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虚空遍歴
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【この小説が収録されている参考書籍】
虚空遍歴の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.16pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全38件 1~20 1/2ページ
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★3.2/累計2166冊目/2024年121冊目/9月6冊目/『虚空遍歴(上)』(新潮文庫/新潮社)/山本 周五郎/P.432/1966年/542円+税 #読書 #読書2024 #読了 #読了2024 今年読んだ本の中で読了に一番時間がかかった。文字は小さめ、改行がほぼないページもある、余白もない。しかしながら、内容は薄いと感じた。本作を通して山本周五郎が何を言いたかったのか、全く見えてこない。強いて言えば「大切なのは減りもせずなくなすこともできないものだ。人によってそれぞれ違うけれど、見つけようとすれば誰にでも、一つだけはそういうものがあるはずだ」(p102)あたりがメッセージだろうか。切った張ったシーンは若干ヒヤッとしたが、それ以外は印象に残っていない。下巻を読むのが億劫だ。 | ||||
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山本周五郎の傑作というが全般的に暗い! 進めば進むほど暗くなって行くので、下巻は読むのを止めている。 | ||||
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山本周五郎は短編の方が良い | ||||
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古本の割には状態も良く価格が安かった。 | ||||
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読み進めながら、息苦しくなるような思いをするのはいつ以来だろうか? 予備知識はなかったが、将来を嘱望された端唄の師匠が、より高みを目指し、 独自の浄瑠璃のふし付けに挑む。 一切妥協せず、過酷なまでに自分の心と体を追い込むその姿勢に、自然と 感情移入してしまう。 自分はここまで仕事に没入はしていないと、感じ、どうか、大成してくれと、 願わずにはいられなくなった。 当初はハッピーエンドを予想したが、あれよあれよと残りのページ数が減り、 読みながら、まさか、このままなのかと。 生ききる、という言葉がある。人生の炎を燃やし尽くす、でもいい。 他者から見れば、主人公中藤冲也は不幸かもしれない。 しかし、彼はまさに命懸けで仕事に没頭し、炎を燃やし尽くした。 彼に、後悔はないであろう。 ヘミングウェイの「老人と海」と似たものを感じた。 結果的には、第三者的には、徒労に見えるかもしれないが、その時その時に 全力でぶつかっていくことが、生の証しなのだ。 | ||||
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初めて読んだ時は壮絶過ぎて読み進むのも苦労してこんな悲惨な話しがあるかと思ってそれっきりでいたのですが、それから数十年後、ある記事で名前はわすれたのですが、当時の編集者の方がこの最晩年の作の虚空遍歴を書き上げた直後周五郎氏はげっそりとしていて精魂尽き果てたようだったという記事を読んでもう一度読んでみようと思って読みました。 これは周五郎氏自身の長年の苦しみそのものではないかと思い、小説という虚空での苦しみの記録なのではないかと思い至り、 この作品の後、ながい坂という虚空遍歴とは一見真逆とも取れる希望の書を出されたその峻厳な周五郎氏の生き様に触れた、 虚空遍歴凄いと思いました。 | ||||
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苦しい話でした。 苦しい話でしたが、なんだか江戸時代の話だとは思えないような話でした。 特に下巻は一気読みでした。 仕事とはそうせねばなるまいのだなと思いました。もがいた先にあるものはなにか。主人公は幸せなのか。 ぼくらは彼らみたいな人生を歩くことができているのか。そんな自問を繰り返さざるをえませんでした。 大変満足です。 | ||||
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昔昔の話しかも知れない。浄瑠璃って何ぞや?と思うかも知れない。この作品は浄瑠璃が何か?ではなく、人の生きる道筋の話しで今の時代にも通じる。決して諦めない生き方のバイブルかも知れない。 | ||||
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・往き着く先は、芸を極めるでなく、極めるを求めて止まない歩み、にこそ価値を置く、という些か教訓めく物語になり、光明を見出すよりは、敢えて苦難を求める、その息苦しさが表に出て来て、楽しめぬ小説と化してしまった。 周五郎小説の一典型、と云えなくもないが、今は好みまない。 | ||||
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・周五郎の代表作の一つ、と云われています。道一筋に境地を求める、主人公冲也は迷いを抱きつつも、周囲の励ましを力に、歩みを続けます。 しかし迷いにしろ、越える苦難を解るには、冲也の芸「端唄」の、良し悪しや味を知らないと、寄り添って進むのが、段々苦痛になって来ます。 冲也の目指す芸、その道を極める苦しみや、達成の歓び、その諸々の中に身を置けなくて何の読書ぞ、との焦りに似た気持ち、に囚われてしまいました。 | ||||
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山本周五郎の作品群を再読、再再読しながら80年の我が人生について、これからについて多く考えさせられている。若かった日々に読んだ作品を改めて手にして感慨ひとしおだ。 | ||||
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山本周五郎の傑作であることも、またその魅力もほかのレビュアーの方が書き尽くしているので、ちょっと変わった感想を書きます。なんとなく、ドラッグで滅んでいった才能あるロックやジャスミュージシャンたちのイメージが浮かんできました。ジミヘンとか、ジャニスとか、すごい作品を残した人じゃなくて、心の中では素晴らしいメロディや歌詞、サウンドがなっているんだけど、どうしてもそれをうまく表現できずに、悩んでドラッグやアルコール、そして異性関係におぼれて行った人たちのこと。そういう人はあまり名前も作品も残らない・・・ この長編の主人公もそうで、きっと素晴らしい浄瑠璃が頭の中では出来上がっているんだろうけど、どうしてもそれを作品化できない。作品への自信もあるけど、それを形にできない悔しさ、もしかしたら自分の才能では表現しきれず終わるのではないかという不安から、酒におぼれ、対人関係ですべて失敗する。作中には、同じような悩みを持っていそうな人も出てくるんだけど、自殺してしまう画家(彼が一番主人公に近い)を除けば、どこかで妥協して、芸人としての道をあきらめたり、限界を知ったうえでの作品活動に至るので、作者のように破滅はせず生活の中に着地できる。才能は有り余るほどありながら、その表現がついていけない、でも、頭の中で鳴っているこの音楽を何とか表現しなければならない・・・こんなに苦しいことってないかもしれない。 周囲から見れば、ただのアルコール中毒の芸術家気取りで、口ほどにもない何も作れない芸人。しかも武家のプライドや、それなりに実家や家庭が裕福だからいい気になって暮らしている中途半端な坊ちゃんにしか見えない。でも、たった一人の理解者「おけい」は、これほど懸命に、高貴に生きた人はいない、たとえ作品などでき上らなくても、この人の人生それ自体が美しい作品なんだ、ということに気付いている。そこが深い感動を呼びます | ||||
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真の芸術を求めて各地を放浪し浄瑠璃作りに生涯をかけた男を描いた作品。物語は主人公中藤中也と、中也に憧れを抱く女おけいを軸に展開します。 苦悩する中也の姿からは芸とは何かを考えさせられ、その中也を陰ながら支え続けるおけいの姿からはひたむきな美しさを感じました。病気の中也が息を引き取るラストでのおけいの悲しみの描写には思わず涙が溢れました。 著者の周五郎は自身を中也に投影させているところもあると思うのですが、「死は人間の一生にしめ括りをつけ、その生涯を完成させるものだ、消滅ではなく完成だ。」という中也の言葉が記憶に焼き付きました。 長い物語ですが中也が命を狙われたり狙ったりの緊迫や、戯曲家や絵師などの人生模様など、読み所は多々。最後は悪い印象で終わった妻のお京も、芸人の妻としては十分良い妻だったのではと思います。 著者の人生論、芸術論が作中に散りばめられた長編でした。 | ||||
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面白かった。 | ||||
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新品を注文したのに10年前発行の古本が届いた。 紙は変色していて表紙も傷んでいる。 過去に司馬遼太郎を注文したときも同じことがあった。 ちゃんと検品してから送って欲しい。 後日、交換本が届いたけれど、また平成21年発行の変色した古本だった(呆) | ||||
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面白かった。 | ||||
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大変読み答えのある作品で、自分の生きる糧となった。 | ||||
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大変感動した。人間の生きざまとして、色々考えさせられる、場面も多く有った。お酒を飲む場面も多く有り、分る気がする。 | ||||
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山本周五郎『虚空遍歴 上下』(新潮文庫、1966年)下巻に入ると主人公のダメさが目につく。私は著者の作品では自分の価値をストイックに追求し、世間的な優等生の価値観を無視するキャラクターが好きである。昭和的な「頑張ります」精神の対極に魅力を感じるが、酒に溺れて堕落するだけのキャラクターはダメである。 酒に酔うことは毒である。本書では酒であるが、現代ならば危険ドラッグなどの依存性薬物も該当する。創作に根を詰めすぎることが大変であることは理解できる。逃避することは必要だろう。しかし、酒やドラッグはクリエイティブな仕事をする人の選択肢ではない。それが二十世紀になっても作家の逃避行動になっていたことにゾッとする。ゲームのし過ぎで休載している漫画家の方が健全である。現代は小説でも漫画でもアニメでも逃避できるものは幾らでもある。酔っぱらってくだをまくのが文人というステレオタイプは昭和で終わって欲しい。 主人公は自力で成し遂げようとする。それは結構なことであるが、ロビンソンクルーソーのように全て独力は不可能である。主人公は自力で成し遂げようとして逆に他人の面倒を増やしてしまう。何を自力で進め、何に他人の力を借りるか選択と集中が必要である。何でもかんでも自前主義の昭和的体質の日本企業が国際競争力を持たないことと重なる。 | ||||
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偉大な作者の作品なので次のページになればと思って捲ってきたが期待外れだ。 | ||||
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