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ポップ1280
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ポップ1280の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.05pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全20件 1~20 1/1ページ
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古い書籍で読んでみたいのを探していたけれど、中古と思えないくらいにキレイな状態で届けてくれた。読むのが楽しみです | ||||
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"そこで、おれは考えに考えた。とことん考えた。そして、とうとう結論を出した。おれの結論は、どうしたらいいか皆目見当がつかない、というものだった。"1964年発刊の本書は人口1280人の田舎町の保安官が饒舌に語る社会風刺とブラック・コメディに満ちたノワール小説傑作、『このミステリーがすごい!2001年版』海外編第一位。 個人的には『読書会という幸福』で、本書が課題図書として取り上げられた会の様子が描かれていたのをキッカケに手にとりました。 さて、そんな本書はペイパーバック向けの通俗小説として発刊後に絶版状態になるも80年代のリバイバル・ブームの中で再評価され、スティーヴン・キングも絶賛、評論家ジェフリー・オブライエンに『安物雑貨店のドストエフスキー』とも呼ばれた著者の代表作の一つで、小さな田舎町ポッツヴィルの保安官、ニック・コーリー。臆病で愚か、自分の考えがまったくないような"ふり"をした男が、実に巧みなトリックスター、冷酷ぶりを発揮して【自分の利害のため】だけに殺人や悪行を重ねていくのですが。 まあ、前情報なしで読み進めると、冒頭から売春宿の『ヒモ2人が生意気な口を聞く』ことを別の町の横柄な保安官、ケン・レイシーにアドバイスを求める流れまでは主人公に【愚かさしか感じない】のですが。ポッツヴィルに戻ってからの、まるで北野武監督作を思い出させるかのような【ヒモ2人の瞬発的殺戮】からスイッチが入るかのようにぐいぐいとラストまで引き込まれた。 また、本書の出版自体は今から約60年前、キング牧師による人種差別撤廃運動やケネディ暗殺事件の前後ですが。そこから【あえてさらに半世紀前】1910年代のロシア革命あたりを時代設定にして、崇拝した『ガリヴァー旅行記』のジョナサン・スウィフトの影響よろしく【糞尿趣味や下品な語り】であからさまに黒人差別の実態を『ハックルベリ・フィンの冒険』すらパロディ化して描いている本書。ノワール小説の常として、主人公の設定含め『万人受けはしない』かもしれないが、個人的にはとても良かった。 テンポよいブラックコメディ、社会風刺ミステリー作が好きな方へ。また勧善懲悪的な作品に飽きた方にもオススメ。 | ||||
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後味の悪い不気味な話です。 これでは人は救われません。 筆致も古く暗いので読み進むうちに気が滅入ってきました。 | ||||
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とらえどころのない不思議な小説でした。 事件の解決とかそういうもんに向かっていくようなまじめな話じゃないです。 常に冷笑しているかのようなブラックなユーモアがあり、主人公の潔いクズっぷりがたまらない。 主人公を取り巻く登場人物たちの掛け合いもおもしろい。 ブコウスキーに近い作家を探していてトンプスンにたどりついたけど、 作風は似てはいないが好きになれるカッコイイ作家でした。 ミステリーだのハードボイルドだのというジャンルを気にせずに このイカレてイカシた小説を読んでほしいです。 他の文庫もぜひ復刊してもらいたいところです。 | ||||
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原著は1964年。50年以上も前に書かれた小説が、これほどスピーディでおもしろく、現代的なテーマを内包しているとは驚きました。とにかくおもしろいです。 気弱な保安官が主人公。流されるままのダメ人間かと思ったら、自分の生活を守るためならなんでもする善悪のたがが壊れた本物のダメ人間。ある意味、「三股不倫始末記」。舞台は、都会では自動車が走り始めた頃の西部の田舎町。タイトルは「街の人口が1,280」の意味。アフリカ系住人の扱いがひどすぎて震える…。 ジム・トンプスンはこの小説を、すでにできあがっていた表紙の絵にあわせて2週間で書き上げたのだそうです。後に映画産業に身を投じ、亡くなるころにはすべて絶版になっていたものの、死後、再評価が進んだという稀有な作家。扶桑社と文遊社から翻訳が多数出ているのがうれしいです。 新装版は表紙がかっこいい。旧版はひどくダサい。 | ||||
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ジム・トンプスンの作品の中でも、ストーリーの面白さではこれが白眉だと思います。 表現自体がぶっ飛んでいたりするわけではなく、内容としてはむしろ、まとまりすぎるくらいまとまっています。文章表現の凄さに由来するパルプ・ノワールの文学性を味わいたいという向きには、他にお薦めできる作品がいっぱいあるのですが... 本作の面白さは、悪党がひたすら悪党であり、犯罪に走る内的な要因がこれっぽっちもないように思えるところ。所詮は人口1280人の町の小悪党なのだけれど、ここまで手前勝手に冷酷だと妙に感心します。文章としては普通といっても、この作家らしい渇いた語り口の魅力はあるし。 それでいて話としては全く破綻していない(トンプスンには意図的に破綻させたような作品も多い)ので、この作家の入門というか、合うか合わないかを決める作品としても最適だと思います。 | ||||
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ぼんやりとした、軽い知的障害を疑わせる主人公の、巧妙で不可解な一面を描いた珠玉の一冊。「女で身の破滅を迎えるんじゃないかと不安」と、内心ぼやく主人公に最初は失笑するが、途中から恐ろしく説得力が出てくる。 恰好、いいです。うん、いいなあ、こういうタイプ。でも、そばにいたら、こちらも身の破滅を迎えそうだ。 | ||||
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トンプちゃんを2冊続けて読みましたが、「俺の中の殺し屋」と同じで、速く読み終らそうと努力しました。 努力も実らない時はあります。 | ||||
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同じ著者の傑作「内なる殺人者」が大好きだ。本作はそのサイコな犯罪小説の喜劇版という感じで読める。同じように、田舎町のいかれた保安官、ニック・コーリーが主人公。その一人称で、ブラックな笑いを混ぜながら、話は軽快に進む。読んでいる間中、笑わせられる。 コーリー保安官は男らしさにまったく欠ける優柔不断でアホなお人好しの振りをしているが、ところどころでギラリと異常性が顔をのぞかせる。下品な冗談を言いつつ、まったく普通に異常な行動を重ねていく。終盤にいたってだんだん神懸かり、中盤までの軽い感じが消え、論理がねじれ、狂気がはっきりしてくる。 プロットの造り込みはやはり上手い。読者の予想を二回、三回と裏切るような展開で引っ張っていく。 冒頭の方で新聞記事に「ボルシェビキ云々」というくだりがさらりとあって、時代設定が巧妙に読者に知らされ、白人至上主義に毒されたいい加減な事件捜査や白人同士のリンチやひどい黒人差別の描写に違和感が起こらない。時代から言うと、コーリーは「内なる殺人者」のルー・フォード保安官補の血の繋がった父親と言うべきだろう。 この軽めの書き方では、結末のオチがきまらなければB級になってしまう(元々B級ノワールだが)。中途で投げ出したような終わり方が納得できないけれど、解説(吉野仁)でいろいろなことがわかって面白かった。 私は軽いと思いながら簡単に読んでしまったが、暗喩や皮肉、政治的な背景が書き込まれた、かなり重い内容であると解説は指摘している。 トンプソンのいちばん好きな作家がスウィフトで、多用されるスカトロ的な表現はガリバー旅行記の影響とのこと。 「ハックルベリー・フィン」の影響も指摘されていて驚いた。語り口をトゥエインの書き方に似させているし、登場人物の一人、トム・ハウクはトム(ソーヤー)とハック(ルベリー)を合体させたもの。さらに黒人差別・虐待が「ハック」の逆パロディとして描かれているし、それはこの作品が書かれた時代が、公民権運動が最高潮に達した時期であることと関連する。 解説でもっとも良かった部分。マコーリーによるトンプソンの評伝にはオリジナル原稿の最後の頁の写真があり、最後の2行が墨で塗りつぶされている。それを復元すると・・・ 私が感じた中途半端感は解消した。 | ||||
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気づいたのは下ネタ含有率が極めて高く、所々爆笑できるので、他の作品より陰惨さが軽減されバランスが良いということ。 | ||||
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原著のタイトルも”POP.1280”で、トンプスンには珍しくポップな内容なのかな?トンプスンにポップは似合わないな。なんて色々想像してしまいましたが、内容はいつもどおり地方の保安官、シェリフが・・・・というものです。もちろんノワールと言うよりもビザールでシック(sick/病的)です。期待は裏切られません。 タイトルの'POP.'は'POPURATION'(人口)のことでした。となると邦題は「人口1280人」ですね。タイトルどおり舞台は人口1280人の町(村?)です。1280人に黒人が含まれるかどうかなんて話題も出てきて、当時の人種差別の状況が垣間見れたりします。 HAPERS COLLINSのABBREBIATION DICTIONARYにはちゃんとPOP.=POPURATIONと載っていました。 | ||||
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人口1280人の田舎町の保安官ニック。町のお偉方からは「仕事をしない」と罵られ、女房からは「意気地なし」とコケにされ、自分自身「何をしたらいいのかわからないから何もしない」。しかし… ニックの心の奥底に潜む暴力性、冷徹な策士ぶり、不気味な憎悪が次第に明らかになるが、ときすでに遅し。周囲の人間は破滅の奈落へ突き落とされる。 破天荒でナンセンスなストーリーだが、読ませる。一気に読了した。 「このミステリーがすごい!」2001年版海外編第1位の作品。 | ||||
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とにかく、嫌な嫌な男。 自分勝手で、なんの倫理観もなく、独善的で・・・ しかしうまく生きていくのよねぇ。 まわりの人を犠牲にして。 世の中なんてこんなもん?と虚無感に浸れます。 しかし・・・読後感悪いです。 でも、妙に心に残りました。 | ||||
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’00年「このミステリーがすごい!」海外編第1位に輝いた作品。 アメリカで’64年にペーパーバックで発表されたいわゆるパルプ・フィクションである。 時は1910年代の終わり、人口(ポップ)わずか1280人というアメリカ南部のとある田舎町の保安官、ニック・コーリーは悪党である。しかも自分では意識していないところがコワい。 最初は、自分の人生には心配事が多すぎて病気になりそうだ、などとうそぶいているが、日々の仕事は保安官という現在の公職に甘んじ、いいかげんだ。人妻との不倫をかさねる一方で元婚約者ともズルズル関係を引きずっている。 彼は売春宿にたむろするヒモの男たちを手にかけ、その罪を友人の保安官になすりつける。さらに不倫相手の夫を殺して黒人を犯人に仕立てあげるあたりからニックの狂気に拍車がかかる。ついに口うるさい妻や‘うすバカ’のその弟、厄介になってきた愛人たちをまとめて始末してしまおうと、画策を始める。 とにかく、けばけばしく扇情的な表紙、ザラ紙によるページそのままに、饒舌で下品な文体が暴走するアメリカン・パルプ・ノワールの世界が、「食らえ!」とばかりに展開する。日本で翻訳された本書の表紙はおとなしすぎるくらいだ。 なぜこんな作家が近年再評価され、作品が復刊されつつあるのか不思議だが、日本の戦後カストリ雑誌の作家たちのようにエログロな性描写に走ることなく、道徳や常識という概念をぶっ飛ばすほどの凶悪な犯罪や激しい暴力を正面から描くことにより、「人間とは、人生とは」などという疑問を、痛快に笑い飛ばすエネルギーがトンプスンの魅力なのではないだろうか。 | ||||
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いきなり暗黒小説の代表作とかいわれても困るが、ようするにペーパーバックでよく書かれていた犯罪小説のことらしい。『ゲッタッウェイ』、『グリフターズ』の原作者といえば分かりやすいかな?この『ポップ1280』は作品自体がブラックジョークみたいなものだ。話は主人公の一人称で語られるのだが、こいつがはっきり言ってまともじゃない。 根本的な考え方が下品で、低俗なジョークを連発する。こいつが自分の欲のために知り合いの連中に一世一代の罠を仕掛けるという話だ。だけど他の登場人物もどこか狂っていてまともなヤツは1人もいないので心配ない。 この変なやつらがすごく魅力的で愛すべきキャラクター性に満ちあふれている。下品とは言ったが、嫌悪感を抱かせるやつはただの1人としていない。人口1280人のポッツヴィルという街の、どこか狂っていてそれでいて明るい世界観にぐいぐい引っ張られて最後まで一気に読んでしまった。ポップ1280とは人口1280人という意味だが内容もなぜかポップな気がする。つまりドラッグのトリップのような病んだポップだ。 | ||||
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ジム・トンプスンの作品の中でも特に面白い。 どこか精神の箍が外れたような主人公。そしてその 歪んだ認知によって描かれる世界。 何故かそれが何とも魅力的で、引き込まれてしまう。 でも底にあるのは限りない絶望感。 | ||||
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人口1280の小さな街、ポッツヴィルの保安官ニック・コーリーは自身に降りかかる(あるいは彼自身が呼び寄せた)数々の災難(彼に言わせればだが・・)を、自己保身のために次々と手段を選ばず片付けて行きます。主人公の行動と心理が常軌を逸している小説は沢山あると思いますが、この作品の凄いところは、それを作者が全く否定的に捉えないまま突き進んで行くことです。 | ||||
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人口1280の町の、保安官が主人公。 自らが保安官職に連続当選し続けるためには、あんまり何もしないでいるのが一番。厚かましい女房の尻に敷かれ、同居している、知的障害者の女房の弟の悪癖に気を揉み・・・・という感じで始まるので、ああ、どんくさ保安官のドタバタ劇なのかな、と思ったらとんでもない。 喜劇なんだなー、と思っていると、途端に狂気が顔を出す。これは、登場人物のキャラクターのみならず、地の文でも「日常→非日常」の転換が唐突で上手い、ということなのかもしれない。こーゆーのをスリリングというのかもしれない。 そして、この唐突さには、きちんと理由があるようです。それは読んで確かめて下さい。 決して上等な文章だとは思いませんが、ジャンクフードと同じで、なんとなくやめられない、というのがあります。もともとがパルプ本なので、それこそがこの本の醍醐味なのかも。 解説を読んでいろいろ納得しました。文化や宗教に詳しい人(あるいは筆者と同じ文化や宗教を共有する人)にとっては、結構盛りだくさんな「含み」がある作品なんだな、と。 残念なのは、主人公の語りで、ちょっと棒読み加減の部分があること。原文を英語圏の人が読むと、スラングが使われていたりしてもっと情緒に富んだものだったのでしょう。その辺は翻訳の限界なのかもしれません。 | ||||
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昔、ジム・トンプソンの作品読みたいと思っても翻訳でてなくて 「内なる殺人者」も絶版で苦労しました。 なんともだらだらと続くけどスリリング。 緊張感のかけた一人称がいい味だしてます。 80年代以降のクライムノベルとは違った味。くせになる作家ですよね。 ところで、「安物雑貨店のドストエフスキー」っていうのは、そろそろやめにしませんか。 | ||||
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このミスで1位になっているので、かえって敬遠している向きもあるかと思う。しかしこれは掛け値なしの傑作です。常人には理解不可能な主人公の言動には不気味さが横溢しているが、なんかユーモラス。ただのサイコパスものではない味わえない、ちょっと変わった読後感を得られること間違いなし。 | ||||
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