白い城
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この小説はヴェネツィア共和国の主人公がオスマントルコで暮らすって小説だからつまり中世イタリア史や中世トルコ史の予備知識が必要なんですよね。読んでて日本では完全に無名の人もたくさん出てきたから感情移入できなかったのかなって思いました。僕が現代トルコ人だったら面白く読めたのかなって思いつつ読みました。 | ||||
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ヴェネチアからの奴隷としてイスタンブルにあった主人公のわたし、容貌の酷似したオスマン帝国人の師。二人は西欧に生まれた科学に関心を寄せ、古い習俗に安住するスルタンはじめ、その時代の人々にその奥深さを伝えようとする。しかし頑迷な考え方は容易には変わらない。行間からそのもどかしさが伝わってくる。 オスマン帝国中葉の歴史背景がわかるともっと面白く読めると思う。ただ最後の解説によると著者はあくまで娯楽小説として読んでほしいと考えているようである。 時代背景は17世紀中頃、メフメト四世の頃でスレイマン一世大帝の時代からはすでに100年ほど経っている。今の感覚で言えば令和の人が昭和の戦前戦中を振り返るような感じだろうか。意外にも叛図を最大まで広げたと云われ、本書でもキョプリュリュ大宰相とその息子ファーズルのことが触れられる。 『オスマン帝国 500年の平和』(林)を参考に、本書『白い城』を読むとこの時代はメフメト四世の前スルタン、イブラヒムの頃、キョセム皇后が力を持ち、そこに祈祷師のような怪しげな人物も高官として入り政治を牛耳っていたことがわかる。イブラヒムは宮殿から一度も出ることなく精神を病んで早逝してしまった。そこでまだ7歳と若きメフメトがスルタン位に就くことになる。まだ若いためにキョセムやその側近が政治を動かすことになる。しかしメフメト四世の母トゥルハンはスルタン廃位の計画を知りキョセムを暗殺。メフメト四世の治世8年目にトゥルハンは大宰相にキョプリュリュを任命し帝国内外の混乱を収めていく。『オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史』(小笠原)も参考にすると頭の整理になる。 小説なので本のストーリーを書いてしまうのは憚られるが、登場人物のわたしと師が非常に似ているということが重要なプロットとなっている。「わたし」は当時地中海の覇権をとりつつあったヴェネチア人でキリスト教徒、一方「師」はイスタンブルで天文学に関心のある人物でイスラム教徒。そこで両者の相貌が似ているということはあり得るのだろうか。ちょっと考えてみた。13世紀のはじめヴェネチア人が主導する第四回十字軍がコンスタンティノープルを落としラテン帝国を建てる(60年間)。ただし強欲な政権で長続きせず。13世紀の中頃にはトルコ系のセルジューク朝がアナトリアに侵出してくるがそこにいたビザンツ帝国人(ローマ系)は廃されるというより取り込まれていく。イスタンブルのヨーロッパ側の地域はそもそもギリシャ時代からアドリア海やイタリア南部との交流があった。 オスマン帝国の前身、君侯国時代のオルハンはビザンツ帝国の皇帝カンタクゼノスと縁戚関係にありトルコ系軍隊はビザンツでの重要な戦力だった。その中でビザンツ帝国のヨーロッパ側にあるトラキア地方に移住を進めていった。ビザンツ帝国の最終盤、皇帝一族はコンスタンティノープルに命脈を保っていたが、その財源はヴェネチア人などとの交易で成り立っていた。 そして『ビザンツ帝国 生存戦略の一千年史』(ハリス)によればコンスタンティノープル陥落の後、メフメト二世はイスラム教国を建てるために、帝国衰退のため崩壊しつつあったビザンツ(キリスト教)建築を破壊して建て直したり、追加して再利用した。ビザンツ帝国は古代ローマ帝国や古代ギリシャ共和制の遺産を受け継いでいた(そもそも当時はビザンツ帝国は正統なローマ帝国の後継と考えられていた)。コンスタンティノープルの図書館にはそれらの書物が残されていたのである。オスマン帝国に従軍したイタリア人、あるいはビザンツ帝国に仕えたイタリア人はそれらの遺産を引き取って国に持ち帰った。そしてイタリアはそれらを元にルネサンスをさらに隆盛させるのである。ここでトルコ人が書物を無価値のものとして焼き捨ててしまっていたら現代にはギリシャ時代のこともローマ時代のこともわかっていなかったかもしれない。 話が長くなってしまった。地中海世界のこれらの交流が見えてくると、ヴェネチア人とトルコ人が似通っているのもあり得ることだと思える。トルコ人は中央アジアから進出してきたが、アナトリアに入ってからビザンツをはじめとした外部の人間を登用して発展してきた。トラキアやオーストリアにも侵出した。その後この小説の時代まで300年、外部との混血が進んだのは考えられそうだ。 小説のストーリーはここでは言わないが、オスマン帝国が官僚国家となって権謀術数が盛んな、この本書の時代、他国が台頭しつつあるなか、宮廷では無知蒙昧が蔓延していた。主人公のわたしと師はメフメト四世治世、数十年かけてこのスルタンを啓蒙して、変化させていく。キリスト教とイスラム教の枠を超えた新しい知を人々にどのように伝えるか、旧来の習俗の中にどのように知を吹き込んでいくか葛藤しながら試みる。 酷似した二者は内面においても心を通わし、また様々な思考を共有する。前半はその心情の描写がちょっと投げやりというか、そこまで深めないまま展開するので、読者としては置いてけぼり感がある。後半はそういう点ではしっくりくる。師の罪への執着は鬼気迫るが、展開はやはり早く場面を追うのは少し大変。17世紀のそのヴェネチア人であるわたしの手記という設定なので、それほど細部までは描かなかったということだろうか。メフメト四世は40年ほど在位したが、その数十年が飛び飛びで語られ、また内面の変化を中心に描くのでさらにストーリーを追いにくいのかなと思った。その国の共通理解が他国にも当てはまるとは限らない。そこは多少の補いがあってもいいのかと思ったが。あとは「わたし」の「師」に対する感情が場面場面で揺れていてとらえにくいところもある。 ところで自己を知る行為はそれほど昔のことではない。デカルトのコギトエルゴスムがまさに17世紀の中頃であり、この「わたし」は鏡に写る自己について考えるすべを持っていたが、師はその行為に驚きを隠せなかった。内面を観る行為は現代的なことなのだと考えさせられる。 この時代の歴史を押さえながら、読むとそういうことかとわかってくる部分がある。いや、もっと別の意図もあるかもしれない。ノーベル文学賞をとる2006年から20年も遡る作品で初期の位置付けなのだろうか。時代物でありがちな戦記文学ではなく、自己と非自己を認識する葛藤、科学と非科学の葛藤、文化間の葛藤、宗教的な葛藤、あるいは新旧の葛藤として歴史を眺められるのは新しい視点なのだろう。過去、新しいものに遭遇した時の人間の反応がどうであったかを再現している。とはいえ著者はこれらの意味付けに対して現代的な病だと指摘し、純粋な物語として読んでもらえることを望んでいる。読者となった私はまさに現代的な感覚で本書を読んでしまったことになる。 | ||||
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古文書から物語を発見するところや、冒頭にセンバンテスを思わせる人物が出てくるところなどドン・キホーテを意識しているようだ。最後はこの小説自身に言及するというメタ小説になっているのもドン・キホーテの手法と共通する。ただ、ドン・キホーテが「滑稽」なのに対し白い城は「自意識の檻」をテーマにしている。素朴なキリスト教徒を無理矢理自分の悪事を告白させようとする場面は凄まじい。ただ大傑作の「私の名は紅」と比べると2人の主人公の精神状態を追うのに疲れて今ひとつ没頭出来なかったのが残念。 | ||||
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先だって「雪」を読んだ。そのとき、ドストエフスキーを読んでるような印象を受けた。それは、さまざまな宗教観、善悪が入り乱れて濃密に物語が編みこまれていたから。 そこで本作を読むことにした。そして、みごとに作者の術中にはまってしまった。私というものは果たして本当に私なのだろうか? ふたりが鏡をのぞきこみ、どちらが自分なのかわからないほどの類似性に驚愕する場面が印象的だった。自己の核心が揺らいでいくのか、変容したのか、あるいは確固とした自己であり続けたから、他者を演じて生きて行けたのか。安部公房的なミステリアスなドラマでした。 難点は、読みにくい難しい漢字が多かったこと。わたしの国語力の貧弱さなのか、訳者のこだわりなのか。すらすらと読めませんでした。 | ||||
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17世紀、オスマン・トルコ帝国の海賊に囚われ、イスタンブールで奴隷となったヴェネツィア人の「わたし」。 医学的知識によって辛うじて生きのびた彼は、奇妙に自分と酷似した容姿のトルコ人学者に買い取られる。 国王の寵愛を獲得しようとする学者は、彼から医学、天文学、生物学など「西」の科学的知識を吸収し、彼と共に新たな武器の創案に没頭する。 やがて、「西」の世界観の根底にある「なぜ自分は自分なのか」という問いにたどり着く二人。 それぞれが自分の来歴を事細かに語り合い、あたかも相手の人生を自分が生きたかのように熟知しあうようになった二人は… 揺れ動く二人の関係の変化のなかに東西のせめぎあう最前線を見事に描き出し、オルハンパムクの世界的評価を決定づけた一作 だそうです 文章が非常に平明で素晴らしい | ||||
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