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むらさきのスカートの女
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むらさきのスカートの女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全49件 41~49 3/3ページ
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芥川賞を受賞されていたのとタイトルに 引かれて読みました。漫画みたいに 殆どがしゃべっている感じなので 最初は読みやすいと思いましたが 後半なんだかうざくなってきた。 一時間で読み終えてしまい、結局主人公も 紫色のスカートの女も他の人も ちょっと変な人って感想しかない。 所詮、公園で遊んでいる子供達と 変わらないつまらない遊びの延長 それが大人。ってお話なのかな? 期待が大きすぎたか。 近頃は、やっと読み終えた! スゴくよかった!という名作に あまり会えないね。今はそんな重いのは 流行らないのかな。 | ||||
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今村夏子「むらさきスカートの女」は第百六十一回芥川賞受賞作。その書き出し。 <blockquote> うちの近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。いつもむらさき色のスカートを穿いているのでそう呼ばれている。 </blockquote> 「呼ばれている」が二度繰り返されている。「受け身」である。では、だれが呼んでいるのか。「うちの近所」のひとということになるが、この小説の「うち」はかなり広く、そこに暮らす人(登場人物)もわりと幅広い。「あひる」と同様、「大人」と「こども」、その中間に「わたし」がいる感じだが。「うち」が「わたし」だけの主張であるために、「大人」「わたし」「こども」の交渉が明確にならず、「呼ばれている」が「浮いている」。 この「呼ばれている」は「受け身」というよりも、一種の「逃げ」である。 ほんとうは「わたし」が「呼んでいる」だけなのに、「呼ばれている」と書くことで「客観」のように書く。他者に「共有」されているように書く。「うち」という書き出しがそういうところへ読者をひっぱって行く。 これは非常に「ずるい」書き方である。 これから始まる小説は一風変わっているが、「主観(うち)」的なもの、あるいはファンタジーではなく「客観」的なものである、つまり「共有」されたものであると作者は主張するのだ。もし、このストーリーが「共有」されないとしたら、それは読者が悪いのだ、と先に言ってしまっている。あるいは、これから始まるのは「客観」なのだから、「共有して」と哀願から始まっているというべきか。「呼ばれている」の繰り返しの中に、私は、そういう「作者の地声(こころの声)」を聞く。 この書き出しで、私は読む気力をそがれたのだが、少しがんばって読んでみた。 すぐに「むらさきのスカートの女」とは別に「黄色いカーディガンの女」が登場する。彼女は「呼ばれていない」、つまり共有された呼称にはなっていない。「わたし」が勝手に呼んでいるだけだ。黄色いカーディガンの女は「そと」の人間であり、しかも「うち/そと」を決めたのは「わたし」なのである。 この「微妙なずれ」を作品のなかで深めていけばいいのだが。 これもあけすけな「手法(ずるさ)」にすぎない。 「呼ばれている」と「まだ呼ばれていない」(わたしが呼んでいるだけ)をすれ違わせることで、「わたし」が「むらさきのスカートの女」と「呼ばれている」人間であり、その「呼ばれている」から「呼んでいる」人間になるために「黄色いカーディガンの女」を登場させたことがわかる。 どっちにしろ、「わたし」ひとりなのだ。「共有されたわたし」が「むらさきのスカートの女」であり、「共有されていないわたし」が「黄色いカーディガンの女」なのだ。「わたし」は「わたし」を「分裂」させながら、ストーリーにしている。「客観」と「主観」を交錯させる。 これは「あひる」の、「このあひるは、いままでのあひる?」「それとも別のあひる?」という交錯のさせ方に似ている。「事実」を知っている人と、知らない人がいる。知らない人も、実は知っていて知らないふりをしているだけ、とか。もう、細部は忘れてしまったが、「新しいあひる」は「いままでのあひる」と「呼ばれていた」のだったか。呼んだのは両親であり、こどもは知っているのに知らないふりをしてだまされ、「わたし」は疑問に思いながら「共有」を受け入れたのだったか。 まあ、いいか。 こういう「交錯」は「あひる」のように短い作品か、もっと長い作品でないと「交錯」が「作為」としてしか見えてこない。この小説も五十枚くらいの長さなら楽しいかもしれないが、長すぎる。 舞台が「うちの近所」から「わたしの職場」(うちのホテル)に移ってからは、もう「呼ばれている」は消え。「うちの職場」なのに、ひとりひとりが固有名詞を持ち「うち」が「そと」になってしまう。むらさきのスカートの女は「日野」という名前がつけられ、「そと」の世界では「風貌」のかわりに「人間性」が「噂される」。「風貌」よりも「行為」そのものが「共有」される。「噂」は「呼ばれる」の別の言い方である。ストーリーがここからは別なものになってしまうのだ。 それをもとにもどすために、作者は「ファンタジー」を持ち込む。不倫の上司が会談から落ちて死んでしまう。ほんとうは気絶だった、と言いなおす。 「呼ばれる」「呼んでいる」を強引に「気絶を死んだと呼んだ(呼ばれた)」という形に転換できないこともない。「わたし」が「所長が死んだ」と「呼び」、それが「むらさきのスカートの女」には「所長が死んだと呼ばれた」と。 ばかばかしくて、やめようと思ったが、最後まで読んだ。 すると「予定調和」そのままに「わたし」が「むらさきのスカートの女」としてこどもたちに「共有」される。 最近おもしろかったのは「コンビニ人間」だけだなあ、と思う。あの小説には「音の発見」があり、それが小説の「文体」をつくっていた。 この小説では「呼ばれる(暗黙の、うちの世界)」が「飾り」で終わっている。「ホテル」からは通俗小説になってしまっている。 | ||||
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新品を注文したはずなのに、本誌カバーの一部は破れてるし、カバー通り越して、本自体 一部 陥没したような深いキズがついてるし。おまけに 本の中には 長い髪の毛が挟まってるし。 なかなか忙しくて、本屋にもいってる時間ないし、少し定価より高くなるけど まーいっかと思ってAmazonで注文したのに。 何だか詐欺にあった気分。 面倒くさいから、返品も交換もしないけど、こんな事 2度と誰にも 起きてほしくないと思って レビューを書きました。 星1個つけるのも 勿体ないと思える気分です。 | ||||
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この作品が芥川龍之介賞受賞後に読みましたが、大衆文学としては兎も角、純文学として選出されることはどうかなと感じました。近年の芥川賞の受賞作が純文学か否かは何年も前から議論されることですが、この作品は明確に純文学とは言えないと感想します。 その理由の第一が『伝えたいことが何なのか』さっぱり伝わらないこと。 むらさきのスカートの女や黄色いカーディガンの女の人生観や願望など、私にはまったく伝わりませんでした。 人生観も願望も何もない女を描いているのかもしれませんが、それならそれで退廃性や利己主義を表してほしかった。 伝えたいことがない作品ならば、読者との共感は生まれません。共感がないものが、学校の教科書に載っても構わないような純文学と言えるかどうか。 一方、共感がない作品もあります。ドキュメンタリーなどの作品も共感がない場合もあります。 金原ひとみさんの『蛇にピアス』、綿矢りささんの『蹴りたい背中』、田中慎弥さんの『共喰い』などなど、共感するかというとそうでもないタイプの読者もいたはずです。しかしそういう作品は、自分が知らなかった世界に驚くから感動するわけです。でも、むらさきのスカートの女や黄色いカーディガンの女のような変わり者は皆の近くにわんさかと居ます。今さら驚きません。 共感も感動も何もない作品が純文学と言えるのだろうか。 第二の理由が『進行の視点が変わること』です。 黄色いカーディガンの女という『私』の語り口で物語りは進行しますが、度々途中で『私』が見えないはずのところを描写します。 まるで劇画や脚本作品のようです。 漫画や映画も好んで観ますが、その手法を純文学に持ち込むと読んでいて疲れます。 * * * 作品としては面白いのかもしれません。僕は全く面白くなく、どこでどんでん返しが起こるのかと思っていましたがそれも起こらず消化不良でしたが、多くの人には興味ある作品なのでしょう。 でも、純文学作品の登竜門、芥川賞ということに関してはどうなのか。そういう気持ちで読み終えました。 芥川賞には、純文学であること、新人であることという条件がありますが、これが選考を苦しめているのではないでしょうか。純文学を書ける新人を年に二回も選出することが難しいのではないでしょうか。ならば、新人という条件を捨て、ベテラン作家が何度も芥川賞を受賞しても誰も不愉快にならないと思いますがいかがでしょうか。 | ||||
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むらさきのスカートの女、というタイトルに惹かれて購入。その後読む前に、芥川賞を受賞したことを知って、期待して読み始めた。 実はここ何年か現代の日本人作家の小説を読んでがっかりさせられることが多いので読み始めるのを躊躇していたのだ。 中編程度の長さなので、三時間足らずで読了。 感想は… 黄色いカーディガンの女、という人(語り手)がいて、日頃から近所に住む紫のスカートの女が気になって仕方がない。 その人に近づく手段をあの手この手を使って考え出し、やっとのことでなんとか近づいたと思ったら、その人はするりと抜けだして何処かに消えてしまう、というようなストーリーである。 確かに、最初の導入部はワクワクさせる。 しかし、読み進むにつれ、おかしいのは紫のスカートの女では無く、語り手である黄色いカーディガンの女では?と気付き始め、そのあたりから急速につまらなくなってくる。 紫の方は職場でも普通に仕事をして、上司と不倫関係に陥ったりもする、どこにでもいそうな女であった。 そして、そのどこにでもいそうな女にそこまで執着して日常生活をすらまともに送れない黄色の方が遥かに異常である、ということが明らかになってくるのであるが、さてそうなると何故黄色が紫に執着するのか、というのが皆目わからない。 最後に思わぬドンデン返しでもあって、オチがつくのだろうと思いながら読み進めても結局何もわからず、そこには何も残らないのである。 元々ミステリーではないのだから、そんなオチを期待して読む方が悪いのだが、これではあんまりな気がする。 都会に生きる孤独な人間のストーカー的な狂気を描いているということなのだろうか。 そんな例を提示することによって、今の時代というものを描いているのか? この小説を読み終わって感じたのは、書きっぱなし、という感じである。 確かに紫、黄色という補色関係を名称に用い、こうだと思ったのが実はこうだった、というような反転を描いている面白さはあった。でもその後に得るものが何もないのである。読み終わって虚しさだけが残る。 芥川賞の選考委員がどのような点で評価したのだろうか。 レビューで、アガサ・クリスティの「春にして君を離れ」を引き合いに出しておられる方があったが、実にうまい対比だと思った。 まさにそれである。 この小説も、こうだと思ったのが、実はこうだった、というのだが、読み終わった時に、鳥肌が立つような感覚があった。 怖いのである。殺人も何もないが一人の人間が裏返すと全く違う面を持っていたと気づくことの恐ろしさ。読み終わった後思わず自分自身や、周りの親しい人たちを違った目で見てしまう、 人を見る見方がぐるりと反転する恐ろしさ。 ある意味で彼女の書いてきた数々の殺人事件より怖いと感じた。 小説を読む面白さとは、これではないだろうか。 読む前と読んだ後で、ほんの少しでもいい、世界が違って見えること。それこそが、小説を読むことの醍醐味であると、私自身は思っている。 その意味で、この「むらさきのスカートの女」にはそこまでの筆力を感じなかった。 | ||||
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TVでの内容紹介に惹かれて購入しました。 単調な文章なので1日で読めました。 むらさきのスカートの女の鼻をつまむシーン等、クスっとさせる箇所がいくつかあります。 ただ、読み進む度にオチをあれこれ想像し過ぎて、読後感はあまりよくありませんでした。 最初は話し手の描写が殆どないので、二重人格的なストーリーかな?とも思ったのですが、、、 星新一作品の様なオチかとも思いましたが、それにしてはオチが弱いですし、私には物足りない1冊でした。 | ||||
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他の方のレビューを拝見して、勝手にファンである乃南アサさんの様な雰囲気の作風を想像しておりました。 とても楽しみに本を開いたのですがあまり内容に奥深さが無く、かと言ってそれ程狂気でも無い… この作品を読む前に上記作家の「暗鬼」を拝読していて、そちらがあまりにも常軌を逸していたのでその影響もあるかもしれませんが… 物足りない この言葉に尽きる感じでした。 | ||||
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本当に近年の芥川賞はどうなってしまったんでしょうか。 本作然り、コンビニ人間然り、わざとらしく気味の悪い女の話をねっとりと描けば、日本文学の頂点になるのでしょうか?それがウケると思っているんでしょうか? 美しいものや、希望に満ちた名著を書け・選べと言っているわけではありません。 ただ、震災以降の表現の在り方を、今一度見直して下さい。 現代の人々が文学に求めているのは、このような安っぽいストーカー小説ではありません。 | ||||
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芥川賞を受賞したんだし、紹介文も魅力的だったので結構期待したのだが、最初から最後まで面白くなかった。単に趣味の違いなら仕方がありませんが私の感性が時代からズレているのかと寂しい気持ちになりました。 | ||||
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