■スポンサードリンク
小銭をかぞえる
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
小銭をかぞえるの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.20pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全59件 1~20 1/3ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「……警察呼びたきゃ呼んでみろ。どうで呼ぶんならもう面倒だからよ、お巡りが来るまでにはおまえを殴り殺しといてやるから」 「聞こえたか? 撲殺、だからね」 「……」 「馬鹿が。なら一生聞こえねえフリをしてろい。えらそうに澄ましてやがると、卵巣を蹴潰してやるぞ」 ひどすぎワロタ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これまで赤裸々な私小説を読んだ記憶がない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公が余りにもクズ思考過ぎて、何度か投げ出そうかと思った。 だがなぜか、そのリアリティーと精神性に引き込まれてゆく。 こんな人は、この世にいないほうがいいのかもしれない。 正直そこまで思った。だがだからこそこの話のメリハリが 効いてくる。 小説を書くうえで必須な条件は、主人公の精神性の成長 (または退廃)だと聞いた気がするので、 小説という表現手法において、そういった退廃的、悲観的、 悲劇的要素というのは、実は生身の人間に対して真摯であり、 ここまで落ちてはいけないという教訓や、落ちきった意識の 醜穢な有り様が、あたかもグロテスクな生き物を 見つめ続けていることが、止むを得ないような、 醜悪な美学というものに、惹きつけられていく。 そのグランジ・ノベルの価値をおそらく理解していたであろう 著者は、やはりただの人ではなかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いわゆる『秋恵もの』の中篇二篇をまとめた一冊である。 めずらしく、北町貫多(西村賢太)が『私』、秋恵が『女』として表記されているが、一連の『秋恵もの』の一部と考えてよいだろう。 ―― 「焼却炉行き赤ん坊」は、『犬のぬいぐるみを溺愛する秋恵と、そのぬいぐるみを虐殺する私』という設定で、『秋恵もの』のなかでも異色な、反出生主義文學の傑作となっている。 反出生主義といえば、『この世界は苦しみばかりなのだから、苦しむのは我我だけでよく、我我は苦しむだけの世界に子供たちをつくるべきではない』というような主義であるというくらいに要約すればいいだろうか。 無論、此処では、反出生主義の是非は問わないし、いまのところ、反出生主義を主張するかしないかは各人の自由である。 斯様なる前提のうえで、本作の主人公、『私』すなわち西村賢太は、あきらかに反出生主義の立場に屹立している。 本作では、『犬がほしい』という恋人(おそらく『秋恵もの』の秋恵)に、『私』が犬のぬいぐるみをプレゼントするが、毎回恒例の痴話諠譁のすえ、『私』が犬のぬいぐるみを『虐殺』し、恋人が悲嘆して棲家から遯竄するまでがえがかれている。 本作ではわかりやすく描写されているが、本作における『犬』とは、ヘミングウェイの「雨の中の猫」における『猫』とおなじように、『子供』の隠喩であり、恋人が『私』とのあいだに子供をもうけたいと考えていることがあきらかになる。 その『犬』のぬいぐるみを虐殺するという行為は、『私』にとって、はっきりとした『子供をつくりたくない』という反出生主義の心理として現前している。 ゆえに、題名は「焼却炉行きぬいぐるみ」ではなく、隠喩的な意味で「焼却炉行き赤ん坊」なのである。 此処において、『私』は『子供をそだてるには金銭がたりない』という一般的なる理由にくわえて、『中卒のうえ、前科持ちで犯罪者の倅』だから、『私』の子供もおなじようになるのではないか、という、不条理なる心理を披瀝している。 つまり、世間一般の人間における反出生主義とは、いささか相違するのだ。 と雖も、『私』にとって『子供をつくる』ことは斯様なる恐怖につながるものであり、その点において、『私』は自然なる心理によって反出生主義に目覚めることとなる。 繊細な問題であり、なかなか人前では物語れない『反出生主義』という問題を、寓意的な小説というかたちに結実させた傑作である。 ―― 「小銭をかぞえる」は、『秋恵もの』としては定番の『秋恵がかわいそう』小説である。 『私』は私淑する小説家の全集を上梓するために金策にはしり、恋人(秋恵)の父親からも借金し、罪悪感から恋人にご馳走せんとするが、結局、恋人をいじめて欷歔させる。 西村文學を未読のかたは、秋恵ものといえば、『秋恵への暴力』がえがかれている連作だというイメージがつよいかもしれない。 が、実際には、秋恵ものでは、直截に肉軆的暴力がえがかれる場合と、最後に暴力がはじまろうかという箇所で結末をむかえる場合にわかれる。 大抵の場合、『主人公が秋恵に暴力をふるうことを決意し、暴力をふるう直前の嗜虐への恍惚感がえがかれる』ことで物語は終焉をむかえる。 これは、読者に、(言葉どおり)『筆舌につくしがたい暴力』を想像させるという効果もあるだろう。 同時に、主人公が秋恵に暴力をふるった『証拠』も湮滅されるので、秋恵ものは基本的に、結末が読者にゆだねられる、いわゆるリドル・ストーリーとなっている。 これらの意味で、「小銭をかぞえる」は、『殺人』にいたるまでの暴力を読者に想像させるかたちで完結するので、その意味では、秋恵もののなかでも冠絶する作品といえるかもしれない。 といえども、無論、秋恵を殺害していたら、西村賢太は刑務所にいるはずで、私小説として成立しないので、本作も矢張り、『言葉の暴力』で物語はおわったと考えるべきだろう。 あえていえば、本作までゆくと、この罵詈雑言は『魂の暴力』であり、『魂の殺人』とも考えられるかもしれない。 ―― いずれにせよ、秋恵という女性は素晴らしい人物であり、すくなくとも、西村賢太による秋恵のえがきかたには、逆説的な愛がある。 曩時、車谷長吉が三島賞を受賞した爾時、選考委員の筒井康隆が、『私小説ともなれば、かならずモデルとなっただれかを作品をとおして傷付けなければならないが、車谷氏の場合、『自分だけが悪役になって傷付けばいい』という点において圧倒的である』というように賞讃していたはずである。 これはそのまま西村文學に当て嵌まるものであり、西村賢太のえがく『秋恵』はいつも『完全なる善人』であり、北町貫多はいつも『完全なる悪人』である。 其処で、西村は私小説作家なのだから、自然と視点は『完全なる悪人』である貫多のものとならざるをえないわけで、ゆえに、おおくの読者には嫌悪感をいだかせる。 だが、斯様なる構造で西村がえがいている作品の本質は、『自分のまわりの人間がどれだけ素晴らしいか』ということであり、かれらの素晴らしさを際立たせるために、いつも貫多は婆娑羅狼藉をなし、罵詈讒謗して、自己の露悪を徹底しなければならないのだ。 窮極の恋愛小説とよばれる『マノン・レスコー』は、主人公の男が、窮極の悪女であるマノン・レスコーにふりまわされながら、最期まで愛しつづける物語だった。 西村賢太の秋恵ものは、窮極の悪漢を愛する女性をえがいた『逆マノン・レスコー』であり、逆理的に、『秋恵の窮極の愛の物語』なのだ。 もしも、西村賢太が、このように自覚的に秋恵の愛をえがいていたとしたら、畢竟、西村賢太は、日本文學史上最高峰の恋愛小説家だったといえるのである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ヌイグルミ文学の最高峰 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
もっといっぱい読みたかったです。最高の私小説家でした! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
カスタマーサービスの女が気に入らない | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
こんなことがあって良いのか?と言いたくなる不器用な男の生き様。 ビブリオマニアの一種であり、だいたい本を求めることに夢中で 自分の生活の土台まで自分で破壊してしまう達でディレッタントの 末路を予感させてしまう。甲斐性も無く悪弊の限りで大なり小なり この本の衝動買い生活の中に囚われている自分もいて読後感は 心中複雑でした。日銭を稼いで本に渡してしまう生活や古本屋で せどりを続けている人には何かしら感じるところがあるのではな いでしょうか。現代の貧困生活の推し活の物悲しさも感じられる筈です。 (ジャンル問わず)組み合わせが何とも言えない取り合わせです。 作品自体も面白くオススメの一冊です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
訳の判らない毒々しい利己主義なのに、それが強すぎるから、妙に自分の生き方だけは、己にのみ凛としていて、身勝手極まりない。 だからそれが余計に可笑しくて、情けなくて、紙面から突き破って放出されてしまいそうな叙情が、物凄い真実味として伝わって、他の作家には感じられない唯一無二だと思った! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なんちゅう面白さだ。 西村賢太の死後初めて彼の作品『苦役列車』の面白さに今更ながら気づかされ、2作目として手にした本作。 なんなのだ、このとてつもない面白さは。 個人的には『苦役列車』よりも本作で受けた衝撃により、今後西村賢太作品をすべて読まずにはおれない衝動に駆られています。 表題作も痺れますが、並録された『焼却炉行き赤ん坊』には悶絶させられました。 本書の中では名前は出てきませんでしたが、これから読んでいこうと思っている西村賢太作品ではおなじみの女性「秋恵」との会話のやり取りが、とにかく無性に面白い。 同棲している女性の年齢が28歳。彼女は賢太の6歳年下というから、「私」が34歳の頃の話ですね。 本書は一人称で書かれていることからか、犬のぬいぐるみに「たのすけ」と名付け、「あ、たのくん、パパがまた怒っちゃったよ。おかしいね」と赤ちゃん言葉で話しかける彼女の態度にイライラしてみたり、その一方で彼女の言動が思いがげぬ純情であどけないものと映り、彼女に対する愛しさを募らせたりする「私」の感情がストレートに伝わってき、もちろん、最終的には平和な二人の関係も一気に暗転し主人公の大爆発に至るのですが。そこに至る過程の主人公の優しさ(とてつもなく身勝手で自分本位な性格は十分併せ持ちつつ)や、彼女の可愛さが伝わり、なんだか愛おしい作品になりました。 表題作の『小銭をかぞえる』では彼女の年齢が29歳となっており、『焼却炉行き赤ん坊』よりも後の時期のお話となっています。 こちらでは彼女は『焼却炉行き赤ん坊』以上にひどい思いをさせられ気の毒ですが、この二人のやり取りは非常に興味深く、彼女の登場する作品はまだまだあるとのことですので、これからガンガンに読んでいこうと考えています。 巻末解説で町田康が「一冊読んだらとまらなくなって、ついに全巻を読んでしまった」と言っていますが、その気持ち今なら非常に良くわかります。 傑作。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公は同棲中の恋人に対しその人格を完膚なく破壊するほどの凄まじい罵詈雑言を浴びせる。これ程のゲスな男はいるまい。これ程の罵詈雑言の表現はあるまい。現実においても文学の世界においても過去にあっただろうか。その字面が凄まじい動感をもって読者に迫ってくる。作者の西村賢太恐るべし。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
西村賢太さんが亡くなり、彼の本を10冊以上読みました。 話に出てくる主人公の男は、暴力、暴言…しかも飲酒と金遣いがひどい最低の男です。 彼の本すべからく一貫して主人公はそう、もう本当にひどい、軽蔑に値する。 だけど、話はぐいぐい読ませます…なんでかなぁ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
下衆過ぎて反吐が出るのに最後まで読破してしまう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
2編の物語が収録されているが、どちらも町のどこかにいそうな、ダメ男の日常生活を描いている。 起きるトラブルも、同棲している「女」との痴話喧嘩だの、借金まみれの話だのと下世話である。 だがしかし、なぜか読ませるのである。 短気で、狡猾で、自己中心的な主人公の心の動きが、その古めかしい文体と相まって、じんわりと入り込んでくる。 この主人公にはまったく共感できないのに、どこか目が離せない。気になるのである。 加えて相方の「女」の健気さと不器用さもまた、実に気になるのである。 こうして皆、西村賢太の小説が癖になっていくのだな。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公の所業には、一般人、特に女性の立場からは全く感心できませんが、この究極の自分の欲望への正直さが主人公の魅力でもあり、実際、西村作品はクセになります。他の作品で、主人公のモデルである作者自身の十代の頃を描いた作品がありますが、その頃の、普通ならまだ親元で親の庇護のもと暮らしているであろう年齢の、主人公が経験した孤独で苦しい生活を念頭に置いてこの本に収められた作品を読むと、主人公のわがままぶりも、女性に対するアンバランスな接し方も、同情的に理解できたりもします。内容とは別に、西村作品の文章の緻密さも、読んでいて心地いいです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
あるブログの紹介でこちらの小説があったので興味を持ち読破したが、ここまで癇癪ひとつで絶対に言ってはいけないことを全て吐き出して台無しにできる人間がいるのかと驚愕した。 小銭を数えるというタイトルの意味がわかるシーンはまさかこんなシチュエーションだとは思わなかった。 内容は身近にいるかもしれない最低最悪だがここまで読ませる力があり反面教師としては最高の教科書だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
すぐに届くから重宝します。 読みたい熱が冷めないうちに届くから良い。 本屋で探すのが好きなんだけど、最近の書店は品揃えが少ないから。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
作者の小説は結構読んでるけどこれが一番好き。 どうしようもなくクズで酷いラストシーンなのになぜかカタルシスが凄かった。 現在は売れっ子になって金持ちになった西村賢太氏を、当時の彼女はどう見てるのか、ちょっと気になる。もう連絡とってないだろうけど。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
焼却炉行き赤ん坊、クズっぷりがすごい、コンプレックス・ゆがみ・小心、こんな風に社会や人を見ている人がいるんだなってのが驚き。いや、こんなクズは世の中にもっと一杯いるはず、もっとクズなヤツが。 最後のぬいぐるみの下りはそこまでするかと。 西村氏は小説に、書くことに力を注げる。 でもそういう事ができないやつが変な方向に振り切れちゃうと無差別殺人とかするんだろうなと。 で、自分はどうなんだと、クズであって、実践、実行してないかの差だけ。根本は自分もクズな部分はあると読後に思った。金が欲しくて、女をモノ扱い、男の本能だろ、これが。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
短編2編とも痴話げんかを表わしたもの。女は思いやりのない男とは暮らしていけないし、自分勝手で自らの感情をコントロールできない男を好かない。しかしそれを客観視してきちんと小説にできるのも一つの才能ではある。まあオレなら別れろというなあ。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!