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Tetchy さんのレビュー一覧

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レビュー数889

全889件 801~820 41/45ページ

※ネタバレかもしれない感想文は閉じた状態で一覧にしています。
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No.89:
(8pt)

なんとも愛すべきレギュラーメンバーたち!

たった350ページ強の厚さなのに各々のキャラクター性を鮮やかに造詣し、しかもストーリーを見事に着地させる。
プロットはしっかり練られていたが、軽妙さのためか、さほど驚きは感じられなかった。これは恐らく私の姿勢が悪いのだろう。
でも最終的な感想としては、実に愉しい読書だったなあ、ということ。回を重ねる毎に、ジョン・ロウ、ギデオン・オリヴァー、そしてその妻ジュリーが素晴らしくて、実際に友達になりたいな、とまで思ってしまいました。
楽園の骨 (ミステリアス・プレス文庫)
アーロン・エルキンズ楽園の骨 についてのレビュー
No.88:
(8pt)

キャロル作品の個人的ベスト

今まで読んできたキャロルの小説の中では『死者の書』に次いでベスト。
つまりは、魔法とか呪いとか、非現実な要素が無かったことが一番の特徴で、故に登場人物がその個性だけで描かれていたことが良かった。挿話がふんだんに盛り込まれ、それらはそれなりに興味深いのだがあと一歩、足りないものがある。それはリーダビリティーの要因である知的好奇心の喚起ではなかろうか?
どうも読んでて、さて次はどうなるって気持ちにならないんだなぁ。
沈黙のあと (創元推理文庫)
ジョナサン・キャロル沈黙のあと についてのレビュー
No.87:
(7pt)

記憶に残る短編集

この本を読むのは2回目だが、「舞踏病」以外の他の3編は内容を憶えていた。実はよく考えるとこれは凄い事で、これは如何にこの短編集が自身にとって印象深かった事を須らく証明していることになる、のだが、「今」読み終わった感想としては、いささか荒唐無稽に過ぎる内容だなと認めざるを得なかった。
しかし、「ある騎士の物語」のセンチメンタリズムは今なお健在だった事、「近況報告」の難解さは久方振りの頭脳労働を楽しめた事を付記しておこう。これは偽らざる感想なのだから。
御手洗潔のダンス (講談社文庫)
島田荘司御手洗潔のダンス についてのレビュー
No.86:
(7pt)

ミステリをまだそれほど読んでいない人たちに

これはミステリを読み始めた頃に読んでいたら傑作だったかもしれない。
怪盗紳士ルパン (ハヤカワ文庫 HM)
モーリス・ルブラン怪盗紳士ルパン についてのレビュー
No.85:
(7pt)

爽やかシミタツ!

秩父の山奥の集落を舞台にした田園小説の意匠を纏ったハードボイルド小説か。田園小説とは英国文学が本場なのだが、本書は日本の田舎を舞台にした、故郷小説ともいうべき農耕文化がそこここに挟まれ、日本人の魂の根源を感じさせられる。
北方領土、海男の厳しい戦いを描いたシミタツがこんな老成した境地にまで達したのかと思うと感慨深いものがある。
悪徳不動産業者との戦いが軸なのだが終始爽やかで、派手ではないが美味しい緑茶を飲んだような爽快感がある。
帰りなん、いざ (新潮文庫)
志水辰夫帰りなん、いざ についてのレビュー
No.84:
(7pt)

これがシミタツのベストではない!

シミタツ作品で一番エントリー数多いなぁ・・・。シミタツ読者としてはこれを読んでシミタツを解ったように思って欲しくはないのだが。
『このミス』1位の宣伝文句は単に購買意欲をそそっているだけで変な先入観をもたらしているだけ。非常に邪魔だ。
主人公に都合の良すぎる展開や身勝手すぎる登場人物たちという声が多く、それについては同意する。私の中でも本書はシミタツ作品10本の指に入っても上位ではない。もっと面白い作品があるのでこれに懲りず、もっと手を出して欲しい。
しかし文庫の表紙の絵は、不倫の香りがするなぁ・・・。
行きずりの街 (新潮文庫)
志水辰夫行きずりの街 についてのレビュー
No.83:
(7pt)

けっこう好きなんだけどなぁ

前作『あっちが上海』に続くスラップスティック・エスピオナージュ小説。CIAやらFBIやらモサドやらが出てきて相変わらずドタバタ劇が繰り広げられる。
表紙に書かれた奇妙な動物は中身を見てからのお愉しみということで。
この後、志水氏は『そっちは黄海』という作品を書いて三部作にしようとしたらしいが、やめたらしい。理由は・・・ほとんど売れなかったからだと!
こっちは渤海 (集英社文庫)
志水辰夫こっちは渤海 についてのレビュー
No.82:
(7pt)

いつにもまして地味

全体的に地味な作品。いや、シミタツの作品は総じて地味なんだけど、耐える男と女の感情の迸りが行間からにじみ出て、地味ながらも非常に濃厚な叙情性を感じるのだが、これに関してはとりあえず金塊強奪を設定してヤクザとか絡めて物語を動かしてみるかといった、浅慮のままで書いてしまったようにどうしても感じてしまう。
最後の唐突に主人公が告白する裏切り者の正体を見抜く根拠が小説では解らない臭いが手掛かりだったので苦笑した。
しかしそれでも最後にシミタツ節溢れる闘争シーンがあるのだから大した物だ。
狼でもなく (徳間文庫)
志水辰夫狼でもなく についてのレビュー
No.81:
(7pt)

シリアス路線の作家が書いたいきなりのスラップスティック小説

表紙のエグさにドン引きするが、これはシミタツによるスラップスティック・エスピオナージュ、もしくはスラップスティック・コンゲーム小説とでも云おうか。とにかく前2作で振るった緊迫感溢れ、叙情豊かな独特のシミタツ節は成りを潜め、びっくりするほど軽妙に物語は展開する。冒険小説の詩人という位置付けだっただけに、このいきなりの作風転換はかなりビックリした。そして面白いのだから畏れ入る。
いやあ、ギャグも書けるのか、シミタツは、と感心した一冊。
あっちが上海 (集英社文庫)
志水辰夫あっちが上海 についてのレビュー
No.80:
(7pt)

受賞作って相性が悪いのかも?

『飢えて狼』、『裂けて海峡』、『背いて故郷』とシミタツの冒険小説三部作と云われており、しかも本作は日本推理作家協会賞受賞作である。前2作は私のお気に入りでもあり、さらにこれはその上を行くのかと期待して読んだが、案に反して琴線に触れなかった。とにかく長いと感じた。しかもなんだか主人公が自虐的ながらも自分勝手な性格で、自分に酔っているという感じが終始拭えなかった。
まあ、本作も海洋業を生業とする人物設定であるから、ちょっと飽きが来たのかもしれない。北国の寒さだけが印象に残った。
背いて故郷 (新潮文庫)
志水辰夫背いて故郷 についてのレビュー
No.79:
(8pt)

ラストの三行は歴史に残る名文!

なんともやるせない物語。
つつましく小さな会社を経営していた男が、己の矜持を守るために掛け違えたボタン。それが終末への序章だった。望むと望まざるとに関わらず、主人公長尾に振りかかる災厄の数々。徒手空拳で立ち向かう彼と彼を慕う女性2人の姿が痛々しい。正に昭和の男と女の物語だ。
そして空虚感漂うラストの三行は今なおシミタツ作品の中でも金字塔として残る名文とされている。復刊された新潮文庫版よりオリジナルのこっちの方が断然好きだ。
裂けて海峡 (新潮文庫)
志水辰夫裂けて海峡 についてのレビュー
No.78: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

字面さえも怖い

大学でミステリに目覚めた私が各種ガイドブックを読み漁って、手当たり次第にその道の作家の作品に手を出していたのは既に別の感想でも述べたが、その中の1人に竹本健治氏がいた。
この作家の代表作として必ず挙がるのが『匣の中の失楽』。しかしこの作品は当時絶版であった。数年後どこかの書店でノベルス版を見かけたが、文庫本で購入することを原則としているので文庫落ちをじっと待っているような感じだった。
とにかくいわゆる新本格ミステリ作家の方々が影響を受けた作品としても『匣の中の~』の名はたびたび挙がっていたので、この竹本健治という作家の作品とはいかなるものかと各社の文庫目録を調べてみたところ、ほとんど作品がなく、唯一角川文庫だけがこの作品を文庫で出版していた。現在は竹本氏の文庫は各出版社から出ており、容易に購入できるが、90年代当時は実に稀少だったのだ。

本書の舞台は元産婦人科医院を改装した「樹影荘」というアパートを舞台にした作品である。そこに住む男女はどこか歪んでおり、屈折した性格を持っている。そんな彼らに起こる奇怪な出来事。虫が這いずり回り、天井から血がしたたり、生首を思わせるマネキンの首が玄関に放り込まれる。便所には「死」の文字が殴り書きされ、廊下一面に血が流される。そんな怪異に住人たちも疑心暗鬼に捉われ、お互いを疑い出す。やがて住民の1人が首吊自殺を遂げる。それがカタストロフィの始まりだった。

この作品を読むまで私はホラー小説を読んだことがなかった。文字で人を怖がらせるなんて到底できるものではないと高を括っていたのだが、それが間違いだと気づかされたのがこの作品。とにかく怖い。書かれている内容もそうだが、並んでいる文字の字面が怖い。あとがきによればとにかく怖い文章を書こうと使う単語を吟味し、漢字からひらがなの表記、つまり文字が与える印象までを徹底的に考え抜いたのだそうだ。その成果は竹本氏の期待以上に出ている。常に湿り気を纏ったようなじとじとしたような印象と指に血が付いてこすり合わせた時に感じる、あの粘着感。特に最初の産婦人科時代に行われた中絶場面など、いきなりこれかよ!と気持ち悪さに身悶えしたものだ。
昭和の安アパートを思わせる「樹影荘」も舞台効果が抜群だ。六畳一間の日焼けした畳敷きの部屋に天井から1本ぶら下がる裸電球。部屋の隅には照明が届かず、影が常に下りている。そんな風景が終始頭に浮かんでいた。
この作品との出逢いがなければ私は竹本氏の作品を追う事はなかっただろう。数ある作品の中で当時本書のみを文庫として残していた角川書店に感謝したい。


▼以下、ネタバレ感想
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狂い壁 狂い窓 (講談社文庫)
竹本健治狂い壁 狂い窓 についてのレビュー
No.77: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

有名長編の原型収録

東京創元社によるオリジナル短編集第4集。
収録作は表題作、「カーテン」、「ヌーン街で拾ったもの」、「青銅の扉」、「女で試せ」の短編5編。

表題作の主人公には名がないが、マーロウだというのが定説になっている。これは『大いなる眠り』の原形とされる作品。
「カーテン」は探偵カーマディが、逃亡幇助を頼まれた友人のラリーが結局自分一人で逃げた矢先に殺されてしまった事から、ラリーの関わった友人の捜索に乗り出す。
金持ちの依頼人と蘭の温室で対面するシーンは確かに『大いなる眠り』にも見られたシーン。

「ヌーン街で拾ったもの」はヌーン街で見かけた金髪の女性の代わりに、一台の高級車から落とされた荷物を拾ったことからハリウッドスターとマフィアとのある企みに巻き込まれる話。

「青銅の扉」は夫婦仲の悪いうだつの上がらない亭主が散歩中、出くわした馬車に連れられ、ある骨董商の競売に参加し、そこで青銅の扉を手に入れるところから物語は始まる。この重厚な扉は実は時空の狭間とも云うべき無の空間に繋がる扉で、主人公がこの扉で気に食わない人間を次々に消してしまうという話だ。

「女を試せ」では再びカーマディが登場。ギリシア人の床屋の主人の捜索でセントラル・アベニューを訪れたカーマディが、たまたま出くわした大男スティーブ・スカラに否応無く彼のかつて愛した女ビューラの捜索に巻き込まれる話。
ここで現れる一人の女を追い掛ける大男は大鹿マロイではなく、スティーブ・スカラ。最後の幕引きも同じようなものだったか?凶暴かつ乱暴で野獣のように思われた大男。自分の目的のためには人を殺す事も躊躇わない大男。だのに女にはこの上ない優しさを見せる。自分を撃った女に対して「放っておいてやれ。やつを愛していたんだろう」と慈悲を与える不思議な魅力を持った男だ。こういう男は多分に母親の愛情に飢えていたのだと思われる。

本作では『大いなる眠り』と『さらば愛しき女よ』というチャンドラーの2大傑作の原型となった作品が読める。長編と読み比べてどう変わったのか確認してみるのもまた面白いだろう。
従ってベストは「女を試せ」。次点は変り種「青銅の扉」か。

この東京創元社が編んだ短編集には抜けている作品もあり、これらを全て補完したのが後年早川書房から出た文庫版短編集である。ただあちらはこちらと区別するためか題名が原題のカタカナ表記であり、なんとも味気ない感じがする。チャンドラーの持つ叙情性は日本語の美しさと通じるものがあると私は思っているのだが、それが見事に損なわれている。
表紙も含め、チャンドラーのイメージに合うのはこちらの短編集なのだがチャンドラーの作品を網羅しようと思うと物足りない。チャンドラリアンにとって日本の出版事情とはなんとも具合の悪いことだろうか。


▼以下、ネタバレ感想
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雨の殺人者  チャンドラー短編全集 (4)   創元推理文庫 (131‐6)
No.76: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

「簡単な殺人法」は必読のエッセイ

東京創元社によるオリジナル短編集第2集。
収録作は「事件屋稼業」、「ネヴァダ・ガス」、「指さす男」、「黄色いキング」の短編4編にエッセイ「簡単な殺人法」。ベストは「ネヴァダ・ガス」、「簡単な殺人法」。以下、かいつまんで感想を述べる。

「事件屋稼業」はけっこう散文的な内容で、犯人はチャンドラーの定番ともいうべき人物。しかし、依頼を受けて最初に訪れたところに死体があるっていうのはもはやチャンドラーの物語のセオリーのようになってきている。殺す対象が違うような感じもし、犯人の動機もちょっと説得力に欠ける。ただ出てくる登場人物が全て特徴的。最初のアンナからジーター、アーボガスト、ハリエットにフリスキーとワックスノーズの悪党コンビ。そしてマーティー・エステルと、一癖も二癖もある人物が勢ぞろいだ。この作品からプロットよりも雰囲気を重視しだしたのかもしれない。

「ネヴァダ・ガス」は他の短編に比べ、いきなり毒ガス車で人が処刑されるシーンという読者を惹きつける場面から幕が開けるのがまず印象深い。この導入部はハリウッド・ムービーを想起させる。この時既にチャンドラーはハリウッドの脚本家として働いていたのだろう。

「黄色いキング」のレオパーディ殺害の真相は、ちょっとアンフェア。もうちょっと何かがほしかった。レオパーディの造形は良かったが、ちょっと物足りない。
ただ1つ印象に残った文章があった。
「(スパニッシュ・バンドが低く奏でる蠱惑的なメロディは、)音楽というより、思い出に近い」
音楽に関して時折感じる感傷的なムードをこれほど的確に表した表現を私は知らない。どう逆立ちしても思いつかない文章だ。

歴史に残る名エッセイは何かと問われれば私はこの「簡単な殺人法」を挙げる。これはチャンドラーが探偵小説に関する自らの考察を述べた一種の評論。論中で古典的名作を評されているA・A・ミルンの『赤い館の秘密』、ベントリーの『トレント最後の事件』、その他作家名のみ挙げた諸作についてリアリティに欠けるという痛烈な批判をかましている。
その前段に書かれている「厳しい言葉をならべるが、ぎくりとしないでほしい。たかが言葉なのだから。」という一文はあまりにも有名。
本論では探偵(推理)小説とよく比較される純文学・普通小説を本格小説と表現している。そしてこの時代においては探偵小説は出版社としてはあまり売れない商品だと述べられており、ミステリの諸作がベストセラーランキングに上がる昨今の状況を鑑みると隔世の感がある。
チャンドラーはこの論の中で、フォーマットも変わらぬ、毎度同じような内容でタイトルと探偵のキャラクターである一定の売り上げを出す凡作について嘆かわしいと語っている。しかし私にしてみれば、チャンドラーの作品もフォーマットは変わらず、探偵や設定、そして微妙に犯行内容が違うだけと感じるので、あまり人のことは云えないのでは?と思ってしまう。
またセイヤーズの意見に関して同意を示しているのが興味深い。その中でチャンドラーは傑作という物は決して奇を衒ったもの、人智を超えたアイデアであるとは限らず、同じような題材・設定をどのように書くかによると述べている。これは私も最近、しばしば感じることで、ミステリとはアイデアではなく、書き方なのだと考えが一致していることが興味深かった。
最後に締めくくられるのは魅力のある主人公を設定すれば、それは芸術足りえる物になるという主張だ。そこに書かれる魅力ある主人公の設定はフィリップ・マーロウその人を表している。その是非については異論があろうが、間違いなくチャンドラーはアメリカ文学において偉大なる功績を残し、彼の作品が聖典の1つとなっていることから、これも文学の高みを目指した1人の作家の主義だと受け入れられる。つまり本作は最終的にはチャンドラーの小説作法について述べられているというわけだ。

本書はこの「簡単な殺人法」を読むだけでも一読の価値がある。世のハードボイルド作家はこのエッセイを読み、気持ちを奮い立たせたに違いない。卑しい街を行く騎士など男の女々しいロマンシズムが生んだ虚像だと云い捨てる作家もいるが、こんな現代だからこそ、こういう男が必要なのだ。LAに失望し、LAに希望を見出そうとした作家チャンドラーの慟哭と断固たる決意をこのエッセイと収録作を読んで感じて欲しい。

チャンドラー短編全集 事件屋稼業 (創元推理文庫)
No.75: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

脇役が光る短編もあり

東京創元社は作家の短編を集めた短編集を出版しているが、これが独自に編纂されたものがほとんどだ。数十年後、早川書房が村上春樹氏による『長いお別れ』の新訳版『ロング・グッドバイ』を出版した際、時系列に全ての短編を網羅した短編集を出版した。それらについての感想は後日述べることにする。

収録作は「脅迫者は撃たない」、「赤い風」、「金魚」、「山には犯罪なし」の4編が収められている。後日読んだ感想でしかもはや語れないが、ベストは「金魚」、次点で「赤い風」となる。

正直、1作目の「脅迫者は撃たない」は十分に理解できていないほどの複雑さ、というよりもチャンドラー自身も流れに任せて書いているようで、プロット的には破綻しているように思われた。しかしそれ以外は、最後はきちんと収まり、読後なかなか練られたストーリーだと感心する。その流れるようなストーリー展開から非常に粗筋を纏めるのが難しい作者なのだと気付く。しかしそれでいて読みながら物語と設定が説明なしにするすると入ってくるのだから、やはりチャンドラー、巧い、巧すぎる。

「赤い風」の特色はマーロウ自身が自ら事件に乗り出す趣向を取っている。発端はバーでいきなり殺人事件に巻き込まれるが、それ以降は自ら渦中の女を助け、その女に手を貸すといった具合だ。マーロウの視点で語る本作も、プロットは複雑な様相で物語が流れる。物語の終盤、マーロウの口から語られる事件の顛末は実にシンプルな物であることが解り、チャンドラーのストーリーテリングの妙味がはっきりとわかる。
女のために金にもならない危険を冒すところに他の探偵とは一線を画す設定がある。
また終盤に俄然存在感を増すイタリア系刑事のイバーラが非常にカッコイイ。この作品の影の主役と云えるだろう。全然動じないその物腰と肝の据わった態度はマーロウをまだ駆け出しの探偵のようにあしらう。そうこの作品のマーロウはまだ若きフィリップなのだ。このイバーラ、確か他の作品では見なかったように記憶しているが、たった一編の短編で終えるには実に惜しいキャラクターである。

「金魚」はこれぞハードボイルドだといわんばかりの作品。大人しい題名に舐めてかかると、かなりショックを与えられるハードな好編だ。この作品については『レイディ・イン・ザ・レイク』の感想で存分に述べるのでこれだけにとどめたい。

「山には犯罪なし」はもう典型的なチャンドラー・ハードボイルド・ストーリー。今まで読んできた短編と展開は同じく、探偵は右往左往と迷走しつつ、事件の本質に辿り着く。

一つ含蓄溢れた台詞があったので、ここに抜き出しておく。
「主人はあまりにも秘密を持ちすぎます。女性のまわりで秘密を持ちすぎるのは間違いです。」
これらの作品はマーロウの原型となった探偵たち。「赤い風」、「金魚」に出てくるマーロウは後年チャンドラーによって名前を書き換えられた探偵で元々マーロウではない。しかしあまりその造形は長編のマーロウと変わらないように感じた。
しかし短編でこれだけこねくり回したプロットを使うとは思わなかった。ただ中には果たして最初からこんな複雑な構想だったのかと疑問を感じるものがあるが。


▼以下、ネタバレ感想
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赤い風 (創元推理文庫 131-3 チャンドラー短編全集 1)
No.74: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

あの有名なセリフはこの作品にある

ミステリで最も印象的な文章は何?と訊かれた時に、真っ先に思いついたのはこの台詞、

「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている価値がない」

だった。フィリップ・マーロウの代名詞とも云えるこの台詞が出てくるのはチャンドラー最後の長編である本作なのだ。

マーロウは馴染みのない弁護士からある女性の尾行を頼まれる。弁護士が指示した駅に行くと確かにそこには女がいた。その女は男と会話したり、コーヒーを飲んだり、暇を潰していたが、やがて動き出した。付いた場所はサンディエゴのホテル。マーロウは彼女の部屋の隣に部屋を取り、盗聴する。やがて駅で話していた男が現れ、その女性ベティに無心する。マーロウはベティの部屋に入ってその男を殴るが、逆にベティに殴られてしまう。
その後ホテルを移ったと思われたベティがマーロウの部屋に現れ、無心をした男ミッチェルが移転先のホテルで死体になっているという。しかしマーロウが行ってみると死体はなかった。

長編の中でも一番短い本書はあまり事件も入り組んでいなくて理解しやすい。登場するキャラクターも立っているので十分満足できる。
ただシリーズの最後を飾る作品としては物足りなさ過ぎる。
逆に本作がマーロウシリーズの入門書としてもいいかもしれない。

この頃のチャンドラーはもう精神的にも肉体的にもボロボロだったらしい。『長いお別れ』を発表してからの5年間は愛妻の死、イギリス政府と泥仕合をすることになった国籍問題、そしてそれらが心を蝕んだ故にアルコールに溺れ、治療のための入院など、まさに人生としての終焉を迎えているかのようだ。そんな中で書いたのが本作。だからなんとなくマーロウも“らしくない”。そして本作発表の1年後、チャンドラーは没する。

そしてこの題名。これは全く内容と関係ない。“バック”と付いていることから前向きではなく、後ろ向きであることがうかがえる。これはもしかしたら既に自分の作家としての能力に限界を感じたチャンドラーが昔の全盛期をもう一度と望んだ心の叫びなのかもしれない。
舞台がロスでないなど、マーロウにこだわる読者の中では色々と不満があるようだが、個人的にはやはりあの台詞に出逢えた事がうれしく、十分満足できた。

プレイバック (創元推理文庫)
レイモンド・チャンドラープレイバック についてのレビュー
No.73: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

チャンドラーのハリウッドへの恨み節か。

『大いなる眠り』から『湖中の女』までチャンドラーはほぼ年1作のペースでコンスタントに作品を発表していたが、本作は6年と非常に長いスパンを空けて発表されている。
これには理由があって、その間、チャンドラーは脚本家としてハリウッドに招かれ、働いていたのだった。この頃の経験について、チャンドラーはあまりいい印象を持っていないことをエッセイや自伝で吐露しており、それがこの作品に影響がもろに出ている。
余談になるがエラリー・クイーンもハリウッドの脚本家をした後、やはりハリウッドを舞台にした作品をいくつか書いている。やはり当時の作家にとってハリウッドというのは「事実は小説よりも奇なり」を地で行く特殊な世界であり、作品の題材として書かずにはいられない物があったのだろうと思われる。
本書は今までLAを舞台にしながら一切触れる事のなかったハリウッド映画界の内幕が舞台となっている。

若い娘の依頼で兄の捜索を引き受けることになったマーロウは兄のアパートに行くと、そこで管理人が殺されていた。知らない男から電話がかかり、男が指定するホテルに行くと電話の相手と思しき男は殺されており、サングラスをかけ、銃を持った女に気絶させられる。
女の正体はホテル探偵が見ていた車のナンバーから判明する。売り出しの若手女優だった。マーロウはその女優の許を訪れて問い質すが、女優は全てを一切否定する。
事務所に帰るとギャングが訪れ、事件から手を引くように脅される。体よく撃退するが、いつの間にかマーロウは自身がきな臭い事件にどっぷり浸かっていることに気づく。

とにかく複雑な内容の作品。場面転換も多く、プロットも二転三転するのでストーリーを追うのに苦労し、内容について十分理解していない。メモを取りながら再読する必要がありそうだ。
上に書いた内容どおり、どこにでもありそうな探偵を主人公にした映画のような展開を示す。特にハリウッドに関する筆致は終始異様で常識外れな連中が跋扈することをあげつらう形になっており、チャンドラーにとってハリウッドは伏魔殿のようにどうやら映ったようだ。

作品の出来はあまりよくない。本を読まない人がイメージだけで描くハードボイルド小説の典型のような作品である。ただ本書でも隠された人間関係の歪みが最後に解る。今までロスマクへの影響と繰言のように述べていたが、逆にロスマクはチャンドラーの後継者たらんとしたことが解る。

読んでいる最中、本書が一番詰まらなかった。早く終らないかと思いながら読んでいた。確か最後に読んだ長編が本作で、既に飽きが来ていた事もある。でもそんな作品でも最後に琴線に触れる名文が出ることで評価が凡作から佳作へ上がるのだから、まさにこれはチャンドラーマジックと云えるかも。単純に私がチャンドラーの文体が好きなだけだから、万人がそうだとは云えないけれども。

かわいい女 (創元推理文庫 131-2)
レイモンド・チャンドラーかわいい女 についてのレビュー
No.72: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

やはりこれは短編ネタだったのでは?

フィリップ・マーロウは4作目の本作で初めてロスを離れる。化粧品会社の社長から頼まれた妻の失踪事件を追って、彼の別荘があるロス近郊の湖のある山岳地帯の村に入り込む。そこの湖から女性の死体が上がる。その女性こそが社長の妻だろうと思われたが、別の女性の死体だったことが解る。そしてマーロウは別の事件に巻き込まれ、命を狙われる。

本書のテーマは卑しき街を行く騎士を、閉鎖的な村に放り込んだらどのように活躍するだろうかというところにある。しかもその村は悪徳警官が牛耳る村であり、法律は適用されず、警官自体が法律という無法地帯。つまり本書は以前にも増してハメット作品の色合いが濃い。
この閉鎖的な村で関係者を渡り歩くマーロウは今回危機に陥る。この危機はロスマクでも使われていた。
本書の最大の特長は他の作品に比べると実に物語がスピーディに動くことだ。原案となった同題の短編が基になっていることも展開に早さがある一因だろう。
そして事件は解決してみると、死体が3つも上がる。しかもそれは1人の犯人によるもので、けっこう陰惨な話だったことが解る。

しかし上にも書いたが、原型の短編を引き伸ばした感じが否めなかった。最初のスピーディな展開は多分チャンドラー作品の中でも随一なのだが、その後の展開が無理に引き伸ばしたような冗長さを感じた。特に印象に残るキャラがいないせいもあり、出来としては佳作といったところだろうか。
数年後、私はこの原型となった短編を読んだが、これは非常に面白かった。プロット自体はいいのだ。湖から上がった女性の死体と、どこか本格ミステリを思わせるシチュエーション。そして閉鎖的な村に現れたマーロウという名の騎士。ただそれを十分に生かせなかった。

どんな作家もいつもいい作品が書けるとは限らない。全7作を数えるフィリップ・マーロウの物語でちょうど折り返し地点に位置する本書は中だるみの1冊となるようだ。

湖中の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
No.71: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

文章が心に響く!

『大いなる眠り』、『さらば愛しき女よ』と続いたフィリップ・マーロウ3作目の本書は一転して地味で素っ気無い題名。題名というのは読書意欲を喚起させるファクターとして私は非常に大事だと思っているのだが、文豪チャンドラーの作品とは思えないほど、飾り気のない題名はちょっと残念。

マーロウは盗まれた時価1万ドルと云われる初期アメリカの古銭を探してほしいという依頼を受ける。それはマードック夫人の亡き夫の遺品であり、夫人は息子の嫁で歌手のリンダが盗んだと疑っていた。
事務所に戻ると夫人の息子レズリーがいた。レズリーは妻のリンダのかつての勤め先のナイトクラブのオーナーに借金があり、金に困っていたと話す。マーロウはリンダを探しにそのクラブに行くが、オーナーはおらず、リンダの友達だったその妻と逢う。
さらにマーロウは自分を尾行している探偵フィリップスに気づく。彼はコイン商に雇われていた。彼の話では件のコイン商が所有しているとの事で、マーロウはコイン商に逢い、1万ドルで買い戻す取引をする。
マーロウが金を取りに行く途中でフィリップスのアパートに立ち寄るとそこには彼の死体が転がっていた

と、この話は抜き出してみても非常に人が入れ替わり立ち替わりして、訳が解らなくなる。一体この小説のメインプロットは何だったかと、読者は困惑することだろう。要約すれば盗まれたコインを探すうちに、容疑者であるリンダを捜索を端緒に調査を始めると、件のコインに関係する人々が次々に殺され、依頼人に纏わる秘密が浮き彫りになるという内容だ。
しかしチャンドラーは雰囲気で読む作品だ。例えばこんな文章にハッとさせられる。

「家が視界から消えるにつれて、私は奇妙な感じにとらわれた。自分が詩を書き、とてもよく書けたのにそれをなくして、二度とそれを思い出せないような感じだった」

こんな経験は誰でもあるのではないだろうか?こういう言葉にしたいがどういう風に言い表したらいいのだろうかともどかしい思いをチャンドラーは実に的確に表現する。
詩的なのに、直情的。正に文の名手だ。

本作では依頼人の秘書のマールと運転手のキャラクターが鮮烈な印象を残す。 特にマールの存在については現在にも繋がる問題として、読後しばらく考えさせられてしまった。金満家の未亡人の世間知らずな側面が招いた悲劇を描いたこの作品はロスマクにも影響を与えているのではないだろうか。

高い窓
レイモンド・チャンドラー高い窓 についてのレビュー
No.70: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

フィリップ・マーロウ登場!

チャンドラーを読んだのは社会人になってからだった。学生の頃、私は敢えて読むのを避けていた。ある程度社会に揉まれてからでないとその面白さが解らないと思ったからだ。
学生の頃、ふいに目覚めたミステリへの興味は尽きることなく、島田荘司を足掛かりにしてその後新本格1期作家から派生していき、やがてガイドブック、『このミス』を片手に自分のミステリの幅を広げていった。そしてどのガイドブックにも書かれているのはハードボイルドというジャンルにおいてハメット、チャンドラー、ロスマクの御三家の名だ。特にチャンドラーの評価は三者の中でも広範囲の書評家に賞賛され、代表作とされる『長いお別れ』は早川書房から当時出ていた『ミステリ・ガイドブック』のオールタイムベストの人気投票で2位か3位に位置していた。
そんなことから社会人になったらチャンドラーを読むぞ!といつの間にか自分の中で目標が出来てしまった。しかし最初に手に取ったのは本書ではなかった。それは『長いお別れ』だった。この辺の経緯については語ると長くなるので、また後日語ることにする。
通常ならば読んだ順に感想を語るのが普通だが、私が読書メモを書く前に読んだ本に関する感想はその本に纏わる私の追想も混じっているので、順番自体に特別に意味はない。従って刊行順に即してチャンドラー作品の感想をこれから述べていきたいと思う。

この『大いなる眠り』はチャンドラーの長編第1作でハンフリー・ボガード主演で『三つ数えろ』という題名で映画化もされた。
既に有名な話だが、チャンドラーはこの『大いなる眠り』を著わす前に既に『ブラックマスク』誌などに短編の数多く発表しており、ほとんどの長編はそれら短編を原型にして組み合わせたような作り方になっている。従って、事件の途中でマーロウの捜査対象が変わり、寄り道をしているようで、その実、最後には最初に追っていた事件と繋がり、関係者に苦い余韻を残して事件が閉じられるというパターンになっている。
またこれらの短編にもマーロウは登場するが、これは後年チャンドラーが主人公をマーロウに書き換えたものだ。従って本書がフィリップ・マーロウ初登場作品である。つまり本書に描かれたマーロウこそ、当初からチャンドラーが構想していた“卑しき街を行く騎士”なのだ。

冒頭の一節からチャンドラーの本作に賭ける意気込みがびしびしと伝わってくる名文が織り込まれている。丘の上に立つ富豪を訪れるマーロウのちょっと緊張気味の仕草などは後のマーロウからは見られない所作で初々しさすら感じる。
端的にいえば金満家の娘に訪れたスキャンダル処理を頼まれたマーロウが自分の納得行くまで調査を行う物語。
ストーリーは難解(というよりも捻くり回されている?)でボガードが原作を読んだ後、「ところで殺したのは誰なんだ?」とぼやいたのは有名な話だ。

本作はアメリカの富裕層の没落を犯罪を絡めて描き、一見裕福に見える家庭が豊かさと幸せを履き違えたために招いた悲劇を卑しき街を行くマーロウという騎士が、自嘲気味の台詞を交え、自身の潔白さをかろうじて保ちながら浮き彫りにしていく。このフィリップ・マーロウ第1作にその後ロス・マクドナルドが追究するテーマが既に内包されている。
私はハヤカワミステリ文庫の清水訳を読んだ後だったので、本書で初めて接した双葉氏の訳は新鮮だった。個人的には清水氏よりもこちらの方が好きだ。

この作品で登場した時のマーロウは33歳。この時代の33歳と現代の33歳では明らかにその成熟さは異なる。なぜなら時代の不便さと治安の悪さゆえに、男が社会で生きていくことの厳しさが違うからだ。それは後年チャンドラーのあの有名な台詞でも証明されている。
そしてその戦いに疲れた男は題名が示す「大いなる眠り」に就くのだ。
ミステリにリアリズムを持ち込み、ハードボイルドという新しいジャンルを確立したのがハメットならば、それを文学に押し上げたのがチャンドラーだ。本書を読んだ後、しばらくの間、書く文章がことごとくなんだか皮肉めいて、そして比喩が多くなった。この偉大なる文豪はそんな風に僕にかなり大きな影響を与えている。

大いなる眠り (創元推理文庫 131-1)
レイモンド・チャンドラー大いなる眠り についてのレビュー