日本婦道記
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中古本なのですから古いのは想定していました。しかし想定をはるかに越えた古さにビックリしました。頁は日焼けで茶色です。 その本を開いたままボー然としましたがどんな人達が読みどんな年月を超えて来たのかなと思うとむしろ感動しました。 読み始めるとなかなか読み応えあります。 | ||||
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非常に良い | ||||
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高校の時家庭科の先生が「読んで感想を書くように」と言った(方向性を強いられることはなかった)その時から違和感のある小説だったが、山本周五郎作品を知るたびに違和感は募り、嫌悪感になった。 周五郎自身は、「女性だけが犠牲になる話ではない」と言っているようだが、男性も忠義やお家の犠牲になり、女性は男性よりさらに一段低く、権利も何もないから、さらにひどい犠牲になる。それが美しいと思わされていた時代。自分の意志で犠牲になるのは勝手だが、家族も当然のごとく巻き込まれる。どう言いつくろっても、この小説は、自分の意志を曲げられ、納得させられる女性たちの話ばかり。その犠牲の強要は戦前の抑圧につながっていくと考える。最近この小説が復刊されたことに意図がないか、恐ろしいものすら感じる。 | ||||
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自分の誕生と同時に父が買い求め、12の誕生日に贈られた宝物の一冊。 (当時の価格はなんと110円。装丁も地味な紺の縞紬で渋くてクール!) 一方で母はこの本を嫌っていた。 女だけに一方的に犠牲と忍従を強いた家父長的社会の価値観を美談として押し付ける物語、と考えていたらしい。 どっこいこの小説はそのような浅薄な解釈を当時小学生だった自分でも「それは違うだろ」と断言させるパワーに満ちている。 市井の名もなき女性達のそれぞれの凛とした生き方、思慮深さ、忍耐と強固な意志に基づく愛情の海の如し深さ。 その珠玉のような一遍一遍はもはや女のハードボイルドだ。 そのハードボイルドの美学の貫かれた物語の一番最後にトドメとばかりに「二十三年」の「おかや」が現れる。 「おかや」自身が自分の二十三年にも及ぶ献身の結末を悲劇と捉えていたのか悔いなしと捉えていたのか周五郎は一切語らない。 ただ強烈な現実をカウンターパンチのように読者の横っ面に叩きつける。 なんてカッコイイ小説だろう、と何度読んでも思う。 山本周五郎がこの作品での直木賞受賞を辞退したことはあまりにも有名な事実だが、その謎の解はこの「二十三年」に結実していると考える。 戦時中「銃後の婦女かくあるべし」の物語としての賞賛など筆者にとっては冗談どころか生理的嫌悪をもよおす事態だったのかもしれない。とっとと逃げ出して正解だ。 戦時中の検閲を逃れてギリギリのラインで「二十三年」を書いていた周五郎の気概と気迫を当時の文壇は気づいていたのかいないのか。 「白痴」になっているのはどっちだ? 「啞」になっているのはどっちだ? 「おかよ」の悲劇はその後の日本の悲劇に重なる。 村岡花子のコメントが書かれたのは1958年。(なんと60年前) この版でも現存するか不明ですが思いあたる節のある殿方はご自戒をv | ||||
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さすが山本周五郎作品です。素晴らしいです!購入して良かったです。 | ||||
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