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オデッサ・ファイル
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オデッサ・ファイルの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.57pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全25件 1~20 1/2ページ
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映画を先に見て、ナチ&オデッサファイル&ナチハンターに興味があり本書を読みました。 潜伏ナチ相手の話であり、しかもキチンと取材して事実に基づいて書いているので面白いに決まってます。 ただ、どなたかが書いている様に話の中で余りにも都合が良い部分が多すぎて、なんだかなと言う所はあります。 でもジャーナリストが書いているだけあって話に遠回しな表現やムダなプロットが無い。 外国の作家は結構これが多くて読み辛いと感じる事が多いのですが、それが無いので非常に読みやすかったです。 自分的にはナチ及びSSについての詳しい記述が一番読み応えがあったな。専門書ほど難しくも無いし小説の中での説明なので端的だし。 話も面白いしナチやナチ逃亡犯について基本的な事が知れるので、一粒で二度美味しい本だと思います。 惜しむらくは書かれたのが1970年代、小説の中の設定が1960年代初頭なので、仕方の無い事だけど現在と状況がだいぶ違っているので違和感はあります。 けどこの話が書かれた時って小説に登場するSS含め、まだ殆どのナチ逃亡犯が生きていたのよね。 そう考えるとすごく複雑な気持ちになります。 | ||||
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きれいに梱包されてました | ||||
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NHKの「映像の世紀」で米国のアポロ計画の中心人物がナチス残党だったと知って驚愕しましたが、この小説には残党達が互助会のような組織を作って活動を続けてた事を詳しく書いてあります。フレデリック・フォーサイスの人物の描き方の細かい描写がいかにも英国人らしくて楽しめました。 但し、「ナチスは絶対悪である」という欧米の主張を確認するステレオタイプ的な内容である事には変わりばえがありません。確かに民族浄化等は絶対悪ではあるものの、ナチスがバーター取引を採用した事によってオートバーンの建設が可能となったのにその手法が否定されたという事実もあるらしいので、2022年の現代では、多角的視点からナチの活動を再評価する必要もありかなと思いました。 | ||||
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既に絶版となっているもので、程度も良く大変満足しています。 | ||||
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これまで見逃してきたけれど、古本で読みました。 今、絶版となっているのが惜しまれる。 小説は映画と異なり、勧善懲悪にはならない。 それがかえって小説に深みをもたせている。 それを支えているのは篠原慎さんの手本のような正確な翻訳。 フォーサイスの小説は「ジャッカルの日」以外、絶版になっているのは多いけど探して読みたいと思う。 | ||||
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今読んでも夢中になれる傑作。時代背景が古いので分かりにくい部分もあるが、ナチスを追い詰めていく過程は読み応え抜群。 | ||||
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晩年の作品はともかく、フォーサイスの初期の作品の構想力と筆力に驚いています。ナチス時代からのヨーロッパの複雑さが背景にあり、そこにフォーサイスの経験と才能が彼の一連の作品を産んだものと思う。 | ||||
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CIAやMI6、KGBなどが動き回る話だと思ってましたが、もっと人間臭く深くて面白かった。 | ||||
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1963ー64年の西ドイツを主な舞台にして 70ー71年に執筆された国際謀略冒険小説。 誠に面白かったが2017年の読者にとっては若干ツラい。 このツラさは、古めかしさ、あるいは古典の風格 と言い換えてもいいかもしれない。 展開も描写も出版当時は斬新だったのだろう。 しかし、任務の重要さに比べて主人公の行動は軽率すぎる と感じてしまう。 これは、作者と作品の責任ではない。 新機軸が盛り込まれた国際謀略エンタテイメントは 数多く出版され続けており、 こうした作品を好んで読み続けている、おれの責任かもしれない。 たとえば、この作品で描かれる追跡や妨害のディティールは、 おれには物足りない。 基本的には追跡の物語だ。 追跡には妨害が付きものだが、 そのどちらもが実に淡泊な描かれ様だ。 現在の書き手なら、もっとねちねち書き込むはずだ。 ただ、現在の書き手と 70年代初めの書き手とを比較してもしょうがない。 「個人と組織」「ナチスとユダヤ」「アラブとユダヤ」 など複数の対立軸が絡み合う大状況の設定は 現在でも突き抜ける面白さであり、 再読してよかったと思っているのだ。 | ||||
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1972年、フレデリック・フォーサイス氏の作品です。 まずは、裏表紙にある内容紹介文を。 「 ”オデッサ”とは、ナチス親衛隊(SS)のメンバーの救済を目的とする秘密組織のことである。 ルポライター、ペーター・ミラーをオデッサと結びつけたのは、老ユダヤ人が遺した一冊の日記だった。 それによればリガの殺人鬼と異名をとったナチ収用所長、ロシュマンは、今もドイツに生きているという。 日記のある箇所がミラーの注意を惹いた。彼は憑かれたようにロシュマンの追跡を始めた。 だが、それはタブーへの挑戦であり、組織の手は次第にミラーの身辺に及び始めた・・・。」 ストーリーは、1963年・ケネディ暗殺当時の西ドイツから始まります。 「主人公ペーター・ミラー vs オデッサ」という対立軸があり、 一方、国際社会では「ユダヤ vs ナチス」「ユダヤ vs アラブ」 「イスラエル vs エジプト」という対立軸があります。 そこに、「敵の敵は味方」という力学が働き、モサドが絡み、ストーリーが展開していきます。 ルートウィヒスブルクにあるZ委員会(Zentrale Stelle)、 リバプールのラッセル卿、シモン・ウィーゼンタールといった 実在する人たちの出る場面には、身が引き締まります。 特に、ウィーゼンタール氏が見せた警察幹部のリスト(P227・228)には絶句。 「どこまでが事実で、どこからがフィクションなのか」、詳しくは知りませんが、 この境目が曖昧な感じに、グイグイと引き込まれます。 ソース秘匿の為の努力が、より一層、この作品に引力をもたらしてるのだと思う。 (車の爆弾は、笑ったけど。) 私は、映画を先に見て、この原作に手を伸ばしてみたのですが、 小説の方が面白かったです。 絶版なのでしょうか? 是非、復刊してもらいたいです。 | ||||
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この小説は、1964年に流出した”オデッサファイル”を元に書かれた小説である。ナチス親衛隊の戦犯の名前や国籍を変えての逃亡生活と、捕虜収容所から生還したものの自殺した男性の日記をたまたま手に入れたジャーナリストの追跡の物語。 興味深いのは、ナチス親衛隊が生まれた原因ともなった、WVHA(経済管理本部)という組織。この組織が集めた資産が、ナチスの埋蔵金と言われ、闇に葬られ、今も地下水脈として闇の世界の資金源となっていると言われる。先日、某新聞社の朝刊に1945年当時のドイツと日本の分割統治 についての掲載があった。英米露による分割統治である。 日本には、杉原千畝という美談の公人がいるが、杉原千畝氏が発給したビザで出国したユダヤ人のその後もどうなっているのか?日本では、 ゾルゲ事件という今も不可解な事件もあった。フォーサイス氏が生きていたら、ゾルゲ事件をどう思うか?お話ししてみたい。 | ||||
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著者のフォーサイスはこの本の冒頭で、取材協力者に対して名前を挙げて謝意を表すことができないと書く。その理由は…… この前書きを読むだけで、まだ本編である小説が始まっていないのに既にドキドキしてしまう。 また、この前書きに書かれたナチスの犯罪に関する簡潔な要約も的確なものだと思う。 ケネディ大統領が暗殺された夜、物語が始まる。主人公は西ドイツ人のフリーのライター。彼は偶然によって老ユダヤ人が遺した日記を入手し、大物ナチ戦犯が追求を逃れていることを知る。そしてその戦犯、「リガの屠殺人」と呼ばれた元収容所長ロシュマンを追うことを決心する。 フォーサイスの小説にはいつも大なり小なりどんでん返しがあるが、この作品にもそれがあるのでお楽しみに。 | ||||
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デビュー作の「ジャッカルの日」と似た冒険活劇小説である。数多くの登場人物と物語を進める際の専門用語(今回はナチスの話)の解説が複雑で、何度も読み返さなければわからない点も多々あった。しかしそのような自らの理解力の貧弱さを覆すような展開の雄大さに舌を巻く。その展開は生半可な読者でも十分に興奮できる。単純な想像を軽く超えた世界を垣間見ることができ、これぞエンターテイメント小説と叫びたくなる読後感であった。 ジャッカルの日もオデッサファイルも結末は寂しさの中に清々しさが同居したような印象を受ける。それと同時に長編大作を読み切った達成感が訪れ、読書の醍醐味を改めて気づかせてくれる。 冒頭の読みにくさをクリアすると、主人公ペーター・ミラー(フリーのルポライター)に寄り添うように自らもジャガーに乗って動き回っている気分になれる。優れた落語を聞くと、聞いている自分もその世界に引き込まれ、一緒になって喜怒哀楽を共感するようになるのだが、それと全く同様のことがこの作品で楽しめる。映画のような映像がないからこそ、一つひとつの文章から想像力が掻き立てられる。その展開の拡がりに面白さが増してきて、次の文章をむさぼるように追いかけている自分に気づく。まことに心地よいひとときであった。 | ||||
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ツイテル人は、どこまでもツイテル。 知り合いの刑事から、自殺したユダヤ人(リガ収容所にいた)の日記(父親の写真付き)を渡され、内容を読むと父親を殺した人間(ロシュマン)が未だ生きて、ドイツ国内にいることを知る。 警察、検察、マスコミが非協力的な中(多数、ナチスの生き残りが居るから当然か)、イスラエルの諜報機関(別の目的で、オデッサに接近したがっていた)の協力を得て、組織に肉薄していく。 途中何度も脅迫を受けるも、引き下がらず、また、車(ジャガー)に爆弾を仕掛けられるが、足回りが固いという事で作動せず、広範囲に動き回れる(最後に、ロシュマンの部下が運転し、爆発)。 以前、バーでチップを渡した女性の恋人が、元コソ泥で、彼の手を借り、偽造屋の家からオデッサファイル(SSの主要メンバーの偽造パスポートの名簿)を手に入れることに成功する。 クライマックス、ロシュマンを追い詰め、いよいよって時、彼の部下に殴打され気を失い、取り逃がしてしまい、逆に、ヒットマンから命を狙われる。 拳銃で狙いをつけられ、もうアカンって時に、主人公の恋人からの連絡を聴いて飛んできたエージェントに間一髪助けられる。 ラストは、恋人と結婚し、依然同様民衆が楽しめ、求めるネタを中心に記事を書き、ルポライターとして活動する。 良い事の後には、また、いいことが起こる(幸運は続く、いいことが山ほどくる)。 | ||||
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後半を何度読んだだろうかガレージで 油まみれの手で 至福の時間 | ||||
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処女作「ジャッカルの日」でドキュメント・スリラーという分野を開拓したフォーサイスが、 またしてもやってくれたのが第二作の本書だ。前作に勝るとも劣らない面白さである。 オデッサ(Odessa)とは元SSによる互助組織のことで、本書によると、過去の罪業から 逃れたあともドイツ社会に深く食い込み、勢力を維持しているとのこと。オデッサ・ファ イルとはオデッサのメンバーリストを指し、1964年に匿名で当局に送られた文書をいう。 ファイルが日の目を見るまでを小説にしたのが本書で、そこには意外な秘話があった。 ルポライターのペーター・ミラーが"リガの処刑人"エドワルド・ロシュマンを探すための 追跡劇が中心で、そこにモサドが意外な関わり方をしてくる。追跡を諦めないミラーの 動機について、鈍感な私は「ルポライターがなぜそこまで?」と最後に明かされるまで 不思議だった。もっと早くに気がつくべきことなのだが(笑)。ロシュマンはリガの強制 収容所で指揮官を務めた実在の人物である。実際の彼の末路についてはあとがきに 詳しい。汚濁の歴史についてのドイツ人の複雑な心理は非常に興味深いものがある。 | ||||
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フレデリック・フォーサイスの、『ジャッカルの日』に次ぐ“ドキュメンタリー・スリラー”第2弾。こちらも映画化されている。 ハンブルグのフリーのルポライター、ペーター・ミラーは、自殺した老ユダヤ人が遺した一冊の日記から、“リガの虐殺人”の異名を持つナチ親衛隊(SS)の大尉で、当時ドイツ軍が侵略したバルト三国のラトビアの首都リガにあったユダヤ人収容所のロシュマン所長の存在を知る。彼は日記を通読するや、憑かれたようにロシュマンの追跡を始める。彼の前に立ちはだかるのは旧ナチ親衛隊(SS)の救済を目的とする秘密組織“オデッサ”。その所有する“ファイル”には、名を変え、身分を変え、国籍さえも変えたSSの生き残りのすべての真の素顔が記載されているという。 ロシュマンを、そして“ファイル”を見つけ出されては困る“オデッサ”は、自身も身分を変えてロシュマンに迫るペーターに殺し屋を差し向ける。命の危険も顧みずロシュマンを追いかけるペーターの真の目的とは・・・。 『ジャッカルの日』とはまたひと味違った趣向で、事実とフィクションを取り混ぜながら進むこの物語は、単にペーター・ミラーのロシュマン追跡行にとどまらず、歴史からサスペンスを掬いだし、秘密組織“オデッサ”をアメリカ、西ドイツとエジプト、イスラエルの政治的、軍事的な中東問題とからませたフォーサイスの国際的な取材力と抜群のストーリーテリングで“読ませる”、エンターテインメントに仕上がっている。 | ||||
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「ケネディ暗殺」から説き起こし、そこからさらに二つの史実、「ヨセフ・ベン・ガル裁判」と「西ドイツ政府へのオデッサ・ファイル送付」の点と線を「元SSによる再犯計画」および「エドゥアルト・ロシュマン追跡劇」で繋げ、関連づけた構成力には脱帽させられる。それとともに、「赦しに適わぬ罪を犯した者が、社会の除け者としてでなく、富んだ有力者として生きつづけ、その悪で祖国を永遠に汚しつづけている事実こそ、人類の汚点」だと訴えかけるメッセージには心を打たれた。 戦争責任での、ドイツを見習えという議論は、思うに「国家としての金銭的補償さえ履行すればよい」との精神が前提となっているのであろう。だが同時に「年老いた加害者のことは許して忘れよ」との意味をも伴うため、その精神がどんなに愚かしく、また恥ずかしいかを強く認識せざるを得ない。即物的な利潤に惑わされてヒトラーに選挙で投票したことを除けば、元SSでない一般のドイツ人には何の罪もない。何より、犠牲者が奪われた金品はすべて、奪い、殺した張本人たちの自己保身のためだけに悪用され、遺族の許には戻ってこなかった。そうした現実から目をそらし、尻拭いだけで手打ちとする前提では、はじめから議論など成立しないはずである。 オデッサ・ファイルが当局に渡るまで、皮肉にもドイツ人自身もまた元SSの追及に及び腰だったという描写もなされているが、それからすれば、戦争責任における彼我の差とは、五十歩百歩的なものなのかもしれない。それでは五十歩分の差とは何なのか。思うに、それは家庭内でも子が親を追及するといったことが、なされているか否かであろう。 「特定の殺人者が裁きを受けずに逃れているということが、問題であり、悲劇である」ゆえに、SSの悪逆者を放置する限り、いくら他のことで取り返しても無意味である。それだけにオデッサ・ファイル送付は、現代ドイツ史において最も意義ある出来事といえよう。 | ||||
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主人に借りたジャッカルの日の面白さに、他の作品も貸してと頼んで読んだのが、 オデッサ・ファイルです。歴史的事実をベースにした、 緻密かつぐいぐいとひきこまれる世界観は、ジャッカルの日と同様に楽しめました。 が、主人公の動機が、早々に検討がついたので、そこばかりが気になって、 肝心のストーリーがジャッカルの日ほど面白いと思えなかったのが、少し残念です。 | ||||
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ミラーの真の動機が判明するあたりは,本当に息を飲んだ。 ある自殺した男が残した日記から始まる長編。その男たちを苦しめたナチSS大尉ロシュマンを,ルポライターのミラーが追う。数多くの登場人物が出てくるが,どれを取っても性格描写が巧み。ミラーの愛車,黒に黄色のラインが入ったジャガーも最後まで活躍する。 始めは斜め読みをしていたのに,いつしか寝るのも忘れ完全に没頭。フォーサイスの並外れた取材力と描写力により,事実と見紛うばかりの物語に仕上がっている。 | ||||
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