楽園への道
- 貧困 (21)
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非常によいと記載がありましたが、極度の色あせ、汚れ多数。返品手続きもアナウンスが悪く時間がかかる。 | ||||
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ゴーギャンと、その祖母の闘いが交互に語られ、ページをめくる手が止まりませんでした。価値観を揺さぶられる大作です! | ||||
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著者についてアルベルト・フジモリ氏がペルーの大統領に選ばれた時の対立候補だったぐらいの認識しかなかったが、画家ゴーギャンとその祖母である革命(思想)家フローラという帯が目に止まって本屋で購入。実は夏休みの家族旅行に携行してあまり読まないうちに機内におき忘れて再購入した。時間ができて読み始めたら引き込まれて一気に読んでしまった。 本作は祖母と孫という関係にある二人の人物の「楽園を目指す最後の旅」から、それぞれの「楽園への道」をたどった生涯を描いている。主人公のモノローグ〜主観描写が妙に心地よい。筆者は翻訳小説を苦手と感じるが、抵抗なく読めてしまったのは訳者の力量のおかげだろう。ゴーギャンの臨終への描写などは特にそうだが、そのあたりでの日本への言及がジャポニスム的過剰な買いかぶりで、読んでいて小恥ずかしかった。 まずフローラ・トリスタンという人のことは知らなかったが、こういうすごい人物がいたのかと感心。最後の方にマルクスが出てくるのもご愛嬌だが、実は「空想から科学へ」を他に先駆けて実践していた人なのではないか?そして彼女がまだ知られていないということは、女性への抑圧が依然としてある証拠ではないか。 またゴーギャンについてはゴッホの脇役と思っていたのだけれど、本作でのその絵画作品への描写を読んで、図版などで作品を目にして初めて、そのすごさの片鱗を理解できたように感じた。 ある意味、20世紀(とそれにつながる現在の)の社会・思想・芸術を準備するターニングポイントにこの二人がいたのではないかと思えてしまう。 とりあえずゴーギャンが死んだヒバ・オア島(Hiva Oa)に行きたくなった。 | ||||
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画家ポール・ゴーギャンと、その祖母で革命家のトリスタン・フローラを描いた歴史小説。 リョサがなぜフランス人を書くのだろうと疑問に思ったが、2人はペルーに血縁があり、時代は異なるがそれぞれ滞在していた時期もあった。さらに巻末の解説によれば、リョサは大学時代にフローラの著書「ある女賎民(パリア)の遍歴」を読み、ゴーギャンよりも、歴史からほとんど忘れ去られたフローラを書きたいと構想を練っていたそうだ。 小説は1844年4月、パリを皮切りにヨーロッパで革命運動を始めたフローラの章と、1892年4月、ヨーロッパを捨ててタヒチに流れ着いたゴーギャンの章が交互に配置されている。この配置はリョサの得意とする構成とは異なり、決して絡まり合ったり一体になったりすることはなく、2人の死で小説が完結するまで保たれる。それでも祖母と孫をひとつの小説におさめたのは、2人がともに反逆者だったからだろう。 語り口は三人称と、リョサと思しき語り手が2人を「おまえ」と呼びかける二人称が混在し、物語が終盤に向かうほど二人称が強くなる。とりわけフローラを呼びかける「おまえ」にぬくもりが感じられるのは、リョサの思い入れの表れだろうか。 フローラの章では、彼女が旅をしながら労働者の集会を開く場面に、様々な回想が織り込まれている。その回想の中でも、彼女がペルーを旅する場面はなんとも魅力的だ。僕はフローラの章を読みながら、「ある女賎民の遍歴」を購入して一緒に読み、彼女の美貌と奔放な生き方に惹きこまれた。 ゴーギャンについてはサマセット・モームの「月と六ペンス」で予備知識はあったが、「マナオ・トゥパパウ」や「ネヴァーモア」など、タヒチでものした傑作を描く場面が素晴らしく、作品画像をネットで何度も眺めてはしばしば頁を繰る手を止めた。もちろん、「気の狂ったオランダ人」を始めとする回想も実に魅力的だった。 リョサの読者なら、本書が「世界終末戦争」や「チボの狂宴」などの系譜に属する歴史小説だとすぐにわかるが、重厚長大で魔術的な「世界〜」の迫力や、独裁者の暗殺というスリルに満ちた「チボ〜」に比べると、そのトーンは実におとなしい。けれどもリョサの最大の魅力である物語る力はやはり強く、翻訳の文章の読みやすさと相まって、600頁を夢中になって読ませる。 | ||||
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