ゴールド・コースト
- 別荘 (163)
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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ネルソン・デミルは2冊目の読了になりますが、前に読んだ「誓約」とは違った魅力がありました。ウィットに富んだ言い回しにニヤッとすることも幾度か。最初から最後まで同じテンションで読めました。 | ||||
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いやはや、デミル、貴方は上手い、上手過ぎる!! | ||||
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ゴールドコーストを読むまで、ネルソンデミルのイメージは本格的なミステリー作家でした。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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アメリカ最大とされる高級住宅に住む弁護士の隣にマフィアのドンが越してきて・・・というお話。 価値観が変わって変貌を迫られるアメリカの上流階層の悲運をユーモアとペーソスを絡めて描いた一大娯楽小説。よりによって全米最大のマフィアのドンと関わることで自分や自分と関わりのある人々との関係が変わり、自分たちの時代が黄昏を迎えた男の辿る精神的冒険小説。「人間生活のあらゆるできごとには栄枯盛衰がつきものだ。建築があり、取り壊しがある。長い歴史のうちにも、個々の短い人生のなかにも、束の間の素晴らしい瞬間がある。奇跡があり皮肉がある。実現する夢もあり、ついには実らぬ夢もあるのだ。」と最期の方で主人公が述懐するところがありますが、これがとりもなおさず本書の要約になっていると思いました。 才人デミルのもしかしたら最高傑作かもしれない傑作小説。是非ご一読を。 | ||||
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’92年、「このミステリーがすごい!」海外編で第7位にランクインしたネルソン・デミルの大作。舞台はタイトルどおりの“ゴールド・コースト”であるが、有名なオーストラリアの観光地ではない。アメリカはニューヨーク州ロングアイランドのうち、ニューヨーク市に隣接するナッソー郡の北海岸を指す俗称である。ここは大金持ちの超弩級の高級邸宅が建ちならんでいる。 物語はそんな大邸宅のひとつに住む‘わたし’ことジョン・サッターの隣にマフィアのドンであるフランク・ベラローサが引っ越してきたことから始まる。それから善良なる市民にして有能な弁護士である‘わたし’は、精神的、経済的、職業上、社交上の激烈な変化を体験し、また結婚生活も思いがけない局面を迎える。やがて訪れる悲劇的な結末。 本書は、‘わたし’とベラローサというまったく違う世界に生きる者の対比と両者の奇妙な感情の交流を、一人称で、時にはユーモラスに、時にはシニカルに、そしてシリアスに描いているが、‘わたし’の軽妙な語り口、そのウィット、ペーソス、ユニークな夫婦間の性生活のやりとり、そして登場人物たちの会話の冴えが大きな読みどころである。 しかしこの物語のメインテーマはかつての超大国アメリカの’90年前後の衰退ぶりであろう。何代にもわたって栄華を誇ってきた大富豪たちも昔日の暮らしは望むべくもない。ゴールド・コーストの荘園的大邸宅も人手に渡り、近代的分譲住宅となるのだ。そんな町の変貌の象徴がマフィアのドンなのである。 本書は、骨太な軍事ものやスパイもの、スケールの大きなテロ事件ものなどを書くことで有名なあのネルソン・デミルが、「こんな小説も書けるんだぞ」と打って出た異色作である。 | ||||
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’92年、「このミステリーがすごい!」海外編で第7位にランクインしたネルソン・デミルの大作。舞台はタイトルどおりの“ゴールド・コースト”であるが、有名なオーストラリアの観光地ではない。アメリカはニューヨーク州ロングアイランドのうち、ニューヨーク市に隣接するナッソー郡の北海岸を指す俗称である。ここは大金持ちの超弩級の高級邸宅が建ちならんでいる。 物語はそんな大邸宅のひとつに住む‘わたし’ことジョン・サッターの隣にマフィアのドンであるフランク・ベラローサが引っ越してきたことから始まる。それから善良なる市民にして有能な弁護士である‘わたし’は、精神的、経済的、職業上、社交上の激烈な変化を体験し、また結婚生活も思いがけない局面を迎える。やがて訪れる悲劇的な結末。 本書は、‘わたし’とベラローサというまったく違う世界に生きる者の対比と両者の奇妙な感情の交流を、一人称で、時にはユーモラスに、時にはシニカルに、そしてシリアスに描いているが、‘わたし’の軽妙な語り口、そのウィット、ペーソス、ユニークな夫婦間の性生活のやりとり、そして登場人物たちの会話の冴えが大きな読みどころである。 しかしこの物語のメインテーマはかつての超大国アメリカの’90年前後の衰退ぶりであろう。何代にもわたって栄華を誇ってきた大富豪たちも昔日の暮らしは望むべくもない。ゴールド・コーストの荘園的大邸宅も人手に渡り、近代的分譲住宅となるのだ。そんな町の変貌の象徴がマフィアのドンなのである。 本書は、骨太な軍事ものやスパイもの、スケールの大きなテロ事件ものなどを書くことで有名なあのネルソン・デミルが、「こんな小説も書けるんだぞ」と打って出た異色作である。 | ||||
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DeMilleの作品は、John Corey シリーズしか読んだ事がなくその軽妙さが好きで、シリーズをすべて読み終わった後、この作品に出合った。全く質の違う作品で同じ作家とは思えないものであるが、その語りを中心にしたストリーに非常にずっしりしたものを感じた。軽妙さを予想していた者としては、予想がはずれた喜びを感じた。続編もペーパーバックになり、その続きを楽しみにしている。 ずっしりしていて読むのに多少時間がかかるかもしれませんが、語りの行間を丁寧に味わう作品です。 | ||||
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久しぶりにガツンとくる小説をよみました。 よくあるミステリーとはぜんぜん違う、特別なタイプの小説です。 正直上巻は少々だるいのですが、下巻になると面白さの度が一気に上がり、最後は一級のラストで終わります。 一見マフィアの隣人と主人公の物語のように思われますが、実際は夫婦の物語であり、その切なさは、そんじょそこらの恋愛小説の比ではありません。 | ||||
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