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わたしの名は赤
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わたしの名は赤の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.28pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全40件 21~40 2/2ページ
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私は池内恵氏「イスラーム世界の論じ方」を読んだのをキッカケに本作を手に取ったのだが、非常に興味深く読んだ。トルコ人作家の作品を読むのも初の体験である。オスマン帝国時代を舞台に、<細密画>(師)及びそれに纏わる殺人事件を扱ったものだが、ミステリ的興趣の方は殆ど無視して良い。コーランによって偶像崇拝を禁じられているが故に、書物の挿絵としか存在を認められない<細密画>に焦点を絞っている点にまず興味をそそられる。更に、絵師個人の様式や創造を許さない<細密画>と西欧(時代設定からしてルネサンス期のイタリア)の写実的絵画との優劣(あるいは融合)をテーマにしている作者の大胆さ(身の危険はないのだろうか?)にも驚かされる。<細密画>における美や伝統とコーランの教えとの間の微妙なバランスの上で成りなっている作品で、本作発表時に欧米で話題になったというのも頷ける。 また、本作の各章は主要登場人物達や<細密画>上に描写される馬、悪魔、金貨等の一人称という体裁になっており、各章が<細密画>の構成要素、作品全体が<細密画>という見立てが成り立つという巧緻な仕掛け。殺人事件と関わりのない、宗教、絵画、美についての論考の章が特に読み応えがある。イスラム教徒(だと思う)によるこうした論考を読むのも初めてだったので。また、コーランの教えには「女は信徒(男)を堕落させる」というのもある。本作のヒロインは稀有の美貌の女として描かれるが、読んでいて余り魅力を感じない。むしろ、周囲の男を悩ませる"災厄の女"として映るのである。作者がコーランの教えに則って執筆しているのか、反発(西欧化)を意図しているのかやはり微妙な線で、その意匠、作品内容共に読者を惑わせる出来となっていると思った。 | ||||
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語り手が次々と交代しながら展開する筋立て、時には貨幣や絵の中の動物・人物が語り手になる斬新さ、細密画を巡る芸術論など、革新的手法に満ちている。しかし、殺人事件の犯人探しのミステリーでもあり、娯楽性も十分。ただし、3人の細密画家のキャラクターがやや掴みにくくて犯人探しに気を取られすぎると、疲れてしまうので注意が必要。 | ||||
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としてのパムクの面目躍如。訳が「赤」でも「紅」でも、どうでもいい。実際には赤なのだが、日本人には紅の方がいいのかな。これでトルコに行けていれば・・・。96時間 リベンジ という映画があったが、ああいう路地裏と混沌だ。 | ||||
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上記、下巻と同様。 以前、藤原書店発行の和久井路子訳を読む努力をしたが、あまりにも翻訳がこなれておらず遂に最後まで読まずに諦めた。 今回の新訳はさすがに良くこなれた文章となっており、著者の意図したところが、よく伝わって来た。翻訳者、宮下氏の感謝。 | ||||
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以前、藤原書店発行の和久井路子訳を読む努力をしたが、あまりにも翻訳がこなれておらず遂に最後まで読まずに諦めた。 今回の新訳はさすがに良くこなれた文章となっており、著者の意図したところが、よく伝わって来た。翻訳者、宮下氏の感謝。 | ||||
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商品はきちんと届きました。 これから読みますが、価額が安いので助かります。 | ||||
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パムクの本はこれが最初でした。時代背景や独特の語りかけから 上巻は、テンポが上らず、くどいなと感じていたのですが、 下巻に入るとその文章に慣れ、少しづつスピードが上りました。 パムクの遊びに気が付いた時、なるほどと思いました。 この小説を読むには、是非ペルシャ細密画の世界を歩く (幻冬舎ルネッサンス新書 あ)を横に置いてみて下さい。 | ||||
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帯だけ見ると推理小説のようにも思えますが、全然違います。 犯人捜しなんてどうでもいいのです。 これは千一夜物語です。 物語の中に物語が埋め込まれている、細密画にテーマを限局した千一夜物語です。 枠物語より、埋め込まれた物語のほうが遙かに魅力的です。 本文より挿絵の細密画のほうが魅力的な書物のようでもあります。 帯に書いてあるように一気読みしてしまっては、いけません。 「今夜はここまで」と中断しながら、何日もかけてじっくり読む物語です。 | ||||
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この本のカバーには16世紀のイスタンブルでの珈琲店の様子が描かれています。 この時代,珈琲店は庶民にとってメジャーな社交場であったものの政府が禁令を出すなど,社会には不穏な空気が漂っていたといいます。 そんな中,一人の細密画家が殺害され,その殺害の動機に,細密画とイスラムの教義の関係が深く関わっていることをうかがわせます。 イスラム教世界における絵師にとって重要なのは次のみっつだという。 その1:様式と署名 独自の様式や署名に拘泥すると金と功名心のために絵を描くことになる その2:細密画の時と神の時 時の流れの外に身を置くための方法が細密画である その3:盲目であること 神が与えたもうた暗闇の中に現れるものを見ることこそが,細密画の神髄 そして,細密画家「蝶」「コウノトリ」「オリーブ」の三人がそれぞれ語る三つの逸話。 この逸話がそれぞれに興味深い。 そして,どうもこの三人の中に細密画家「優美」を殺害した犯人がいるようだが・・・。 本書は,カタカナ固有名詞が連発して集中力の持続が途切れそうになる場面もありますが,西洋世界で広まる遠近法や肖像画を否定し,自ら盲目になることを望む16世紀の細密画家の存在が興味深い,個性的な作品でした。 | ||||
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16世紀イスタンブルで細密画家が殺される話とカラとシェキュレという男女の恋愛の話と画家たちの権謀術数の話が一人称多視点で語られる小説。その視点も人間だけでなく絵具や馬なども喋る独特の構成で驚く。 以上のように主筋傍筋入り乱れる展開ですが、あまり複雑にならず、平明で読みやすいのがいい所。一応推理小説風に創作されてるけど著者パムクの主眼はあくまでこの当時人気があり寵愛された細密画家を描くことに集約されているように思えました。訳者あとがきによるとイスラム圏では偶像崇拝にあたるので絵画などは敬遠されていたそうですが、本の挿絵のようなものはかなり尊ばれていたというのはよく伝わってきます。題名の「赤」というのも本全体を象徴している(殺人の赤い血、絵具の赤)ようにも思えます。 カラとシェキュレの恋愛模様も飽きずに読め、時代や地域が違っても人間の本質は変わらないということを考えさせてくれます。 小説と書きましたが、物語あるいは説話のように雄大さを感じました。「真夜中の子供たち」と「薔薇の名前」足して2で割ったような印象をうけました。 あまり読まない地域の話なのでカタカナの固有名詞が人名か地名かその他か区別し難いほかはとてもおもしろかったです。 何度も繰り返し読めるスケールの大きい傑作。パムクの作品は全部読もうと思います。 | ||||
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藤原書店刊の以前の版の迷?訳に憤りを感じたものとしては、本当に嬉しい新訳版の刊行となりました。 早速買い、原書と引き比べながら再読。 やっと、細密画のように構築されたこの物語に入っていくことができたように思いました。 藤原書店版のレビューが優れたものばかりなので内容には言及しませんが、これだけは声を大にして言いたい。 この流れが続きますように… 早川書店さん、頼みます。 | ||||
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この小説は凄く面白いと思います。国で結構有名で、簡単に買える物なんですが、日本の友人を紹介したくて、色々な本屋さんで探して見つかれなかったのです。こういう世界で有名な小説をもっと日本語に翻訳して出版したらよかったなっと、思っています。 | ||||
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読んでみて、小説全体の表現・構成力のうまさはわかった気がしますが、この訳でいいの?という感じです。複数の語り手各々の雰囲気を出そうと苦労はしているのかなとも思いますが、正直ギクシャクしているというか、荒さが目立つ気がします。原著と日本語訳を比較できる方、どうなんですか? | ||||
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600ページ余りの大作。それに見合うだけの濃密さ、と言うだけでは済まされない程の恐るべき、あるいは魔力的とも形容してもいいだろう文章力。しかし未読の方は御安心を。決して難解さや晦渋さは感じさせない。溢れ出すような言葉でもって描かれるのは、絵師同士の殺人事件、それを主軸として、当時のオスマン・トルコ時代の細密画工房の人間模様、ベネチア経由で伝え知らされる近代遠近法の手法が彼らの心技共に及ぼすただならない影響、絵師の1人カラのある婦人に対する恋心、当時のイスタンブールの市井の人達の暮らし振り、スルタン等貴人高官達の立ち居振る舞い等々、それぞれの登場人物、いやそれどころか、樹木や犬、金貨、絵の中の馬、そしてタイトルの如く「紅」という色にまで59の章でもってそれぞれに語らせていく。事件の行方を追いながら、生活から芸術観に至るまで、まさしく細密画の如き文章力で描き尽くされているのは圧巻と言う他無い。しかし繰り返すが、ノーベル賞作家の肩書き、作品の分量等に怯む必要は無い。読了するまで何日かかっても構わない。その作品世界にどっぷりと浸って頂きたい。(くれぐれも速読、抜き読みは厳禁) | ||||
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物語が殺人事件で始まり、ミステリー仕立てになっているが、普通の感覚で謎解きしようと思っても、犯人はわからないのでは?私はなぜか早い段階で某が犯人であると思い込んで読み進めてしまい、ちょっと損したような。なぜ勘違いしたのかと、読み返したもののどうしても思い出せない。 それはともかく、物語の主題でもある細密画家の葛藤は、東洋と西洋の文化の結節点であるトルコのまさに宿命なのであろう。写実に惹かれる画家としての本能と、見てはいけないというイスラムの教え。その葛藤から殺人事件さえ起こる。 エキゾチックな気分を楽しみつつ、トルコという国、イスラムの文化について思いを巡らせた。 | ||||
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原文のせいなのか、翻訳のせいなのか、とにかく読みにくい本との印象を受けた。しかしその読みにくさ、内容のある種の不可解さ(例えば、当時の細密画の在り様)は、エキゾチシズムの源泉としての機能も併せ持っているのかも知れない。 本書の愉しむには、イスタンブールの歴史、イスラムと西洋世界価値観の違い、またトルコ芸術についての、ある程度の知識が必要だろう。文化的背景を共通する日本人作家が書く分り易いミステリーを読む感覚では、到底最後まで読み通すことは出来ない一冊である。 しかし、訳者の能力も高いのだろうか、随所に素晴らしい文章が散りばめられてもいる。イスタンブールに興味のある人は、一度はチャレンジしても良い本だろう。 | ||||
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通俗的なミステリーの鉄則として、 「いきなり死体を出せ!」というのがあるそうで、 それを地で行くかのように、冒頭で一人の細密画師が殺され、 容疑者を限定した上で犯人探しがおこなわれるのだが、 犯人は明かされないまま第二の殺人が起こり、 事件はスルタンの宮廷をも巻き込んでいく。 カラとシェキュレの恋愛模様を一方の興味の焦点に据えながら、 語り手(人間ではないこともある)が頻繁に交替する手法を取ることで、 覗き趣味的な興味も交えつつゆるやかに進む物語は、 臆面も無く「娯楽大作」しているのだが、 それを綴る文章はあくまで緻密で香気高いものだし、 (「訳文が読みにくい」との評もあるようで、 たしかに主語の省略がやや多過ぎるような気もしたが、 16世紀末のイスタンブルを舞台とする本書には、 どこか細密画を思わせるような浮世離れした感じを与える訳文が、 むしろふさわしいと言えるかもしれない。) 犯人探しの手がかりと密接に絡み合うかたちで 裏の主題としての細密画論が展開される点も深く考え抜かれており、 全体としてはきわめて知的で密度の濃い作品に仕上がっている。 あえて欠点を挙げるなら、 ・三人の細密画師がじゅうぶんに描き分けられていないように思えること、 (もっともこれは、ある程度までは意図的なものかもしれない) ・クライマックスに至る過程で、登場人物のセリフがやや冗長に思われたこと、 などがあるし、個人的な好みを言わせてもらえば、 ・最後までエンターテイメントとしての枠組みを破らず そつなくまとめているところが逆に物足りない、 という気もしないではなかったが、 とりあえず上質なミステリーを楽しみたいという方には 自信を持って勧められる第一級の作品だと思う。 | ||||
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紅ってなに? それだけでも読む価値がある。展開のテンポがよく、ページをめくるのが楽しい、自分が属さない時代、世界への旅って感じ。でもそういうことが読む人すべてに起こらない事がわかるので、少し読んでみてタイトルの紅を確かめてみたくなったらってことで。 | ||||
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絵画とは我々にとって何なのだろうか。我々は絵画に何を求めているのだろうか。この小説の真の主人公は、そんな絵画を巡る問いである。 伝統的な様式に従って美しい絵を描くことを良しとしてきた社会に、西洋近代美術の個人主義と写実主義が入ってくる。そこで起こる葛藤は、明治以来急速な西洋化を成し遂げた日本人にも親しいものだ。ただ、偶像崇拝を厳しく禁じるイスラム世界では、肖像画はもちろん、それ以外の絵画を描くこと自体、考えようによっては罪深い行為である。そのため、個人を表現する西洋近代美術は冒涜的で恐ろしく見えるとともに、悪の魅力も放っていたのだった。 作者はこれを単なる「東西対立」のお話にはしていない。イスラム世界の絵画といってもそもそも一様ではなく、各地にそれぞれの様式があり、国の興亡に従って栄えたり廃れたり、影響しあったりしている。一方、西洋の肖像画は像主を忠実に再現するはずのものだが、トルコの使節としてヴェネツィアに赴いた「エニシテ」は、ある人物の肖像画を見て、容貌が全く似ていないにも関わらず、自分自身であるかのように感じる。これは、肖像画が「個」の表現を通して、人間の普遍的なものを描き出していたからに他ならないだろう。作者の立場は、「ここにいて、混じり合え」というカラのせりふに表れているが、それが一朝一夕に成果を生むとは限らないことは、「オリーブ」の体験を通して描き出されている。 訳文がこなれていなくてやや読みづらいが、それがあまり気にならないほど、重厚で読み応えがある傑作だ。 | ||||
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西欧文明が流入しだしたころのトルコを舞台に、細密画師の間でおきた殺人事件を描く。犯人は誰か、というミステリーの要素のみならず、文明間対立、恋愛、当時の風俗など様々な要素が入り乱れており、内容はかなり面白い。とりわけ、肖像画を残したいという欲求は鬼気迫るものがある。 ただし、スタイルだの色彩だのといったことについての解説がなかなかに難しく読みやすい本とはいえない。加えて、背景知識がないと、若干ややこしい。 よって、一つ減点の星4つ | ||||
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