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チャイルド44
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チャイルド44の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全91件 61~80 4/5ページ
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1950年代のスターリン体制下ソ連。国家保安省の捜査官レオは妻にスパイの容疑がかけられていることを知らされる。妻の捜査を命じられるものの最終的にはその無実を主張したため、夫婦で田舎町の民警へと左遷されてしまう。そこで起きた児童惨殺事件が実は広範囲にわたる連続殺人であることを確信したレオは犯人を追うことにするのだが、同僚の策略と妨害を前に、その捜査は命を賭したものになっていく…。 上下巻合計で800頁近い長編サスペンス小説です。 主人公レオはソビエト社会における特権階級として物語に登場します。職場を同じくする者の息子が死亡した事件を、なんとか事故死として穏便に片付けようとする彼は、事なかれ主義を通すことで全体主義国家の中で餓えと寒さを免れた生活を安穏と送ることが出来ています。 しかし、児童連続殺人事件を追い始めた彼は、前門の虎(連続殺人鬼)と後門の狼(全体主義国家)の両方と対峙せざるをえないほど過酷な捜査活動を通じて、むしろ少しずつ人間性を取り戻していくことになります。 優れた物語とは、主人公がわずかであっても成長を遂げていく物語のことだと強く思います。この小説は、共産党一党独裁のソビエトの厳しい閉塞感を実に見事に表現し、そのやりきれない逆境の中でレオが人として、また夫として、確実に良き方向へと変わりいく姿が描かれ、それが胸に強く迫ってきます。 そしてまた彼が変わることが出来るのも、周囲の名もなき人々、貧しき人々の手助けがあるから。まかり間違えば国家に対する反逆者として命を失いかねない状況の中で彼らがとる行動もこの小説の中では決して現実離れしたものには見えません。読むものをぐいぐいと最終場面まで引っ張っていく力があります。 頁を繰る手を緩めることの難しい一級のサスペンス小説でした。 | ||||
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おもしろい! 飢えに苦しむソビエトの片田舎の一風景から始まります。 その描写も、え!?猫を捕まえて食べるの?!という場面ながら、 罠をしかける子ども二人の描写がとても興奮する。 この最初の描写が、後へと続く大事な描写になるとは。 20年後、刑法も、刑事訴訟法も、憲法も、自由を守るものではないソビエト。 人が簡単に逮捕され、有罪判決で処刑される現実。 お互いが密告におびえ、監視しあう、夫婦、同僚、上司でさえも。 足下の安全はまったく薄氷を踏むのと同じ。 そんな描写がリアルです。 そこで生きる主人公レオ。犯罪があることを否定はできず、立ち上がります。 | ||||
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この小説を読んでいる途中で突然フラッシュバック現象を感じました。自分の幼少期がフラッシュバックしたわけではなく、主人公の幼少期の映像が脳裏に「バッ」「バッ」とフラッシュのようにありありと甦るのです。これはすごい。なるほど、映画化が予定されるわけです。 上下二巻は結構ボリュームがあり、読み始めるまでに躊躇がありましたが、食いついてしまえばあとは作者の思うつぼです。 作者は、がんじがらめな関係性の中でしか成立し得ない人間存在の息苦しさを緻密に描きだしています。 人間は独立した存在ではなく、その起源からしてすでに他者に依存しています。どんなに強がってみたところで、すべての人間は母親から生まれてくるしかないのです。 この世で初めて出会う他者である母親や父親との関係性、兄弟との関係性、恋人や配偶者との関係性、コミュニティとの関係性、そして国家との関係性。 様々なしがらみの中で生きる辛さは現代日本社会の閉塞感に通じるものもあるように感じました。 思考しているのは自分です。そして、自分以外はすべて他者です。他者との関係構築につまづくと、自我を維持するのは困難になります。自分はたった一人ですが、他者は無限に存在するのですから。 他者との関係性という多面体をサスペンスという媒体を用いて見事に描き切り、しかも破綻をきたしていない。作者の力量に感心するのみです。 | ||||
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社会主義の不条理と恐怖を徹底的に描いた上巻だったが、下巻ではレオの目覚め、事件へと迫る過程が描かれ、アクション、男たちの友情、夫婦の愛の復活などが本作を古典的なハードボイルド小説へと転調する。 それにしても巧みな筆致、息をもつかさずラストまで読める傑作には違いないのだけれど、事件の核心、犯人の動機については折角大風呂敷を広げた社会派サスペンスの世界観を矮小化してはいないか。レオが主人公足りうるのは因縁があるからではなく、全てを失ったときに子供の死を前にして正義の信念に目覚めるからではなかったのか? | ||||
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’08年、「このミステリーがすごい!」海外編第1位、「週刊文春ミステリーベスト10」海外部門第2位に輝いた作品。また、CWA(英国推理作家協会)がその年の最も優れたスパイ・冒険・スリラー小説に贈る’08年度イアン・フレミング・スティール・ダガーを受賞している。 時は1953年。舞台はスターリン体制下のソ連。主人公はKGBの前身国家保安省上級捜査官のレオ・デミドフ。彼は、はじめは上からの命令に盲目的に従う模範的なエリートだったが、自ら見舞われた不運を契機に、地方の人民警察の下級巡査長に左遷される。そこで、それまでの生き方を改め、自分ばかりか愛する妻や両親の命も賭して、少年少女連続大量殺人事件の捜査に乗り出すのだった。しかしそれは苦難の連続だった。そもそもみなが平等なソ連という社会主義国家体制の世界では“殺人”などという犯罪は起こりえないという理念の下にあるからだ。「殺人鬼はこれからも殺しつづけるだろう。それが可能なのはそいつが並はずれて利口だからではない。そういう人間がいることを国家が認めようとしないからだ。」(下巻200ページ) この物語は、閉塞した社会におけるレオの自己再生、夫婦の絆の再生、家族の再生を、大変な危灘の数々を乗り越えて、思いもよらぬ連続殺人犯とその動機とに対決するまでのレオの一途な姿を通して描ききった、とても20代の著者トム・ロブ・スミスのデビュー作とは思えない重厚な傑作である。 映画化もされるとのことだが、どうか、見せかけのアクションや冒険サスペンスを誇張したエンターテインメントに終わることなく、原作の意図する雰囲気を壊して欲しくないと思う。 | ||||
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1950年代のモスクワで起こった少年の轢死事件を発端にし、MGB(KGBの前身)の捜査官レオを主人公として、当時の旧ソ連の世相を描き切った骨太の力作。本稿では上巻のみを。 1933年のウクライナ、飢餓の村で食用として森の中で猫を狩る年少の兄弟と、兄が何者かに逆に狩られる姿とが描かれる不気味なプロローグ。それから20年後の上述の轢死事件。作者はレオを、革命を崇拝するヒロイズム溢れる人物に設定している。殺人の噂もあった轢死事件を治安維持のためアッサリ事故として処理する。同時に起きるスパイ容疑者の失踪。レオの失態である。プロローグから容疑者の追跡劇まで一貫して背景に描かれるのは雪、雪、そして氷。この厳寒の描写をバックに、当時の社会体制、人々の心情、MGBのhierarchyの冷徹さが映し出される。恐怖政治以外の何者でもない。だが、レオも落伍者候補の例外ではない。MGB内の暗闘や個人的怨恨から窮地に陥る。「国家的事象を描く時は、個人に焦点を当てた方が効果的」と言う鉄則通り、次第にレオの心理に焦点が絞られて来る。病床での悪夢の内容がレオに"慈悲"の心が芽生えた事を示唆するが、慈悲は捜査官には危険な禁忌だった。そして、MGBがレオに課した指令は余りにも過酷。ボロボロになりながら自身と家族を守ろうとするレオ。そして、懊悩の末にレオが下した決断とは...。 幕間で描かれる森の中のサイコ・キラー。そして、スターリンの突然の死。ここまでは良い。独裁者の突然死による体制の混乱がレオ一家を救ったと言う展開は止むを得ないかもしれないが、地方の人民警察署送りと言うのは如何にも中途半端だろう(プロローグと繋げるとしても)。話もレオと妻のライーサの諍いを初め、家庭小説に変身したかのようである。これなら、ライーサを見殺しにして、その罪を胸に抱きながらレオが捜査官を続けて行くと言う展開の方が優ったのではないか。下巻でのレオの復活に期待したい。 | ||||
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アンチヒーローというより悪役に近い存在だった主人公レオが、 国家の狂気に気付き始めた頃から徐々に人間味を帯び始め、 そこから物語は盛り上がりを欠くことなく最後まで突き進んでいく。 連続殺人、レオに隠された過去、レオと妻の辛辣な愛の形、 レオを執拗なまでに陥れようとする部下。 いくつものプロットが巧みに絡み合い、たびたび驚嘆する展開が訪れる。 洗練された筆致、映画的なストーリーテリング。どれをとっても素晴らしい。 訳も、本書のドライな世界観が表現されていて、 たまにある海外小説ゆえの読みにくさは全くない。 | ||||
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最初は体制の揺ぎ無い信奉者であった主人公が、最後の一点で踏みとどまり、人間として再生していく過程が丹念に描かれていて、一気に読み終えました。 モデルとなった事件をより忠実に再現した「ロシア52人虐殺犯 チカチーロ」は、VHSで観ました。細部は覚えていませんが、スティーブン・レイ演じる風采のあがらない捜査官が、ドナルド・サザーランド演じる上司の庇護を受けながらジリジリと犯人を追い詰めていく様がリアルに活写されていました。 「チャイルド44」もリドリー・スコット監督で映画化決定とのこと。是非、観たいです。 ■犯人の子供はその後、どうなっていくのか。そこだけ尻切れトンボな感じが残ったので、4点です。 | ||||
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2008年リリース。作者のトム・ロブ・スミスは1979年ロンドン生まれ。2001年にケンブリッジ大学英文学科を首席卒業していて、本作がデビュー作だ。既にリドリー・スコット監督で映画化が決定しているとのことだが、マイケル・マンに撮らせてみたかったなぁ、と思う。後半に行くほど、これが映像化されたらどんなに凄いだろうと思わずにはいられないほど素晴らしいストーリー展開で、いわゆる『映像読み』してしまった作品だった。 まず、素材としてスターリン体制下のソヴィエトを使ったところが鋭い。この時代のソヴィエトの酷さはミステリーの素材として超一級品だ。そこに着眼したところから既に並の才能ではないのが分かる。 そして構成が見事だ。最初の章が何のためにあるのか後半になるまで分からない。それが何故あるのか分かったとき、ストーリーは最終章に突入している。結末も凄い。あまりに文句なしの傑作で、むしろこの作品の映画化の配役の方が気になってしまう。ぼくの希望はレオがクライヴ・オーウェン、ライーサがモニカ・ベルッチ、アンドレイが難しいだろうがマット・デイモンだ。とてもとても楽しみだ。 | ||||
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著者が参考文献で挙げている『収容所群島』、『悲しみの収穫』(これには誤訳が多いが)の読者にとっては、事実の方がよほど怖いことはよく知っている。しかし、それを背景に単なる猟奇事件の謎解きに終わらせなかった著者の着眼と筆力には脱帽。しかし、いくつか問題点がないわけでもない。まず冒頭のシーンだが、飢えた人々が人肉食のために人を襲うケースはまずありえない。それに、誤訳もいくつか見られる。オリョロでなくオリョール(地名)、人民内務委員会ではなく内務人民委員部(組織名)、ルビヤンカではなくルビャンカ(地名)など。せっかく精緻に歴史文献に基づく原作も、これでは台無しになってしまう。 | ||||
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このミス海外版1位のこの作品。手頃で安価な文庫版ということもよろしい。読んでみるとスムーズに読み終えます。ソ連の飢餓の過酷な描写。絶望的な状況からの脱出。仮面夫婦が本当の愛を勝ち取る。などよい点もあります。でも・・・・・・あっさりしすぎなんですよ。犯人も、敵役も。そして最後の処置も。とにかく登場人物がどんどんいなくなり、状況の割にはつながりがなく、何となく進んでしまいましたって感じです。これが第1位のミステリー?書評家諸氏の感性ってこんなものですかね。もっとすごいのないんですかね。いい作品ですが、すごくはないです。 | ||||
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著者は何と29歳というイギリスの超新星だ。 前評判通り、いやそれ以上の内容である。近年、これほどに衝撃を受けた翻訳作品はジェフリー・ディーヴァー以来であろう。 国家保安省の敏腕刑事である主人公が、国民相互監視制とも言えたスターリン体制の中で、組織に、社会に、家庭とどのように向き合い生き延びそして生き残るかを見事に描いた作品に仕上がっていっる。光射すことのない時代、かつてソビエト連邦という国家で人々は飢えに苦しみ、他人を信じることも許されず、正義などは何の価値も待たない国で生きることが、どれ程に困難だったかを作者は物語の背景として見事に描いている。登場人物、ストリー、プロットこれ程に完成された作品には、しばらくお目にはかかれないであろう。トム・ロブスミスの次作が今から待ち遠しい。 | ||||
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フィクションとは言いながら、ソ連のスターリン体制化の実態が よく判った一冊であった。 聞きしに勝る恐ろしい実態。独裁者が君臨する国家においては、 言論はもちろんのこと思想までもを圧制されて、意思を持たない 従順なロボットにならなければ生きていけない世界。 例えば北朝*の様に世界には今もこの様な環境で生活している人 がいるのかと思うと今の日本は何とも幸せなことかということを 改めて認識せざるを得ない。 それはさて置きこの小説は44人ものいたいけな子供を殺害する犯人を 国家の下僕であった主人公が人間らしさを取り戻しながら、私利私欲 を捨て、命を賭してまで犯人を追って行く過程を描いている。 連続殺人事件の犯人とその動機とは?というミステリーの要素と共に 主人公の心情の変化を同時に描くことによってハードボイルドな ヒューマンドラマに仕上がっている。 | ||||
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スターリン体制化のソ連で、主人公の捜査官が連続殺人鬼を追い詰める話です。ただ、完成された社会主義国家であるソ連では、殺人事件の存在は認められないため、事実上殺人の捜査は行われず、犯人は野放し状態になっている。そして国家に反体制と睨まれた人物が殺人事件と関係ないにもかかわらず逮捕され簡単に処刑され事件が強引に解決される。この特殊な状況で主人公が事件の捜査を行うところが、今までの小説と一番違い、この作品の特徴となっている。 もうすでに犯人が逮捕され、事件が終わっているのに主人公が真犯人を見つけるために捜査を強引に行うため、国家から反体制の人物として危険人物とみられ、犯人よりも自分が所属する国家に命を狙われてしまうところが、この作品に緊張感を生み出している。 上巻では、主人公が狡猾な部下の罠にはめられ田舎に左遷されてしまう様子が中心に描かれていて、殺人事件の捜査を本格的に行うのは下巻からになる。 私はこの作品を読んで、殺人事件よりもソ連という国家の特殊性により捜査がうまく機能していなかったり、関係のない市民が犠牲になる事のほうが話のメインである感じがした。 連続殺人事件の犯人は、読んですぐに分かってしまい予想どおりだったが、下巻の中盤で「ある人物」の本当の正体が明らかになるのだが(下巻214ページ)、それは予想していなかったので驚かされた。 | ||||
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抜群の面白さ(や問題点)は、他の方のレビューが紹介されてますので、 ちょっと違った観点を紹介させてもらいます。 本作は、海外長編ミステリのストーリーテリングの伝統(ページターナーの 技術)を受け継ぎ、それをゼロ年代風にブラッシュ・アップした作品として 読むことができます。 私の受け取り方では、ネタ元は三つ。 マーティン・クルーズ・スミス『ゴーリキー・パーク』の設定 トマス・ハリス『羊たちの沈黙』からサイコパス ローバト・ラドラム『逃亡者』の息もつかせぬ展開 なかでも、『ゴーリキー・パーク』で取り上げられたソ連社会の描写が本作 においても強烈な下味となっています。70年代ソ連を舞台にした『ゴーリ キー・パーク』が続きの読書としてオススメです。 | ||||
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イギリス文壇に彗星の如く登場した超大型新人ロブ・スミスが本年2008年度CWA最優秀スパイ・冒険・スリラー賞を獲得し世界中の書評家から大絶賛された話題の注目作です。本書の中心で扱われている少年少女大量殺人事件は実際にあった事件に着想を得て書かれていますが、決してノンフィクションではありません。本書を著者が書こうとした意図はやはり謎解きの殺人ミステリーというよりも残虐な連続殺人犯を野放しにする狂った社会システムに支配された共産主義国家旧ソ連の姿を描く事にあったのでしょう。そこには人間愛など皆無で裏切りや欺瞞、罪の捏造、邪魔者の処刑による抹殺等々非道で醜悪な描写に多く筆が費やされ、大袈裟でなく一頁に一度は苦々しく遣り切れない思いが込み上げて来ます。そんな腐り切った社会の中で体制の側に立って非道な行いに手を染めて来た国家保安省の捜査官レオがあまりに酷すぎる悪行の実態を知って真実に目覚め、やがて権力の座から引き摺り下ろされて初めて己の所業を悔い改め、死を賭して連続殺人犯人を追い詰めようとする姿に感動を覚えます。そして心の拠り所で真実の愛と信じていた妻ライーサを一転して殺す寸前まで行く程の強烈な愛憎劇の凄まじさに圧倒されます。悪役ではワシーリーとザルビン医師のサディズムに満ちた異常性格が際立ち嫌悪感が募りますし、中盤で鮮やかに反転するスパイ小説としての仕掛けが見事です。終盤近くの列車からの脱走シーンは映像を意識したあざとさも感じますが、胸がすく痛快な見せ場です。そして最後の犯人との対決シーンでは、著者が意外性に重きを置いていないと感じますので故意に隠されていた最初の空白部分は許せますが、最大の難点はこの動機があまりに信じ難く大きな違和感を感じさせる点です。老巧の如き筆の冴えを感じる反面まだ若さ故の強引さもありますので、今後更なる著者の成長を祈って次回作に期待したいと思います。 | ||||
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スターリン体制下のソ連において 44人もの子供を殺害した連続殺人鬼を、 国家保安省のエリート捜査官レオ・デミドフが 絶望的に困難な状況下で追う異色ミステリー。 本書で恐ろしいのは連続殺人鬼よりも、抑圧されたスターリン体制そのもの。 凶悪犯罪の存在自体を認めない国家体制の中にいるために 次々に子供が殺されているのに本格的な捜査は行われず、 事故として処理されたり知的障害者が犯人にさせられたりしてしまう。 そんな中にあって、レオは密かに事件の真相をつきとめようとするが、 体制側の圧力によって窮地に追い込まれてしまう。 はじめは体制側の冷酷なエリートだったレオが、 苦境に立ち向かう過程の中で次第に人間らしさを取り戻していくのが実に見事に描かれている。 あまりにも過酷で絶望的な状況に、読んでいて息苦しくなる程だが 先の展開が気になって読み出したら止まらない。 | ||||
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ニューズウィーク日本版5.28号の書評で紹介されていて、ずっとそそられていたが、個人的な事情により今まで読めなかった小説である。 舞台は1953年、スターリン恐怖政治下のソ連。”疑わしきは罰すべし”の論理により、多くの人間がささいな、あるいは全くいわれのない罪で弾圧されている。主人公のレオ・デミドフは、弾圧の先鋒を担う国家保安局(KGBの前進)の捜査官だが、自らも”疑わしきは罰すべし”の陥弄に捕らわれて左遷される。レオは左遷先で、連続殺人と思われる事件に遭遇する。だが、”凶悪犯罪は退廃した資本主義社会の病気であり、理想の共産主義国家ソ連に犯罪は存在しない”という絶対不可侵の建前の下、連続殺人犯の存在を指摘する事は国家への反逆に等しい。果たしてレオはどうするのか? 犯罪は存在しないという建前に固執するあまり、犯罪が起きた事を頑として認めまいとする…その気持ちはわからなくもない。だがそれでも、良心的に犯罪を捜査しようとする人間を反逆者扱いするなんて、いくら何でもひどすぎると思う。スパイや反逆者は”疑わしきは罰すべし”の論理をふりかざして、行き過ぎた弾圧をする一方で、一般の犯罪は存在すら認めず、実質的に野放しにするのも、完全にバランスを欠いている。本書の連続殺人犯もかなりのサイコだが、スターリン時代のソ連という国家の方がはるかにサイコだと思った。 だが、楽しいとはほど遠い話にもかかわらず、グイグイと話に引き込まれていった。終盤になると、強引な展開やご都合主義が目に付くのだが、それらを打ち消して余りある圧倒的な迫力があった。特に、自分はどうなろうとも、連続殺人犯の凶行だけは食い止めようと苦闘するレオを、手放しで応援してしまった。 | ||||
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ネズミや木の皮まで食べつくして,静かに死を待つだけの,1933年のソ連の一寒村から話が始まる。やっと見つけた猫を捕獲しようと出かけた兄弟の兄が,何者かに(食料にするために)連れ去られる。 なすことなく餓死を待つしかないという悲惨な状況にグイグイとひきつけられたまま,1953年・スターリン体制下のモスクワに舞台が移る。「ひとりのスパイに逃げられるより,十人の無実の人間を苦しめるほうがどれほどかましなことだ」という認識が共有されている国家保安省。「新しい社会」に犯罪は存在しないというイデオロギーで,猟奇的な少年殺しは単なる事故として処理される一方,ただの獣医やその友人を「西側のスパイ」として追跡・処刑する。証拠があるから逮捕するのではなく,疑いがあるから逮捕し,後から証拠=自白を作ればよいという捜査方法が採られる社会であるから,捜査官も含めて,社会の誰が疑いをかけられ,有罪となるか全く予測が付かない・・・。 何の証拠もなく何千万人が処刑されたり収容所に入れられたスターリン体制下の社会状況をリアルに描写していて,いったん読み始めると止まらなかった。 | ||||
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初読みの作家さんです。 今年(2008)の海外ミステリ部門では超話題となった一冊です。おおむね絶賛、大好評のようで、遅ればせながらと手にとってみました。引っ越しのドタバタで途中行方不明になっていましたが、続きを読み始めると手がとまらずどんどんと読み進めてしまいました。 まず、設定が独創的だし面白い(実話をもとに着想だそうですが、目のつけどころがグッドです)。 スターリン政権下での連続殺人のミステリというのですから、他になかなか例を思いつけません。今までミステリの歴史においては、中世の修道院が舞台だとか、古代ローマが舞台だとか、ドイツ軍と吸血鬼が占拠しているイギリスが舞台だとか、はたまたドイツ占領下のパリでゲシュタポとコンビを組む推理ものとかいろいろ特殊な舞台設定がありましたが、これもけっこう独創的。なにせ、この時代のソビエトでは、犯罪はあってはならないもの、減っていくもの、連続殺人犯なんて存在してはならないものとして、捜査すら許されていないからです。恵まれた社会主義国家で、思想的にも社会的にもそんなものはいる筈がない、だから連続殺人なんてない、という論法です。 そんな特殊な状況下で、本来は刑事事件などとは縁遠かった国家保安省(いわゆるKGBの前身のようなもの)の若きエリート捜査官のレオが、めぐりめぐって連続殺人犯を追う事になるというのがこの小説の大きな本筋なんですが、本来起こらないことが起こることが自然であるために、この主人公のレオはひたすら苦難の道を進むことになります。いまだかつて、人を国家のために捉え裁くことに疑問を覚えず、悪くいえばそんなことは意識的にシャットアウトして、自分の正義を貫いてきた彼の人生の歯車が徐々に狂っていく様や、それでもその中でまだ自分の信念や意志にしがみついて動く彼の姿はひさびさに骨太なミステリを読んだなと満足させられます。 とはいえ、前半のまでの彼の正義はある意味ひとりよがりなもので、それが徹底的に否定されるところも並のうすっぺらい小説とは大きく異なり、ただ単にミステリを読むというよりはもっと強い「人間そのもの」を描いた小説ともいえます。まだ下巻に入って半ばくらいなので最後にオオハズレになる可能性もないではないですが、話が進むにつれて面白くなっていく様子からはかなり傑作の予感がします。 | ||||
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