おさん
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・山本周五郎には、底に『不思議や綾』を潜ませた、小説が少なくない。 そこでは、いわゆる神憑り的なものから、誰しもが張る意地や備わる癖、或いは全くの行きずりなどが、少し度を越したり、思わぬところで噴出してしまったり、或いは新たな縁を生み出したりして、人の生き方が決まって行く、様が描かれる。 そのようにして描かれる小説が拡がりを持ち、奥まることは、昔から知られた創作手法であったが、近現代で周五郎ほど、巧みに駆使し得た作家は見当たらない。この本では表題作を始め、周五郎独特の簡潔な筆致の積み重ねで、その様が帯びる人生の哀歌を、紡ぎ行く。 それらは、単なる義理や人情を越えた、これぞ真の愛と思えるような、周五郎ならではの広く深い人生模様で、読んで楽しむ以上の感慨を覚えた。 | ||||
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特別感動した作品もあればそうでもないものも。山本周五郎氏の大ファンではあるものの殆ど読んでしまったので、どうしようかと迷いながら買った。既に読んで居た作品も収められていたので、何となく暇つぶしに読んでいる感覚でした。 良い作品は秀逸でした、これは間違いないです。 | ||||
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迅速に対応していただきありがとうございました。商品もとてもきれいでした。 | ||||
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山本周五郎の短篇『おさん』(山本周五郎著、新潮文庫)は、男と女の愛について考えさせる作品です。 「これ本当のことなの、本当にこうなっていいの、とおさんが云った。それは二人が初めてそうなったときのことだ。そして、これが本当ならあした死んでも本望だわ、とも云った」と、始まります。 24歳の床の間大工の「おれ」参太と、仕事を差配してくれる大茂の帳場で中働きをしているおさんとは、ひょっとしたことから結ばれてしまいます。「おどろくほどしなやかで柔らかく、こっちの思うままに撓ううぶな軀の芯で、そんなに強く反応するものがある、ということがおれを夢中にしてしまったらしい」。 「あたしおかみさんにして貰おうなんて思わないのよ、とおさんは云った。夫婦になろうと云いだしたのはおれのほうだ、あとでわかったのだが、おさんには親許で約束した男があり、その年が明けると祝言をする筈になっていた。おれは知らなかったからおさんを説き伏せたうえ、親方の許しを得て世帯を持った」。 「おれを夢中にさせたおさんのからだは、いっしょになるとすぐに、この世のものとも思えないほど深く、そして激しくおれを酔わせた。誰でもこんなふうになるの、恥ずかしい、どうしてあんなになるのかしら、女っていやだわ、とおさんが云った」。 ところが、問題が生じます。「夫婦の情事は空腹を満たすものではない、そういうものとはまるで違うのだ。単に男と女のまじわりではなく、一生の哀楽をともにする夫婦のお互いをむすびつけあうことなのだ。そのむすびつきのうちにお互いを慥かめあうことなのだ。おれがそう気づいたとき、おれをあんなにのぼせあがらせたおさんの軀が、おさんをおれから引きはなすことに気がついた。おさん自身でも止めることのできない、あの激しい陶酔がはじまると、おさんはそこにいなくなってしまう。完全な譫妄状態で、生きているのはその感覚だけだ。・・・そうしてやがて、その譫妄状態の中で、おさんは男の名を呼ぶようになった」。 夫婦になって1年足らずの時、耐えられなくなったおれは、上方に仕事があるという口実をつくり、おさんを残して江戸を立ちました。 2年が経ち、おさんのことが気になったおれは、江戸に舞い戻り、おれに捨てられたおさんのその後の悲劇を知ることになります。 私には、少々難点があろうと、好きな相手とは添い遂げろ、と山本周五郎が言っているような気がしてなりません。 | ||||
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山本周五郎『おさん』は時代小説の短編集である。最初の短編「青竹」は井伊直政の家臣の話である。井伊直政は2017年のNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』で親近感を持つようになった。 「青竹」では功を誇らず、自分が納得できないものは世間的には褒章になるものでも頑固として受けない武士の清々しさを描く。タイトルの「青竹」は「竹を割ったような性格」という言葉に因む。明治時代以降の立身出世主義へのアンチテーゼである。 この立身出世主義へのアンチテーゼは、経済成長一本槍の戦後昭和レジームを見直す上で必要なものである。戦後昭和の右肩上がりの経済成長は明治時代の追いつけ追い越せの延長線上にあるものだからである。 現代日本の混迷は経済成長一本槍を批判する勢力が再配分ばかりに注目したことである。再配分するためには配分するだけの原資が必要になる。個人の名利を求めるだけの経済成長は悪であるが、再配分するための経済成長は善になる。「お前は再配分のために頑張れ」「頑張れる人間は頑張れ」と個人に頑張りを強要する。それでは立身出世主義を根本的に否定できなくなる。 この立身出世主義へのアンチテーゼは著者のテーマと言っても良いだろう。他の短編「ゆだん大敵」や「内蔵允留守」にも見られる。ところが、本書収録の短編「葦は見ていた」では立身出世主義になっている。しかも、想い人の本心を知らず、誤解したまま吹っ切れて立身出世主義になったことを立ち直ったと位置づける。色々な人間を描くことも作家の仕事だろう。 | ||||
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