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われら闇より天を見る
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われら闇より天を見るの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.70pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全25件 21~25 2/2ページ
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13歳の少女を少しでも楽にしてあげたくて、途中から事件の真相より姉弟が何とか幸せになれないものかと、そればかり気になっていた。 そこにラストの真相。 深い深い贖罪の物語。 | ||||
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舞台はカリフォルニアの岬の町と、モンタナの大地にある農場。 ノスタルジックな情景は青春のあのころを思い出させる。 原書名は、”We Begin at the End”(人は終わりから始める)。 その少女の矜持は無法者(アウトロー)。 方や、旧き良き時代の町を愛する警察署長。 悲劇は悲嘆を呼ぶ。 家族思い、厚い友情、永遠の愛、贖罪が押し寄せてくるミステリー。 日本人には決して書けない構成だ。 ラストの切ない情景に目が潤む。 | ||||
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これは凄い。おそらく今年、一押しの作品である。 ミステリーではあるけれど、それ以上に重厚な人間ドラマだ。二人の主人公が凄い。どちらも個性がしっかりとしている。少女ダッチェス13歳。ウォーク警察署長、難病との闘病中&勤務中。どちらも惑星のように独立し、人を惹きつける個性と魅力を持っている。 物語は、30年前のショッキングなシーンで幕を開ける。若きウォークがシシーを発見する。陰惨な姿で路傍に転がるシシーの死体を。このプロローグのシーンでは未だ後のヒロイン少女ダッチェは生まれてもいないが、発見された少女シシーは、ダッチェの母スターの妹である。 そして30年後。現在。波に侵食され、崖上の家が崩れ落ちてゆく海岸に見物客が群れるシーンで物語は再スタートを切る。悲鳴の中で家の土台が海に呑まれてゆく。土地の名はケープ・ヘイヴン。ここに物語は展開する。飽きれるほど骨太かつ複雑な物語が。 ダッチェの母スター。捨てばちで、薬中で、売春婦のように自堕落でありながら、美貌に恵まれたダッチェの母親。そして彼女の娘ダッチェ13歳。その弟ロビン5歳。スターが子供たちを顧みないゆえ、ダッチェは、まるでロビンの母親のように家族としての優しさを引き受ける。同時に外敵への厳しさも引き受ける。 ダッチェは自分を<無法者>と呼ぶ。あたしは危険な無法者なんだよ、と。その通り、彼女のタフさには目を見張るものがある。言動のすべてが無法者みたいだ。そのようでしか生きるすべはない、とでも言うように。<無法者>という鎧しか彼女を守す術はない、とでも言うように。 一方、臨時職員二人しかいない田舎警察の署長ウォーク。体を蝕まれつつ、過去と現在の村のすべてを把握すべく務め、あらゆる人に誠実に全力で対処する。善なる魂の持ち主ウォーク。彼は平凡な存在であれ、あまりに魅力的だ。弱く、力のない人間であるからこそ、魂の方は一筋縄でいかないくらい一途でタフだ。 ダッチェとウォーク。つまり二人の境遇も年齢も異なる主人公が、どちらも精神的にとてもタフだという魅力と、逆境とも言うべき苦しみを備える主人公を本書で貫いてゆく。 物語を通して、嫌と言うほどの紆余曲折・社会の矛盾・許せない悪業・罪深い魂などが連綿と登場するのだが、それらはダッチェとウォークの眼を通して読者は感じ、知らされる。堆積する矛盾や、悲しみを掻き抱きながら彼らの物語は疾走する。 一方、この物語の背景としての自然の美しさは、かけがえのないものである。ケープ・ヘイヴンの海。モンタナの大空。美しくも厳しい自然描写は、本書がミステリーであることや、人間の悪い側面も抉り出そうとしてゆく作品であることを、ともすれば忘れさせてしまう。 第一部のケープ・ヘイヴンで殺人が勃発する。30年ぶりに出所したヴィンセントの沈黙。彼を取り巻く疑惑と懸念の嵐。 無法者少女ダッチェの物語は、第二部で、舞台を大空と大地の世界モンタナへと移す。祖父ハルの登場。ハルと孫娘(無法者)の縮められない距離感が、何とも心に痛いが、ロビンの幼い純真さが温度をもたらす。美しいモンタナの自然も。牧場の牛馬たちも。人々も。 雄大なスケールの物語は、終盤になりミステリー作品としての集中度を高め、人間関係図は徐々に明らかとなってゆく。犯人は炙り出され、罪には罰が与えられてゆく。疾走感。複雑な、いくつもの動機が絡み合ったカラクリの中で、無法者ダッチェも、警察署長ウォークも、互いに重要な役割を果たす。 本書は、全体を読後に俯瞰すると、ミステリーというよりもむしろ壮大な人間ドラマとして集約される肉厚な大作である。何よりも人間と人間との葛藤を様々な立場から描き切り、そして文化や文明、貧富と時代、土地とそこに生きる人間模様と相互軋轢。そうした事象を、悉く浮き彫りにさせてゆくドラマチックな力作なのである。 二人の光る個性が、スケールの大きな物語と、その世界を、小気味よいほどに切り裂いてゆく終盤は圧巻だ。苦しみあがきつつも彼らのたくましさと優しさとが、ただひたすらに愛おしい。泣ける傑作である。 | ||||
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ふたりの主人公。 一人目は小さな町のたったひとりの警察官ウォーカー(ウォーク)。優しくて良心的な人物である。 二人目は13歳の少女ダッチェス。アルコールと薬物に溺れる母親と5歳の弟の世話を懸命に行う(最近日本でも社会問題になっている)ヤングケアラーだ。 あることがきっかけとなって負の連鎖が始まり、それに巻き込まれていくダッチェス、次第に進行していく病に苦しみながらも真相を解明しようと奔走するウォーク。 物語の進行はスローペースで、もどかしさを感じながらも惹きつけられる。 しっかり者で苦労している反面、型破りで妥協せず反抗的な性格ゆえに社会から評価されないダッチェスがいかに成長していくのか。 何とももの悲しくやりきれない出来事。 物語の大きなテーマは『無私の愛』。 「よかった」と単純に思える内容ではなく、個人的好みでもないのだが、情緒あふれる非常に感慨深い物語であった。 | ||||
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この世に存在する「自助」グループのテーマの中、善きものは終わりの中にあり、終わりは新しい始まりなのだと継承されています。"A New Beginning"。いつもと異なる書き出しをお許しください。それほど、「われら闇より天を見る "We begin at the end"」(クリス・ウィタカー 早川書房)に心を動かされたことを告げておきたいと思います。 舞台は、米国西海岸、ケープ・ヘイブン。30年前に起きた少女の死。成人刑務所で懲役10年の刑を受ける、少年・ヴィンセント。30年が経過し、刑務所内で別の囚人を殺めて20年の刑を加算されたヴィンセントが刑期を全うして故郷へと舞い戻ってきます。そして、そのことに引きずられるようにして浮上する過去の悲劇が、数多の別の悲劇を引き起こし、時に読み続けることが嫌になるほどに(現に私は、何度か意図的に読書を中断しました)、まるで物語の中、海蝕によって深刻化する崖の崩落のように、家族が、多くの善人たちが善人であるが故に崩壊の闇へとひきつけられるようにハイスピートで滑り落ちていきます。 勿論、「ザリガニの鳴くところ」(2020/3月)を想起しながらの<Who-Done-It>とウェルメイドなリーガル・スリラーの巧さを併せ持つ上質のスリラーであることを認めた上で尚、ここには幻のようにこの世に存在するはずのない(あるのかもしれませんが、私は知らない)無私の力、「自分以外の誰かが必ず幸せになってほしい」と切望する幾人かの絶望的な愛が描かれていることにひたすら心を打たれたと言っておきたいと思います。 ミステリですからそのストーリーテリングに触れずに話すことの困難さを感じながら、カリフォルニアからモンタナの風に癒されようとするダッチェスとロビンの姉弟、その母親・スター、スターの父・ハル、大病を隠して地道に真実を積み上げようとすケープ・ヘイブンの署長・ウォーカー、そして二人の重要人物たちの無私の力に度々心を動かされながら、丁度、物語が90%に至るあたりで、逆にモンタナからケープ・ヘイブンに何も持たずに舞い戻ろうとする主人公・ダッチェスがポール・サイモンの或る楽曲を歌い始めた時、不覚にも耐えに耐えた涙腺がもろくも崩壊したことを告白しておきたいと思います。 "I'll take your part When darkness comes And pain is all around" そして、もう一度、ダッチェス。そう、世の中は不公平だよね。でも、美しいステットソンを被り、弟・ロビンを見つめる無法者の<系譜>に私が与えられる限りの(絶対的にたよりない(笑))愛を捧げます。 | ||||
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