(短編集)
十蘭レトリカ
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ダイナミックな展開の中にもどこか人間の哀愁が漂うような作品が多く収録されていてとても読み応えがありました。 作品中では、この場面で登場人物はどう思っているのか?なぜこのような行動を取ったのか?と各自想像する楽しみの余地が残されている感じの、 丁寧かつ解説しすぎではない絶妙なバランスの心理描写がなされています。 各作品の登場人物が次はどのような行動を取るのか・どのような考えをするのかなど、 とてもドキドキしながら読みすすめました。 個人的には、最終的には切なげな雰囲気になる作品が多いと感じました。 各作品の情景を楽しみつつも色々と考えさせられるところのある一冊です。 | ||||
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最高の達成度を示す異色の傑作群、という売り文句は伊達ではない。 ただし、あまりに異色の取り合わせでバラバラ感が強く、本書全体の完成度という点では星一つマイナスとしたい。 モンテカルロの下着は、最後の一行にすべてが集約されている。 今でもこんな逞しい日本人女性は健在なのだろうか。 | ||||
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あまりに私的過ぎることばかり書いて恐縮なのだが、私がレヴューを書く、ということにいかほどの価値があるのか、こんなことを考えるくらいなら、いっそ書かないほうがいいのではないか、いやしかしほら、私だって、ここにいるよ、ちゃんと無事で生きていますよ、みたいな自己主張をしておきたい、アリバイ(存在証明)を主張しておきたい、という願望があるのだから、そこは勘弁してくださいよ、とお願いしたいのである。 さて愚痴とも前置きとも言い訳ともつかないしゃらくさいことを書いてしまったが、本書に言及しない限り、レヴューとして成立し得ないであろうから、本題に入る。 (前略)鉄太郎はがっかりした。てんで士だなどと思ってはくれない。町人でも入りたいといえば入れてくれるというのに、すると、おれはそれより下かと思うと、自分というもののつまらなさがはっきりわかり、また降り出した五月雨の中を、締太鼓を背負って、すごすごと山下へおりて行った。 どうも照れくさい、というか、書きにくい、というか赤面しそうなのだが、いま引用したのは、本書の八篇目に収録された「亜墨利加討」だ。 主人公高柳鉄太郎は人を食ったようなお道化者だが、芯が強い、と言おうか、きちんと筋を通す男らしさも兼ね備えた、魅力的な人物だ。芸能者鉄太郎の武に対する無力は、文学者十蘭の武に対する無力に通じているのかもしれない、と思うのだが、どうだろうか? 詳しい言及は避けるが、現代の読者が読むと、当時の読者が夢にも思わなかったような解釈が十蘭の文章から浮かび上がってくる(ように私には思われるのだが、私だけだろうか?)。たとえば、次のような文章がそれだ。 (前略)官軍でもいい幕軍でもいいが、お国の隊士が西洋の軍楽で歩進する、こんなべらぼうな話はなかろう。 (中略)それでまあ、おいらは、どの国の行進譜にも劣らねえのをこしらえてやらざァ、とこう思って、毎日、骨身を削っている。これが出来ねえうちは死んでも死にきれねえのだぁ やはり私の聞き間違いだったようである。読者はただ、鉄太郎の生き生きと躍動する心の動きに耳を傾ければ、それでいいのだ。 | ||||
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河出文庫の久生十蘭短篇集第4弾。澁澤龍彦を意識していると思われるタイトルが毎回洒落ている(と思うのは私だけ?)。また、作品のバリエーションの幅と質は確実に保たれている。版元には最大限の敬意を表しておきたい。今月その第5弾(『十蘭錬金術』)も出たが、まずは本書の方のレビューを上げておく。 今回通読して気づいたのは、各短篇の書き出しのすばらしさである。艶のある措辞と何かを読み手に予感させる手腕は見事である。言葉の錬金術師であった十蘭に緩みは感じられない。いくつかその書き出しを拾ってみよう。 <遠くに桐柏山脈が光り、雁が夕陽に染ってゆるい丘の斜面にある県城の衙壁の上を赤い手巾でも振るようにいくつも飛んで行く。 敵地の中へ島のように残された湖北の奥の応山警駐地は、ちょうど本部隊が江北の作戦から帰ったばかりのところで、前線から運んで来た新鮮な硝煙の匂いが立迷っていた。(「花賊魚」)> <いつまでもつづく五月雨か、慶応四年の皐月は、月初から毎日こやみもなく降りこめ、本所や深川は水が出て、新割の大溝からあふれだした泥鰌っ子が、ぬかるみの水溜りのなかで黄色い腹をよじっている。(「亜墨利加討」)> この「亜墨利加討」は80ページ弱の時代物だが、本書では一番よかった。5章で構成されているうちの第3章「鷹羽落」が感動的である。馬鹿囃子という芸事の名人である主人公の高柳鉄太郎が、往事に受けた幕府への恩に報いようと、徳川の世継ぎである幼い亀之助の前で馬鹿囃子を披露する一連の場面は臨場感があり、鉄太郎という人物の一途な人物造型が冴えわたる。心がふるえる場面だった。 最後に、解説についても一言述べておく。これまでのものに付された解説は読書感想文レベルの誠にお粗末なもので、あえて執筆者の名前は記さないが、むしろない方がよかったくらいだ。ところが本書の解説を担当する詩人の阿部日奈子氏のものは大変にすばらしい。作品1つ1つの特徴を簡潔にまとめながらも、全体を貫く大きなテーマを見つけようとする。言葉も達者である。このレベルをぜひ維持してもらいたいと思う。 | ||||
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