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おさん
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【この小説が収録されている参考書籍】
おさんの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.64pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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・山本周五郎には、底に『不思議や綾』を潜ませた、小説が少なくない。 そこでは、いわゆる神憑り的なものから、誰しもが張る意地や備わる癖、或いは全くの行きずりなどが、少し度を越したり、思わぬところで噴出してしまったり、或いは新たな縁を生み出したりして、人の生き方が決まって行く、様が描かれる。 そのようにして描かれる小説が拡がりを持ち、奥まることは、昔から知られた創作手法であったが、近現代で周五郎ほど、巧みに駆使し得た作家は見当たらない。この本では表題作を始め、周五郎独特の簡潔な筆致の積み重ねで、その様が帯びる人生の哀歌を、紡ぎ行く。 それらは、単なる義理や人情を越えた、これぞ真の愛と思えるような、周五郎ならではの広く深い人生模様で、読んで楽しむ以上の感慨を覚えた。 | ||||
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特別感動した作品もあればそうでもないものも。山本周五郎氏の大ファンではあるものの殆ど読んでしまったので、どうしようかと迷いながら買った。既に読んで居た作品も収められていたので、何となく暇つぶしに読んでいる感覚でした。 良い作品は秀逸でした、これは間違いないです。 | ||||
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迅速に対応していただきありがとうございました。商品もとてもきれいでした。 | ||||
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山本周五郎の短篇『おさん』(山本周五郎著、新潮文庫)は、男と女の愛について考えさせる作品です。 「これ本当のことなの、本当にこうなっていいの、とおさんが云った。それは二人が初めてそうなったときのことだ。そして、これが本当ならあした死んでも本望だわ、とも云った」と、始まります。 24歳の床の間大工の「おれ」参太と、仕事を差配してくれる大茂の帳場で中働きをしているおさんとは、ひょっとしたことから結ばれてしまいます。「おどろくほどしなやかで柔らかく、こっちの思うままに撓ううぶな軀の芯で、そんなに強く反応するものがある、ということがおれを夢中にしてしまったらしい」。 「あたしおかみさんにして貰おうなんて思わないのよ、とおさんは云った。夫婦になろうと云いだしたのはおれのほうだ、あとでわかったのだが、おさんには親許で約束した男があり、その年が明けると祝言をする筈になっていた。おれは知らなかったからおさんを説き伏せたうえ、親方の許しを得て世帯を持った」。 「おれを夢中にさせたおさんのからだは、いっしょになるとすぐに、この世のものとも思えないほど深く、そして激しくおれを酔わせた。誰でもこんなふうになるの、恥ずかしい、どうしてあんなになるのかしら、女っていやだわ、とおさんが云った」。 ところが、問題が生じます。「夫婦の情事は空腹を満たすものではない、そういうものとはまるで違うのだ。単に男と女のまじわりではなく、一生の哀楽をともにする夫婦のお互いをむすびつけあうことなのだ。そのむすびつきのうちにお互いを慥かめあうことなのだ。おれがそう気づいたとき、おれをあんなにのぼせあがらせたおさんの軀が、おさんをおれから引きはなすことに気がついた。おさん自身でも止めることのできない、あの激しい陶酔がはじまると、おさんはそこにいなくなってしまう。完全な譫妄状態で、生きているのはその感覚だけだ。・・・そうしてやがて、その譫妄状態の中で、おさんは男の名を呼ぶようになった」。 夫婦になって1年足らずの時、耐えられなくなったおれは、上方に仕事があるという口実をつくり、おさんを残して江戸を立ちました。 2年が経ち、おさんのことが気になったおれは、江戸に舞い戻り、おれに捨てられたおさんのその後の悲劇を知ることになります。 私には、少々難点があろうと、好きな相手とは添い遂げろ、と山本周五郎が言っているような気がしてなりません。 | ||||
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山本周五郎『おさん』は時代小説の短編集である。最初の短編「青竹」は井伊直政の家臣の話である。井伊直政は2017年のNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』で親近感を持つようになった。 「青竹」では功を誇らず、自分が納得できないものは世間的には褒章になるものでも頑固として受けない武士の清々しさを描く。タイトルの「青竹」は「竹を割ったような性格」という言葉に因む。明治時代以降の立身出世主義へのアンチテーゼである。 この立身出世主義へのアンチテーゼは、経済成長一本槍の戦後昭和レジームを見直す上で必要なものである。戦後昭和の右肩上がりの経済成長は明治時代の追いつけ追い越せの延長線上にあるものだからである。 現代日本の混迷は経済成長一本槍を批判する勢力が再配分ばかりに注目したことである。再配分するためには配分するだけの原資が必要になる。個人の名利を求めるだけの経済成長は悪であるが、再配分するための経済成長は善になる。「お前は再配分のために頑張れ」「頑張れる人間は頑張れ」と個人に頑張りを強要する。それでは立身出世主義を根本的に否定できなくなる。 この立身出世主義へのアンチテーゼは著者のテーマと言っても良いだろう。他の短編「ゆだん大敵」や「内蔵允留守」にも見られる。ところが、本書収録の短編「葦は見ていた」では立身出世主義になっている。しかも、想い人の本心を知らず、誤解したまま吹っ切れて立身出世主義になったことを立ち直ったと位置づける。色々な人間を描くことも作家の仕事だろう。 | ||||
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おさんの女性としての特異な体質、性格、色合いが素晴らしく表現されている。男性がそれにのめり込んでいく様が面白く書いてある。鍮盗の最後の逆転は痛快に読ませて頂いた、しかしあの時代にもあの様な姫がいるということが愉快でした。喋りすぎは男の友情、男の中の男を上手く表現しており、それに振り回される女性達がおかしくも悲しくもあり、それでも、許される男の友情を感じた。 | ||||
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ちゅうもんどおりの、ほんでした。きじつないのうひん。文句無し。 | ||||
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昭和17年から37年まで各種の雑誌に掲載された短編を集めた一冊です。表題作「おさん」は、その性のあまり悲しい運命にあうシリアスな話で有名ですが、他の作品もどれも素晴らしかったです。 私は、今まで山本周五郎氏の作は、長編主体に読んでいて、それらも素晴らしく、短編はどちらかと言えば手を出さなかったのですが、周五郎氏の短編に一度手を出してからは、その内容の充実さに驚かされ、すっかり周五郎氏の短編好きになってしまいました。作者曰く「幾通りの人世を描き読者の遍路の杖になる」そうです。山本氏の短編を沢山読んで、確かに私も幾通りもの人生を経験させられた様に思います。充実した一冊です。 「青竹」 近江の国佐和山城の井伊直政の侍臣のひとり余吾源七郎は、戦でも臨機応変に勝利し、何につけても控えめで竹を割った様な性格で、主君からも好まれる存在だった。そんな彼が一度断った縁談で将来妻女となるべき女性の死を知りながらも戦場を死守する姿を感銘的に捉えていました。 「夕靄の中」 桐生で仕立職をしている半七が復讐の為に金次を刺すつもりで江戸へ入って行く。すると後ろからつけてくる者に気付き、恐れて通りがかりの寺へ墓参の姿のふりをして逃げ込むが、それは若い娘の墓石だった。後をつけていたのは町方で、亡くなった娘に未練を残すより残ったお袋の面倒をみよ、と諭し半七の犯行を予測して未然に防いだ町方のセリフが秀逸でした。 「みずぐるま」 谷口修理に誘われて掛け小屋の興行を見に行った弘田和次郎だったが、軽業一座の女太夫若尾を見初めてしまい、家に養女として引き取る事になった。修理は、かつて和次郎の姉を裏切っており若尾にも迫るが若尾の信頼は他へは変わらない。若尾の心の温かみと愛情が読み取れて、とても素敵でした。 「葦は見ていた」 藤吉計之助の家は五百三十石の中老であったが、父の葬儀で江戸へ行った時、芸妓のおひさと知り合い江戸という場に浮かれ芸妓遊びにくれてしまう。おひさに溺れた計之助は全財産を放蕩してしまった。そんな姿を見兼ねた親友の杉丸東次郎が奇策を使い計之助を立ち直らせてしまう。出世した計之助は熊井川で釣り糸を垂れて一日過ごすが、ふと川原で蒔絵の入った文箱を拾い、中に入った手紙を読む。それは川へ身を投げたおひさの遺書だったのだが出世主義になり打算的になった彼には、その遺書の意味も杉丸の好意にも気が付かないと言う不条理を訴えている。 「夜の辛夷」 岡場所で働く二十四になるお滝のもとへ新しい客が付き馴染みになった。お滝は兇状持ちが来ると岡っ引きに密告して礼金を得ていた。男も世を呪って盗賊になった者だったが、男を好いてしまったお滝は逆に男を逃がそうとする。だが男は生きる為に何でもするというお滝と会った事で、もう一度やり直そうと決心する。逃がしたい、自首するという二人の気持ちが哀れで美しい。 「並木河岸」 船大工で子供好きの鉄次は妻おていが三度目の流産をした時少なからず落胆していた。おていが寝床で養生している間、家食が無いため居酒屋で飲む様になり帰りも遅くなった。そこでお梶という女と知り合い、おていに嘘をついて遠出をする約束をしてしまう。私も付いて行くと言うおていを振り切って家を出た鉄次は無意識に並木河岸に来てしまった。そこはおていと昔、逢引した思い出の場所だった。そこへおていが表れる。おていは以前よりこの場所が忘れられず度々訪れていたのだった。鉄次はおていを抱きしめる。夫婦なら一度は経験する隙間を描いた作。 「その木戸を通って」 平松正四郎は家禄四百五十石の家格であったが、御城代の御息女で加島家のともえと縁組が決まっていた。ある日、正四郎を頼って屋敷へ見ず知らずの一七八の娘が訪れてきた。加島家からは正四郎に因縁のある女だと疑われる。正四郎は縁談を妬む者による罠だと思い彼女を追い出す事にするのだが、二人は奇妙な調和で共鳴しだし女は誰からも愛される女に変わってゆく。だが、ある日彼女は突然昔の事を思い出し木戸を通って消えてしまった。現代で言えばファンタジー色の良作。 「おさん」 参太はおさんと一緒になった時、おさんはこの世とは思えないほど深く、そして激しく参太を酔わした。おさんも参太を求め、参太無しにはいられなかった。だが参太にはひとつ気になる事があった。それはおさんが最中に別の男の名を呼ぶのであった。それに耐えられず参太はおさんから離れるが数年後に再びおさんの居場所を探す。が、おさんのあまりにも強い性の為、思いもよらぬ姿になっていた。墓前で参太とおさんが語り合う場面は参太の感情が十分表れていて秀逸でした。 「偸盗」 自ら酷薄無残で情け知らず、女であろうと童子であろうと打ち殺してしまうと豪語する鬼鮫と言う盗人。彼には独特の理論があり、膏血を絞り上げ搾取した金品を蓄える貴族達から それを盗む事は彼らと同じ事だから罪にはならないと考えている。次々と盗みを働くのだが上手くゆかず、その頓馬な盗み振りが笑える滑稽話。 「しゃべり過ぎる」 小野十太夫と土田正三郎は幼馴染みで大の親友だった。道場で稽古する時も、下城する時も、呑みに行く時もいつも一緒だった。面白い事に同じ女性まで二人は同時に愛してしまうのだった。かつては二人で愛したしずと結婚した十太夫だったが、ある日稽古の最中に吐血して倒れてしまった。何故かこの時正三郎は見舞いにも行かなかった。周りからは慈悲が無いと激しく非難される事になってしまう。だが、それは十太夫と長い間親しんだ正三郎が十太夫にしてみせる最大の友情だったのです、泣けます。 山周の短編集に嵌って現在「日日平安」を読んでます。 | ||||
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文庫でたくさんの作品が保存されたような本をありがとうございます。 | ||||
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岡場所物の代表的作品「夜の辛夷」、若者の恋と壮年の打算的な出世 主義との対比を描いた「葦は見ていた」の2作品が秀逸である。 人間愛にあふれており生きるうえでの励ましになる作品である。 | ||||
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1円という安さで、こんなにいい本が手に入るとは驚きです。 書店さんの本の扱いもいい。 | ||||
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表題作「おさん」、九つの短編集。「おさん」には男女の繋がりから人を愛することの深さを考えさせられる。他の作品にも男と女が出てきて様々な人間模様が描かれている。「葦はみていた」の男と女の関係は興味深く、「偸盗」には抱腹絶倒し、「饒舌過ぎる」にも女性への男の感情が友情を通じて描かれている。真剣に描かれる人間像、心の中もさることながら、笑いを誘う作品に親しみを感じます。 | ||||
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この本の中には、全部で10の短編が収録されているが、それのどれもが素晴らしい。その全てについての感想を書いてみたいがここでは、「おさん」だけにする。 本当に大切なものは失ったときに初めて気づく。みたいなことって多いよね。その大切なものってのは、物に限らず、言葉だったり、人だったり、ペットだったりする。arloも犬飼ってるけど、なでられるのが好きでよく、頭を手のところに持ってきたりするんだよね。まっその時、忙しくてもできるだけ、撫でてやるようにしてる。それが、撫でるの最後かもしれないから。オレが、犬がどうなるかなんてわからないんだよ、これから先。人との付き合いにおいては、外的要因もだけでなく、心の問題もあるから、接し方も、もっと神経質になる。しかし、その神経質さがある時、人生の邪魔をすることもある。そんな時は相手を思う気持ち、相手の立場になって考えることが大事になってくるのでは。恋っていいもんだね。 2004.02.09 arlo | ||||
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かわいらしい「みずぐるま」時の流れのはかなさを語る「葦は見ていた」倦怠期の夫婦の機微を描く「並木河岸」をはじめ佳品が目白押しだ。表題作おさんは物語の構成や語り口が村上龍を思わせる鋭い作品。はるか40年以上前に、こんな小説があったのである。おさんは周五郎作品にしばしば顔を出す、日本婦道記と対極にあるような魅力ある悪女。悪女を魅力的に描くのも周五郎の真骨頂であろう。ただ「~とおさんは言った」とある部分「父さん」かと思って笑ってしまった。 おさんもするどい男女の機微を描いているが、私が一押しなのは幸せのはかなさと不思議さを描く「その木戸を通って」、これにはまいった。時代小説とか、そういうジャンルを超えている。これはおすすめです!幸せとか、平穏な日常が如何にはかない基盤に成り立っているか、どんなにかけがいのないものか。最後に残った幼い娘の歌う童歌の余韻が泣かせる。 | ||||
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