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Tetchy さんのレビュー一覧

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レビュー数42

全42件 21~40 2/3ページ

※ネタバレかもしれない感想文は閉じた状態で一覧にしています。
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No.22:
(1pt)

残念な作品だ。

結局、この物語で語りたかった事は何だろう?
不可能状況、不可解状況を作り出すためにわざわざ登場人物達を歪曲したような感が強く、興醒めした。
物語を語るのなら、例え登場人物に通常考えられないような奇癖、性格を持たせても、納得できるような描写、説明が必要である。現実にありえない事でもそれを思いつき、理論立てた作者の力量に感嘆するのだが、本作にはそれが皆無である。だから真相を明かされても、ご都合的だと思われ、カタルシスがないのだ。
あ~、とても残念だ。
囁く影 (ハヤカワ・ミステリ文庫 5-8)
ジョン・ディクスン・カー囁く影 についてのレビュー
No.21: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(1pt)

合わないんだよなぁ、やっぱり。

いやいや、フランスのミステリ(文学?)というのはリアリティを持たすためにそれが実際の出来事であったかのように作者本人まで登場する。そういった趣向と物語の性質がやはり自分の好みに合わない。何度も新訳出版されている歴史的価値の高い本書もまたそうである。
ただ、後に『13日の金曜日』シリーズの“ジェイソン”や『エルム街の悪夢』シリーズの“フレディ”に代表される怪人物の源流を作った功績はやはり意義あることだと思う。特に怪人エリックがその醜さゆえに愛されなかった苦悩を吐露する所など、怪人であることの哀しさを含ませてその造詣に膨らみを持たせていることは「ルルー、只者でなし!」の感もあった。
が、やはり自分には合わなかった。
オペラ座の怪人 (角川文庫)
ガストン・ルルーオペラ座の怪人 についてのレビュー
No.20:
(1pt)

もう付き合えません。

疲れた…。
古典ミステリ独特のもったいぶった云い回しと隣人の奏でる雑音とで、もう何が何だか解んなかった。

「フレデリック・ラルサン」という人物が云うほど、快人物に思えなかったのが欠点か。

しかしルルーの作品は前作、前々作に関わった人物、込められたエピソードが次作、次々作へと持ち越されるのが特徴のようだ。推理小説という1作完結型の様式に人物又は挿話を以って一大相関図を描こうという狙いらしいのだが…。
私としてはご容赦願いたい。

▼以下、ネタバレ感想
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黒衣婦人の香り (創元推理文庫 108-2)
ガストン・ルルー黒衣婦人の香り についてのレビュー
No.19:
(1pt)

なぜこの題名?

あまりにも題名から想起される内容とはかけ離れていて呆気に取られてしまった。未だにこんな題名をつけたのか判らない。
時代ミステリであるがため、当時の世俗背景を甦らすのに腐心しているようだが、前に読んだ『死の館の謎』同様、登場人物が全く活写されていない。『ビロードの悪魔』、『火刑法廷』以外、結局カーはノンシリーズを物に出来なかったようだ。

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血に飢えた悪鬼 (創元推理文庫)
No.18:
(1pt)

もう出涸らし状態です。

大味だ、あまりにも大味だ。作品の構築したトリックが単なる研究成果の発表会と化し、全くの自己満足となっている。
“老いてなお、最新の知識を導入し、斬新な試みに挑む”とでも云いたかったのだろうか?


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死の館の謎 (創元推理文庫)
ジョン・ディクスン・カー死の館の謎 についてのレビュー
No.17:
(1pt)

前作は遥か忘却の彼方でした。

前作『813』を読んだのが、何と10ヶ月前!!ほとんど内容の方は忘れてしまっていて、何が何やらさっぱり判らなかった。『813』で残された謎が次々と明らかにされていっているんだろうけれど、もう謎自体、忘却の彼方へ押しやられて、ただ文字の流れを見るのみになってしまった。
こんな読書はいけないのだろうけれど、他の作者の本を読むときは物語世界に入っていけるのだから、これはやはり作者のせいだろう。
続813 (偕成社文庫)
モーリス・ルブラン続813 についてのレビュー
No.16:
(1pt)

またこれか…。

モーリス・ルブランの諸作品は大体にして導入部分がどちらかといえば魅力的なため、ついつい期待してしまう。いや正確に云えば「今度こそは!?」という手応えを感じさせるのだが、そのためだろうか、どうも読後感は尻すぼみの感がして至極残念である。
今回もそう。
延々と続く、ジェスチャーの大きいロジックの捏ね繰り回しがどうしても読書への意欲を減少させ、欠伸を伴い、終いには苦痛をもたらす。
そして今回も…。
赤い数珠 アルセーヌ・ルパン全集23
モーリス・ルブラン赤い数珠 についてのレビュー
No.15:
(1pt)

訳がひどい。

これははっきり云って駄作でしょう。金を出して読むまでの無いミステリだった。
この物語のキーとなるリン殺害の真相とリップの正体は予想通りで、全体的に地味なトーンで興趣をそそられなかった。『ロウフィールド館の惨劇』のように日常の何気ない障害の連続がユーニスの狂気を徐々に発動させたような説得力に全く欠けていた。
さらに、翻訳のぎこちなさ。小泉喜美子の訳とは思えないほどの直訳文体だった。日本語になっていなくて理解に苦しむ文が多々あり、非常に不愉快だった。
荒野の絞首人 (角川文庫 (6089))
ルース・レンデル荒野の絞首人 についてのレビュー
No.14:
(1pt)

リュパン1人に詰め込みすぎ!

内容の方はほとんど覚えていない。
ヴィクトール=リュパンの真相は驚きを最早もたらさず、リュパン1人に詰め込みすぎだろう…という諦観めいた感慨を受けた。
特捜班ヴィクトール (創元推理文庫 107-13 アルセーヌ・リュパン・シリーズ)
モーリス・ルブラン特捜班ヴィクトール についてのレビュー
No.13:
(1pt)

見取り図がほしい。

また何も後に残らない物語を読んでしまった。
備忘録という意味で粗筋を書くと、錬金術を編み出した老人の死後、その手法を探りに上手く遺族(ここでは孫娘二人と姉の夫)に取り入った犯人たちの周りで起こる数々の事件をラウールことリュパンが見事解き明かすというもの。
しかし、バール・イ・ヴァ荘とその庭園を舞台に物語が繰り広げられるなら、見取図ぐらい必要だぞ!本統に何も残らなかった。
バール・イ・ヴァ荘 (創元推理文庫)
モーリス・ルブランバール・イ・ヴァ荘 についてのレビュー
No.12:
(1pt)

カー作品コンプリートを目指す人たちだけにお勧め。

ラジオ・ドラマの脚本を集めた異色短編集。従って地の文が無く、登場人物同士の会話だけで成り立っているため、読み易く、テンポも良い。が、しかしもはやそれまで。各々のプロットは興趣をそそるものではなかった。
結論するに、全く以って本書はカーマニアのコレクターズ・アイテムに過ぎないのだ。カーにはもっと面白い話があると私は睨んでいるのだが、それに出遭えるのはいつの日だろうか?
ヴァンパイアの塔―カー短編全集〈6〉 (創元推理文庫)
No.11:
(1pt)

なんだかよく解りません。

また、単なるコレクターズ・アイテムに堕してしまった…。
自分の想像力が欠如しているためか、どうも読んでて情景が浮かばない。いやストーリーに関してはまあまあ頭の中で描けるのだが、室内の調度類のレイアウト・構成など、また東西南北の方向など、ちんぷんかんぷんだ。だから室内の描写を読み取るのに余計な時間がかかってしまい、全体を捉えられない。
まあ、こんなことはお話が面白ければ些細な問題なので、通常は俎上にも上らないのだけれど。
絞首台の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
ジョン・ディクスン・カー絞首台の謎 についてのレビュー
No.10:
(1pt)

やはりダメダメ

今回も自分の感性にそぐわなかった。饒舌な語り口が物語の牽引力にならなくて、寧ろプロットを曖昧にする煙幕として機能しているようだ。そのため、どういう話を読んでいるのか掴めなくなり、一週間後には全く記憶に残っていないという状態になる。
また、結末も結論を保留した形を採り、どうにも煮え切らない。
確かに寝不足で夢うつつの最中の読書だったがそれを考慮に入れても、やはり筆者の側に非があるんじゃないか?
犬博物館の外で (創元推理文庫)
ジョナサン・キャロル犬博物館の外で についてのレビュー
No.9:
(1pt)

何がしたかったのか解らない。

私が竹本氏の作品を集めだした時はほとんどが絶版状態で、唯一この作品が文庫新刊で発売されたという状況だった。数少ない最近の作品ということで期待して手に取った。

幼馴染に誘われて夏休みに故人の怪奇幻想作家のベルギーの古城を訪れたあなた。しかし気晴らしに来たはずなのに、謎の少女に出会ってから次々と怪事が起こる。

本書の最たる特長は二人称叙述で書かれているところだ。つまり主語が「あなた」なのだ。私は主語が「あなた」で書かれた作品は法月氏の『二の悲劇』と中学生の頃に夢中になったゲームブック以外、読んだことなかった。この二人称叙述で書くことの狙いは読者自身を物語の世界により没入させることにあると思う。ゲームブックはまさに自身が主人公になって物語に参加する趣向の作品だから、当を射ているといえよう。
また作品がミステリの場合はこの二人称叙述を使った叙述トリックが想定される。しかしこれは一人称、三人称叙述と違い、かなり高度なテクニックを要するように感じる。

しかし本作はそんな企みとは全く無縁。単に二人称叙述で書きましたというだけに留まっている。解説者はまるで自分が物語の世界にいるような錯覚を覚える、などと絶賛しているが、全然そんな風には感じなかった。
また本書はゴシック趣味溢れた幻想小説風なミステリであり、なんだか曖昧模糊としたイメージが常に付き纏っている。以前にも書いたが私はこの手の少女漫画趣味的な世界は苦手で、それだけでもう物語に没頭できないのだ。

文体も私が驚嘆した『狂い壁狂い窓』のような凝ったものではなく、実に平板。本当に同じ作家が書いたのだろうかというくらい違っていた。
書かれた年代が違うとこれほどまでに作風が違うのかと落胆したりもした。
結局当時はこれに続く文庫作品が出ていなかったので10年以上もこの作家の作品から離れることになる。

カケスはカケスの森 (徳間文庫)
竹本健治カケスはカケスの森 についてのレビュー
No.8:
(1pt)

自分には全く合わなかった。

横溝正史賞受賞後第1作の本書はなんとも幻想味溢れるミステリ。

熱海にある「蔦屋敷」と呼ばれる洋館をひょんなことから訪れた画家の山崎淳はそこで百合という美少女に出会う。12年後、淳の腹違いの兄の婚約者として百合と再会して以来、奇怪な事件が続発する。画廊で火事が起こり、淳の絵が焼失し、画廊の主人が焼死してしまう。さらに百合の兄はドライヴ中に事故を起こし、百合を半身不随にしてしまう。

全編貫かれるのはデビュー作『時のアラベスク』の世界観を更にもっとディープに耽美の方向へ推し進めた幻想的なミステリ。『時の~』はちょっとBL系の香りが漂っていたが、本作ではロリコン趣味を巡る兄弟の狂気の愛という味わい(すみません、こっち系の世界は疎いので、独断と偏見で書いてます。大いに勘違いしていたらゴメンナサイ!)。
森に佇む洋館にそこに住まう美少女という設定からして禁断の匂いを感じさせるし、その彼女に恋する腹違いの兄と父親の弟子と主人公の三つ巴というのも既にカタストロフィの予兆の足音が聞こえてくるのが解る。一種毒気ともいえるこの怪しい世界はなんとも現実離れしている。綺麗なバラには棘があるというが、本書はまさにそれ。
こういうのが好きな人には本書は堪らないかもしれない。秘密の果実の味わいに加えて、ミステリとしての謎と真相が盛り込まれているのだから、没頭すれば没頭するほど、陶酔感とカタルシスが得られるだろう。

しかしやはり私はこういうのはダメ。どうにものめりこめなく、生理的に受け付けない。好きな作家トレヴェニアンでさえ、同趣向の『バスク、真夏の死』は受け付けられなかった。
従って本書の評価は完全に私の趣味と嗜好の違いによる物だ。
本書の表紙も天野氏であるが、既に絶版である。私も既に売ってしまい、手元にない。作者もすでに亡くなっている事から、本書もまた出版界の奔流に飲まれて消え去る1冊になっていくだろう。もし持っている方がいれば、もはや手に入らない1冊なので、私の評価を参考せず、新しい目で読むことを願っている。

罪深き緑の夏 (角川文庫)
服部まゆみ罪深き緑の夏 についてのレビュー
No.7:
(1pt)

これはいただけない

クライムノヴェルの大御所と呼ばれるレナード。私にとってクライムノヴェルは初体験であり、合うかどうか不安な状態で読んだら、これが当りだったので、勢い込んでとりあえず当時出ていた全てのレナード作品を買い込んで、しばらくレナード漬けになることにした。
『キャット・チェイサー』の面白さに機嫌よくした私は引き続いてこの作品を読んでみた。

亡くなった元ギャングのボス、フランクの未亡人が莫大な遺産を相続することになった。そしてそういう輩の奥さんというのは得てして美人というのが相場だが、このカレンもそう。美人でしかも金持ちとくれば、男達が群がるのも当然だが、フランクは遺産管理者に命じてカレンをフロリダから出してはいけないこと、浮気をしてはいけないことを条件に遺産を相続させることとし、しかも用心棒をつけて男どもを近づけさせないようにさせた。しかしそれでも言寄ってくるタフな男2人、ローランドとマグワイア。この2人の争奪戦の行方は?

タフな男、一攫千金、美女というのはレナード作品の三本柱だというのが後々作品を読んでいくうちに解ってくるのだが、本書はまさにその典型だといえる。それらのキャラクターが織り成す権謀詐術、プライドを賭けたやり取りが物語にツイストを与え、全く予想もつかないストーリー展開を見せるところにレナードの真骨頂があるのだが、この作品はなんだかグダグダ。
カレンの天然とも思えるあっけらかんとしたキャラクターはよしとしても、レナード作品で要とも云える一流、二流、三流の悪党たちの造形がなんとも響かない。
そしてあんぐりのラストは途中で作者がストーリーを変えたのか、いやもっと云えば途中で放棄してしまったとしか思えなかった。
題名もすごくチンケだし(ちなみに原題は“Gold Coast”。マイアミの海岸とカレンの遺産をかけたらしい)、それも含めやっつけ仕事としか思えない駄作だ。

マイアミ欲望海岸 (サンケイ文庫―海外ノベルス・シリーズ)
エルモア・レナードマイアミ欲望海岸 についてのレビュー
No.6: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(1pt)

後出しジャンケン感満載の作品

ミステリ黄金期にはミステリプロパー以外の作家もミステリを発表する動きがあったことは以前述べたが、このメースンもその中の1人。
元々は彼は劇作家であり、そちらの方の分野の小説は現代でも高い評価を受けており、21世紀になって彼の書いた“Four Feathers”が『サハラに舞う羽根』と題され再映画化されたのにはビックリした。私は同原作も読み、そちらは予想以上に面白く読めた。

で、そのメースンが創作した探偵が本書に出てくるアノーだ。第1作は国書刊行会にて訳出された『薔薇荘にて』で、本書は第2作に当る。しかしながらこのアノーはフランス人という特長以外、特段特筆すべき個性を備えていないというのが私の印象。特に古典ミステリの探偵役は往々にして論理や状況をこねくり回す傾向にあり、そのくせ掴んだ証拠や閃いた推理はもったいぶって最後まで開陳しないという、実際にいたらあまり付き合いたくない人種なのだが、このアノーもその例に洩れず、それゆえ、英国人作家によるフランス人名探偵というとクリスティのポアロがつとに有名だが、一説によるとポアロのモデルはこのアノーらしい。しかしながら後世の評判から推し量るに亜流が元祖を上回ったようだ。

本書で語られる事件は実にオーソドックス。フランスにある館「グルネル荘」の主人が亡くなり、その遺産が養女に相続されるが、それを不服に思った義弟がその養女を毒殺したかどで告発する。その無実を晴らすべく、養女が救いを求め、名探偵名高いアノーに白羽の矢が立つといった内容。

事件の調査を依頼されたアノーはセオリーどおりに捜査を展開する。既にあった事件を調べるだけという純粋な推理小説である本作は舞台が館のみでほとんど展開すること、続いて事件が起こらないことから、現在のミステリを読み慣れた読者にはかなり退屈に感じるだろう。また登場人物も凡百の小説同様、非常に類型的だ。
そしてその退屈な読書の末に明かされる真相は、それまでの苦難を解消されるとは決して云いがたく、言葉が過ぎるかもしれないが時間を無駄にしたと思われること必定だろう。
私が本書を手にした経緯は歴史に残る名作という謳い文句に惹かれてのことだったが、読後の今ではこれは全くの嘘だと断言する。本書は歴史に残すだけの価値はほとんどない。
特に私は最後に明かされるある仕掛けにすごくアンフェア感を覚えた記憶があるこの仕掛けは読者に推理する材料が十分与えられているわけではないので、読者が看破する余地がない。それが最大の不服なのだが、実は島田荘司の某作でも同様の仕掛けが盛り込まれていた。しかしこちらの場合は確かに、手がかりはあるものの読者が全てを推理して見抜けるものではなかったが、それを補って余りある物語世界を展開してくれている。つまり逆にこの仕掛けが作者の想像力に思わず感嘆してしまうほどの内容であるから、全く不満を抱くことがないのだ。
しかし本書の場合は事件は地味な上に、明かされる真相も地味。それに輪をかけて読者の推理が介在しない仕掛けを持ち込んでいるがために、傷口にどんどん芥子を塗りこむが如く、悪い方向へ行っている風に取れてしまう。
さらに明かされる犯人も私があまり評価しないカーの某作を思わせ、それが本書の悪印象に拍車を掛けてしまった。
また最後に犯人を糾弾する段階にいたって、アノーが「実は最初から犯人は解っていた」というような言葉を吐くにいたり、この後出しジャンケン的な割り切れの無さも不快感を及ぼした。
もし読んでみようかなと思っている方がいたら、止めておいた方がいい。ミステリ研究家、マニアの方のみお勧めする。


矢の家 (創元推理文庫 113-1)
A・E・W・メイスン矢の家 についてのレビュー
No.5:
(1pt)

カーマニアのみお勧め

カー晩年の作品。なんと云ったらいいんだろう、題名のようにぼんやりしたような作品だ。
一応ブレイクという名前の作家が同姓の下院議員候補への取材行で起こる不可思議な出来事と、彼の旧友が自殺と思われる状況で死んでしまうという事件を扱っている。

事件自体にあまり魅力もなく、しかも物語もミステリの謎そのものよりも1912年当時のニューオーリンズの風俗や謎の女の登場とその女と主人公とのロマンスなども描かれる。が、これが逆に物語に厚みをもたらすというよりも、冗長さを感じさせ、単なる贅肉のようにしか思えない。これも謎自体にあまり興趣が注がれないことが一番大きいのだろう。
またカーの歴史ミステリはそのサービス精神と迫真のアクションシーンなども挿入され、実に読み応えのある作品となっているのだが、本作はもうアイデアの出枯らしのようになっており、リーダビリティさえもなくなっている。

本書は『ヴードゥーの悪魔』、『死の館の謎』と併せて“ニューオーリンズ三部作”と位置づけられている。『死の館の謎』の出来もさんざんだったので、果たしてこれらが書かれるべき作品だったのかどうか、今になると判断に苦しむところがある。
作家は引き際も肝心だなと痛感する作品である。

亡霊たちの真昼 (創元推理文庫 (118‐23))
No.4: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(1pt)

豪腕過ぎた…。

題名からスポーツミステリのような雰囲気があるが、そこはカー、いわゆる一般的なスポーツミステリではなく、雨上がりのテニスコートの真ん中で発見された死体の謎を扱っている。
雨上がりのテニスコートに横たわる死体には発見者の婚約者の足跡しか残されていないという「開かれた密室」を扱っている。

この事件に加えもう1つ事件が起きるが、本書のメインはやはりこの事件のトリックにあると云えよう。この「開かれた密室」物もしくは「足跡トリック」物ではすでにカーは『曲った蝶番』や『白い僧院の殺人』という傑作を物にしており、既読であればその先入観から、本作も斯くやとばかり期待が膨らむに違いない。
しかしこのトリックは、なんというか、噴飯物である。私はこのトリックの真相を読んだ時に浮かんだのはキン肉マンの超人がリング場で繰り広げる荒唐無稽な必殺技である。特に浮かんだのはザ・ニンジャの技(マニアックですみません)。そのくらい現実味がないトリックだと思った。多分実行は不可能ではないだろうか?そしてまたこれがテニスコートの中央で殺すことになんの意味をもたらしていないのが痛い。こんな危ない橋を渡るならばもっと簡単に毒殺なり直接的に手を下すなりした方がまだ無難である。まさにトリックのために作られた作品だ。
犯人はかなり意外だが、トリックがアレなので、これも意外性を狙いすぎたと穿った見方になっていまうのはしょうがないところだろう。

しかし一方、島田荘司の豪腕トリックには逆に狂喜する私がいることも白状しなければならない。では本作のトリックと島田氏のそれとは何が違うのかと問われれば、なんと答えたらよいか解らないところではあるのだが。自分自身でもよく解らないこの心情、なんとも不思議なことである。

テニスコートの殺人【新訳版】 (創元推理文庫)
No.3:
(1pt)

さすがにこれはナシ!

怪奇性を前面に押し出したような題名だが、中身はそんなオカルト趣味に走っていなく、むしろカーの作風の1つ、ドタバタコメディタッチの色合いの方が濃い。調べてみるとどうやらこの題名は必ずしも正確ではなく、ハヤカワ・ミステリ版の『死人を起す』が正解らしい。

友人との賭けで無銭旅行を南アフリカからロンドンまでしてきた青年が、空腹でホテルの前で休んでいたところ、上からホテルの朝食券が降ってくる。天の恵みとばかり朝食にありつき、ホテルの従業員に勘違いされて、券に書かれていた番号の部屋に案内される。しかしそこにあったのは顔をつぶされた女の死体だった。
本作はこのように巻き込まれ型の事件を扱っており、そのシチュエーションはカー独特のウィットに富んでいて面白い。実際、私は『曲がった蝶番』を読んだ後でカーに対してさらに好印象を持っていたものだから、期待が高まっていた。

が、しかし結論から云えば本作は駄作といわざるを得ない。なぜならほとんどの謎がアンフェアに解かれるからだ。メインの謎が実は××だった、おまけに犯人もあまりに意外すぎて、唖然としてしまう。恐らくカーはこの着想を思いついたときは思わずほくそ笑んだことだろうが、独創的すぎて誰も付いていけないというのが実情だろう。逆にこれだからこそカー!と讃えるファンもいるだろうが、あいにく私はそこまで寛容ではない。もしくはルパンシリーズに触発されたのかとも思ったが、それは勘繰りというものだろう。

しかしカーという作家はどうしてこんなに作品の完成度に差があるのだろう。『帽子収集狂~』で面白さを知ったと思ったら、続く『盲目の理髪師』、『アラビアン・ナイトの殺人』は凡作。どうせ次も同じだろうと思って読んださほど有名でない『曲がった蝶番』が意に反して傑作と、非常に高低差がありすぎる。しかもこれらは1933年~38年という5年間に書かれており、『帽子収集狂~』が33年で『曲がった蝶番』が38年である。つまりほぼ時系列に読んでこれほどの違いがあるのだ。例えばエラリー・クイーンは初期は作品を発表するごとに出来が良くなり、『Yの悲劇』や『エジプト十字架の謎』あたりを頂点としてそこから下り坂に差し掛かり、再度『災厄の町』で盛り返すという、作品のクオリティについて大きな波がはっきりしているが、カーは景気不安定な時の株価指数や為替相場のように作品ごとにそれが乱高下している。
やはり異色の作家だ、カーは。この作品は自身のカーマニア度を測るのに、リトマス試験紙的な役割を果たす作品かもしれない。

死者はよみがえる【新訳版】 (創元推理文庫)