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浪華燃ゆ
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浪華燃ゆの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.50pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全4件 1~4 1/1ページ
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昨今の令和の米騒動を受けて、米騒動から始まった大塩平八郎の乱を深く知りたくで購入しました。乱で有名な大塩平八郎の人物を詳しくしれたのは収穫。米騒動の背景もよく分かりましたがそれにしても当時のお役人は酷すぎる。終わり方はモヤモヤするものの、作者の大塩平八郎への愛情を感じます。 | ||||
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大好きな歴史上の人物の1人である大塩平八郎。 購入にあたりジャケ画の残念さに不安を感じましたが思い切って買いました。 ・・・が、やはり不安は的中。 紙幅の制限もあるのでしょうが、彼の様な良くも悪くも堅苦しい人物の場景を描くに、もっと幼少期にスポットを当ててほしかったですね、大抵出来上がりで仕上がった大塩の人物像の小説が大抵なので。 また、陽明学の解説を登場人物らのセリフを通じて語らせるのはいいとしても、その思想的部分と意外と苦労感のない汚職事件の解決さの振り幅が狭くて、のちに大塩焼けと呼ばれる乱ヘの導き及びその描写が物足りなく感じました。 | ||||
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講談社 伊東潤著『浪華燃ゆ』のレビュー。 冒頭に「主要登場人物一覧(登場順)」と「大坂市中中心部概要図」が載っており、読者にやさしい配慮がある。 大塩平八郎(1793生~1837没)の後半生を描く。 この物語は、謹厳実直の大塩平八郎が初めから出来上がっている。 7歳で父母を亡くした平八郎は、祖父の養子となりその薫陶を受け、異常なまでに正義感の強い少年、そして青年へと育ったところからスタートするからである。 そんな平八郎の勢いに押され、最初から最後まで背筋を伸ばして読み進んだ(^-^; 数度にわたる蝦夷地探検で勇名をはせていた近藤重蔵(平八郎より22歳年上)や、「日本外史」を著した頼山陽(同12歳年上)などとの出会いにより、平八郎はいっそう磨かれ、思想的純度を高めてゆく。 なお、頼山陽の三男が頼三樹三郎(安政の大獄で斬首。享年35)である。 与力としての平八郎は、運良く高い志を持った上司に恵まれてきた。 その下で24年の在職中「四大解決事件」などで手柄を立て、その名は幕閣にも鳴り響いていたが38歳で隠居し、与力の職は養子の格之助に譲った。 塾に専念するためである。 平八郎がおこした塾の掟「洗心洞入学盟誓」は、新選組の掟「局中法度(禁令)」を連想させる。 新選組がそうであったように、このような厳格さで縛った組織の行く末がどのようになるかを、後世の我々は歴史から学んでいる。 読者は特にこのあたりから、その“結末”へ向かって突き進む平八郎の危うさを感じつつ読むことになるだろう。 彼が40歳のころに始まった「天保の大飢饉」に対する公儀や奉行所の為政者たちは何ら有効な手を打たなかった。 それどころか、商人らと結託し、私腹を肥やすことや出世のためにますます庶民を苦しめた。 病的なまでに清廉潔白であり、陽明学の徒である平八郎が座したままおれるわけはなかったのである。。。 この物語のキーワードのひとつに「太虚」がある。 歴史小説好きならば、この言葉に、ある有名な小説の一説を思い出す人もいるかもしれない。 司馬遼太郎著『竜馬がゆく』の最終章、竜馬が死ぬ場面の以下の文章である。 「竜馬は突如、中岡をみて笑った。澄んだ、太虚のようにあかるい微笑が、中岡の網膜にひろがった」。 この場面での「太虚」を、司馬が思想臭い意味で使ったのではないのは確かだが、幕末の志士たちの多くが陽明学の影響を受けていたのは周知のことだ。 実際、幕末偉人の小説などを読んでいると、陽明学という言葉はよく出てくる。 俺も詳しく知りたいと思い、その昔、林田明大著『真説・陽明学入門』という本を読んだことがある。だが、俺には頭にも身にも付かなかった。 けれども「陽明学は行動する学問である」という事だけは分かった。 黒船をはじめとした外圧や為政者への不満で国内は沸騰。 ただでさえ可燃性が高い陽明学を学んだ人々が長州・薩摩・土佐をはじめとした各所から燃え広がり、一気に倒幕へと進んだ。 黒船が来航する16年前の大塩平八郎は必ずしも倒幕までは考えなかったが、結果的にその先駆けのような形となった。 「われらは陽明学の最も重んじる行動そのものを起こすのだ。これにより良知に至り、われらの生は成就する!」。 彼は太虚へ至るために決起した。 しかし挙兵から鎮圧まで八時間でしかなく、彼は目的を果たせず、逃亡の末あっけなく死んだ。 それでも彼は望み通り、青史に名を刻んだのである。 それは、明治維新を遡る30年前のことであった。。。 | ||||
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陽明学や王陽明の名が頻繁に出て来ます。 大塩平八郎が24歳の時、『呻吟語』を読んで学門に目覚め、その著者の呂新吾が王陽明の影響が強いことから、陽明学に傾倒していきます。 教養と人徳のある上司の高井実徳との出会いや当代一の学者、頼山陽との出会いなどを通して、大塩平八郎が成長していく様が描かれます。 頼山陽との学問問答や詩経の言葉からの気づき、乱の直前の一番弟子の宇津木の長崎遊学からの帰国など、読みどころは多いです。 もちろん伊東潤さんは、陽明学や儒学に詳しいわけではなく、あくまで小説家ですから、陽明学理解は浅いです。 しかし、そこはあまり問題となりません。 この本の内容がドラマや映画になると、日本での陽明学理解が、少しは進むのではないかと思いました。 | ||||
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