(短編集)
千日のマリア
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小池真理子の文体は気持ちが良い。 流麗でひっかかるような部分はなく、読んでいる時間が幸福に感じられる、そんな力のある文章だ。 本書は作者が60代前半頃に出版された作品集であることからか、いずれの作品からも、どこか静かな孤独感のような雰囲気を感じます。かと言って、それを絶望するような孤独感というのではなく、その孤独感を自分なりに受け入れ生きていく姿勢を感じます。 例えば「常夜」では、晩秋の午後の光が弱弱しく刺す、古びた素朴な駅の踏切の音から物語が始まります。 十数年前に別れた夫日出夫が亡くなり、その姉佐知子と再会する修子。 両親も亡くし、子供もいない彼女は、ふと「家族や身内と呼べる人間が誰もいなくなった自分の孤独を思った。ひとりであることに改めて呆然と」する。 それでも「長く生きてきて、足のすくむような、怯えてしまうような孤独感には慣れっこになっている。」 日出夫は亡くなる前、小鳥を飼っていたという。 「死ぬまで狭いかごの中で生きていくことを強いられ、その小さな世界を身の丈に合った場所として静かに受け入れ、孤独を悲しまず、控えめに餌をついばみ、水を飲み、毛づくろいをい、眠ること以外することが何もない。そのくせ、虚空に向かって全力で囀っているときの彼らは、生きていることを誇らしげに主張しているように見える」 そんな日出夫の飼っていた小鳥を見、佐知子と話すうち修子は 「自分が世界と繋がっているのが感じられた。この大地、天空、ありとあらゆる生き物たち、過ぎてきた時間、失ったはずのものとも、自分が確実に繋がっている」と感じる。 そして思う。死んだ元夫も「もっともっと長く生きて、いやなこともいいことも、寂しいことも嬉しいことも、うんざりするほど味わい続けていたかったのではないか」と。そして自分もそれは同じだと。 「テンと月」でも、孤独に陥った女性が、庭に現れる動物を見て思う。 「生き物はみなそうやって生きている。どんな最期を迎えようが、どんな悲運にあおうが、文句ひとつ言わず生きている。そう考えると女はいくらか救われた。そしてまた、なんとかして生きていこうと思えるようになるのだった」 いずれの作品も「折り重なった葉の向こうから刺す柔らかい光」のような作品です。 | ||||
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読みながらどれも淡々とした内容だと感じる中で、題名になった小説が1番しっくり来ず、読まなければ良かったと思うくらいの内容でした。そのため、最後の1つの短編は読みませんでした。 | ||||
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個人的には世界観にハマらなかった。好きな人には好きな作品なのかな。 | ||||
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面白かったです。続編が出ても買って読みます。良かった良かった | ||||
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大好きでもっとも尊敬する小池真理子さんの短編集。数々の小池ワールドに登場して来た女性達の集大成のように思えた。恋・性・別れ・老い・死。小池さんが描くとこんなにも美しく、儚く、気高く、凛々しいのです。綺麗で流れるように美しい表現や文章の読後はいつもとおり、独特な静寂とその景色と漂う香りに包まれ、しばらく放心状態になる。小池真理子さんを始めて読んだあの若かった日以来作者と一緒に年を重ねたからこそ、この作品の素晴らしさが腑に落ちる。 | ||||
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