僕の違和感
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図書館で借りた本を紛失したので、返却のため購入した。安くて助かった | ||||
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本書はボザ売りの男、メヴルトの人生について書かれた物語である。 ボザとは、中央アジアに起源を持つ麦芽を用いた伝統的な発酵飲料で、かつてのイスタンブールには、担ぎ棒を提げてボザを売り歩く男たちが多く存在し、彼らの「ボーザー」という呼び声は都市の名物でもあったという。 1957年にトルコの農村で産まれたメヴルトも、父に連れられてイスタンブールへと移り住み、少年の頃からボザを売り歩く。 「背が高くて、頑健でありながらも華奢であって、見栄えが良」く、「常日頃から楽観的かつ善意の人」であるメヴルトの少年時代は平凡そのものだ。学校に通いながら父とともにヨーグルトやボザを売り歩き、親友と政治活動を行ったり、手淫に耽ったりもする。 メヴルトの人生に転機が訪れるのは25歳のとき、親戚の結婚披露で見初めた女との駆け落ちだった。雷鳴が轟き大雨が降りしきる逃避行のさなか、稲光に照らし出された女の顔を初めて間近に見て、彼は強い違和感を覚える。その違和感が、彼の人生を決定付ける。 親戚や親友が都市の中でしたたかに成功していくなかにあって、商才に恵まれなかったメヴルトの生活は貧しい。けれども妻と2人の娘を儲け、夜になるとボザを売り歩いて都市との対話を繰り返すことで、平凡ながらも彼は彼の人生を生きる。 メヴルトが生きるトルコは、農村から都市部への人口流入が急加速し、経済的にも政治的にも激動の時代にあり、イスタンブールの街並みも刻々と移り変わっていく。その状況下ですっかり廃れたボザ売りを続ける彼の姿は物悲しくもあり、同時に時代と都市に呑み込まれまいとする静かな意志を感ずる。 また本書は、構成的にはシンプルでありながら、トルコの歴史が物語と濃密に絡まり合い、様々な登場人物の独白を多用することによって、イスタンブールという大都市を重層的に浮かび上がらせて読み手を退屈させない。 やはりパムクの小説は面白い。 | ||||
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この本について一言で表すならば、冒頭にある作者の言葉より良いものはないだろう: 「本書は、ボザ売りのメヴルト・カラタシュの人生と冒険、夢、そしてその友人たちの物語にして、 一九六九年から二〇一二年に至る時期のイスタンブルの暮らしぶりを様々な人々の視点から解説した写し絵である。」 物語は時系列になっておらず、語り手によると、読者に「よりよくご理解いただく」ためであるという。 上巻の構成は大体以下のようなものである。 第一部:メヴルトとライハの駆け落ち 第二部:イスタンブルに来て二十五年目のメヴルトの冬の晩 第三部:メヴルトの少年時代から駆け落ちまで 第四部:メヴルトの結婚生活 冒頭の言葉にあるように、この物語は様々な人々が自分自身の声で語る形式になっている。 メヴルト以外の人物に関しては、名前とそのセリフがまるで戯曲のように書かれている。 物語に割り込むようにして話し出す者もいれば、前の人物の話を訂正するように話す者もいる。 語り手と諸人物の語りの相手は私たち「読者」であり、折に触れて読者への呼びかけがある。 語り手は基本的にメヴルトよりの視点から語っているが、物語を語り手やメヴルトの視点に集約しようとはしていない。 特定の人物の声が優勢になることなく、様々な声が混然一体となって、読者をイスタンブルの雑踏の中に引き込んでいく。 西欧とアラブ諸国の間に位置するイスタンブルにおける、ある種の秩序からの逸脱や生命力あふれる祝祭的な雰囲気は、 物語の多声性に多くを依拠している。 物語は(今のところ)大事件こそないものの、サスペンスフルな展開で先が気になる構成。 時々出てくるメヴルトの「違和感」は結局何なのか、ということも気にかかる。 エンターテイメントとしても成功しているのではないかと思った。 | ||||
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本書は、主人公の違和感が純真で公明正大な性格によって解かれて消えていく過程を描いている。同時に、トルコの現代史と文学史の双方における著者自身の種々の違和感についても、本書の主人公の人生の解消過程を通じて、踏み越えて行こうとする著者の意志に思えた。 本書(下巻)末尾の「年表」に注目したからだ。そこには、小説の主人公の個人的出来事と並んで、トルコの政治的、歴史的事件が混然一体に記録されている。あたかも、小説の主人公が実在のトルコ人かのように。 その次の頁には、本作品のトルコ語第一版のカバーに掲載された写真がある。石畳の路上呼び売り商人という、不安定な商いを頑なに続ける主人公の立ち姿がそこに写っている。この商いを通じてイスタンブルという都市の声に耳を傾けることは、主人公の無上の喜びなのである。こういう主人公の目線が主軸に据えられた小説である。 この長編小説は、トルコの現代史と歩みをひとつにしている点で、現代トルコの叙事詩と呼ぶべき物語になっている。本書の愛の歌は、日本人のボクにも聞こえる。「人間というのは幸せに、正しく、公明正大に生きるために創造されたはず」というノーベル賞作家の人生哲学に共鳴させられた。 | ||||
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駆け落ちの雨の夜、稲妻の光の下で彼女の面立ちに「違和感」を覚え、自分と世界について、ひそかな「違和感」に思いをめぐらし、顎鬚を剃ったあと、ずっと前から「違和感」を憶えていたある事実に気が付き、「違和感」が頭から離れない僕。 何をしていても、この世界にひとりぼっちのような気がしてしまい、幸せではあったのだが、妻さえ気付かないような奇妙な「違和感」を覚え、この世で自分を悩ませるものはすべて、自分自身の頭の中の「違和感」に端を発しているにすぎないのだと、そう悟った僕。 いとこの結婚披露宴で一目ぼれの運命の恋をしたことから僕の「違和感」は展開する。次々と現れる「違和感」を解消しないまま、僕の人生は転回していく。路上呼び売りの仕事だけはやめずに続けている僕だが、いつになったら「違和感」は解消できるのか?僕の呼び声だけが、夜の裏道の闇の路上に響きわたる。野良犬しかいない路上に。 | ||||
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