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ふぉん・しいほるとの娘
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【この小説が収録されている参考書籍】
ふぉん・しいほるとの娘の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.20pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全46件 21~40 2/3ページ
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上下巻を読了した。 江戸末期から、明治にかけての大激動期に生きた人たちを書いてきた吉村昭さんだが、どれから読み始めても、「ああ、こういう繋がりがあったのか」「ここに繋がるのか」と腑に落ちる。飽くなき資料の探求とそれを最大限に活かす筆の冴えはさすがだが、女性を主人公に据えるのは書きづらい点、わかりづらい点も多かったのではと最初想像した。 しかし、シーボルトと関わり、嬰を伝えた女性たちの生き様を余すところなく見事に、かといって決して讃美や美談ではなく、苦しみもがいた中でも「己の本分を生き切った」姿は、写真その他の資料で感じる以上に生き生きと描かれていた。 イネが初潮を迎えるくだり、対処、望まぬ子を宿し自身で取り上げる、鬼気迫る対応が女性視点以上に見事に描かれ、その強さと切なさに何度も涙した。 | ||||
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吉村作品のファンなのに何故か本作は読んでいませんでした。 「正に吉村作品の代表作とも言える大作」と言う点がどうも ひっかかっていて敬遠していたのが正直なところなんですが、 時間を掛けて読みこみましたが星は4つでした。 偉大なドイツ人医師のシーボルトは確かに日本に残した功績は 大きいのでしょうが、反面オランダのスパイで女性に対してはロクデナシ だったんじゃないのかと首を捻ってしまった。当時の女性達の境遇がとても悲しいですね。 そして主人公のお稲の生涯も近代日本の歴史の荒波にのまれ翻弄されたと 言っていいでしょうね。偉大な医師の父の血がそうさせたのか医学の道は険しく厳しい。 修行のような書生時代は男性を寄せ付けづ性格も厳格になっていくお稲。 将来性を買われ様々な大きな後ろ盾を得るが、それは彼女にとって本意だったのでしょうか? 生前の彼女の写真を見ることができましたが、幸福に満ち足りた顔つきでは無かった。 度重なる不幸の連鎖で痛々しく、物悲しく、満たされず、悲壮感や絶望感さえ感じてしまう お稲の生涯と、緻密綿密な調査に基づいた激動の日本史の史実のお話がそぎ落とされた 表現で粛々と語られていく本作。 後読感は、充足、満足といったものではなく悲しさや疲労感といったものでした。 | ||||
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吉村昭の歴史小説は、「小説」部分は僅かで、ほとんどを「歴史」部分が占めていると言ったら、泉下の吉村から「俺を小説家と認めないのか」と抗議されるかもしれない。換言すれば、吉村の作品の歴史的内容は信を置けるということだ。彼がこつこつと歴史を遡り、丹念に史料を渉猟したことはよく知られている。 『ふぉん・しいほるとの娘』(吉村昭著、新潮文庫、上・下巻)から、期待を超える多くの歴史的事実を教えられた。 教えられたことの第1は、フランツ・フォン・シーボルトは日本に赴くに当たり、オランダ政府から日本の実情を幅広く調査せよとの密命を与えられていたこと。 その第2は、シーボルトは日本に先進的な西洋医学を初めとするさまざまな知識をもたらした、日本にとっての功労者であること。 第3は、スパイ罪に問われ日本を追われたシーボルトが32年後に再来日した時、彼が有していた知識は、もはや時代遅れとなっていたこと。 第4は、シーボルトの現地妻第1号のお滝は、17歳の遊女であったこと。長崎の丸山遊廓のオランダ人専用の其扇(そのおおぎ)という源氏名の遊女であった。 第5は、シーボルトは日本人妻というか現地妻というか、そういう女性たちに執心したこと。再来日した彼は、若い現地妻に夢中になり、お滝に対する関心は失せていた。 第6は、シーボルトとお滝との間の娘・お稲は、シーボルトが罪を得て故国に帰国後、彼の高弟・石井宗謙に強姦されて、タダ(後に、お高、高子)を産むに至ったこと。その事件が起こったのは、宗謙について産科医の修業中であったお稲が25歳、宗謙が56歳の時のことであった。しかも、お稲は処女だったのである。 第7は、お稲の娘・お高が寡婦となった27歳の時、医師の片岡重明に強引に犯され、周三(亡夫を偲んで同じ名をつけた)を産むに至ったこと。 シーボルトを巡り、このような人間臭いドラマが繰り広げられていたとは、歴史教科書を読んだだけでは到底知ることはできなかっただろう。 | ||||
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吉村昭の歴史小説は、「小説」部分は僅かで、ほとんどを「歴史」部分が占めていると言ったら、泉下の吉村から「俺を小説家と認めないのか」と抗議されるかもしれない。換言すれば、吉村の作品の歴史的内容は信を置けるということだ。彼がこつこつと歴史を遡り、丹念に史料を渉猟したことはよく知られている。 『ふぉん・しいほるとの娘』(吉村昭著、新潮文庫、上・下巻)から、期待を超える多くの歴史的事実を教えられた。 教えられたことの第1は、フランツ・フォン・シーボルトは日本に赴くに当たり、オランダ政府から日本の実情を幅広く調査せよとの密命を与えられていたこと。「オランダ政府は、日本の全容を把握するために政治、宗教、産業、国民性、風俗、言語、動物、植物、文化、地質、地理などあらゆる分野の実態を蒐集することを決意した。そして、それにふさわしい人物を物色した結果、シーボルトがえらばれたのである。シ―ボルトは、医師ではあるが好奇心がきわめて旺盛で、その関心は多岐にわたっていた。27歳という若さも魅力で、積極的に資料蒐集をおこなうことが期待された」。 その第2は、シーボルトは日本に先進的な西洋医学を初めとするさまざまな知識をもたらした、日本にとっての功労者であること。「シーボルトは、週に一度出島の外に出て病人の診察をおこなうようになった。その度に美馬順三たちが必ず同行したが、町人たちにまじって長崎に遊学している医師たちも真剣な表情をしてついてきて、シ―ボルトの診察を見学していた。シーボルトとそれに師事する美馬らには、熱気のようなものがみなぎっていた」。「シーボルトは、病人を診察して内科の治療にすぐれた手腕を発揮したが、最新の手術器具を駆使して巧妙な手術もおこない、美馬順三らを驚嘆させた」。 第3は、スパイ罪に問われ日本を追われたシーボルトが32年後に再来日した時、彼が有していた知識は、もはや時代遅れとなっていたこと。「シーボルトは、欧米随一の日本通として知られていたが、30年という歳月の流れの間に、日本の国内事情もそれをとりまく国際情勢もいちじるしく変化し、かれの建言はすでに時代おくれになっていたのである」。「かれら(江戸の代表的学者たち)は、シーボルトとの30年来の再会を喜び、医学、物理学等について質問し、意見を乞うた。シーボルトは、伊東らの質問に頭をかしげることが多く、質問者もその答に失望することがしばしばだった。伊東たちは、シーボルトが国外追放されてから30年の間に、西欧の最新知識を熱心に吸収し、自らの独創もくわえて、西洋の学者に比肩する知識を得ていた。そうしたかれらの前で、学術、殊に医学から遠くはなれたシーボルトの知識は初歩的なものにすぎなくなっていた。伊東たちは、シーボルトがすでに過去の学者であることに気づいた」。 第4は、シーボルトの現地妻第1号のお滝は、17歳の遊女であったこと。長崎の丸山遊廓のオランダ人専用の其扇(そのおおぎ)という源氏名の遊女であった。「其扇の美しさは、商館員の間でも評判であった」。「おそらくかれ(シーボルト)は、初めて日本の女に接することに異常な興奮をしめしたのだろうが、其扇は、自分の美しい容貌と肌理こまかい体にシーボルトが激しい情欲をたぎらせたのだと思いたかった」。 第5は、シーボルトは日本人妻というか現地妻というか、そういう女性たちに執心したこと。再来日した彼は、若い現地妻に夢中になり、お滝に対する関心は失せていた。「お稲は、体がふるえるのを意識した。17歳の<しお>に、自分が無視されているのを感じた。<しお>は父シーボルトの愛人であるという立場から、シーボルトの娘である自分を軽んじ、(自分が雇い入れた)<とみ>を解雇した」。「父は、娘である自分の訴えをしりぞけ召使の<しお>をかばっている。父は、自分よりも<しお>を愛しているというのか」。「お稲のシーボルトに対する気持は、急に冷えた。<しお>についで<えい>に夜伽をさせるシーボルトに、性欲の強い男を感じるだけで父としての思慕はうすらいでいた。自分には関係のないことだ、と、お稲は胸の中でつぶやいていた」。 第6は、シーボルトとお滝との間の娘・お稲は、シーボルトが罪を得て故国に帰国後、彼の高弟・石井宗謙に強姦されて、タダ(後に、お高、高子)を産むに至ったこと。その事件が起こったのは、宗謙について産科医の修業中であったお稲が25歳、宗謙が56歳の時のことであった。しかも、お稲は処女だったのである。「宗謙は、妻のシゲ以外に<おむろ>、<おゆき>という2人の妾をかこっていながら、それでも飽き足りずに自分の体をもおかした。妾と同じように自分を見ている宗謙が、許せなかった。屈辱感と羞恥で、身がふるえた。宗謙は、シーボルトを師として尊敬していると口癖のように言い、師の恩を忘れられぬ、とも言っている。そうしたことを口にしている宗謙が、師の娘である自分をなぜ凌辱したのか。それは、師の恩にそむく行為ではないか」。 第7は、お稲の娘・お高が寡婦となった27歳の時、医師の片岡重明に強引に犯され、周三(亡夫を偲んで同じ名をつけた)を産むに至ったこと。「(お高からの)手紙には、『汽船が湊川あたりに来た頃と思いますが、片桐に執拗に口説かれ、抵抗することもできず身をまかせてしまいました』といった趣旨のことが書かれていた。片桐は、(亡夫の)三瀬が存命中からひそかに高子(お高)に想いを寄せ、その没後長崎に来たのも高子に会いたい一心からであったという。さらに手紙には、『子をみごもりました』とも記されていた。片桐は高子との結婚を強く望んでいるが、高子は片桐を憎み、その気はないと記されていた」。 シーボルトを巡り、このような人間臭いドラマが繰り広げられていたとは、歴史教科書を読んだだけでは到底知ることはできなかっただろう。 | ||||
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長崎出身なので、子供の頃よく遊んでいた町名がたくさん出てきて、楽しめた。それはともかく、出島の生活、シーボルトへの待遇や鳴滝塾のいきさつが手に取るように分かり、さすがに吉村文学は読み応えがあった。 長崎に帰った折、昔はなかった出島に行ったが、こんなに狭いところに閉じ込められていたのかと改めて感じた。唯一の楽しみが遊女との交歓だったことも、実感した。 | ||||
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本書の主人公は、幕末に来日したフォン・シーボルトの娘イネの数奇な運命を描いた大作だ。イネはシーボルトと遊女・其扇の間に生まれ、シーボルトが去ったあと、あいのこ(混血)かつ女性というハンディを乗り越えて、女医としての道を切り開いていく。 更に、本書のもう一人の主人公は、シーボルトその人だ。上巻の前半は、日本にやってきたシーボルトの医者として、そしてスパイとしての姿が克明に描かれる。日本を追放されたシーボルトが、20年以上の時を過ぎて再来日して日本に関わっていく姿も実にドラマチックだ。 イネがおかされて身ごもった私生児タカの人生もこれまた、山あり谷ありで、本書ではイネを中心に親子三代の時代に翻弄されながらも、たくましく生き抜いていく姿が丁寧に緻密に描かれた傑作だ。 | ||||
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吉村昭の手による、私見を交えない丹念な客観的事実の描写は素晴らしい。 「まるで見てきた」かのように江戸時代後期の日本の宗教、異国事情がわかります。 | ||||
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シーボルトの名前は社会で習ってどうにか知っているとはいえ、彼の功績と人となり、ましてや彼の娘の事など何も知らずにいました。 例によって、著者の綿密なリサーチによる緻密な情景描写と登場人物の心の機微を軸に、長編ではありますが、一気に読了しました。 「アメリカ彦蔵」でも描写されていましたが、維新前夜の争乱だけでなく、維新後の様々なうねりがあり、江戸城の無血開城という一言では済まされない実態の中で、主人公達がどのように生きたか、非常に興味深い物語でした。 しばらく、この著者にはまりそうです。 | ||||
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ここ数ヶ月、著者の作品にはまっております。 膨大な資料を基に紡ぎ出される、情緒たっぷりの筆致に感動します。 この作品も、知識としてのシーボルトが生身の人間に感じられ、当時の世相や長崎出島の様子などと相まって、リアリティをもって迫ってきます。 上巻は、お滝との間に生まれた娘お稲が、伊予の元鳴滝塾生のもとに学問を治めに行くところまでですが、下巻も楽しみです。 | ||||
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Pleased with the book, thank you. | ||||
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Pleased I could get this book, thank you. | ||||
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上下で相当な分量(約1350ページ)だが、読み応え十分、得るところの多い作品。前半の三分の一はあのシーボルトの話で、彼が国外追放された後の、日本に残されたその娘お稲の物語が後半。時代背景も詳しく、医学が急激に発達した事情もよくわかり、その中で女性蔑視の風潮と闘いながら成長し、日本史上初めて女医となった人のドラマである。杉田玄白、高野長英、緒方洪庵など、ちょっとだけ知ってる人物が医学史、主に蘭学だが、その中できちんと、シーボルトの果たした役割とともに紹介され、説明されている。 | ||||
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上巻コメントを参照されたい。ともかく内容が濃い。そして長い小説だ。 | ||||
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事細かな時代背景の描写、江戸末期の社会情勢もわかるスゴイ小説。 作者吉村 昭氏に敬服です。 | ||||
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ありがとうございました。長崎、宇和島、岡山、大阪とそれぞれの歴史があることを知りました。 | ||||
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ありがとうございました。シーボルト事件の背景やそのあとを知ることができました。 | ||||
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江戸時代の歴史で名前だけ知っていたオランダから医学を伝えたシーボルト。 その時の日本の生活の様子が目に浮かぶように描かれていた。食事の様子から、いかに鎖国政策を厳しくしていたかという幕府の様子まで。 後半はいよいよhttp://www.kameda-kyobashi.com/access/index.htmlシーボルトの娘の成長が描かれている。 | ||||
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女性の人生にとても興味が有ります。 江戸時代の混血という境遇で強く強く 人生を生き抜いたいねに大きな力を 貰った思いです。そしてどんなに 最悪な状況が続いても、何時かは 穏やかな日が必ず訪れるという 事も実感として感じています。 又、時を経て読み返します。 | ||||
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上巻では、シーボルトの娘イネが学問の道を歩き出すまでが書かれていたが、下巻では晩年までのイネの波乱万丈な人生が書かれている。 混血児の女性が江戸末期時代にどのような人生を歩んだのか。イネは父シーボルトの娘であるという矜持の高さを支えに、13歳で故郷・長崎から伊予国卯之町の二宮敬作を師事し、そして産科医を目指す。 修行中、志なかばの悲劇で一度は挫折するが彼女の熱意はそれを乗り越え再び医師を目指す。 時代のうねりはひしひしと迫り、やがて幕末、維新と渦に巻き込まれていく。 逢えないと思っていた父との再開と失望。 その中でもイネは自分の意思を貫き、当時の女性としては思えないほど日本中を奔走する。 長崎、宇和島、岡山、東京、大阪…作者の地理描写がすばらしい。 各地で女医として生きていくイネの力強さを、作者は淡々とした文章で書いている。 医師として明治天皇の皇子を取り上げるほど名声を高めたイネも家庭では決して恵まれていたとは言えず、母の滝、イネ、娘のタダと3代に渡り望まない妊娠・出産を経験するとは、女3世代続く宿命かと思われる。 その中でも父シーボルトの血を絶やさず後世に残す事を、彼女は自分の使命と考えたのかもしれない。 後半の幕末、明治維新とすさまじい時代の変化の表現も、基礎知識があった方がより楽しめるが、知らないと読むのが辛いかなと思った。 日本最初の女医は楠本イネと思われるかもしれないが、正確には荻野吟(吟子)である。 波乱万丈の人生を送った楠本イネは明治36年、日露戦争の前年に生涯を閉じた。 | ||||
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吉村昭の数ある小説のうちの最長編作品。 タイトルのとおり、主人公は江戸時代に長崎にやってきた医師・シーボルトと 遊女(お滝)との間に生まれた娘・楠本イネ(お稲)。彼女は、日本初の女医としても知られている。 作品は、1823年のシーボルト来日から始まり、 前半はシーボルト(鎖国下の日本にやってきたスパイ的な人物という色合いを出した描写になっている)とお滝を軸に展開。 後半、成長したお稲を中心として話が進んでいく。 母娘2代の生涯を丹念に追った大河小説の趣。 シーボルトの子であるがゆえに、特異な人生を歩む事になった主人公の、 長く変化の多い人生を、読者はこの本を読みながらたどってゆく事になる。 鎖国時代の長崎や幕政の様子、諸外国が日本に押し寄せる幕末期。 時代は明治へと入り、社会は急速な変化を遂げる。 また、シーボルトを始めとして、彼女達の周りには様々な人物が現れる。 大村益次郎、伊達宗城(宇和島藩主)、福沢諭吉、医学界の著名な人物達・・。 作者は、主人公を描くだけではなく、 その時々の社会・政治状況や彼女の身の回りに起こった大小様々な事件、 そしていろいろな人達のプロフィール的なことを、(少しばかり横道にもそれながら)作中に散りばめることで、 彼女達が生きた時代の流れをも巧みに描き出しているのである。 読み終えて、ずっしりとした充実感の残る一作だ。 ※吉村昭はいくつかのエッセイで、本書にまつわるエピソードを披露している。 詳細はブログ「吉村昭作品 読書ガイド」に。 | ||||
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