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終の市の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.83pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全2件 1~2 1/1ページ
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劣化が加速する。 一言で言うならば、「ハーレクインロマンスを無理矢理にノワール小説化」した 作品で、読む価値はない。よくもまあこれほど質の低い「小説」を書いたもものだ と、ウィンズロウを褒めたくなってしまう。 この一連の「業火の市」、「陽炎の市」、「終の市」が最後の三部作としたら、ウィ ンズロウに対する評価は、残念ながらかなり低いままだろう。「業火の市」は発売 当日に予約までして読んだが、そのあまりの手抜きのストーリーに呆れ、レビュ ーを書いた後にすぐに捨てた。それぐらい質が低かった。 本作も同じで、ウィンズロウが独りよがりで突っ走り、「かっこよさ」や「粋」で あることを、何か勘違いしてしまった作品。 まず登場人物にまるで存在感がない。出てくる人物は、ダラダラとした意味の ない自意識過剰の鬱陶しい言葉を吐きつつ、そのリアリティのかけらもない。 出来の悪い自動人形がガーガー、喋くっている印象で、あまりのつまらなさに本 を取り落としそうになる。 主人公が次々に困難に直面し、その度に「ご都合主義」そのままの結着を見る。 FBIの捜査官(意味なく「女性」であることをウィンズロウは言い立てるが、意味不 明のキャスティング)が一言ラスヴェガスの小物に話をすると、小物がわざと言っ た悪口がヴェガス中にまき散らされる。この下りが何とも奇妙で安直、読み直し たが一人が(でたらめの)悪口を言っただけで、とてつもない結果が引き起こされ る。あまつさえ、そのデタラメを言われた主人公は、その犯人捜しさえしない。 「困った時のお母さん頼み」もあまたある。今までヴェガスを忌避してきた大物 が、お母さんの一本の電話で主人公会うことを承知し、そして主人公の側に立つ。 目を白黒させるような安っぽ筋立ては「業火の市」同様健在のようだ。なんとお母 さんはCIAの長官とまで深い仲だったらしい。 「業火の市」では、主人公が追い詰められるどんぴしゃのタイミングで、20年も 会っていなかったお母さんが助けてくれる。ありえない設定の連続。 主人公は、困った時には母親に相談。まだ乳離れしていない様子。 亡くなってしまった妻や付き合っていた女優。これらも単に主人公を飾るだけ のもの。主人公を何とか「偉いさん」に仕立てようと、ウィンズロウはさらに失速 し、挙げ句の果ては主人公は「スーパーマン」になってしまう。 何せ、やることなすこと、上手くいかない時には、援助する人物が急に登場す るのだから。なんなんだこの「物語」は。 この作品をよくも、「犯罪小説の王ドン・ウィンズロウ、最後の大作。 ギャング・ノワールの金字塔、ここに完結!と帯に書くものだと、その勇気にび っくりした。 このような、キャリアの最後に出来のよくない作品を紡ぐことは、「ハンニバル ライジング」という世紀の愚策を上梓してしまった、トマス・ハリスだけではない ようだ。トマス・ハリスはおそらく1000万ドルほどで、その版権を買ってもらい、 そして「お金」のために作品を犠牲にした。その轍をウィンズロウは踏むのだろう か。 「業火の市」でウィンズロウに見切りを付けたが、書店で懐かしいウィンズロウ の名前に引かれて、本書を購入した。 「業火の市」ほどひどくはないが、やはり失敗作ではないだろうか。 安っぽい筋立てと、ストリーテラーとしての才能枯渇。それを強く思った。 救いはスピード感があること。嫌みたらたらのレビューとなるが、根を詰めて 読むことはなんとか出来た。ただ、旧作に比べると質は悪い。 ウィンズロウは「犬の力」シリーズで才能が枯渇したのだろう。 まことに残念だ。 | ||||
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三部作最終巻、それもドン・ウィンズロウの絶筆作ということで期待値が高すぎたかもしれない。 ハリウッドから去ったダニー・ライアンのラスヴェガスでのビジネス、逃亡者となったイタリア系マフィアの有力者クリス・バルンボを巡る物語、継父と実母を殺してしまったピーター・モレッティ・ジュニアの裁判の顛末、本作は実に3本ものストーリーラインが存在し、これを交互に描く形で進行する。 サブストーリーラインの中心人物クリス、ピーターはダニーの裏社会の過去に深い関わりのある人物であり、3つのストーリーラインは終盤で交錯するのだろうな、と思われるのだが、全くそうはならない。3つのストーリーはバラバラにそれぞれの終幕をむかえてしまうのだ。 またこれまで積上げてきたキャラクターの扱いも、かなり雑に感じられる。 ダニー一家の生き残り、ネッドやバーニーもびっくりするぐらいあっさりと退場するし、FBIの捜査官レジー・モネタやその手先コナリー、三部作を通じてキーパーソンとなっていたパスコ・フェリたちは途中でストーリーから ”消えて” しまう。 レジーなど今回のダニーの窮地は彼女の歪んだ恨みが全ての原因だと言っていいのに、どうなったのかさっぱりなのだ。 本作で初登場のキャラで言うと、デトロイトの組織のボス、”アリーボーイ” リカタはまるで禁酒法時代がそのまま続いているかのように自分の欲望だけのために暴力をむき出しにダニーを追いつめる、ダニーの暗い過去が人の姿になって現れたような男だ。過去の清算としてダニー自身が決着をつけねばならない、本作の・・・と同時に三部作最大の山場なのだが・・・・ 「オマエは知らんだろうが、実はこうなっているんだよ」と誰かが言うだけで状況逆転って、安直すぎはしないか? しかも同じ作品の中で、クリスのストーリーで彼を食い物にしてきたイタリア系マフィアのボス達についても、著者は同じ手段を用いている。 謝辞のところを読むと、どうやら編集者の意見を入れてストーリーに変更を加えたらしいので、そのあたりに原因があるのかもしれないが・・・・。 さすがのドン・ウィンズロウも、アメリカの叙事詩を描くと言う構想に振り回されて、ノワール小説としては煮え切らなさを残してしまったな、という印象。 結局文句なく第一作、『業火の市』が三部作で一番面白かった、というのではキャリアの ”終の作” としては不十分だろう。 これが最後、とは言わず再起を望みたいところ。 | ||||
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