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わたしの名は赤



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わたしの名は赤の評価: 4.28/5点 レビュー 40件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.28pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全40件 1~20 1/2ページ
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No.40:
(4pt)

暗く、色彩豊かで、独特の世界

ノーベル文学賞受賞者の代表作と知り、読んでみました。イスタンブルの街並みや風俗、工房の様子が色彩豊かに描かれ、オスマン時代に迷い込んだような感覚を味わえます。細密画に関する物語や説話、当時の絵画に対する考え方等が物語と交差して織り込まれ、長く、ぎっしり詰まった印象で、こうした語り口はアラビアンナイトなど中東の物語のスタイルなのかもしれないと思いました。
暗く、むき出しの感情、性的な描写も少々グロテスクで、確かに価値のある本ではあるのだけれども私には読み続けられず、上巻で脱落しました。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.39:
(5pt)

読書家必須の本

ノーベル賞作家のオルハンパムクにもっともっと注目してほしい。本屋の店頭扱いがひどい!もっとアピールしてほしい。世界情勢の中でトルコは東西の重要な国。彼の出版本を読むことで、トルコの社会がわかります。
わたしの名は「紅」Amazon書評・レビュー:わたしの名は「紅」より
4894344092
No.38:
(5pt)

素晴らしい!

全く未知の世界を知ることの出来た作品でした。イスタンブルを旅行するよりももっと近くに感じられました。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)より
4151200673
No.37:
(3pt)

オスマン帝国の迷宮?

中々手ごわい文体であった(正直飽きてしまった)。イスラムの細密画が関わるミステリーという文字に魅かれて読み出すが、いろんな関係者が証言を繰り返すうちに、愛の物語へ変身し、終わる・・という感じでした。「私の名は赤」というのは、初期の写本が赤色インクを使った「カラ」なのでしょうか?
わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)より
4151200673
No.36:
(5pt)

訳語の素晴らしさ

宮下先生の訳が素晴らしいです
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.35:
(3pt)

ミステリとして期待してはいけない

細密画という新鮮な題材に魅かれて手に取った。
が、東洋と西洋、あるいは伝統と近代の相克というテーマは珍しくないし、絵師の殺人は起きるもののミステリ的な面白さは乏しく、まあノーベル賞を獲った作品にそのあたりの面白さを期待するほうが間違ってたのかも。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.34:
(5pt)

このようないい本にはあまりめぐり合ったことがない

著者がノーベル賞を取った時から読みたいと思っていた本だった。今まで、本屋や図書館では見つけられずにうっちゃっていた。コロナ禍での自粛生活をきっかけにアマゾン生活を始め、ネットでの購入を活発化した際に、ようやくたどり着いた。
期待に違わず名著である、というのが素直な読書感。
感想をメモしながら読んだのだが、そのほとんどが訳者の後書きに全てが書かれていたので、それを述べることはしないが、少し加えておく。
芸術の在り方についての葛藤と、著者の古典物語についての豊富な知識をベースにミステリーを構築するという一冊(上下だから二冊か?)で何倍も楽しめるものになっている。
それと、今もこのコロナ禍の中でまさに問われている「芸術と権力との関係」というのは永遠の課題に見える。
直前に、瀬戸内寂聴氏の「秘花」を読んでいたのだが、これも能役者と権力者の庇護が主題になっていて、さらに、男色についても同じような文化があったのは驚いた。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.33:
(3pt)

なんとなくイライラさせる

十六世紀のイスタンブールで、宮廷のために細密画を描く絵師たちの物語である。
殺人と、東洋と西洋の画風の違い、中心的登場人物らの結婚、などが絡まりながら物語が進んでいく。
小説の形式が面白い。上下巻あわせて59の章からなるが、章が変わるごとに語り手である「わたし」が交替する。語り手の中には、死体や、金貨、絵に描かれた木(!)、なども含まれる。
イスタンブールやペルシアに伝わる伝説や王族などの話がふんだんに出てくるため、それらを知っているようなトルコの人たちには面白いのかもしれないが、知らない私には、面白味が今ひとつわからなかった。
感動的な話ではなく、ハラハラドキドキでもない。なんとなくイライラしながら読むことになる。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.32:
(5pt)

面白かった

ある細密画師が殺害されたところから話しが始まるが、その犯人探しのミステリーというよりも
各章の語りが純粋に文学として楽しかった。
章ごとに語り手が変化するという、芥川龍之介の藪の中とか、児童書のWonderみたいなスタイル。
ただし、語るのは人間もいれば、細密画の中の木や馬、無機物のコイン、絵の具の赤だったり、死者のこともある。

さらに「細密画の中の木」などの語りは、物語の舞台の一つであるカフェの噺家が語っているという二重構造だったりする。その噺家も下巻の最後のほうでは殺されてしまう。
主要な登場人物の一人である若い未亡人が、自分のことを「頭がいい」とか「美しい」とするような一見、自惚れたような独白があらわれる理由もエピローグで軽く種明かしされる。

時代は16世紀後半、場所は主にオスマン朝トルコ。黒羊朝・白羊朝やサファビー朝ペルシャからインドのムガール帝国も言及される。
日本だと戦国時代ごろ。
世界史で習った地名や王朝が色々でてくる。
当時のイスラム皇帝たちは、最高の細密画師に最高の絵を完成させた後、その技術を他の人間や国に奪われることをおそれて目をつぶしてしまったという伝説もあるそうな。
それほどに、上等の細密画をコレクションすることがステータスだったようだ。
日本で戦国時代に茶の湯が流行し、秀吉や武将たちが高価な茶道具を集めたのと通じるかもしれない。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.31:
(5pt)

すごく好き

すごく好き。
自分の想像力の限界を知った。
そんなにコミットしてないぜ、ふふんと思ってても、生まれ育った文化は結構根深く自分の考え方の枷というか枠組みとして存在している。
それが見えるようになる。
これだから、他の国の文物に深く入り込んだ本を読むのは面白いのだ。自分の頭の使ったことのない部分ががんがん刺激される。
遠近法は人を中心に置いた傲慢な描き方で、異端である、とかこんなの考えたこともなかったよ。
「人間の視点」に過ぎないものは、錯覚である…なるほどなあ。確かにそういう考え方はできる。あまりに自明のことに疑いをはさむと、その瞬間自分の思考がぐらっと揺り動かされる。

こういった小説を読むと、自分の文化で縛られた精神で、外側から、他国をジャッジするのが、たいへん不遜で無謀というのがよく分かる。
隣の国のことだって我々は表層しか知らないのだ。言葉を知って(これ大事だと思う)小説を読んで絵を観て映画を見て音楽を聴いて…そうやって初めて、その国の人の心のありようというものに近づけるのだろう。
たとえ、現代というムーブメントが全ての文化を画一化する方向にゆっくりと進んでいるとしても、その土地の地層としての文化を軽視するのはまだ早すぎる。

ところで、絵(絵描き)をテーマにした作品として、ぱっと頭に思い浮かぶのは、モームの『月と六ペンス』、リョサの『楽園への道』、
辻邦夫の『嵯峨野明月記』、最近だと『騎士団長殺し』もそうだった。
少し近い気持ちを覚えたのは『嵯峨野』かな。宗達が角倉与一から絵巻物の下絵を頼まれて、初めて巻物に挑戦するとき、合戦の絵巻などを見て時間も忘れて見入って、そのあと初めて筆を入れるときの緊張感、これまでと全く異なる構図への試行錯誤などをふと思い出した。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.30:
(3pt)

まあまあ

五年前に読み始めて挫折したのだが、某女さんが「ガツンとやられ」てトルコへ行ったと聞いて再挑戦。恋愛と殺人がからんで、章ごとに語り手が変わったりするが、下巻裏に「エンターテインメント」と書いてあり、それでノーベル賞とるのか、と驚くが、中途少し中だるみのケあるも、殺人の犯人はまあ大したことなく、普通の小説を読んだという感じ。「西洋の猿真似」というあたりに何か感じる日本の読者がいるのかもしれないが、近代化というのはある必然なので何か感じる必要はない。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.29:
(4pt)

ミステリを期待して読むと難解かも、深く美しい文学作品です

感想を書くのがとてもむずかしい小説です・・なんというか、香り高く、強烈な印象を残すものの、どう書けばいいか戸惑うくらいに複雑というか。
この1998年の作品はパムク氏の代表作とされているそうで、2006年にノーベル文学賞を受賞されているそうです。

時代は1591年、オスマン帝国の最盛期スレイマン大帝が崩御してから25年、やや下り坂が見えてきた時代の首都イスタンブルが舞台です。とはいってもオスマン帝国自体は1923年まで存続するので、頂点を過ぎたあたりといっていいでしょうか。隣国のペルシャ、サファーヴィー朝との戦いに倦んで、国内で増えてきた珈琲店や神秘主義の宗教集団を、不寛容なイスラム過激派ヌスレト派が襲撃したりして、町には不穏な空気がたちこめています。余談ですが、珈琲店が襲撃されたというのは”目や胃を破壊し、理性を曇らせて信仰心を見失わせる、西洋人も珈琲に毒されていった、悪魔の飲物”と思われていたらしく、当時、排斥されていたのはアルコールだけではなかったのが興味深いです。

繰り返し出てくる主題は、細密画絵師たちの芸術に対する真摯な懊悩です。そもそもイスラムでは偶像を描くことが禁止されています。いろいろと説があるようですが、魂を持った生き物すべての絵を描くことはいけない、なぜかといえば、すべては神の創造物であり、その創造物のひとつである人間が、神の作ったものを描くことは不遜・・・みたいな発想だそうです。ここまで説明されても、それの何がいけないのか日本人にはわかりにくいと思いますが・・・。なので、絵を描くことそのものを職業にしている自分たちは異端ではないのか?という後ろめたさが、この作品に登場する絵師たちにも常につきまとっています。
また、古い時代から受け継いできた技法、ヘラートやタブリーズの天才画家の手法、つまりは平面的、類型的な描き方という意味のようですが、それを神の視点とみなし、そしてこの頃にベネチアから入ってきた遠近法の手法を異端とみなしていたようです。けれど皇帝から注文された絵画は遠近法で描くようにと命じられる、絵師によっては割り切る者もおり、罪悪感が消えない者もいる、小説の中ではその心情がこんなふうに表現をされています。
”遠近法の知識を用い、西欧の名人たちの様式に追随するのは悪魔の誘惑。”
”最後の挿絵には、死せる定めの人間の顔が西欧人の手法で描かれているんだ。絵じゃなくて本物を見たと錯覚するような顔がね。今に、異教徒どもが教会でするようにその絵に額づく輩まで出るかもしれないね。遠近法というのは、細密画にあるべき神の視点を犬のそれにまで貶めるだけじゃない、既知の様式と異教徒どもの技術や様式が混ざり合って、僕たちの純潔は汚され、連中の奴隷に成り下がってしまう。”
”汚らしい野良犬の目を借りて遠近法を用いている。「モスクは後ろの方にあったから」などと言い訳して、蝿とモスクを同じ大きさに描いて、信仰につばを吐きかけている。”
現代で私たちが当たり前としている遠近法を使った絵画にここまで嫌悪感を持つことはなかなか理解しがたいですが、当時の、そしてイスラムの見方というのはそういうものだったのでしょう。
一見イスラム色が強い小説のように見えますが、作者はアメリカに長期で滞在しコロンビア大学で客員教授をされていたということ、それでなくても現代のトルコは世俗主義の方が強く、描きたかったのはイスラム思想的なものではなく、個人的な感想ですが、芸術と人間だったような気がします。

現在のアフガニスタンやイラン、中央アジアにあった古い王朝とその栄華の話が何度も登場し、画家の名前、その手法と特徴などが述べられ、中国から地中海にかけて、深い交流があったことが伺われます。また、描かれる主題は主にペルシャの伝説や神話、叙事詩、恋愛詩であるところを見ると、文化的にはペルシャ文化がこのあたりを席巻していたことがわかります。絵に関して言えば、中国から龍の絵や水墨画なども伝わり、美女の顔を目が釣りあがった中国風の細い目で描くことがよくあったとか、オスマン帝国の絵師たちが様々な手法を取り入れていたことも延べられています。

これらに加えて、画家たちの人間的な側面、虚栄心、出世欲、当時普通だったらしい男色の恋心のこと、一応の主人公である絵師カラといとこのシェキレの恋愛と、結婚までに至る問題、そしてシェキレの父親で有名な絵師でもあったおじ上と絵師”優美”の殺人事件、皇帝がその解決をカラとその上司であるオスマン棟梁に命じたことなどが平行して進みます。ヒロインのシェキレに関しては、絶世の美女として描かれていますが、あまり聡明だとは思えず、行動も意味不明で打算的、卑怯なところもあり、そんなに魅力的な女性だろうか?と思ってしまいました。

歴史や美術に関する記述がかなりの割合を占めるので、それらに興味のない人は途中でいやになってしまうかもしれません。殺人事件を追及するミステリとしても読め、そのあたりは結構はらはらしますが、そちらの方は合間合間に進むので、ミステリ目当てだけで購入すると途中で息切れしてしまうかも。
この本に関しては、先にあとがきを読んでしまうのもありだと思います。ネタばれにはなっていませんし、物語の背景になる当時のイスタンブルとオスマン帝国全体の様子、歴史、細密画に関して、そして作中でひんぱんに登場するペルシャ文学作品についても、詳しく説明されています。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.28:
(4pt)

死体の独白から始まる、イスラーム文化の歴史ミステリ

現代トルコを代表する作家の一冊。
16世紀イスタンブルが舞台。細密画家が殺され、死体の独白から物語が始まるというユニークな幕開け。イスラーム文化や美術についても知られる本です。
私の偏愛本。

藤原書店の読みやすい訳ですが、ところどころ誤字脱字ありました笑
ハヤカワepi文庫でも新訳出てます。ハヤカワの方が小難しいけど、丁寧かつ精確です。
わたしの名は「紅」Amazon書評・レビュー:わたしの名は「紅」より
4894344092
No.27:
(4pt)

わたしの名は・・・

語り手が次々と変わる手法に戸惑い、これで最後まで行くの?と不安になったが、なかなか良い。
決して読みやすい内容ではないが、文化的背景の深さに舌を巻く。
西がウンベルト・エーコなら、東はオルハン・パムクと言っては大げさか。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)より
4151200673
No.26:
(5pt)

緻密に織られた傑作!

色んな人や物が喋ります。屍までが喋ります。ミステリー風に書かれていますが、犯人捜しより緻密な綻びのない文章が楽しめます。イスラム社会、ちょっとだけ覗き見ることができましたが、まるで異質の世界ですね。遠近法が悪魔の視点とか思いもよりませんでした。
とんでもない才能のある作家ですね。
わたしの名は「紅」Amazon書評・レビュー:わたしの名は「紅」より
4894344092
No.25:
(2pt)

訳文がひどいです

原文が読めない者ですが、感じたことを正直に書きます。
原文はこんなに間の抜けた稚拙な文章なのですか?
この訳文には美しさを感じません。
この本がもし翻訳でなく日本人によって書かれた小説だったとしたら、あまりに文章がヘタクソすぎませんか?
この訳者は訳すとかいう前に、自らの文章力を上げるべきでは?
ただ訳せばいい、ではダメでしょう?
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665
No.24:
(5pt)

さすがノーベル賞受賞作家の代表作。

「罪と罰」のように、犯人が初めから分かっている推理小説の形態を取るが、各章ごとに語り手が変わるのが鮮やかで刺激的。恋愛小説の要素もあり、何と言っても舞台である1591年のイスタンブールの街の描写が魅力的で、色彩と音と匂いさえ伝わってくるように思う。
 複数の友人から彼の小説は面白いと聞いていたが、なるほど、本を読むと、なぜこの作家がノーベル賞を受賞したか良くわかる。私は西洋人ではないが、西洋側の社会に慣れた者としてこの小説を読むと、ヨーロッパ人のことを「あの異国の異教徒達」と書いてあるので、外から自分を見つめる視点に立ててるのだ。また、当時のトルコ人の絵師達が、イタリアルネサンスの絵画技法に憧れと尊敬を抱きつつも、恐れと嫉妬心を抱いてしまう、その心理もリアリスティックに描写されていて共感する。明治時代の日本も、西洋文明に同様の感情はあったし、アメリカ文学など、「ヨーロッパに対して歴史も文化も浅い」という劣等感から、全てが始まっているんじゃないか?と感じることさえある。「私の名は赤」の殺人犯は劣等感で狂人となり身を滅ぼすが、劣等感は人を成長させもする。人も文明も、どちらを選ぶかは自分次第だろう。中東イスラム圏に、まだ見ぬこのような豊かな文学がたくさんあると知り、その世界の扉を開けられたことを光栄に思う。
わたしの名は「紅」Amazon書評・レビュー:わたしの名は「紅」より
4894344092
No.23:
(5pt)

細密画師

トルコ語原文が長く書かれている為、日本語も少し長めで慣れるのに少し時間が係った。 話手が順々に替わっていくスタイルで描かれていて面白い。 細密画、細密画師が少し理解出来るようになり、次回のトルコ訪問時は美術館の細密画を念入りに見たい。
わたしの名は「紅」Amazon書評・レビュー:わたしの名は「紅」より
4894344092
No.22:
(5pt)

itchy

心血を注いでいた心の拠り所が徐々に返り見られなくなっていくことへのレクイエム。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)より
4151200673
No.21:
(4pt)

わたしの名は読者

16世紀末、オスマントルコ帝国の細密画師の間で起こった殺人をめぐっての物語。

と書いても16世紀のトルコなんて想像がつかないだろうし、細密画師といわれてもそんな職業があることさえ知らない人がほとんどだろう。
ぼくもパムクの『雪』が好きだったので手に取ったまで。
歴史背景もしらないままに読みはじめたが、そんな知識の欠乏は「すべてが知らないことだらけでおもしろい」という結果となった。
中近東の政治史・文学史・美術史を学べるよい機会となった。

物語は「殺した犯人を追う」というサスペンスのオーソドックスなスタイル。
ページが進むごとに、謎は深まり、緊張は高まる。ノーベル文学賞の作家だからといって高尚ではなく読みやすい。
しかし、ただのエンターテイメントと違うのは、そのストーリー展開の中に、
絵について、神について、西洋と東洋について、美について、という深い考察が染み込んでいる。

その独特の小説の構造も読者を物語に吸い込んでゆく大きな力。
『わたしの名は赤」という不思議なタイトル、それは赤というあだ名の人間ではなく、赤色そのものなのである。
赤色、絵師、殺人犯、死体、犬、悪魔など、一人称が章ごとに縦横無尽に変わるその構造がとても楽しい。

今作と『雪』にも共通するテーマである西洋化。
「和魂洋才」というように日本人は西洋の技術を抵抗もなくどんどん取り入れてきた。
しかし、トルコの人々は「土魂洋才」とはいかないのである。
洋の才を取り入れることは、魂も洋になることだ、イスラムに背くことだ、と苦悶する。
この魂の純粋な葛藤に、私はいちばん心を打たれた。
アジアとヨーロッパが出会うイスタンブールが舞台であるからこそ、
そこで生まれ育ったパムクだからこそ深く掘り下げることができる。
グローバリゼーションが伝統を壊し、
世界を画一化していくプロセスに巻き込まれている私たちにも考えさせられる内容だ。

それにしても、プルーストの『失われた時を求めて』リョサ『楽園への道』のように
絵画について文字で追求した小説がおもしろいのはなぜだろう。
わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)より
4151200665

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