―ほとんどその正体は知られていたとはいえ―覆面作家だったことが主要因ではないかと考える。このラストネームだけのペンネームでスパイ・冒険小説、幻想小説、詩情溢れるハードボイルド系警察小説、ウェスタン小説など、その都度思いもかけないジャンルを選択し、物語を紡いでいた彼が最後に残そうとしたのは自分の人生の証、痕跡だったことは想像に難くない。母のこと、父のこと、母の再婚相手のこと、妹のこと、そして彼の家族を取り巻く人々のことも含めて。

作品は知られているが、その実態を知られていない彼が、最期にトレヴェニアン自身を作品にしたのだ。

トレヴェニアン。本名ロドニー・ウィリアム・ウィテカー。覆面作家の厚いヴェールの下にはこんな人生が隠されていた。
正直万人に勧められるほど、物語として面白いわけでは無いが、彼の作品に親しんだ一読者としてけじめをつけるために読むべき作品だったと読み終わった今、そう思う。


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