魔都
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独特の節回しとぶつぶつ途切れる場面転換のせいで、途中までは読み進めるのがだいぶ辛かったです。ようやく興が乗ってきたのは、話の中盤、行方不明となった安南国(あんなんこく)の宗(そう)皇帝の居場所が、「えーっ! そんな所におったんか」て意外さにあっけにとられたその辺りからかな。太字で記されたその一文に、唖然となりました。 幕切れは、いっそ清々しいくらいあっさりしたものでした。あっけらかんと終わっちまったラストに、「あれっ。これで終わりなん?」て、ちょと呆然としちゃいました。 創元推理文庫の表紙カバーのイラスト(装画は、影山 徹)が、雰囲気があって良いですね。噴水の鶴の青銅像の間を歩み去るのは、きっと、眞名古(まなこ)警視なんだろうな。本作品で、一番印象に残った人物です。 本作品については、作家・米澤穂信が次のように記しています。 《極めつけはなんと言っても『魔都』(久生十蘭)であり、出会って以来忘れられない、愛する一冊である。日比谷公園の青銅の鶴が鳴き、銀座の酒場で年を越そうという青年紳士は実は安南の皇帝であり、一個の宝石が失われたまま戻らねば国難は必至だという。帝都の一晩の物語は複雑怪奇、久生十蘭(ひさお じゅうらん)の語り口は縦横無尽、この小説はまことに贅沢(ぜいたく)で酔いを招き、魔都の名にふさわしく、不穏である。》 ── 米澤穂信『米澤屋書店』(文藝春秋)p.54 ── | ||||
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戦前の日本社会を活写する推理小説に、ただ読み耽るものです。 | ||||
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戦前の久生十蘭の代表作ということで、期待して読んだ。講談調の文章は新たな読み物(?)として新鮮だったし、「巴里」のバーとその登場人物の雰囲気は戦後の「虚無への供物」の「アラビク」に引き継がれているように思う。ただし、最後が物足りない?泰山鳴動してねずみ1匹(?)。最初からこのエピローグを想定して書いたものかもわかない?あとがきを読むと「合理的探偵小説として読んではならない」とある。じゃあ、これは何? | ||||
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吉田氏の関連記事の執筆資料として用いましたが、みいらとりがみいらになって、黒岩涙香氏の翻案小説並みの面白さに圧倒されて、そのままになりました。珍しいことです。 筆力充分で、著者は飄逸です。この語にノンシャランとルビを振るところが軽妙なくすぐりです。 「日比谷公園の鶴の噴水が歌を唄う」というさりげない事実の真相をめぐり、1934(昭和9)年の大晦日から発した劇が進展します。「今朝九時十二分 鶴の噴水唄わん」との記事が夕陽新聞に掲載されます。トリックと小説の語り口の性質とがうまく溶け合って、絶妙の作風となっています。 2017年、長篇で久しぶりに面白いものを読んだと思いました。 | ||||
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今頃文庫化された未読の長編で、それだけで読むのがもったいない感じ。あらすじを見ただけでも面白そうなのは間違いなさそうなので今から楽しみ。 | ||||
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