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魔都
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【この小説が収録されている参考書籍】
魔都の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.50pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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独特の節回しとぶつぶつ途切れる場面転換のせいで、途中までは読み進めるのがだいぶ辛かったです。ようやく興が乗ってきたのは、話の中盤、行方不明となった安南国(あんなんこく)の宗(そう)皇帝の居場所が、「えーっ! そんな所におったんか」て意外さにあっけにとられたその辺りからかな。太字で記されたその一文に、唖然となりました。 幕切れは、いっそ清々しいくらいあっさりしたものでした。あっけらかんと終わっちまったラストに、「あれっ。これで終わりなん?」て、ちょと呆然としちゃいました。 創元推理文庫の表紙カバーのイラスト(装画は、影山 徹)が、雰囲気があって良いですね。噴水の鶴の青銅像の間を歩み去るのは、きっと、眞名古(まなこ)警視なんだろうな。本作品で、一番印象に残った人物です。 本作品については、作家・米澤穂信が次のように記しています。 《極めつけはなんと言っても『魔都』(久生十蘭)であり、出会って以来忘れられない、愛する一冊である。日比谷公園の青銅の鶴が鳴き、銀座の酒場で年を越そうという青年紳士は実は安南の皇帝であり、一個の宝石が失われたまま戻らねば国難は必至だという。帝都の一晩の物語は複雑怪奇、久生十蘭(ひさお じゅうらん)の語り口は縦横無尽、この小説はまことに贅沢(ぜいたく)で酔いを招き、魔都の名にふさわしく、不穏である。》 ── 米澤穂信『米澤屋書店』(文藝春秋)p.54 ── | ||||
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戦前の日本社会を活写する推理小説に、ただ読み耽るものです。 | ||||
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戦前の久生十蘭の代表作ということで、期待して読んだ。講談調の文章は新たな読み物(?)として新鮮だったし、「巴里」のバーとその登場人物の雰囲気は戦後の「虚無への供物」の「アラビク」に引き継がれているように思う。ただし、最後が物足りない?泰山鳴動してねずみ1匹(?)。最初からこのエピローグを想定して書いたものかもわかない?あとがきを読むと「合理的探偵小説として読んではならない」とある。じゃあ、これは何? | ||||
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吉田氏の関連記事の執筆資料として用いましたが、みいらとりがみいらになって、黒岩涙香氏の翻案小説並みの面白さに圧倒されて、そのままになりました。珍しいことです。 筆力充分で、著者は飄逸です。この語にノンシャランとルビを振るところが軽妙なくすぐりです。 「日比谷公園の鶴の噴水が歌を唄う」というさりげない事実の真相をめぐり、1934(昭和9)年の大晦日から発した劇が進展します。「今朝九時十二分 鶴の噴水唄わん」との記事が夕陽新聞に掲載されます。トリックと小説の語り口の性質とがうまく溶け合って、絶妙の作風となっています。 2017年、長篇で久しぶりに面白いものを読んだと思いました。 | ||||
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今頃文庫化された未読の長編で、それだけで読むのがもったいない感じ。あらすじを見ただけでも面白そうなのは間違いなさそうなので今から楽しみ。 | ||||
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私が天才と思う小説家である久生十蘭先生の、代表作である「魔都」の文庫化を大変喜ばしく思います。話の内容や、オチのつけ方、語り口調などはほかの方も描かれている通りですので、言及は致しませんが、やっぱりこの時代(戦前)の大衆娯楽小説の中でもこれだけ教養に満ちて考えさせられる作品はないと思っています。主人公は死んでしまいますが、そんな作法、当時の小説にはありませんでした。推理ものとしてはちょっと物足りない感じはしますが、大衆文学作品の一つとして読むと、奥深い教養と多くの文化に対する理解、想像力の広さを感じることができると思います。これは何もこの作品に限ったことだけではなく、久生十蘭のすべての作品にとって言えることです。その、どの作品にも言える最も重要なことは「命のはかなさ」ではないでしょうか。短編の中の命のはかなさは、悲しみを引き起こすというよりは、なんだか世の倣いというか、運命というか、そういうものを感じさせます。 この本は、昭和初期大衆文学を語る上で決して避けて通れない大作です。ぜひ、お読みください。 | ||||
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1937年発表(戦前!)の探偵小説である。創元社が「没後60年記念出版」として文庫を出した。 久生十蘭作品は初読。帯紙には「日本探偵小説史に屹立する金字塔」なる文句が躍る。 文庫で500ページあまりとなかなかのよみごたえである。 冒頭からいきなり講談調で話が始まるので面食らうが、最後までこの調子は続く。ストーリーを追い始めて慣れてしまえばそれほど苦にはならなかった。それよりも、すらすら読むのに障害になるのは、戦前ゆえしかたないが、今となってなずいぶんと難しい漢語のたぐい。原則としてこの種の単語には漢字で本文がかかれ、それにルビが(意味が通じるように)ふってあるのでなんとか読み進められるようになっている。例えば、「係長は飽迄も謙遜り、」これを「係長はあくまでもへりくだり、」と読むのはなかなか骨が折れるはず。 ちょっと謎なのは、登場人物が会話文の中で外国語の単語をそのまま話しているらしい部分、例えば会話中で「甚だ辯明的だ。」なる部分に「はなはだイクスキューザブルだ」と読めるようにルビがふってある。最初の出版の時点でこのようにルビが付けてあったと考えないと意味が通じない。 本書は探偵小説に分類されているが、少なくとも今でいうミステリ小説ではなく、あたりまえだが江戸川乱歩以前、という立てつけである。読者が謎解きをしようという趣向ではなく、著者と登場人物が展開するものがたりに身をゆだねるのがよい。一方で本作品の読み物としての楽しみどころは、戦前の東京(と日本)の雰囲気や常識を、教科書や文献よりも肌感覚で知ったような気になれる、というところか。近代日本史はとてもとても弱いのですが、そんな自分が読者でもそれなりに読めたので、そういう目的にもよさそう。 | ||||
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リストカット的な自意識過剰でいちいちめそめそしていなきゃ異端とみなされる暗く退屈な日本文学が肌に合わないスタイリストはぜひ手にとって下さい。ジャンコクトー、澁澤龍彦のファンならば必ず読むように。 | ||||
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腰巻に言うように「日本探偵小説史に屹立する金字塔」かどうかは、読者の個人的見解になってしまうけど、とにかく、ごちゃごちゃしていて、「で、結局どうなったん?」っていう感じが否めない。 1936年から37年にかけて怪しげな雑誌に連載された当時は、まだ戦争の影がなく、男女の風紀紊乱なる世相があからさまで、もうめっちゃくっちゃ。日比谷公園の鶴の噴水が旧ベトナム国家を歌いだすことで始まったこのお話。ベーブルース来日歓迎賭博会は開帳されるわ…花ちゃんが呪租絵を描いて、恋のライバルを呪うわ、探偵役の敏腕警視が最後の最後でトンずらしてしまうわ…で、もうどうにでもなれ!って感じなんだな…やれやれ。 で、最後は「あ!」という茫然自失の終わり方! | ||||
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舞台は国際連盟脱退後らしく、アジアの国の国王が起こしたとされる事件がメインだった。 昭和10年代の空気なんだろうな。 でもね、謎解きはちょっと中途半端。 冒頭の日比谷公園の鶴の噴水が歌を唄う謎や、警視庁敏腕警視の行動と推理内容とか、 謎はそれなりに解決しているけれどもはじめの語り手の扱いがちょっと可哀想な気がする。 | ||||
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1日24時間におこったことを、1年間の連載で書くという構想で執筆された、都市小説の傑作 中国や上海を舞台にした作品じゃありません 昭和12年10月から、一年間、あの「新青年」に連載されました 舞台はもちろん「帝都・東京」であります 教養文庫249ページの ああ!なんたる魔がしき都ではありましょう。てまえらには、この大東京の、この大都会の大気の中に、さながら空気中のアルゴンのごとくに、無慮無数の魑魅魍魎がほしいままに跳梁跋扈しているかに感じられてならぬのでございます という文章が有名ですが、実はそのすこしあとの、252ページ1行目から16行目までの「魔都・東京」の描写が素晴らしいです 教養文庫版をお持ちの方は、当該ページをぜひご覧ください | ||||
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久生十蘭の作品をすべて読んだわけではないのでこう言うのは憚られるが、一読してこの『魔都』はもしかしたら十蘭の最高傑作かもしれないと思うほどの強烈な印象を持った。短篇小説にも佳品が多い十蘭だが、この長編にはそれらにない重厚さが備わっている。また、このような傑作が十蘭の作家人生初期に書かれたということは意義深い。もとは雑誌「新青年」に1年間ほど連載された小説だが、この長期に及ぶ執筆のなかで、十蘭は作家としての自信を得たのだろうから。 ひとまず『魔都』は探偵小説であるということができる。その観点からすれば、たしかに最後の謎解きのあいまいさは見過ごすことのできない瑕疵である。しかし、その探偵小説という枠組みはこの作品の一番外側の表皮にすぎず、むしろ実質は妖しい雰囲気を身に纏った昭和初期の東京を鮮烈に描いた「都市小説」なのだと言い直すことができよう。読者はこの物語を読み進めるあいだ、昭和10年代に同期する。そこには、久世光彦が解説で回顧しているように、関東大震災から太平洋戦争までのわずか20年ぐらいにしか存在しなかった東京の幻影が浮き彫りになる。探偵小説としての不十分さなどもはや気にならず、結末よりもそこにいたる物語の豊かな重層性に魅了されてしまう。その意味では、例えば、メルヴィルの『白鯨』の豊穣さとも相通ずるし、また1日の出来事を描いているという点では、ジョイスの『ユリシーズ』を彷彿させる。英米の頂点に君臨するそれらの作品と対置するのは大げさであろうか。 | ||||
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1934年の大晦日から1935年元旦までの二十四時間の間に起きた、 失踪した安南皇帝と彼が所持するダイヤの行方をめぐる大騒動。 のちに、荒俣宏『帝都物語』にも大きな影響を与えた という、都市小説、ナンセンス・ミステリの怪作です。 海野弘氏は、作中のヤクザの市街戦は、1925年に 起きた 〈鶴見騒擾事件〉がモデルだと推定し、以下のような解釈を 示しています。 〈(十蘭は)安南帝のダイヤ事件を表層に張りめぐらし、その下に、1925年の 鶴見事件を埋めこんだ。それはヤクザと土建業とコンツェルン、そして政財界 全体がつながっている政治陰謀小説であった。 だが、さらにその下にもう一つの底があったのだ。それが二・二六事件下の、東京の アンダーワールドの物語である、と私は想像する〉(久生十蘭 『魔都』『十字街』解読) 武装した兇徒が皇帝を補禁し、その上、丸の内という特別の地域で、その武装した兇徒が 警視庁に機関銃で立ち向かっていること、それが二・二六事件の見立てであるというのです。 軍部による独裁が行われていた当時、こうした大胆不敵な執筆意図を持って 本作が書かれていたのであれば、久生十蘭とは、じつにおそるべき作家です。 | ||||
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初めて長編ミステリーを読みました。最後の最後まで考えさせられて、何回も読んでしまいました。難しそう・・・なんて思ってましたがかなりハマってしまいました。こんなに凄い作家さんを今まで知らなかったとは・・・時代を感じる作品ですが、ミステリ小説がお好きな人は読んでみる価値があると思います。 | ||||
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