■スポンサードリンク
むらさきのスカートの女
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
むらさきのスカートの女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全115件 61~80 4/6ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ミステリアスで面白かった | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
芥川賞受賞作品は毎回3時間ほどで読めるので、今までは数回の立ち読みで済ませていました。健康を害したのと、新型コロナ感染症で長時間の立ち読みが禁止となり読めないでいました。しかし、自粛は明け長い閉館後の図書館で運よく返却があり自宅で読みました。 多くの人は「むらさきのスカートの女」を求めています。それを創るのは発見とほんの少しの誘導です。「黄色いカーディガンの女」はむらさきのスカートの女を見つけましたが、この人も退職は必然なので、次は「○○色のXXの女?」に、同じ光景を見せるのだろうかという含みで物語は終わっています。純粋でない好奇心とウイルスは少なくない人が持っており伝播します。GOTOトラベルキャンペーンと時期を同じくして聞こえてきた蝉の鳴き声同様、自粛中の私には楽しめました。近くの公園の長椅子は空いているだろうから、クリームパンを買って食べようと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
むらさきののスカートの女は、どこにでもいそうな女だった。その女に好奇心と執着心を抱くもう一人の女が異様な感じだった。図書館に借りだしの申し込みをしたら500人待ちということだったので購入しました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なにげない視点で書いていて良かった。家族で読み、友人にも紹介した。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
遅ればせながら、文藝春秋で読みました。淡い陰影の、何ものにも、論理にさえも縛られない自由な感性に並外れたものを感じさせ、巻き込まれるようにして二時間弱で読みきりました。 紫と黄色は補色の関係にあることからも、紫のスカートの女=自己、黄色いカーディガンの女=自意識といった感じなのですが、そういった図式を越えて、自己と自意識はファジーに入れ替わり、物語は複雑で、時としてトリッキーな展開を見せます。それでいて、底流を貫いているのは、あくまでも物語の紡ぎ手としての誠実さです。 本書に常識的な世界観=論理性や整合性を求めてはいけません。いわば、ニュートン力学の常識的世界観から、相対性理論の世界へ、そして量子力学の世界に迷い混む感覚です。 この作者は誠実すぎるがゆえに、寡作ながら、後世に残る作品を書いてくれるかもしれない。そんな可能性を感じさせてくれる佳品でした。ありがとう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
物語がどこに落ち着くのか気になり、一気に読み終えた。 むらさきのスカートの女についての執着的な記述、主人公が終盤になるまで誰からも言及されないこと、むらさきのスカートの女の消失と主人公のある種の代替…物語が終わっても、奇妙な世界が続いていく。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これはホテルの清掃員たちを描いた物語だが、職にあぶれたニートが職場の花形に、そして所長をも手玉にとる愛人へと変身していく一種のシンデラレラストリーをわくわくしながら読み進める楽しさから一転、奈落へ、そしてその物語を語る私は、シンデレラに恋する職場のチーフという逆転の可笑しと怖さを忍ばせた設定になっていて、いくつもの物語をジェットコースターのように疾駆する楽しさがあります。 そのベースにあるのは作者も実体験していたというホテル清掃員の世界のリアルさであり、同じ芥川賞の高橋弘希の「送り火」の結末ありきの白々としたリアリティーのない世界とは対照です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読みやすい。再読して、深く知りたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「あひる」あたりから追いかけているが、さすがの力作。 ぞわぞわとした得体の知れないもの、理解し難いものが、それが日常のなかに紛れ込むというよりも、普段気がついていないだけで誰の日常にでもあるのだよ。というのを見事に描いている。 弱点があるとすれば、筋に関しては分かりやすくプロット分解できてしまうことか。こうやって物語を作ったんだね、というのが非常に分かりやすい。理解しがたいものを描いているのに、理解しやすいプロットはマイナスかと思う。反面、映像化はたやすいだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
こういった何気ない日常生活に密着した小説は好きです。むらさきのスカートの女は、周りの人のズルさに振り回された被害者でもあるような感じがして可哀想になったりもしました。 むらさきのスカートの女がバザーの件で疑われた時に、黄色のカーディガンの女が「私がやりました」と名乗り出なかったところは残念です。そうすれば、むらさきのスカートの女は、逃亡するまでいかなかったのかもしれないのに。それか、逃亡の際に協力することが目的だったのか?何考えているのかわからない黄色いのカーディガンの女。 黄色いカーディガンの女のブラックユーモア(むらさきの女のスカートの鼻をつまんだり、置き忘れたサングラスを自分がかけていたり)は、たまにクスッと笑えるところもあり、最後には変わっている黄色いカーディガンの女にも興味を持ってしまいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
発達障害だとか学習障害という人たちは職場などにおいて所謂コミュニケーションが苦手であるわけだから、文章もわかりにくいのだろうかと思っていたが、見事にひっくり返された。目の付け所が、普通にしていてえも言われぬユーモアが漂うし、なにしろいちいち愛らしい。この雰囲気はなんだろうと自分の中を探してみたら、小4くらいの時、山で捕まえた見事なミヤマクワガタを水槽に入れ、深過ぎる慈しみと熱情をもって世話した何かあのありようが、紫の女を見つめる「私」の目に似ている気がした。そして読み進めるにつれ、黄色の私と紫の女、両者は同一人物ではないかと思うようになった。終盤、紫の居ない場面がいくつもあって、それがどれも重要な場面なのだけれども、分けたほうが自然に描きやすかったというのは違うかなあ。だから描く人物は、普通の大人の部分と童心の部分が斑(まだら)であり、紫と黄が交錯しつつ、でもなるだけ切り分けたいみたいなタッチになっているのではないか。芥川賞で次のページが待ち遠しい作品はここのところ無かったので、あっと言うまに読めてしまった。ちょっと変わった人だけれど、その人なりに、充実した日々が伸び伸びと描かれていて、微笑みをもってホッとさせられる作品だった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私の人生における何度目かの、相当に熱い「読書ブーム」が到来している。11月某日、新幹線で移動中に、この本を読み始め、車窓からの眺めに目をやることもなく没頭。ホテルにチェックインしてからも読み続け、外に出るのが億劫になり、ルームサービスを注文した。これでは旅に出た意味がないと言う人もあろうが、日常を離れた旅先の読書は格別だ。ところで、今村夏子の小説を読んだのは、これが初めてなのだが、村田沙耶香の作品と相通じるものがあると感じるのは、私だけだろうか。この二人は、同世代なのか。何冊も読んだわけではないのに、勝手なことを言うようだが、「変人文学」とか「フシギちゃん文学」とか呼びたくなる。少数派の「変人たち」vs.多数派の「普通の人たち」の構図が描かれ、主人公は当然、少数派の「変人たち」のサイドにいるのだが、では、世界に対する違和感や疎外感を覚えて生きづらいのか?というと、そうでもなさそうだ。いや、むしろ己れの「変人ぶり」を熟知しつつ、それを十全に楽しんでいるような━━こうなれたら、向かうところ敵なし。最強だ。羨ましいことである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読者は最初、看板(タイトル)に掲げられている「むらさきのスカートの女」に興味をそそられ、主人公の「私」と一緒になって観察に夢中になっていくのですが、読み進めていくうちに徐々に「私」の「むらさきのスカートの女」に対する異常なまでの執着に不気味さを感じ始め、今度は「むらさきのスカートの女」を観察する「私」を観察することに夢中になっていきます。そんな自分に気付いてたとき、この本の面白さ(作者のねらい)はコレか⁈ と驚愕しました。 誰かを誰かが観察し、その観察者をまた誰かが観察する…入れ子的な構造に背筋がぞくっとしました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「むらさきのスカートの女」の単語が全ページに出てくるのには辟易するが、 日常的に良くある話題で進行していて、最後は自分に帰ってくる構成が面白い。 このタイトルを忘れることは無いだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
著者が、芥川賞受賞インタビューの中で「書くのは辛くて、嫌だと思うときの方が多いけれど、でも書くのが楽しいから書く」と話すのを聞き、とても「素」の方だなぁと感じたのがきっかけで、初めて今村さんの作品を手にしました。 読了した今、改めて今村さんの授賞式インタビューを見たくなりました。 なんともつかみどころのないフワフワした気持ちの悪さが残っています。 主人公(黄色いカーディガンの女)の行動が、とても不気味で、何を考えていてどうなるのか、先が気になり一気に読み終わりました。小心者なのに、常識や善悪というものに我関せず、淡々と行動しているような主人公に、冷や冷やしました。「お金がない=食い逃げする」という行動に、思わず「え〜〜」と驚かされました。でも、捕まらないでほしい、どうぞこういう人は見逃してあげてくださいと願う自分がいました。とても不思議な気持ちです。善悪と自分の思いがあったら、自分の思いをとる主人公に「この人どうなっちゃうの?」と魅きつけられました。 自分が感じることをなんのフィルターも通さなかったら、私自身の中にも案外主人公と同じような感覚があるのかもしれない、自分の中の本性について探ってみたくなりました。もし、主人公と同じような感覚が発見できたら面白いと思いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公の、むらさきのスカートの女との没関係性を一つの構図として、その仕掛け一本で最後まで描き切った小説で ある。それだけ、本当にそれだけの小説。見事と言えば見事であり、あっぱれと言えばあっぱれである。もっと何かあるのではないか、もっと何かないかと思う内に小説を読み終えてしまった。奇妙なドライブ感だけを残して。。。 それにしても読み易い小説である。こう言う作品もあるのか。芥川賞に対するイメージが変わったよ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まだ読んでいません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
黄色いカーディガンの女がむらさきのスカートの女に違いない | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
今迄体験したことのないような文体、構成で、想像力で書かれた作文と思いました。もいちど考えながら、じっくり読み返してみようとおもっています。そうしたら納得がいくかな?と思っています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読み始めから最後まで、さらさらと水が流れる様な文が続く。むらさきスカートの女の実況中継をすぐ近くで聞いているようだ。 この奇妙な女が、次に何をしでかすのかが気になって仕方なくなる。その好奇心が次から次へと文を追い続け、巻末まで導く。 物語としてはごく平凡で、特筆すべき点はないのだが、なぜか興味が沸く。空腹でもないのに、もりそばの大盛を完食した感覚に近い。わずかな薬味で最後の一口まで無心にすすり、つゆまでもそば湯で飲み干した感じ。 読後に残ったのは、読書という行為の満ち足りた充実感だ。 多忙が続き、読書から遠ざかっていた。疲れ果てる日が続くと、とても文を読む気になれない。ようやく仕事が落ち着き、芥川賞を受賞したというこの本をKindleで手に入れた。 恐る恐る読み始めた。可読性の高さに引き込まれた。冒頭の数ページでリズムに馴染む。心地よい時間だった。次にどんな本を読もうか考えている自分に気づく。楽しみが増えて嬉しい。 張り詰めた緊張を解きほぐす本。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!