(短編集)
生きている源八
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書かれた時代を見ると、戦前から1944年までの作品が並びます。 とくに表題となった『生きている源八』は、終戦の8か月前に発表されたもので、一億玉砕という時代に、周五郎の反戦への思いが強く表現されている作品だと思います。 紙の無い時代に、なんとか伝えたいと限られた枚数に収めるために、改行もなく周五郎が苦心して書いた紙面一杯の短編もあります。 (色々なシリーズがありますが、こういう作品を見るとおよそ時代が想像できます。) また、『驢馬ならし』という短編は、のちの『青部べか物語』に繋がる作品ですが、周五郎がボヴァリイ夫人(船の名前)と格闘する姿を想像すると笑えます。 厳しいというイメージの周五郎ですが、彼の人としてのオチャメな部分が垣間見られて好きです。 | ||||
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すべて読みやすく、読後感の良い短編小説からなる本。ここでは本のタイトルにもなっている「生きている源八」について特に述べる。 山本周五郎作品の良いところは、人間味のあふれるところにあると思う。実際の生活でこれほどまで人間味のあふれる生活を望めないのだったら、せめて本の中で溢れんばかりの人間愛にふれてもらいたい。それができるのが山本周五郎作品だと思う。 生きている源八の主人公、源八は特に抜きんでた侍でない。相手の侍大将の首を取ったりといった優れた活躍はしない。ただ目立つと言えば、どんな負け戦で、彼のいる部隊が全滅しようが源八だけは生き残っていると言うことだ。 そんな源八だが、戦い方はきわめて異例で、まさに生き方を体現していると言っても良いだろう。決して逃げることなく、敵の鉄砲をおそれずに勇敢に突き進む。そんな戦い方をしているからだろうか、彼自身が率いる部隊は多くの犠牲者を出すことも少なくないという。しかしそれは戦況を考えれば当然の結果であり、しっかり役目を果たしているという点では見事といえる。 多くの犠牲者を出しても悲しくないのかとの問いにある時、源八は言う。「さむらいとして戦場へ出る者は、はじめから討ち死には覚悟の上だ、御馬前に討ち死にすることが武士の面目であるとは言葉の綾でなく、心の叫びだ」。なるほど、武士としての本質を突いた言葉だと思う。 今の世にこの、これこそ武士道という精神を持ってこいと云うわけではないが、本質を見失いがちのこの世の中に、「本質を問う」大事をもう一度考えさせてくれる一冊に違いないだろう。 | ||||
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時は戦国時代、どんな戦にいってもいつも生きて還ってくる兵庫源八郎。矢だまの雨あられの飛んでくる中でも決して物陰に隠れることなく進んでいく、無謀であり、又豪胆な戦いぶりは読者を篤くさせます。戦国もの好きには是非必読。 | ||||
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