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Tetchy さんのレビュー一覧
Tetchyさんのページへレビュー数217件
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タイトルの意味は「花嫁修業学校」。しかしこの穏やかなタイトルとは裏腹に内容は骨太の大傑作。ロシアという閉鎖的な大空間においてありとあらゆる人々の人生が錯綜し、壮大なる絵画を描く。
発端はロシアを旅行中のアメリカ人青年がふとしたことから迷い込んだ森林の中に建設された「チャーム・スクール」からの脱走兵との邂逅から始まる。冒頭のここら辺の文体は牧歌的だがこの青年がやがて大使館にこの存在の一報を入れたその瞬間から物凄い緊張感を纏って進行する。 「チャーム・スクール」―それはベトナム戦争などで捕虜となったアメリカ兵をインストラクターとし、アメリカ人としての教育をロシア人に施し、アメリカへスパイとして潜入させるための学校。やがては世界各地の民族に対しても同様の学校を作り、ロシア人で世界を支配しようと画策する。 この物語はこの「チャーム・スクール」を設定し、そしてこれを一介のアメリカ人青年から大使館へ電話させたという構成をとったことでほぼ80%完成したといってもいいだろう。 通常の作家なら通俗的に超人的な能力を持つ凄腕のスパイを配し、ハリウッド映画ばりにアクションシーンをふんだんに盛り込んで銃撃シーン、格闘シーン、爆発シーンを連続させて「チャーム・スクール」に捕らえられているアメリカ人捕虜の救出、黒幕の抹殺、そして施設の壊滅を派手派手しく描く所だが、やはりデミルはデミルである。おいそれとそう簡単にはそういった手法を採らない。 まずは大使館や外交官といった特権階級の人間でさえ、ロシアでは外出するのも捕虜として捉えられる事と紙一重である事をこの電話に対しての主人公二人の活動を通じて詳細に緊張感をもって描く。この作品は一貫してそういった緊張感が張り詰めている。 ロシア、そしてロシア人というのは資本主義社会では到底考えられない自分勝手な哲学、主義が横行し、憚らないのだと読者の胸に刻み込むように描かれる―しかし、アメリカ人作家の手によるロシアの描写であるから情報としては一面的である事を忘れてはならない。過剰に書いてあるだろう事は推測できるから全てを鵜呑みにしてはいけないだろう―。 そういった背景を緻密な描写を丹念に重ねながら、チャーム・スクールの調査、侵入の困難さを少しでも触れれば切れそうな張り詰めた糸のような緊張感の下、確かな筆致で描く。 しかし、ここで私はここでかなり不安だった。外出さえもがこれほど困難なロシアの中でしかもチャーム・スクールを難攻不落の要塞の如く描いて物語が発展するのかと。チャーム・スクールにどうやって潜入するのか?捕虜たちをどう救出するのか?しかも上巻の最後ではこの主人公二人はロシアから強制帰国を命じられ、ロシアを離れようとするのだ。 まず前者の私の問いに対して、デミルは全く私の想像を超えた設定を持ち込む。それは主人公二人をロシア側が誘拐し、しかもチャーム・スクールにてインストラクターに仕立てようとすることだった。これには全く以って脱帽。しかもこの一種アクロバティックなプロットが上巻の彼らの行動、ストーリー展開の中で無理なく納得させられるようになっているのだから、見事としか云いようが無い。 さらに作者はここから読者を新たな世界へ導く。戦争捕虜というものが―特にロシアにおける―、どのような仕打ちを受けるのか、これを淡々と冷酷に詳述する。その後、主人公二人はチャーム・スクールの内状を人々の出会いを交え、知っていく。実は物語としてもっとも面白く感じたのはここだった。特にホリスがチャーム・スクールで再会するかつての戦友、彼がもう何処が本統の居場所なのかわからなくなったよと述懐する場面、またベトナム戦争で撃墜された時に捕虜として捕らえられていた副パイロットの心情を彼らによって教えられ、ホリスが長年抱えていたしこりを氷解させる場面はこの作品の中でのベストシーンだ。 物語はその後ホリスの、ロシアで長年一緒に勤務した悪友セスの潜入作戦を経て、脱出劇と壊滅劇が繰り広げられる。ここで明かされる前述の後者の問いの答えは非常にショッキングなもので、後味は悪い。特にチャーム・スクールに好まざるべくいるアメリカ人捕虜たちのストーリーが語られた後となっては。 デミルは登場人物一人一人に哲学をしっかりと設定する。そして彼らがその己の規範に従い、時には呪縛を感じながらも行動する。一人一人が脈打つ実在の人間のようだ。 この小説は単なるエスピオナージュ、スパイ小説ではない。人生讃歌である。誰一人として単なる主人公の引き立て役の駒で終わっていない。そういっても過言ではないだろう。特に最後に杓子定規な正義が成されなかった点。ここに人生を生きることの難しさとデミルのアイロニーを感じた。 一人でも多くの人がこの作品を読むことを期待する。 |
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上下巻合わせて1,040ページあまり。しかも各ページには文字がぎっしりでほとんど隙間が無い。
この世評高い大作を読みたいがために各本屋(福岡・愛媛・東京!!)を回り、なおかつネットで検索したがどれも「品切れ」の文字がついている。諦めて本を売りに行った地元の古本屋で持ち込んだ本の査定を受けている暇潰しに本棚を見ていた時に偶然にも見つけ、迷わず購入した。 そして待望の開巻から約半月費やした後の感想は、最後の最後で救われたという感じがした。 正直、読書中はあまりにも冗長すぎやしないかと何度も洩らした。それは読後の今でも変わらない。この真相に至るまでに果たしてここまでのプロセスが必要だったのか、これは今でも疑問である。世に蔓延る世評を見ると、重厚壮大だが読み苦しくないというのがほとんど感想として載っている。しかしやはり私には長いと感じた。 主人公のベトナム戦争で成した愚行―正確に云えば成された愚行―に対する裁判を、内部葛藤を、時に俗者のように、時に聖者のように描写する。それはある時は彼の行動を監視する者に対し、暴力を加えたり、妻への荒々しいセックスにて表出される。デミルの素晴らしい所は、単にベトナム戦争の悲劇の犠牲者としての主人公を決して読者におもねるような聖人君子に描かず、愚痴もいい、素行もそれほど正しくなく、しかも軍隊に復員した時はだらしの無い格好で軍人の反感を買う。つまりみんなの周りにいる誰かとして描く。この手法が重苦しいテーマを読み易くしているのだろう。 読んでいる最中は映画『戦火の勇気』が頭によぎった。タイスン中尉がベトナムの病院でどのような指示をしたがために大量虐殺に至ったのか、この事実についてあらゆる人が本で語り、軍事裁判にて証言し、そして主人公自身も語る。小隊の中の人間関係の歪みが生んだ大虐殺の事実はそのまま同じように歪められ、タイスンを追い詰める。 最後の切り札、ケリーの登場で漸く真相が明らかにされ、何が正しくて、何が悪いのかを悟られる。それはやはり人ではなく、戦争という特異な状況であったが故の哀しい事実だった。誰もがあの戦争では狂っていた、その事は誰も否定できないし、また非難もできない。知らない方がいいこともある、これは正にその典型だった。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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これは新たなる島田氏の代表作だと云っても過言ではないだろう。『秋好事件』のノンフィクションタッチがこの作品でいかんなく発揮されており、島田氏がただ単純にノンフィクションを書いたのではないことも判った。
巨匠にして新たなる手法を生み出す、この貪欲さは新本格第1期組の、最近新作を出さない輩共に見習って欲しい姿勢である。 『津山30人殺し』をモチーフに、というかそのものを題材にかの御手洗潔のパートナー、石岡和己を主人公にして陰惨な連続殺人事件を繰り広げるというこの設定からして斬新だ。最初は単なる横溝正史へのオマージュだと思っていたが、いやいや、やはり島田氏、オリジナリティー溢れる作品となっており、島田作品以外何物でもない。 上巻に高木彬光へ、下巻で彼の生んだ名探偵神津恭介に賛辞を表しているが、これはこの作品そのものが彼の作品に対するオマージュではなく、恐らく当時彼が亡くなられたことによるものだろう。 今回特徴的なのは下巻の中間で都井睦雄の30人殺しへ至る経緯がその生涯と共に語られており、しかもそれが物語の謎の中心であるが故、フィクションとノンフィクションの境がぼやけ、真にあったかのように錯覚させられることだ。『秋好事件』でもそうだったがこういうノンフィクションを語らせると島田氏は抜群に上手い。臨場感と睦雄の人となり、そして事件の引き金となった経緯が非常に説得力を持って語られるのだ。 そういった中でも大トリックを仕込んでいるのが非常に嬉しいし、また、菱川幸子の殺害方法が運命の皮肉さを伴っているのが単なる推理ゲームに堕してなく、小説として余韻を残してくれるのがプライドを感じて嬉しい。 連続殺人が続くのも、最後の最後まで御手洗を登場させず、石岡という凡人に解決させることにより、不自然さが無い―よく名探偵がさんざん人が死んでおきながら犯人は貴方だ!と誇らしげに指摘する厚顔無恥さがこの作品には無い。昭和初期の殺人事件に基づいて連続殺人が成されたというのも島田氏がこだわる日本人論、昭和論をほのめかしており、しかも忘れ去られるであろう事件を再認識させてくれたのも作者の真面目さだと思う。 あと最後の最後であっと云わされるミチの正体。こういう演出が心憎い。 島田氏の創作意欲は衰えを知らず、毎年新作を発表している。恐らくこの作品はその口火となったように記憶している。読んでみてやはりこの作品は新生島田荘司の誕生を高らかに宣言しているように感じた。 本当に素晴らしい作家だ、島田氏は。 |
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いやはやアイリッシュ、もといウールリッチは設定がすごい。発表後60年近く経った今でもその設定は斬新だ。
ある街で愛し合う若い男女がいる。非常に初々しい二人の間にやがて悲劇が訪れる。ある飛行機から落とされたビンがたまたま彼女に当ったのだ。最愛の女を失った彼は廃人となり、やがて復讐の鬼と化し、同日同時間に同場所を通過した飛行機に乗り合わせた乗客全てに同じ苦痛を事件の起こった5/31に味わわせるのだった。 この設定を読んだだけでもう早く読みたいと思うのは当然ではないだろうか?しかも唄う詩のような美文は健在で今回も陰惨な内容ながら幻想的な衣装を纏いながら物語は流れていく。 しかも成される復讐は5つあり、それら全てが極上の短編小説のようにスパイスが効いているのだ。 顔の見えない主人公ジョニー・マー。彼のした事は非道で許されないことだが、彼のされた事もまた同じである。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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いやはや、デミル、貴方は上手い、上手過ぎる!!
これぞ小説なのだと醍醐味をとことん味わわさせてくれました。最後の一文なんか、もうシビレまくりです!!これは正に俺が好きな締め括り方。俺が作家ならこう締め括る。哀しいラストに一縷の希望を託す、非常に美しい最後だ。だから最後の最後まで俺の心の隙間にピースがカチッと嵌ったのだ。 ビヴァリーヒルズも足元に置く高級住宅地、ゴールド・コースト―オーストラリアのそれでなく、ニューヨークの郊外にある建国当時から住むヨーロッパの財閥が成した街―。ここに暮らすワスプ、弁護士ジョン・サッターと生粋の貴族の出である美しい妻スーザン。この一風変わったセックスを好む夫妻の隣り、豪邸アルハンブラに最後のマフィア、ベラローサが越してくる。好むと好まざるとに関わらず―いや正にこの場合は好まざるとに関わらず限定か?―隣人付合いをすることになるサッターだが、これがやがてこのマフィアのコロンビア麻薬王殺し容疑の弁護の役回りを演じることになり、また妻のスーザンとの破局、そして栄光のウォール街弁護士の肩書きの剥奪を招くことになるのだった。 書きたい事は色々ある。ありすぎて取り留めがなくなるのでご容赦願いたい。 まずベラローサの造詣。最初は映画『隣りのヒットマン』の影響のせいでブルース・ウィリスを当て嵌めていたのだが、上巻の最後の方から、やはりこれはデ・ニーロだと得心した。もう全く以って彼。ここで俄然、私の中で物語は映像と共に進み、読書に拍車がかかった。 その他の登場人物の内、スーザンは最初、二コール・キッドマンとも思ったが、それは時たま頭をよぎるだけで特に俳優になぞらえなかった。 あとはマンクーゾ。彼のイメージは俳優は特定できないが、帽子をかぶり、肩まで掛かる天然パーマ気味の長髪と白髪交じりの口髭を生やした初老の痩身の、黒のスーツが似合う男がはっきりと浮かんだ。これはかなり正しいイメージだと思う。 こういった人物がイメージとして湧き上がるほどの性格付け、また夢の中の世界として描かれる金持ちの敷地やリトル・イタリーのレストランの描写が非常に素晴らしく、小説を読みながら映像を思い浮かべることが出来た。特にこの小説は映画好きが読めば読むほど映像を喚起できると思う。 またサッターの独白で明かされるベラローサの、サッターを自身の弁護士として取り込む手練手管の精緻さ。これが何とも懐が深く、本当にマフィアならそうするだろうと思わせるほどのリアリティがある。こういった構成が結末の悲劇への十分な裏付となっている。 しかもプロットは堅固なのに人物が前述の通り、個性豊かで単なる駒として機能しているわけではない。これらの人物ならばそれぞれこのように行動するだろうと納得させるだけの筆力があるのだ。 いやあ、神業ですよ、これは。デミルを読むと私も含め、作家を目指す人はしばらく創作意欲が無くなるのではないのだろうか。 芳醇なるワインを飲んだ心地ですな、特に読後の今は。 |
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まさかアイリッシュがこんな悲恋の物語を書こうとは思わなかった。冒頭、別人になりすました若き淑女の登場から、度重なる齟齬から発覚する、花嫁入替りの事実。その事実が発覚すると同時に主人公の巨万の富を持ち出して逃亡する花嫁。復讐の鬼と化した主人公は1年と1ヶ月と1日を費やし、とうとう彼女を捕まえる。しかし、そこで彼女の巧みな話術によって誑かされ、結局彼女とまた2人の生活を始める。それが彼の正に人生の大きな過ちの始まりだった。花嫁の捜索を頼んだ探偵を自ら殺めることで闘争の日々が始まり、拠点を転々とし、ついに私財も底を尽く。彼女に唆されて博打ぺてんを仕掛けたものの、呆気なくばれて、ついに一文無しになり、彼女は昔付き合っていた悪党に手紙を送り、とうとう主人公の保険金殺人を図るのだが・・・とまあ、波乱万丈な物語で特に主人公が復讐を成し得なかった辺りから正に先の読めない展開となり、主人公は人生の落伍者へと、花嫁は希代なる悪女へと転進していく。
この花嫁、ボニーの造型が素晴らしい。時には天使のような、時には状況の犠牲になったか弱い乙女のような、そして時には人生の酸いも甘いも経験し尽くした売女のような女として描かれ、しかもそれが全て違和感なく1人の女性としてイメージが分散しない。特に最後の辺りで主人公に毒殺を図る鬼気迫るやり取りは背筋が凍りつく思いがした。 こういった人物造型含め、心情を暗示させる風景描写、移ろいゆく人々の心情描写がアイリッシュは抜群に上手い。真似をしたい美文・名文の宝庫である。 恋は惚れた方が負けである。それは自分の人生経験でもそうだった。 しかしアイリッシュは最後までその愛を貫くことで人間は変わる、そんな美しくも儚い物語を綴ったのだ。 |
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古くは古書店で原書と遭遇した乱歩が、他人が既に購入予定で採り置きしていたものを横取りしてまで読んで、大絶賛した本書。
早川書房のミステリベスト100アンケートで第1位を獲得した本書。 また「『幻の女』を読んでいない者は幸せである。あの素晴らしい想いを堪能できるのだから」と誰かが評するまでの大傑作、『幻の女』。 とうとうこの作品を読む機会に巡り合った。 内容は既に巷間で語られているせいか、特に斬新さを感じる事は無かった。また有名な冒頭の文、「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった」に代表されるほどの美文は特に散見されなかったように思う。それはチャンドラーの文体のように酔うような読書ではなくクイクイ読ませる読書だったからだ。 しかし、当初思っていた以上にその内容は趣向を凝らし、読者を飽きさせないような作りになっているのは素晴らしい。 主人公が妻殺しの無実を証明するためにアリバイを立証する幻の女を捜すが、なぜか見つからない。ただこれだけの話かと思ったが、主人公ヘンダースンを取り巻く愛人、無二の親友が当日彼に関わったバーのバーテンダー、劇場の出演者などを執拗に探るが最後の最後で不慮の事故に遭い、徒労に終わること。これは何度となく繰り返されるプロセスなのだが、それぞれがアイデアに富んでいて非常に面白い。特に愛人のキャロルがそれら関係者の口を割らせるために執拗に付き纏う様はどちらが敵役なのか解らなくなるほど、戦慄を感じさせる凄みがあった。 そして死刑執行当日に訪れる驚愕の真相と犯人に仕掛けたトリックの妙。そして世界が崩れる音が聞こえ、理解するのに何度も読み返した。 やはり傑作は傑作であった。 しかし、私的な感想を云えば、最後に幻の女の正体が判る事は、蛇足だったのではないだろうか。幻の女は最後の最後まで幻の女であって欲しかった。 これが正直な感想である。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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今回のクーンツは近年の作品の中では上位の部類に入る力作だと思う。『ベストセラー小説の書き方』で日本を舞台にした作品を書いた件が述べられていたが本作がそれ。
この作品を書くに当ってクーンツは京都への取材はせず、日本に関する膨大な資料と日本に詳しい知人への訊き込みで書いたというが、とても信じられないほどの緻密さである。過分に日本人の礼儀正しさを賞賛しているような気がするが凡百の外国作品に見られる「日本人」=「ちょんまげ」というような荒唐無稽さは無く、当時日本に住んでいるクーンツの知人から日本に取材に行かずあれほどの物を書いたことが信じられないとの賛辞を頂いたそうだが、それも頷ける。 しかも日本での話はおつまみ程度といったものではなく、全体の8割を占めるから、日本ファンに向けてのほんの手遊びで書いたものではない事は明らかである。登場する日本人名も佐藤とか鈴木とかありふれたものではなく、またかといってニツヅカとかマクラダとか本当にいるのかと首を傾げたくなるような奇妙なものでもなく、小説として十分特徴ある人物像が描け、しかも不自然ではない名前であることも驚き。 そして凝った日本料理についても日本人であるこちらが知らないような、もしくは食べたことないような高級な物だが実在する物として容易に想像できる物である事も更なる驚きであった。通常ならばここまでだけでも9ツ星なのだが、今回はあの傑作『雷鳴の館』にも通ずるサプライズが最後に用意されており、飽きさせない。 この最後に解る登場人物の相関関係の複雑さもよく練られて書かれているし、またシェルグリン議員がなぜ我が愛娘を洗脳させたのかが納得のいく説明で解決されることも素晴らしい。 クーンツの傑作『雷鳴の館』、『ウィスパーズ』、『ウォッチャーズ』、『邪教集団トワイライトの襲撃』に比べると物語力はやや劣るかもしれないが読者に真面目に向き合うクーンツの姿勢と複雑なプロットを見事に書き上げた豪腕を評して星10とする。 |
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この作品を以って、なぜ今この現代においてでさえセイヤーズが巨匠扱いされるのか、またクリスティーと並び賞されるのかがはっきりと解った。
特に読み始めの頃はP.D.ジェイムズを読んでいるかの如くで、セイヤーズの影響をジェイムズが強く受けている事を肌身で感じた。 ある閉鎖された世界における多種多様な人々を念入りに描く、これはジェイムズが好んで使う手法だが、しかし本作はジェイムズの作品にない明るさがある。個人的にはジェイムズよりもセイヤーズの方が上だと思う。 今回オクスフォードが舞台ということで教授、学生、給仕など登場人物が半端でなく多いのだが、それでも性格付けが非常に上手く、また描き分けも見事で物語として非常に愉しめた―個人的にはヒルヤード女史が非常に印象が強い。『殺人は広告する』でセイヤーズは広告業界の内幕を描いたが、その頃に比べると出来はダントツだ。 描かれる事件が学内に陰湿な落書きや悪戯が頻発し、やがてそれが傷害事件にまで発展するというものでコージー以外何物でもない。そのため今回派手なトリック、意外な結末というのは成りを潜めている(以下ネタバレに続く)。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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ある男のひと夏の燃えるような恋の物語。島田氏の青春グラフィティかもしれない。『異邦の騎士』然り、とにかくこういう話に弱いのが私。冷静に一歩引いて本作を観察してみれば、実は喜劇であるという事実に気付くのだけれども。
物語の流れとしては何とも都合のいい展開だなという印象が強い。気の弱いストーカーが冴えない手際で不器用に憧れの君と交際するようになるという展開からしてチープであり、何らかの捻りがあるのかとずっと疑念を抱いて読んでいた。 主人公がヤクザに絡まれ、傷だらけになり、それを謎の多い彼女が看病してメイクラブに至る。更に追っ手に捕まり、かつて夢中になったバイクを駆り、救出に向かう。極々使い古された手である。 困難の末に行き着いた真相は、主人公が可哀想になるくらい呆気ないものだった。ここで生じるのはなぜ彼女が家を飛び出して1人暮らしを始めたかである。 感傷的な島田氏の筆致は上のような陳腐さを頭で解っていても、心にはびしびしと響いてくる。 こういう作品を読むと、結局、小説とは斬新さがなくとも、技術で佳作・傑作が生まれるのだなぁと改めて思った次第。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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やられた。
クーンツがこんな作品を書くなんて。 はっきり云って昨日までは世評に云われているような言葉を理解できる犬と人との交流がさほど感動的ではなく、寧ろベストセラー作家クーンツの感動させようというテクニックが透けて見え、あざとさを感じ、せいぜい9ツ星どまりだと思っていた。この評価は最後のシーンでちょこっと加点されたが、今回の「やられた」感のキモはここではない。 私は<アウトサイダー>にやられたのだ。 まさか最後の最後で<アウトサイダー>にああいう事をさせるとは思わなかった。何とも哀しい末路である。 しかしこの結末で非常にニュートラルな感慨を抱け、最後の静謐なエピローグがより際立って感じた。これこそがまさに単なる物書きと作家とを隔てるサムシング・エルスなのだ。 しかもクーンツの悪い特徴である素っ気ない結末で締め括られるわけでなく、カチッと最後のピースが当て嵌まるかの如く、素晴らしいエンディングを用意しており、心にずっしりとストーリーが残った。 殺し屋ヴィンス、追跡者レミュエル、これら脇役が全てプロットに最後の最後まで機能しているのもクーンツにしては珍しい。 文句なく満点である。 |
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毎度の事ながら連休に差しかかった読書というのは運が悪く、本書も連休のせいで途中2日間の中断を経て読了した次第。だから真相は頭に入ったが、印象は薄い。
ともあれ、本書がピーター卿シリーズの主要登場人物の1人、ハリエット・ヴェインの初登場作ということで、確かCWAかMWAの賞を貰っていたはず。つまり、ここからがセイヤーズの本領が発揮されることになるのだろう。 しかし、今回の毒殺のトリックは現在に於いても画期的ではなかろうか?正に発想の大転換である。通常ならば“如何に被害者に毒を飲ませたか?”という命題は実はもっと正確に云えば“如何に被害者のみに毒を飲ませたか?”とかなり限定されることになる。そういった先入観を与える事を見越してのこの真相。 先ほど印象が薄いと述べたが改めて振り返ってみるとしみじみその発想の凄さに感嘆する。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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外伝においても物語の属性としては派手な演出が繰り出される“動”のラインハルト編、気のおけない仲間たちのエピソードを描く“静”のヤン編という風に明確に色分けされているのが興味深い。
特に今回は同盟軍史上の英雄ブルース・アッシュビーの死の真相を探る隠密行動を強いられるというテーマで歴史の暗部を明らかにしていくこととなるのだが、それが必ずしもドキドキハラハラの演出で繰り広げられるのではなく、やる気の無いヤンのマイペースぶりで淡々と物語は進行していく。途中捕虜収容所へ着任させられ、脱走事件などが起きるものの、物語はあくまで起伏がない。 しかし、これが約40年間捕虜だったというケーフェンヒラーという人物を際立たせる効果を確実に上げている。大往生で亡くなるシーンが殊更に静謐さを湛えているのはこの淡々とした演出の御蔭であろう。 現時点においてこれが『銀英伝』シリーズの最終巻である。作者としてはまだ語り尽くせぬ思いは確実にあると思うが、それは時間が解決する事。 本統に最後なのか、それとも新たなる伝説が紡ぎ出されるのか、じっくりと待つこととしよう。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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セイヤーズは凄い!
本統に現代のミステリに通じるセンス・オヴ・ワンダーがある。 今回も例によって発端の事件は地味。いや料理屋で隣り合わせた医師が非難にあった事件にもなっていないある老嬢の死から始まる。こんな、事件にもなっていない1人の死を解こうとする無益な探偵活動から始まり、終わってみれば3人の死者と1人の殺人未遂で終わるという派手な結末となった。 ピーター卿が単純な自然死の真相を暴こうとする動機。「この世には犯罪で殺されるよりも普通に亡くなる人の方が多い。だが普通に死んだ者達の中にも殺された人がいるかもしれない。それはただ単純に発覚しなかっただけで完璧な犯罪だったんじゃなかろうか。6人殺した毒殺魔が7人目を殺した時に捕まるのも、6人目までの手際が良くて発覚しなかっただけなんだ」という趣旨の台詞を述べる。おもわず頷いた。 最終的にはかなり凄惨な事件だった。読むのに苦労したが苦労して読んだ甲斐が大いにあった。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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初めの方は読んでも読んでも全然頭に入らず、どうにもこうにもつまらないという感じだったが、後半辺りから何かしら事件の実態が見え始めたせいか、グイグイと惹き寄せられた。
黄金期の作家のデビュー作らしく、事件は至ってシンプルで、或る冴えない建築家の風呂場に見知らぬ死体が紛れ込んで、それがどうも行方不明になった富豪のものらしいがどうも違うらしいというのが大筋。一見何の変哲もない設定のように思えたがこれが実に練り上げられた設定だった。死体を殺人事件の被害者と見せかけることなく、処理する方法としてこんな方法もあるのかとそのロジックに感心した。 本来ならば七ツ星なんだろうが、このシーン(ネタバレ参照)で惚れた。単なる貴族探偵じゃないぞ、ピーター卿は! ▼以下、ネタバレ感想 |
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本作は天藤版リーガル・ミステリ集とでも云おうか、9編中5編が法廷を舞台にしたミステリでそのどれもが傑作。
設定から結末まで一貫してユニークな「公平について」はもとより、中篇の表題作の何とも云えない爽快感。天藤真はシンプルな題名によくダブル・ミーニングを持たせるが本作もそれ。それがさらに効果を上げている。 そして「赤い鴉」、「或る殺人」の哀愁漂う結末。ドイルの短編「五十年後」や島田の『奇想、天を動かす』などに見られる膨大な人生の喪失感を思わせる深い作品となっている。特に後者は当時似たような事件があったのだろうか、行間から作者の肉体労働者に対する社会からの蔑視に対する怒りが沸々と湧き出てくるようだ。 意外だったのは最後のショートショート2編。これもまた佳作といえる小品だろう。しかしこういった人情法廷物が天藤のテイストと非常にマッチしているとは新しい発見であった。 まだあるのだろうか?ある事を切に願う。 |
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ラインハルトがまだミューゼル姓だった頃の、まだヤンが一介の大佐で本領を発揮する1年前の頃の話であるため、ごく初期に出演した面々がいくつか顔を見せ、こんな人物だったのかと想像を膨らまさせてくれる。
また後に中心人物の1人として活躍するロイエンタール、ミッテンマイヤーは勿論のこと、ビッテンフェルトやケンプ、そしてケスラーと錚々たる面々も現れ、非常に心をくすぐられる。 今回の中心はやはりシェーンコップと帝国軍に寝返った元上司リューネブルクとの関係にあるだろう。特にシェーンコップが若く、ヴァンフリート4=2星で図らずも軍の指揮を執るエピソードなど興味深い。こういった本編で語られなかった各登場人物の外枠の挿話、また知られざる登場人物間の相関関係を補完する事で物語としての深化を行い、正に外伝の長所を余す所なく利用している作者の手際に賞賛を贈る。 また本編では設定上語ることの出来なかったラインハルトとキルヒアイスとの関係が如何に深く、強いものであるかを説くのもこの外伝の本当の意義の1つであろう。 今回惜しまれるのはリューネブルクが何故斜に構えて人に接するかという理由付けが成されなかったこと。作者の狙いはリューネブルクと他の登場人物とを絡ませることで仄めかそうとしたのだろうが、成功しているようには思えない。寧ろ最終章の初めにエリザベートが兄を殺害するに至った経緯をケスラーがラインハルトに説明する節においてリューネブルクについても触れておれば性格付けの効果も大きかっただろう。非常に勿体無い(このエピソードで第6章のリューネブルクが妻に向ける台詞の意味が全く変わってしまうのが見事であるだけに本当に惜しい)。 |
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来た、来た、来たぁ~!シビレまくりのこの逸品!オイラはホンマに幸福者やぁ!も~、最高!
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巻措く能わず、とはこのことなのかと今回実感した。
いや、しかし、今回もなかなかに読ませる。プロット自体は特に斬新ではなく寧ろ地味なのだが、設定や登場人物の動かし方に匠の技が効いていて、350ページ弱を思う存分、愉しませてくれる。 今回の目玉はやはり5人の男に送られた妻からの殺人予告状でこれがどの誰を指すのか判らないという点が面白い。しかし作者はこのワンアイデアで最後まで引っ張るのではなく、130ページを過ぎた辺りであっさりと5人の内1人に絞り込むのだ。実はここからが天藤真の天藤真たる所以で、今まで微妙な利害関係で成り立っていた彼(女)らを1つの探偵チームとして機能させていく所がミソ。しかも各々の職業の特性を活かしながら。 私自身面白かったのはこの5人が抱えている問題がひょんな事件をきっかけに解決の方向に向かう所で、特に主人公格の羽鳥の妻との問題はサブストーリーとして○。 しかし今回はやはり第3部の存在、これが読者諸氏の感慨を非常に左右すると思われる。第3部は不要で第2部まででよかったのではないかという声と、いややはり第3部はこのストーリーの最後のどんでん返しとして必要だという声が当時あったのではないだろうか? 私は、と云えば…まあ、上の星評価で判断してもらいたい。 |
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全く以って天藤真は素晴らしい。またも我々ミステリ・ファンを興奮させる趣向でもてなしてくれた。前回の感想で天藤ワールドの開幕を宣言したが、それが疑いなく証明されたことが本作で明らかになった。
今回は今までの三人称叙述から一人称叙述と、しかも少々ある種の緊張感を持った文体へ変え、新たな地平を目指しているのがまた頼もしい。題名はもう少しどうにかして欲しいというのが本音だが、内容は今までに比べ、結構ハードだ。何しろ題名のように7人もの死者が出るという虐殺劇である。 更に今回感心したのが狙われる主人公が筋金入りの色魔で大会社の社長であり、街の大権力者という読者に同情を許さない人物に設定した点にある。これが故に本来ならば悪人が最後に笑うというざらついた読後感を残す所を従来の天藤作品同様、一種の爽やかさを備えている点、脱帽である。 ただ贅沢な事を云えば、ここまでをしてもやはり星10個には届かない。『大誘拐』級の痛快さとかズドンと来る衝撃がなければどれほど巧みな設定であっても9ツ星止まりなのだ。ただやはり天藤作品はクオリティが高いのは心底痛感した。 |
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