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オデッサ・ファイル
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オデッサ・ファイルの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.57pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全28件 1~20 1/2ページ
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映画を先に見て、ナチ&オデッサファイル&ナチハンターに興味があり本書を読みました。 潜伏ナチ相手の話であり、しかもキチンと取材して事実に基づいて書いているので面白いに決まってます。 ただ、どなたかが書いている様に話の中で余りにも都合が良い部分が多すぎて、なんだかなと言う所はあります。 でもジャーナリストが書いているだけあって話に遠回しな表現やムダなプロットが無い。 外国の作家は結構これが多くて読み辛いと感じる事が多いのですが、それが無いので非常に読みやすかったです。 自分的にはナチ及びSSについての詳しい記述が一番読み応えがあったな。専門書ほど難しくも無いし小説の中での説明なので端的だし。 話も面白いしナチやナチ逃亡犯について基本的な事が知れるので、一粒で二度美味しい本だと思います。 惜しむらくは書かれたのが1970年代、小説の中の設定が1960年代初頭なので、仕方の無い事だけど現在と状況がだいぶ違っているので違和感はあります。 けどこの話が書かれた時って小説に登場するSS含め、まだ殆どのナチ逃亡犯が生きていたのよね。 そう考えるとすごく複雑な気持ちになります。 | ||||
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きれいに梱包されてました | ||||
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NHKの「映像の世紀」で米国のアポロ計画の中心人物がナチス残党だったと知って驚愕しましたが、この小説には残党達が互助会のような組織を作って活動を続けてた事を詳しく書いてあります。フレデリック・フォーサイスの人物の描き方の細かい描写がいかにも英国人らしくて楽しめました。 但し、「ナチスは絶対悪である」という欧米の主張を確認するステレオタイプ的な内容である事には変わりばえがありません。確かに民族浄化等は絶対悪ではあるものの、ナチスがバーター取引を採用した事によってオートバーンの建設が可能となったのにその手法が否定されたという事実もあるらしいので、2022年の現代では、多角的視点からナチの活動を再評価する必要もありかなと思いました。 | ||||
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既に絶版となっているもので、程度も良く大変満足しています。 | ||||
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これまで見逃してきたけれど、古本で読みました。 今、絶版となっているのが惜しまれる。 小説は映画と異なり、勧善懲悪にはならない。 それがかえって小説に深みをもたせている。 それを支えているのは篠原慎さんの手本のような正確な翻訳。 フォーサイスの小説は「ジャッカルの日」以外、絶版になっているのは多いけど探して読みたいと思う。 | ||||
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今読んでも夢中になれる傑作。時代背景が古いので分かりにくい部分もあるが、ナチスを追い詰めていく過程は読み応え抜群。 | ||||
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晩年の作品はともかく、フォーサイスの初期の作品の構想力と筆力に驚いています。ナチス時代からのヨーロッパの複雑さが背景にあり、そこにフォーサイスの経験と才能が彼の一連の作品を産んだものと思う。 | ||||
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CIAやMI6、KGBなどが動き回る話だと思ってましたが、もっと人間臭く深くて面白かった。 | ||||
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1963ー64年の西ドイツを主な舞台にして 70ー71年に執筆された国際謀略冒険小説。 誠に面白かったが2017年の読者にとっては若干ツラい。 このツラさは、古めかしさ、あるいは古典の風格 と言い換えてもいいかもしれない。 展開も描写も出版当時は斬新だったのだろう。 しかし、任務の重要さに比べて主人公の行動は軽率すぎる と感じてしまう。 これは、作者と作品の責任ではない。 新機軸が盛り込まれた国際謀略エンタテイメントは 数多く出版され続けており、 こうした作品を好んで読み続けている、おれの責任かもしれない。 たとえば、この作品で描かれる追跡や妨害のディティールは、 おれには物足りない。 基本的には追跡の物語だ。 追跡には妨害が付きものだが、 そのどちらもが実に淡泊な描かれ様だ。 現在の書き手なら、もっとねちねち書き込むはずだ。 ただ、現在の書き手と 70年代初めの書き手とを比較してもしょうがない。 「個人と組織」「ナチスとユダヤ」「アラブとユダヤ」 など複数の対立軸が絡み合う大状況の設定は 現在でも突き抜ける面白さであり、 再読してよかったと思っているのだ。 | ||||
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1972年、フレデリック・フォーサイス氏の作品です。 まずは、裏表紙にある内容紹介文を。 「 ”オデッサ”とは、ナチス親衛隊(SS)のメンバーの救済を目的とする秘密組織のことである。 ルポライター、ペーター・ミラーをオデッサと結びつけたのは、老ユダヤ人が遺した一冊の日記だった。 それによればリガの殺人鬼と異名をとったナチ収用所長、ロシュマンは、今もドイツに生きているという。 日記のある箇所がミラーの注意を惹いた。彼は憑かれたようにロシュマンの追跡を始めた。 だが、それはタブーへの挑戦であり、組織の手は次第にミラーの身辺に及び始めた・・・。」 ストーリーは、1963年・ケネディ暗殺当時の西ドイツから始まります。 「主人公ペーター・ミラー vs オデッサ」という対立軸があり、 一方、国際社会では「ユダヤ vs ナチス」「ユダヤ vs アラブ」 「イスラエル vs エジプト」という対立軸があります。 そこに、「敵の敵は味方」という力学が働き、モサドが絡み、ストーリーが展開していきます。 ルートウィヒスブルクにあるZ委員会(Zentrale Stelle)、 リバプールのラッセル卿、シモン・ウィーゼンタールといった 実在する人たちの出る場面には、身が引き締まります。 特に、ウィーゼンタール氏が見せた警察幹部のリスト(P227・228)には絶句。 「どこまでが事実で、どこからがフィクションなのか」、詳しくは知りませんが、 この境目が曖昧な感じに、グイグイと引き込まれます。 ソース秘匿の為の努力が、より一層、この作品に引力をもたらしてるのだと思う。 (車の爆弾は、笑ったけど。) 私は、映画を先に見て、この原作に手を伸ばしてみたのですが、 小説の方が面白かったです。 絶版なのでしょうか? 是非、復刊してもらいたいです。 | ||||
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この小説は、1964年に流出した”オデッサファイル”を元に書かれた小説である。ナチス親衛隊の戦犯の名前や国籍を変えての逃亡生活と、捕虜収容所から生還したものの自殺した男性の日記をたまたま手に入れたジャーナリストの追跡の物語。 興味深いのは、ナチス親衛隊が生まれた原因ともなった、WVHA(経済管理本部)という組織。この組織が集めた資産が、ナチスの埋蔵金と言われ、闇に葬られ、今も地下水脈として闇の世界の資金源となっていると言われる。先日、某新聞社の朝刊に1945年当時のドイツと日本の分割統治 についての掲載があった。英米露による分割統治である。 日本には、杉原千畝という美談の公人がいるが、杉原千畝氏が発給したビザで出国したユダヤ人のその後もどうなっているのか?日本では、 ゾルゲ事件という今も不可解な事件もあった。フォーサイス氏が生きていたら、ゾルゲ事件をどう思うか?お話ししてみたい。 | ||||
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映画を見てから、本書を読んだわけだが面白くなかったと言ったら嘘になる。両方とも一気観、一気読み。 ただ、一点どうしても気になる点が一つ。 話を面白くするためにエジプトまでナチの残党と手を組む悪の存在として描くのはどうなんだろう。 逆にミサイルに関しては、再三繰り返されてきて今日までなお続くイスラエルのパレスチナ人に対する「ホロコースト」に近いと言ってもいい蛮行、そしてそのことに対する怒りがイスラムテロリストへの大きな燃料源になってきたことを考えるなら、 オデッサの計画が成功してた方が良かったかもなんて感想を持たせかねない。(まあ、放射性物質や病原菌というのは、いかなる場合も手段としては認められませんがね) 歴史的事実としてはっきりしているのは、エジプトのナセル大統領が旧ナチに同情的であり、政府の役人として起用したり、あるいは旧ドイツ帝国の技術者を使って対イスラエル用のロケットを開発しようとしたことと、それにモサドの指導部が過剰に反応してドイツとの外交関係をおかしくしかねない行動におよんだこと(そのあたりは本書にも出てきますね)、それ以上でもそれ以下でもない。 その歴史的事実と、その動きを旧SSの組織が主導したというフィクションを巧みに織り交ぜ、しかも総て真実であるように語るのはあまりに低劣かつ姑息だと感じた。 ホロコーストが20世紀最大の悲劇の一つであり、その犯人たちはとことん追及すべきであり、もしそれを隠蔽しようとする風土があるなら改めるべきだということには全く異論もなく心から共感できるのだが(私の一番好きな映画、シンドラーのリストです)、 だからと言って、イスラエルという国のあり方を無条件に全肯定し、そのため敵対国を悪の存在として描くために旧ナチと結びつけるのは、あまりにも品性に欠ける低劣な手法だと思う。 ジャッカルの日、戦争の犬たちは大好きな作家なだけに、この作品には少しがっかりです。わざわざ図書館で借りて読むんじゃなかった。 持ってないには持ってないなりの理由があるんだ。 | ||||
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著者のフォーサイスはこの本の冒頭で、取材協力者に対して名前を挙げて謝意を表すことができないと書く。その理由は…… この前書きを読むだけで、まだ本編である小説が始まっていないのに既にドキドキしてしまう。 また、この前書きに書かれたナチスの犯罪に関する簡潔な要約も的確なものだと思う。 ケネディ大統領が暗殺された夜、物語が始まる。主人公は西ドイツ人のフリーのライター。彼は偶然によって老ユダヤ人が遺した日記を入手し、大物ナチ戦犯が追求を逃れていることを知る。そしてその戦犯、「リガの屠殺人」と呼ばれた元収容所長ロシュマンを追うことを決心する。 フォーサイスの小説にはいつも大なり小なりどんでん返しがあるが、この作品にもそれがあるのでお楽しみに。 | ||||
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デビュー作の「ジャッカルの日」と似た冒険活劇小説である。数多くの登場人物と物語を進める際の専門用語(今回はナチスの話)の解説が複雑で、何度も読み返さなければわからない点も多々あった。しかしそのような自らの理解力の貧弱さを覆すような展開の雄大さに舌を巻く。その展開は生半可な読者でも十分に興奮できる。単純な想像を軽く超えた世界を垣間見ることができ、これぞエンターテイメント小説と叫びたくなる読後感であった。 ジャッカルの日もオデッサファイルも結末は寂しさの中に清々しさが同居したような印象を受ける。それと同時に長編大作を読み切った達成感が訪れ、読書の醍醐味を改めて気づかせてくれる。 冒頭の読みにくさをクリアすると、主人公ペーター・ミラー(フリーのルポライター)に寄り添うように自らもジャガーに乗って動き回っている気分になれる。優れた落語を聞くと、聞いている自分もその世界に引き込まれ、一緒になって喜怒哀楽を共感するようになるのだが、それと全く同様のことがこの作品で楽しめる。映画のような映像がないからこそ、一つひとつの文章から想像力が掻き立てられる。その展開の拡がりに面白さが増してきて、次の文章をむさぼるように追いかけている自分に気づく。まことに心地よいひとときであった。 | ||||
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この作品の中でドイツの警察の描写は「普通の人びと」以前なのに、よく描けていると思う反面、登場するラトヴィア人SS隊員は「野蛮人」そのものに書かれているが、いくら作品が書かれた当時はラトヴィアはソ連の一民族共和国だとはいえ、問題にならなかったのだろうか。主人公のドイツ人は「野蛮人」だと描いていないのは、ドイツ語圏での出版を意図しているからに見えてくる。よりにもよって回想録を残したユダヤ人を強制収容所のカポにするとは、どういう事だ?そのカポが自分の太ももに日記を書くとか強制収容所で女性が化粧品が使えるとかいう描写は、作者は筆力があるだけ「説得力」があるように読めるが、却って絵空事に見えてくる。ゲットーのユダヤ人警察やユダヤ人評議会同様、カポが同胞に嫌われているのか、知らないから、末尾で強制収容所に送られた経験のあるイスラエル軍の将校がヤド・ヴァシェムで追悼する光景が描けるのだろう。この将校はドイツ人を憎悪している設定になっているのに。 | ||||
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ツイテル人は、どこまでもツイテル。 知り合いの刑事から、自殺したユダヤ人(リガ収容所にいた)の日記(父親の写真付き)を渡され、内容を読むと父親を殺した人間(ロシュマン)が未だ生きて、ドイツ国内にいることを知る。 警察、検察、マスコミが非協力的な中(多数、ナチスの生き残りが居るから当然か)、イスラエルの諜報機関(別の目的で、オデッサに接近したがっていた)の協力を得て、組織に肉薄していく。 途中何度も脅迫を受けるも、引き下がらず、また、車(ジャガー)に爆弾を仕掛けられるが、足回りが固いという事で作動せず、広範囲に動き回れる(最後に、ロシュマンの部下が運転し、爆発)。 以前、バーでチップを渡した女性の恋人が、元コソ泥で、彼の手を借り、偽造屋の家からオデッサファイル(SSの主要メンバーの偽造パスポートの名簿)を手に入れることに成功する。 クライマックス、ロシュマンを追い詰め、いよいよって時、彼の部下に殴打され気を失い、取り逃がしてしまい、逆に、ヒットマンから命を狙われる。 拳銃で狙いをつけられ、もうアカンって時に、主人公の恋人からの連絡を聴いて飛んできたエージェントに間一髪助けられる。 ラストは、恋人と結婚し、依然同様民衆が楽しめ、求めるネタを中心に記事を書き、ルポライターとして活動する。 良い事の後には、また、いいことが起こる(幸運は続く、いいことが山ほどくる)。 | ||||
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後半を何度読んだだろうかガレージで 油まみれの手で 至福の時間 | ||||
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処女作「ジャッカルの日」でドキュメント・スリラーという分野を開拓したフォーサイスが、 またしてもやってくれたのが第二作の本書だ。前作に勝るとも劣らない面白さである。 オデッサ(Odessa)とは元SSによる互助組織のことで、本書によると、過去の罪業から 逃れたあともドイツ社会に深く食い込み、勢力を維持しているとのこと。オデッサ・ファ イルとはオデッサのメンバーリストを指し、1964年に匿名で当局に送られた文書をいう。 ファイルが日の目を見るまでを小説にしたのが本書で、そこには意外な秘話があった。 ルポライターのペーター・ミラーが"リガの処刑人"エドワルド・ロシュマンを探すための 追跡劇が中心で、そこにモサドが意外な関わり方をしてくる。追跡を諦めないミラーの 動機について、鈍感な私は「ルポライターがなぜそこまで?」と最後に明かされるまで 不思議だった。もっと早くに気がつくべきことなのだが(笑)。ロシュマンはリガの強制 収容所で指揮官を務めた実在の人物である。実際の彼の末路についてはあとがきに 詳しい。汚濁の歴史についてのドイツ人の複雑な心理は非常に興味深いものがある。 | ||||
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ジャッカルの日、戦争の犬たちを読んだので、当時角川文庫で出版されていた本書もついでに読みました。題名がカッコよかったのもいいです。雰囲気は似ている感じがしました。 | ||||
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フレデリック・フォーサイスの、『ジャッカルの日』に次ぐ“ドキュメンタリー・スリラー”第2弾。こちらも映画化されている。 ハンブルグのフリーのルポライター、ペーター・ミラーは、自殺した老ユダヤ人が遺した一冊の日記から、“リガの虐殺人”の異名を持つナチ親衛隊(SS)の大尉で、当時ドイツ軍が侵略したバルト三国のラトビアの首都リガにあったユダヤ人収容所のロシュマン所長の存在を知る。彼は日記を通読するや、憑かれたようにロシュマンの追跡を始める。彼の前に立ちはだかるのは旧ナチ親衛隊(SS)の救済を目的とする秘密組織“オデッサ”。その所有する“ファイル”には、名を変え、身分を変え、国籍さえも変えたSSの生き残りのすべての真の素顔が記載されているという。 ロシュマンを、そして“ファイル”を見つけ出されては困る“オデッサ”は、自身も身分を変えてロシュマンに迫るペーターに殺し屋を差し向ける。命の危険も顧みずロシュマンを追いかけるペーターの真の目的とは・・・。 『ジャッカルの日』とはまたひと味違った趣向で、事実とフィクションを取り混ぜながら進むこの物語は、単にペーター・ミラーのロシュマン追跡行にとどまらず、歴史からサスペンスを掬いだし、秘密組織“オデッサ”をアメリカ、西ドイツとエジプト、イスラエルの政治的、軍事的な中東問題とからませたフォーサイスの国際的な取材力と抜群のストーリーテリングで“読ませる”、エンターテインメントに仕上がっている。 | ||||
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