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(短編集)
伯母殺人事件
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【この小説が収録されている参考書籍】
伯母殺人事件の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.04pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全23件 1~20 1/2ページ
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※ネタバレ 自己中でワガママ放題の甥が、同居している伯母が気に入らなくて、あれこれ陰謀をめぐらせて殺そうとするが、なかなか成功せず、最後は……という話。勧善懲悪のつもりかと思うけど、そもそもこの伯母の方も、周りの召使いやらなんやらとグルになって、甥を罠にはめて嘲笑ったり、甥の日記を盗み見たりして、こんなやつは殺したいと思われても仕方ないんじゃないかという気がする。 ……しかも伯母の方だって、服にアイロンをかけたり、庭いじりするか、地域の集会に出るくらいしかすることもないくせに、仕事をしないからって、甥をダメ人間扱いするのはどうかと思う。 ……それに、伯母がすんでのところで落ちそうになった崖までの経路を、安全のために生け垣を補強して、事故が起きないようにしたはずなのに、同じ場所で甥が事故に遭うのも、辻褄が合わない。 ……いろんな意味で、読後感が悪い。 | ||||
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衝突の絶えない伯母を殺し、その遺産を得て、恐るべき田舎生活から脱出しようとする「僕」(エドワード)が、殺害を思い立ったきっかけから、その実行に至るまでを記した日誌の内容… それがこの作品の主要部分である。 読み手には始めから犯人が明かされていてその人物の行動を追って行くという、いわゆる「倒叙推理小説」であるが、客観的な描写によるのではなく、犯罪を試みる本人自らが語り、全てを主観的に 描いていく点が、この作品の特徴だ。 ところで、「倒叙推理」というジャンルに当てはめれば、当然、他の倒叙物と比べたくなってしまうが……自分としてはこの作品を、「倒叙物として他の作品より優れているか否か」という視点から 論じて欲しくはないと思う。 そもそも、「ダメ人間エドワードのダメな企み」が描かれているのだから、緻密な殺人計画とそれが破綻して行く様を本格的に堪能しようと期待するのは見当違いだし、はっきり言って、 推理物としての造りも甘い作品であるから、純粋に優れた倒叙作品が読みたいのなら、クロフツ辺りを探った方が良い、と言わざるを得ないのだ…。 ところがその一方で、この優劣という視点を排除すれば、この作品ならではの倒叙物としての面白さが浮かび上がって来る。 それは、表面上は「僕」と伯母という対立の構図を取りながらも、実は、語り手を通して作者に挑まれているのは読み手である、とも受け取れる点である。ネタバレになるので詳しくは書けないが、 読み終わった際には、「我々が事実と信じている物事は、どれ程まで事実であるのか? 真実とは何か?」といった、少々哲学めいた問題にさえ、読み手の心は向けられるはずだ。(実際に作者が そこまで意図していたかは不明だが…。) そして、何よりもこの作品の他に無い魅力は、作者の類い稀なユーモアセンスであり(自分は初読の際、一行目からこの作品の魅力を予感する事ができたくらいだった)、そしてその素晴らしさ故に、 「倒叙推理云々の枠を超えて、最高に面白い小説の一つとして最高の評価を与えて良い」と、個人的には思うのである。この価値は絶対的であり、従って、倒叙推理としての出来の良し悪しを 他と比較して、その価値を決めるべき作品だとは思えないのだ。 しかしもしかすると、読み手によっては、エドワードを、「ただのだらしない皮肉屋で、気に入らない…」と感じる人もいるのかもしれず、そういう人にとっては、自分の、この作者のユーモアセンスに 対する評価、ひいては作品に対する評価は、全く信じ難いものでしかないのかもしれない…。 だが、恐らく大抵の人は、なぜか憎めない彼の皮肉たっぷりの世界観に絶えずニヤリとさせられ、そして親しみさえ感じつつ、その不思議な明るさを放つ独特の雰囲気に酔いながら、楽しく読み進めて行く のではないかと思う。 特に若者には面白い作品に違いない。分別のあり過ぎる大人には、彼にシンパシーを感じられない面があるかもしれないからだ。 自分も、再読してみたところ、若い頃に読んだ時とは少しだけ印象が違った。オチを知っていたからかもしれないが、残念な事に、大人になり、多少分別くさくなってしまったのではないかと思う…。 それでもやはり、作者の素晴らしいユーモアセンスには、改めて驚嘆した。本当に素晴らしい名作である! 小説全般を見渡しても、これだけの作品が他にあるかと考えれば…自分としては、必然的に最高の評価を与えてしまうのだ。 | ||||
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いやしくも推理小説の犯人になろうとするような者は勇気・知力・体力・運等正常の人よりなにか卓越したところがなくてはならないものだと思うが、この犯人(?)はどれも劣っており非常に女々しい性格であるのがまず面白いシュチュエーションだと思う。それに加えて執筆当時では異常と受け取られたであろう主人公の性格も今ではどこにでもいるぐうたらであるところも余計に親近感を抱かせるものとなっている。自省心の全くない身勝手で非論理的な性格なのに自惚れとしつこさだけは異常に強い主人公の倒叙小説なので身につまされながらもずっと笑いながら読んでしまう。(思わず吹きだしてしまう箇所も数箇所ある。)訳も「風と共に去りぬ」の訳者なので地名人名がなければ最初から日本語で書かれたような訳である。初版当時よりも今読んだほうがはるかにおもしろい傑作推理小説である。 | ||||
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いやしくも推理小説の犯人になろうとするような者は勇気・知力・体力・運等正常の人よりなにか卓越したところがなくてはならないものだと思うが、この犯人(?)はどれも劣っており非常に女々しい性格であるのがまず面白いシュチュエーションだと思う。それに加えて執筆当時では異常と受け取られたであろう主人公の性格も今ではどこにでもいるぐうたらであるところも余計に親近感を抱かせるものとなっている。自省心の全くない身勝手で非論理的な性格なのに自惚れとしつこさだけは異常に強い主人公の倒叙小説なので身につまされながらもずっと笑いながら読んでしまう。(思わず吹きだしてしまう箇所も数箇所ある。)訳も「風と共に去りぬ」の訳者なので地名人名がなければ最初から日本語で書かれたような訳である。初版当時よりも今読んだほうがはるかにおもしろい傑作推理小説である。 | ||||
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ミステリーの深い味わいはもちろん、古き良き英国セレブの雰囲気を心ゆくまで堪能出来る3つの逸話です。 | ||||
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ミステリーの深い味わいはもちろん、古き良き英国セレブの雰囲気を心ゆくまで堪能出来る3つの逸話です。 | ||||
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本書は、フランシス・アイルズの「殺意」、 フリーマン・ウィルズ・クロフツの「クロイドン発12時30分」とともに、 「三大倒叙推理小説」の一つとされている作品ですが、 3作品の中では一番読まれていないようです。 何しろ、この作品だけ、絶版になっていますし・・・。 ミルドレッド伯母の家に暮らす「ぼく」(エドワード)は、 父母の遺産を管理する伯母の言動に嫌気が差し、 伯母がいなくなれば、遺産を自分で管理できるようになり、 町を出て自由に暮らせるようになると考え、 伯母の殺害を計画します。 果たして殺人計画はうまくいくのか・・・。 エドワードは、現代ならさしずめ、 ニートと呼ばれる青年でしょう。 就職はせず、家に引きこもりがちで、 狭い世界に住んでいます。 しかも、あまり緻密ではないようで、 殺人計画も杜撰な感じ・・・。 不思議な作品です。 「殺意」のような緻密な犯人の計画が どう暴かれていくのかという興味を誘う作品とも、 「クロイドン−−」のように犯人に同情してしまい、 犯行が暴露しないかと 一緒にハラハラしてしまうのとも違います。 特徴的なのは、全編を覆うユーモアでしょうか。 浮き世離れしたような「ぼく」の殺人計画は、 何となく、笑いを誘ってしまいます。 ラストには、一応意外な結末が待っていますが、 今ではありきたりな感じのするオチだったのが、 ちょっと残念。 本作品は、古典を楽しむという気持ちで読むのが よいのではないでしょうか。 最後にひとこと注意を。 「解説」には、最終章で明かされる ある事柄が明らかになっていますので、 本編読後に読まれることをお薦めします。 | ||||
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本書は、フランシス・アイルズの「殺意」、 フリーマン・ウィルズ・クロフツの「クロイドン発12時30分」とともに、 「三大倒叙推理小説」の一つとされている作品ですが、 3作品の中では一番読まれていないようです。 何しろ、この作品だけ、絶版になっていますし・・・。 ミルドレッド伯母の家に暮らす「ぼく」(エドワード)は、 父母の遺産を管理する伯母の言動に嫌気が差し、 伯母がいなくなれば、遺産を自分で管理できるようになり、 町を出て自由に暮らせるようになると考え、 伯母の殺害を計画します。 果たして殺人計画はうまくいくのか・・・。 エドワードは、現代ならさしずめ、 ニートと呼ばれる青年でしょう。 就職はせず、家に引きこもりがちで、 狭い世界に住んでいます。 しかも、あまり緻密ではないようで、 殺人計画も杜撰な感じ・・・。 不思議な作品です。 「殺意」のような緻密な犯人の計画が どう暴かれていくのかという興味を誘う作品とも、 「クロイドン−−」のように犯人に同情してしまい、 犯行が暴露しないかと 一緒にハラハラしてしまうのとも違います。 特徴的なのは、全編を覆うユーモアでしょうか。 浮き世離れしたような「ぼく」の殺人計画は、 何となく、笑いを誘ってしまいます。 ラストには、一応意外な結末が待っていますが、 今ではありきたりな感じのするオチだったのが、 ちょっと残念。 本作品は、古典を楽しむという気持ちで読むのが よいのではないでしょうか。 最後にひとこと注意を。 「解説」には、最終章で明かされる ある事柄が明らかになっていますので、 本編読後に読まれることをお薦めします。 | ||||
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アイルズの「殺意」、クロフツの「クロイドン発12時30分」と並び称される三大倒叙推理の一つ。 エドワードは伯母の言動に我慢がならなくなり、殺人を計画する。というもの。 主人公、エドワードの日記で主観的に物語は進んでいく。その筆致が読み手にユーモアを感じさせます。 人殺しの計画であるのに、主人公が懊悩する様は一種の同情を読み手によっては感じさせるかも知れません。 | ||||
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アイルズの「殺意」、クロフツの「クロイドン発12時30分」と並び称される三大倒叙推理の一つ。 エドワードは伯母の言動に我慢がならなくなり、殺人を計画する。というもの。 主人公、エドワードの日記で主観的に物語は進んでいく。その筆致が読み手にユーモアを感じさせます。 人殺しの計画であるのに、主人公が懊悩する様は一種の同情を読み手によっては感じさせるかも知れません。 | ||||
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大半は 甥の語りで,いかに伯母がいやな奴かと言うことが書かれています。 これを読めば 可愛そうな甥と誰しもが同情してしまいます。 綿密な殺人計画の下 甥は伯母を・・・・・・。 真実は両面を見ないとわかりません。片面だけを見てすべてわかったつもりになりがち。 だから 両面を見た後の 結末は ミステリーながら すかっと爽快な気持にさせられま した。 | ||||
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大半は 甥の語りで,いかに伯母がいやな奴かと言うことが書かれています。 これを読めば 可愛そうな甥と誰しもが同情してしまいます。 綿密な殺人計画の下 甥は伯母を・・・・・・。 真実は両面を見ないとわかりません。片面だけを見てすべてわかったつもりになりがち。 だから 両面を見た後の 結末は ミステリーながら すかっと爽快な気持にさせられま した。 | ||||
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本作が叙述トリック物というのは秘密だと思っていたが、"商品説明"に三大倒叙ミステリの一つと書いてあるので、叙述トリック物の傑作と書いても良いだろう。もっとも倒叙物と叙述トリック物とでは意味が異なるのだが。物語は「僕」の一人称で語られる。「僕」は伯母の財産が目当てで、伯母を殺そうと企むのだ。ところが「僕」はドジな奴で、立てる殺人計画は蓋然性が薄いものばかりで失敗の連続。この様子がユーモア一杯に描かれる。この「僕」の視点で殺人計画を描く所が倒叙物ですね。「僕」のダメ男ぶりが、これでもかという風に描かれ読者の哄笑を誘う。そして、この殺人計画の最後に待っているものは...。 ユーモアを前面に押し出しながら、最後で読者を驚きの結末に導くミステリ黄金期の叙述トリック物の傑作。 | ||||
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本作が叙述トリック物というのは秘密だと思っていたが、"商品説明"に三大倒叙ミステリの一つと書いてあるので、叙述トリック物の傑作と書いても良いだろう。もっとも倒叙物と叙述トリック物とでは意味が異なるのだが。 物語は「僕」の一人称で語られる。「僕」は伯母の財産が目当てで、伯母を殺そうと企むのだ。ところが「僕」はドジな奴で、立てる殺人計画は蓋然性が薄いものばかりで失敗の連続。この様子がユーモア一杯に描かれる。この「僕」の視点で殺人計画を描く所が倒叙物ですね。「僕」のダメ男ぶりが、これでもかという風に描かれ読者の哄笑を誘う。そして、この殺人計画の最後に待っているものは...。 ユーモアを前面に押し出しながら、最後で読者を驚きの結末に導くミステリ黄金期の叙述トリック物の傑作。 | ||||
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世界には、傑作といわれるミステリー作品があります。 その傑作ミステリーに、このマイナー?な作品『おば殺し』が入っていないのは不思議です。 ラストは、「にんまり」。 まさに、「やられた・・。」 こんなにお見事なラストには、一生であと何回出会えるのかしら、というくらいお見事なラストです。 | ||||
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この「伯母殺人事件」は、犯人の側から事件の進行を描いていく倒叙推理小説の傑作として、「殺意」、「クロイドン発12時30分」と並び称されている作品なのだが、これら三作品の中では、「この伯母殺人事件」が、倒叙推理小説という体裁に最も忠実であると同時に、内容的には倒叙推理小説というイメージから最も遠い作品であるといえるだろう。 どういうことかというと、この作品は、ストーリーが、ほぼ一貫して、犯人である「ぼく」という一人称で、犯罪行為の動機の形成から実行までの過程が語られていくという点においては、三作品の中では、最も倒叙推理小説としての体裁に忠実なのだが、伯母殺しの発端になる伯母と「ぼく」の対立が、なんともくだらない子供同士の喧嘩レベルの泥仕合として描かれているなど、ストーリーが軽く、倒叙推理小説特有の緊迫感には欠けているのだ。 もっとも、作者は、そんなことは、百も承知のうえで書いているのであろうし、実際、終盤に待ち受けている、この小説が三大倒叙推理小説として評価されるゆえんとなった、掛け値なしに意外な結末に触れてみると、それまでの描写の全てが、その伏線となっていたことが明らかになるのだ。 とはいえ、この「伯母殺人事件」が、倒叙推理小説としては極めてユニークな作品であることは事実であり、この作品全体の評価は、この終盤までの構成を、作者の意図は認めつつも、「軽すぎて、緊迫感に欠ける」と否定的にとらえるのか、本書の解説者が書いているように、「巧まざるユーモアを発散させて」、「殺伐さは感じられない」と肯定的に評価するのか、読む人の受け止め方次第で、かなり変わってくるだろう。 | ||||
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この「伯母殺人事件」は、犯人の側から事件の進行を描いていく倒叙推理小説の傑作として、「殺意」、「クロイドン発12時30分」と並び称されている作品なのだが、これら三作品の中では、「この伯母殺人事件」が、倒叙推理小説という体裁に最も忠実であると同時に、内容的には倒叙推理小説というイメージから最も遠い作品であるといえるだろう。 どういうことかというと、この作品は、ストーリーが、ほぼ一貫して、犯人である「ぼく」という一人称で、犯罪行為の動機の形成から実行までの過程が語られていくという点においては、三作品の中では、最も倒叙推理小説としての体裁に忠実なのだが、伯母殺しの発端になる伯母と「ぼく」の対立が、なんともくだらない子供同士の喧嘩レベルの泥仕合として描かれているなど、ストーリーが軽く、倒叙推理小説特有の緊迫感には欠けているのだ。 もっとも、作者は、そんなことは、百も承知のうえで書いているのであろうし、実際、終盤に待ち受けている、この小説が三大倒叙推理小説として評価されるゆえんとなった、掛け値なしに意外な結末に触れてみると、それまでの描写の全てが、その伏線となっていたことが明らかになるのだ。 とはいえ、この「伯母殺人事件」が、倒叙推理小説としては極めてユニークな作品であることは事実であり、この作品全体の評価は、この終盤までの構成を、作者の意図は認めつつも、「軽すぎて、緊迫感に欠ける」と否定的にとらえるのか、本書の解説者が書いているように、「巧まざるユーモアを発散させて」、「殺伐さは感じられない」と肯定的に評価するのか、読む人の受け止め方次第で、かなり変わってくるだろう。 | ||||
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伯母と田舎の生活にうんざりした青年が、何とか偶然の事故に見せかけて伯母を殺害しようとするお話です。犯罪者の手記(日記)という体裁をとっているのですが、そのユーモラスな語り口は読んでいるこちら側を思わずニヤリとさせます。最初の計画が失敗してからは読んでいて悲しくなってくるほどに軽率な行動をとったりするのですが、本人が悦に入っているので尚更おかしさがこみ上げてきます。青年・伯母の手記共に自己弁護が散りばめられており、人間の悲しい性が垣間見えるというのも筆者の優れた観察力の成せる技だといえるでしょう。 | ||||
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伯母と田舎の生活にうんざりした青年が、何とか偶然の事故に見せかけて伯母を殺害しようとするお話です。 犯罪者の手記(日記)という体裁をとっているのですが、そのユーモラスな語り口は読んでいるこちら側を思わずニヤリとさせます。 最初の計画が失敗してからは読んでいて悲しくなってくるほどに軽率な行動をとったりするのですが、本人が悦に入っているので尚更おかしさがこみ上げてきます。 青年・伯母の手記共に自己弁護が散りばめられており、人間の悲しい性が垣間見えるというのも筆者の優れた観察力の成せる技だといえるでしょう。 | ||||
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イギリス文学の中には、作者が登場人物や社会から一歩距離をとって、非常に客観的に物事を描写した、しかも見事なユーモアとウィットを併せ持つ作品群の豊かな伝統があると思うのですが、この作品などもその一つの典型なのではないでしょうか。前半と後半で語り手が交代して、同じ物語がまったく違った視点で二度繰り返されます。見方を変えると、こんなにも話は違ってくるのか、と驚かされ、特に後半の抜群のユーモア・センスに笑わされ、読み終わった後に、人間性に対する、一つの透徹した理論を作者がつかんでいることに感心させられ、しかもそれを娯楽小説として表現する名人芸に感嘆させられました。ややもすると、おとなしくて地味な印象を与えがちなイギリス文学のこういった一つの伝統ですが、やはり私は個人的に学ぶところ大です。私はどう見ても第一の語り手タイプの人間ですのでなおさら要注意-です。 | ||||
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