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(短編集)

御手洗潔と進々堂珈琲



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【この小説が収録されている参考書籍】
御手洗潔と進々堂珈琲 (新潮文庫nex)

御手洗潔と進々堂珈琲の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
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(7pt)

虐げられた人々がいるからこその今を訴える作品集

海外放浪から帰ってきたばかりの当時京大の医学部の学生の頃の御手洗潔がサトルという京大を目指す予備校生に京大近くの進々堂で語った話を集めた連作短編集。

まず「進々堂ブレンド 1974」は軽いイントロダクションの物語。
若き思春期の苦い恋の想い出話。これはミステリではなく青春物語といったところだろう。

「シェフィールドの奇跡」は知的障害者の物語。
21世紀になって島田氏は脳生理学の分野を積極的に物語に取り入れ、精神異常者のみならず学習障害者、アスペルガー症候群など、現代細分化されている様々な知的障害者をテーマにした作品を著しているが、本書は知的障害者が被ってきた社会的差別、虐待を扱っている。
ギャリーと云う学習障害者が唯一の取り柄である他者より抜きん出た体格の良さと発達した筋力を活かして重量挙げの選手として成功していく物語はしかしそれまでに彼が強いられた数々の苛めや虐待、社会的差別が詳らかに語られ、胸が痛む。私自身、次男が軽度の知的障害者であるが故、無縁の話とは思えないだけに痛切に胸に響いた。
さすがに21世紀の今では本作の時代である1970年代の社会よりも同じ境遇にいる人々への研究と理解が進んでいる為、作中に書かれているほど厳しい現実ではないが、それでも自分たち夫婦が同化する錯覚を覚えた。恐らくそのような身内を持たない人々にとっては典型的な感動の物語なのだろうが、私にとっては応援歌のような物語であった。

続く「戻り橋と悲願花」でもマイノリティに対する虐待の歴史が題材に扱われている。
戦時下の朝鮮人が受けた迫害の歴史は島田氏にとって昔からのテーマの1つだった。あの名作『奇想、天を動かす』はその最たるものだった。
本書もまた日本に渡って豊かな生活を夢見た貧しい姉弟が辿った数奇な運命と太平洋戦争で行われた風船爆弾という史実と島田氏ならではのミラクルストーリーが混然一体となっている。
路傍の花としてよく見かける彼岸花をモチーフにその球根が毒性を持つこと、実は生物学的にも特異な物であることを京都の一条にある戻り橋が持つ歴史の由来を上手く交えながら感動的な物語に昇華する。まさに物語作家島田の独壇場とも云える作品である。

最後の「追憶のカシュガル」は春の嵐山を訪れた御手洗がサトルに語る、中央アジアに位置するウイグル族の街カシュガルで出逢ったある老人の話だ。
路傍の賢者とも云うべき風貌と学識を備えた浮浪者。しかし町の人々は彼を無視し、彼の歩く周囲から遠ざかる。そこには老人が悔やんで悔やみきれない若き日の過ちがあったからだ。
カシュガルと云う数々の民族によって侵略され、数々の民族が混在して世界侵略の要となった都市ゆえに時代の流れに翻弄された男の悔恨の物語だ。


日本の古都京都はその永き歴史ゆえに様々な言い伝えや伝承が今なお息づいており、点在する名所や史跡にはそれらが成り立った理由や逸話が残っている。

そんな古都にまさか御手洗潔が住んでいたとはミタライアンでも驚愕の事実であっただろう。しかも京大の医学部出身だったとは。
横浜の馬車道を住処にしていた御手洗が関西ならば神戸辺りが適所だと思うが、京都とは意外だった。そんな京大時代に御手洗は休学し、海外放浪をしていた。そして京大を目指す予備校生サトルを相手にその時に出遭った人々の話を始めるというのがこの連作短編集だ。

島田氏の物語作家としての手腕はいささかも衰えていない。
一軒だけ異世界のように存在するアメリカの雰囲気を湛えたスナックがある寒々しい日本海の漁師町の風景、イギリスのある都市に住む知的障害者を子に持つ親子を取り巻く街の社会事情、戦時下の日本に夢と希望を抱いて日本に渡った朝鮮人兄弟が辿った苦難の日々、そして最後は浮浪者として町の人々に忌み嫌われるようになった老人の過ちなど、実に心に痛く響く物語が収められている。
同じような経験をしたことがないのに、それぞれの物語の主人公の心象風景色鮮やかに眼前に繰り広げられるのはこの作家の筆力の凄さだろう。

そして特徴的なのは御手洗潔の短編集でありながら本書では御手洗潔は推理をしない。つまりミステリとしての謎はなく、御手洗はあくまで彼が海外放浪中に出逢った人々から聞かされた話をサトルに語るだけなのだ。
謎を解かない御手洗の姿がここにある。
しかしこれら彼が経験した出逢いは御手洗にとって人間を知る、歪んだ社会の構図を知る、そして島国日本に留まっているだけでは理解しえないそれぞれの世界のルールを知り、その後快刀乱麻の活躍ぶりを発揮する名探偵としての素地を形成するための通過儀式のように思える。社会的弱者に対する優しき眼差しはこの放浪で培ったものなのだ。

強い道徳心が差別を生む。

息子が知的障害者と知ってショックで子育てを放棄し、失踪する親がいる。

知的障害者というだけでスポーツ選手の代表になることを嫌う社会がある。

移民というだけで迫害する社会がある。

一見平和だと思える現代の裏には実はこのような昏い時代があったのだ。

今や社会は弱者に対して優しくなったと思う。バリアフリーは進み、知的障害者に対する理解も増え、学校では支援学級が必ず存在するようになった。
また外国人への規制も緩くなりつつあるし、さらにはトランスジェンダーへの理解も広がり、性同一障害者がテレビをにぎわすほどにもなった。

しかしそんな社会もかつて虐げられた人々の犠牲の上にごく最近になって築かれてきた理解の賜物であることを忘れてはならない。この御手洗潔が語る弱者への容赦ない仕打ちこそがほんの10年位前にはまだ蔓延っていたのだ。

本書は御手洗の海外放浪記であるとともに世界の歴史の暗部を書き留めておく物語でもある。
人間の卑しさを知った御手洗がその後弱者の為に奔走する騎士となる、そんなルーツが知れるだけでもファンにとっては読み逃してはならない作品集だ。


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