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無伴奏
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無伴奏の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全30件 1~20 1/2ページ
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1960年代後半の激動の時代を背景にした恋愛物語です。男同士が同棲していることから、何となくその「秘密」は分かってしまうので、それほど衝撃的ではありません。。。それでもストーリー全体はとても良かったです。素晴らしい青春小説です。 | ||||
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本作は、作者の小池真理子氏が、1960年代に仙台のある女子校に転入し、自身とその時代を下敷きにして書いた物語である(あとがきより)。 実は私の母が、その当時、モデルとなった女子校の生徒で、在学中の小池さんのこともよく覚えていた。ちなみに母は小池さんより2学年下で、学生運動が最も高揚していた時期に入学したという。 作品と合わせると、主人公・野間響子が、制服撤廃委員会の委員長になったのが高2生で、母は中3。響子もこの時がいちばん『闘争』として、反戦デモやアジビラ刷りに加わり、その渦中にいたが、渉と裕之介、エマらとの出会いにより、運動から徐々に疎遠になっていく。 高3生の頃には、予備校と学校をサボりながら、渉という若く美しい男性に惹かれ、ある意味、普通の少女として、恋に夢中になって日々を過ごすようになる。 思春期と時代が、響子の何者かである、という自尊心を突き動かしたものの、恋に傾倒するにつれ、何者でもなかった自分を知る倦怠と虚しさ、くすぶった熱情が、余計に渉への恋慕として注がれるようになったのだ。 響子の恋は、残念ながら成就してしまう。そして突然に喪われる。 しかし、この恋を失う過程で、響子にとって、超えられなかったのは性差ではなく、裕之介という人間であり、膨れ上がる憎しみも怒りも、祐之介の「存在」に向かうのだ。 だからこそ、響子は渉と裕之介の結びつき/セクシュアリティを、最後まで胸の裡に納めたのだろうし、20年後もきっかけはありながら、告白はしなかった。そうすることで、彼女はあの熱に浮かされ、唐突に途切れた青春を、過去にしたのだと思う。 蛇足だが、小池さんの卒業から2年後、高3生になった母は生徒会長に就いて、卒業式では答辞を読んだ。学生運動盛んな時代、母の答辞は、事前に教師たちから「検閲」を受けたという。 その青春時代から5年後、母は私を産むのだが、卒業式の写真の少女は、今も口をへの字にして、挑むように私を見ている。母が笑っていない写真は、このたった1枚だけである。 | ||||
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舞台は1960年代の仙台。 大学紛争や安保問題で世間が騒然としていた時代。 学生達が本気で国を変えようとしていた。 パッフェルベルのカノンの流れるバロック喫茶で、 女子高生が一人の大学生と出会い恋に落ちる。 あまりに辛く、けれどみずみずしい若さと感受性の時代。 心の痛みというものを、悲しいくらい丁寧に描いている。 愛、性、罪、嘘、死。 そして、生。 それらに翻弄される4人の男女。 利己的で残酷な愛。 切なすぎる結末。 時代に乗り遅れまいと焦燥感の中にいる学生たち。 違いすぎる時代にいる自分たち。 この本を初めて手にした大学生の時、 読後感があまりに重く、打ちのめされ、しばらく他の本が読めなかった。 「どんな悲惨な出来事でも、いつか必ず色あせてくる。 そして、時間とともに、そこに新しい色が重ねられる。」 ずっと、忘れられなかった一節。 この10年、何度か、この言葉に支えられていたことを思い出した | ||||
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多感な少女の内面の描写が良く、結末も期待を裏切らないものだった。作中にところどころ出てくる音楽もその場の雰囲気に合っていて、「小説を楽しむ」という点では非の打ち所がない作品と言って良いだろう。 | ||||
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その果てに待つものを知らず、私はあなたを求めた―。多感な響子は偶然に出会った渉に強く惹かれるが、相手の不可解な態度に翻弄される。渉に影のように寄り添う友人の祐之介と、その恋人エマ。彼らの共有する秘密の匂いが響子を苛み、不安を孕んで漂う四角形のような関係は、遂に悲劇へと疾走しはじめる。濃密な性の気配、甘美なまでの死の予感。『恋』『欲望』へと連なる傑作ロマン。 | ||||
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最初に映画を見ました。 殆どストーリーは同じですが、映画の演出の方が展開が面白いかもしれません。 | ||||
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中古といえども、中はもちろん外もキレイ。 コスパも十分。速い対応でした。 | ||||
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1970年頃の仙台を懐かしく思う方々には、贈り物のような本。 ただし、嫌な憶い出がある方々は、精神衛生上悪い影響を及ぼすかもしれないので、取り扱いを注意してください。 当時、歳が離れた高校生の従姉たちは、エムエフではなく、まるで少女漫画のようなパッケージと本体紙巻き部分のイブを吸っていた憶えがあります。 彼女たちは、正月にアルコール類を嗜み、隠れて煙草を燻らし、政治や芸術を語り、ギターを奏でながら英詞の歌(定番であるボブ・ディランやジョーン・バエズ)を歌い、「大人はスゲー!」と思ったものだった。 無伴奏は、電力ビル裏、ボロい建物の地下に実在したバロック専門の名曲喫茶。 マスターは、東北大学片平キャンパス近くの音楽喫茶田園(店名は、永島慎二や辰巳ヨシヒロ、さいとうたかを等の漫画家が通った、今もある国分寺のDENENにあやかった?)のお客だったはず。 脱走したアメリカ兵を匿ったAさん他、東北大グループの武勇伝も出て来るかとワクワクして読んだが、ゲバルトローザと呼ばれながら、当時ありがちだったファッションとしての、反抗のための反抗で、特に思想的な背景はないので安心してください。 P9、1990年前後、響子は青葉通りに面したホテルに宿泊、「国分町は(中略)歩いてすぐ」とあり、リッチだと住所が国分町なのでこんな書き方はせず、まさか第1、第2ワシントン(当時、日航スッチーの定宿、態の好いラヴホとの噂有り)ではないだろうから東急らしいが、見栄を張らずユニバース(現スマイルホテル)にすればアクセス的に便利だったのに。余計な御世話か。 「瀟洒なビルが軒を連ねる高級歓楽街」と続くが、あの頃も今もブンチョーに「瀟洒なビル」など記憶になく、もしかすると、趣味の悪い凱旋門ビルのことか? 百歩譲って「瀟洒」だとしよう、でも、一軒だけでは仕様がないだろう。 よく出て来る「仙台ホテル2階の喫茶店」は、おフランス風の調度が気色悪かったアンフルールだ。 P79、「彼らはガラス細工のように美しく繊細にも見えたし(中略)育ちのよさと品のよさを感じさせる反面、どこかしら粗野で猥雑な」とあり、おおーっ、まるでかつての少女漫画ではないか! 逆に、P131~、仙台ベ平連の小肥り男Tの描写は容赦無く、所謂、能動的オタクの典型なのだが、気さく、かつ、幅広い知識と情報を持っていそうで、今ならモテそうだがなあ。 Tは男女関係に異常なほど好奇心を燃やす男として描かれているが、響子も祐之介とエマに興味津津だし、姉弟である勢津子と渉の関係を疑うくらいで、どっちが「異常」なのでしょう? 夢見がちな少女の思い込みを書いたと言えなくもないが、渉も祐之介も男の側から見れば退屈でつまらなそう。 殺人、自殺の必然性や謎がきちんと描かれているとは思わないが、やはり直木賞系の小説は焦らしを含め展開が命だから、目が離せなくなるし、理屈抜きに面白く読める。 「ボーイズ・ラヴ」と言ってしまえば、元も子もないが、この手の創作は女性にとって、どういう位置づけなのだろう。 好きな相手がそういう趣味なら、女としての自らの魅力は傷付かないから、ある種の安全な避難所、または、真に男性と向き合うための準備期間として機能させるつもりなのだろうか。 実際のバイセクシュアルやゲイは、P258~「初めから失っていたんだ」というものではないと思う。 数十年前、東北大の男子学生同士の痴情の縺れによる傷害(殺人?)事件があったが、実際に同性に欲望を感じるのは、異性間に発生する欲望と同じはずで、締まった臀部や細い指など、部分を人格から切り離し、フェティッシュに発動されるから、思念の過程は哲学的になる可能性はあっても、行為自体は極めて単純だ。 男の表現者で、「ガールズ・ラヴ」を得意とする作家、漫画家なんて聞いたことがなく、まあ、ぺニバンのレスビアンAVが趣味という好事家がいないこともないが、明らかに意味合いが異なるよね。 P326、「人が死のうとする時の本当の理由なんか、本人以外、わかるはずがない」とあるが、これも、どうなんだろう。 中高時代の同級生8人、社会人になってからの友人一人が自死しているが、会社経営に行き詰った一人(自己破産して出直すのが面倒だったようだが)を除き、残りの8人は、現場に行ったり、家族に話を聞いたり、遺された書簡やノートを繰り返し読み直したりしても、「本人でさえその理由をよく理解していなかった」と言わざるを得ず、自殺したいと思うことと実際自殺することの間には途轍もない差があり、彼等は思考停止に陥り、何かに吸い込まれるように世を去ったという感がしてならない。 エマの死以降はミステリーっぽくなり、いろいろ焦らしてくれて、つい術策にハマってしまったが、曖昧にして読者に想像させる手法ならもっと巧みに行うべきだったし、逆に踏み込んでもよかったのでは? 成蹊の後輩に当たる石田衣良の解説がヤバい。 よく練られたヨイショに留まらず、先輩の他の著作をも宣伝しながら何気無く自らの音楽趣味も語り、自作にまで触れ、引いては小説離れが著しいのに、たまたま本書を手に取った方々へ、熱いのか冷静なのかすぐには判断がつかないような文を寄せいていて、著者の小説が嫌いな方は、ここだけでも立ち読みしてみては? あまり期待され過ぎても、困るのだけれど・・・・・・。 でも、『恋』、『欲望』。解説者の『娼年』も読んでみようと思いました。 上記二冊には、著者が生まれた中野の駅北口にあったクラシック、唐十郎がよく原稿を書いていた高円寺のネルケン(いろいろと、お世話になりました)は、出て来るのか、楽しみ。 | ||||
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現在映画上映中ですね。 そんな訳で読んでみました。 1969年前後 仙台 タバコはエムエフ、セブンスター、両切りホープ 硬貨だけ使える公衆電話 携帯電話もメイルも無い 学生運動 そんな時代の小池さんの青春 「あのころを共に過ごした友人のM.I,そしてあのころの作者を知っているすべての人々に本書を捧げる。」とあります。 そして「ふたりの季節」読書メモ 2009年 ふたりの季節 小池真理子 幻冬舎 2008 小池さんの自伝的小説なのかな。 50代半ばの由香と拓、30年を経て突然の出会い。 高校3年からの2年間の記憶が昨日の様に蘇る。 名曲喫茶、学生運動、小説、映画、キラキラと輝き、不安や欲望の中で漂流する青春。夢、大学。結婚を約束した二人が、何気なく別れていく。 携帯電話もメイルも無い時代、そこにも確実に男女の繋がりがあったし、時間の共有があった。 過ぎ去ったはずの「あの頃」が、鮮やかに、そして走馬灯の様に映し出される。 こんな文章に俺もやられてしまう。 宿命、運命、縁。。。この世に、そうしたものが存在することは、由香にもわかっている。偶然は、あらかじめ決められていた必然でもある。細かい、砂粒のような、目に見えない偶然の堆積。人の一生は、偶然の堆積の中にある。そしてそこには、一本の道が延びている。道はうねったり、曲がったり、細くなったり太くなったりす、途切れそうになったりしながら延々とつながって、現在に至っている。さらに、この先、未だ見ぬ彼方に向かって、道は続き、命ある限り果てることがない。p123 携帯番号とメイルアドレスを交換して別れるシーン 拓が手を振った。由香も背伸びをし、大きく振り返した。 人生は続いている、と思った。坂が上がったり降りたり、すべったり、行き止まりを前に立ち止まったり、暗がりを泣きながら手探りで進んだり。。。。ずいぶん遠くまで来てしまったと思っていたのに、道は先に延びているようである。このまま、もうしばらく、歩いていけそうだ。道の先にあるものは、まだ見えてこない。p129 映画化を前提に幻冬舎の社長に難度も口説かれ、断り続けていたが、書き始めたら予定枚数を大幅にオーバーしたとご自身が書かれている。 そして あの時代を、由香と拓のごとく、私と共に生き、共に走り抜けてくれた懐かしい恋人に、本書を捧げる。 2008年霜月 小池真理子 格好良すぎるじゃん。オヤジを泣かせるには十分過ぎます。 ここまで | ||||
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切ない青春と恋がよく描かれている。渉が魅力的で、その繊細さと優しさに恋してしまいそうだ。 青春の成就することなかった恋は、いつまでも尾を引くことを物語っている。 冗長な思わせぶりな言い回しは、鼻につくが、全体として当時の空気感と時代的背景がとても上手く心の動きにフィットしている。 ただ、生活に何不自由のない、親のすねかじりの若者が、未成年なのにたばこをバカバカ吸ったり、酒を飲んだり、大した考えも無しに反対と言ってみたり、つまらないあぶくのような日々ではあるが、それを捨象しても、みごとな小説である。 | ||||
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私は、この小説の主人公と同じ経験をしました。主にクライマックス。好きだった人が同性と繋がっていたという部分。 私はいまもその事実を受け入れられないまま、でも婚約するほど好きであったため、諦められず6年もぐたぐたと、相手と関係を続けています。 ちなみに、事実が発覚した後、私は主人公と同じことをしました。立場的に祐之介であった彼の友人を、真実を話して、追い出しました。 もちろん、彼氏に了承を得て、ですが。彼も人生の枷であった、元恋人の男とこれをきっかけに離れようと決心しました。 とりあえず、この作品を苦々しい気持ちで読み終えました。渉が自殺した結末に、なんだか清々してしまった私は、病んでいるのかもしれません。 決して殺人などという気持ちはおきませんが、代わりに何度も彼との関係で自死を考えました。 いまもよく自死を考えますが、なんとか前を向こうと、必死にあがいています。 作品に戻りますが、ふと印象に残ったのがクライマックス以降。 エマと主人公は渉たちのペットだったのか。それとも渉が死の直前、主人公に愛を伝えるけれど、本当にそれは信じていいものなのか。 渉と祐之介は、自分たちの同性愛を必死に隠そうとします。それは特殊だから?後ろ指さされるから? いや、違うと思います。彼らはお互いの虚無を埋めようとしただけ。性の傾向はゲイでもバイでもない。 彼らはあまりに幼稚に、心の隙間を埋めあっただけだと。 その浅ましさが世にバレれば、自分の弱さを、もっとも見られたくない部分を、知られてしまう。 彼らはすぐにでも壊れてしまいそうな自我を、必死にいびつな形で守っていたにすぎないと思いました。 他のレビューで、彼らの関係を美しく描写されていると評価している読者さんもいらっしゃいましたが、 私はただ、彼らの幼稚さ、純粋な主人公たちを傷つけ、巻き込んでまで自分守ろうとした愚かさを見せつけられた気分でした。 彼らがはっきりとバイやゲイとカミングアウトすれば、違ったでしょう。 でも違います。彼らは「ストレート」だったから、そんなこと、胸を張って言えないんです。 主人公と渉の間に確実に愛はあった。渉と祐之介の間には愛ではなく、麻薬のような依存がそこにあった。 乱文、乱筆ですみません。 最後に感想らしい感想を一言で述べると「エマがあまりにも不憫すぎる」。 | ||||
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同じ時代を過ごした身としては、非常に懐かしさを感じる作品でした。 70年安保前夜の雰囲気がよく伝わってきます。 そんな中で、思春期の四人の男女が、その純粋さ故に最悪の状況に突き進んでしまいます。 若い人にとっては、この主人公の響子たちの生活ぶりが信じられないかも知れません。 でも、当時の世の中は、「権威」に対する反抗が覆い尽くしていました。 大学紛争だけでなく、ここにも登場する様に、高校でも制服反対とか、校則に対する反対の動きが、全国津々浦々に広がりました。 それだけ当時の若者たちは、世の中を考え、「生きる」意味を考えていました。 そして、紛争に敗れた後の虚脱感から、心機一転企業戦士として高度経済成長を支えました。 この作品では、その虚脱感は「殺人」そして「自殺」という形で、四人の関係が崩れることでやってきます。 そして、その「真実」を抱え込んで、主人公は新たな人生に踏み出し、二十年の時を経て、その時代を振り返りに仙台の地に立ちます。 まさに、主人公の生き方は、紛争に参加した(或いは心情的に参加した)者の生き方そのものです。 その意味では、当時の活動家から企業戦士になった者たちへの鎮魂歌にもなっている様に思えます。 | ||||
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思春期の物語です。肌に感じる描写に、心が引き込まれました。いつの時代も同じ…と思いながら… | ||||
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仙台(地方)と東京(地方)の距離感に共感す。そうだったなぁ、たしかに・・・・と。ラジオで中村メイコが「ロストラブ」とかやっているのを、何か悔しい思いで聞きながら受験勉強していたあの頃。高校生としての自分は、入学式に紙吹雪舞い、野次で歓迎されたが、高連も高協も形を潜めシラケムード(ニヒリズムとかいっていたが)漂う、遅れてきた青年としてしか振る舞いようのない世代であったのを思い出す。 仙台については、今は、伊坂幸太郎が上手く表現している。 | ||||
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「無伴奏」は直接的には曲名ではなく、店の名前。 仙台にあった、音楽喫茶。バロック音楽専門喫茶。 主題は音楽ではない。 野間響子の物語。 叔母がピアノの先生。 音楽の題材は少し出てくる。 ローリングストーンズの「アズティアーズゴーバイ」 「勝利を我等に」 ビートルズ「ヘイジュード」 パッヘルベル「カノン」 ジェームズブラウン「マンズマンズワールド」 ラフマニノフピアノ協奏曲 チャイコフスキー「悲愴」 「受験生ブルース」 プロコルハルム「青い影」 マルウォルドロン「レフトアローン」 バッハ「平均律」 「アダージョ」 ダイアナロス,シュプリームス「ラブチャイルド」 バッハ「ブランデンブルク協奏曲」 この曲の順番で物語を予想しながら読むのもよいかも。 曲をかけながら読むのもよいかも。 新潮文庫の解説は石田衣良 「無伴奏」「恋」「欲望」を読んだとのこと。 | ||||
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60年代後半仙台を舞台にした小説「無伴奏」、作者同様、自分も43年前大学生で 実在のバロック音楽の喫茶店「無伴奏」に通った一人です。 ビルの地下の店、二人掛けの椅子、パイプオルガンの音、そして青葉山、北四番丁、 北山、仙台ホテル2階コーヒーショップ、丸光デパート、藤崎デパート、当時の仙台 の街並みが蘇ってきます。 本書は女性の一人称で語られる一事件の物語であり、60年代後半を描いた青春小説 です。作者にとっても読書にとっても懐かしい一冊です。 | ||||
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冒頭でオチ言っちゃってるし、読者を引きこむには勿体ぶりすぎる表現が多いです。「この時こうしていれば、この後ああはならなかったかもしれない。」みたいなドラマ仕立ての文句は効果的に使わないとげんなりさせるだけです。 一読した後の感想は、小池さんってミーハーな人なんだなぁ…でした。 『恋』『欲望』の後に読んだので、性の異端的な話が好きなだけなんだろうなという印象でした。登場人物がみんな美男美女なのも女流作家の典型って感じで辟易させられました。 主人公の回想が主軸にしても、事件後の描写がおざなりな感じがします。道徳倫理に反した恋愛の結末があの展開は小説だからこそありなんだと思います。 ただただ主人公の恋物語を悲しく美しく描いてるだけに思えました。 | ||||
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時は1969年から71年にかけて。場所は仙台。主人公は、高校3年生の響子。そして、東北大の学生渉とその同居人祐之介、祐之介の恋人エマ。二組のカップルの恋愛物語のようで、思わぬ展開が待ち受ける。 恋に夢中になり苦悩する人間の心情を描けば右に出るもののいない小池真理子。ショックで頭が真っ白になる瞬間、嗚咽が込み上げ慟哭する姿、忘れようと必死に心に抑圧をかける状況、恋愛以外のルーチンな生活を営む自然な姿、そして心理描写を置いてきぼりにしない性描写。 とにかく上手い!主人公たちの年齢は若いが、時代は1960年代後半。あの時代が懐かしい世代、そうでない世代、両方が小池ワールドを堪能できる作品。 | ||||
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親の臑をかじりながらも、身勝手にふるまっていた女性の儚い恋の物語。 親や周りの大人に嘘をつき、迷惑かけても反省のない彼女。 若気の至りと傲慢そのものです。しかし、やはり身勝手のツケは来ます。 好きになった相手には、ワケありの恋人がいました。同じく身勝手な者同士で、 彼女の仲間はそれぞれに罪と罰を受けるのです。 数十年前の昔の話なのに、古さを感じさせないのは、 やはり小池真理子だからでしょうね。 | ||||
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本書は「恋」に連なる作品という触れ込みであるが故に「恋」に上回る衝撃を否応なく期待してしまうのだが心配は無用である。味わいその物が違うし、あとがきにもあるように主人公は著者が等身大という設定なので著者と同じ視点で回想しているかのような錯覚さえ覚える。読者を意外な方向へ連れだしスキャンダルスに楽しませてくれる凄みに圧巻させられる。 | ||||
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