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あとは切手を、一枚貼るだけ
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あとは切手を、一枚貼るだけの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.64pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全11件 1~11 1/1ページ
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大好きな堀江敏行さんの本!と思って読み始めたら、その独特の世界観に引き込まれて、一気に読み終えてしまいました。 かつて恋人同士だった男女が、高齢になって死を迎える直前になって、往復書簡を通して、お互いのかつての想いを伝え合うという切ない内容でした。 二人の出逢いは、岐阜県の飛騨山中にある素粒子ニュートリノを観測するための施設「スーパーカミオカンデ」でした。この研究施設の「超高純度」の水に浮かぶゴムボートに偶々乗り合わせたのです。 男は二度に渡る大怪我で失明し、女は自分の意思でまぶたを閉じることを決断します。暗闇の中で生きて行く二人の間で交わされる手紙の中には、架空の国42か国のために発行された「ドナルド・エヴァンスの切手」から始まって、アンネ・フランクが親友のジャクリーヌに書き残した手紙、素潜りの名人ジャック・マイヨールがクジラやイルカと同じように、水圧の高い深海で生命維持に必要な臓器に血液を集められたこと、歯医者さんの待合室に置いてあった「世にもかわいそうな動物たち」と科学の犠牲となった実験動物たちの読み物、アウシュビッツで亡くなった詩人・カツェンルソンの庭の古木の下に埋められたイディッシュ語の詩集、日本初の五つ子ちゃんの誕生秘話、渡り鳥たちの航路が何千年にも渡って伝承されてきたこと、アマゾンの奥地に住む蝶がリクガメの涙を舐めてナトリウムを摂取していること、など「目から鱗」の逸話が盛り沢山でした。 お互いに感性豊かで、興味の範囲も似通っていた二人が、なぜ悲しい別れを選択せざるを得なかったのか。そこには、男のまだ幼い姪っ子という重要な存在がありました。 | ||||
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小川洋子さんの小説、エッセイは大好きですが、この作品は小川洋子さんの「良さ」が感じられず残念でした。 | ||||
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〇 二人の男女の往復書簡という体裁をとった小説。女の書簡は小川さんが、男のは堀江さんが書いている。二人の作家の間で内容についてはほとんど相談が無かったそうだから、ずいぶんと冒険的な(あるいは実験的な)小説の書き方だと思う。 〇 さてその結果どんなものが出来上がったのだろう、と興味津々読み始めてまもなくこれは失敗作だと思った。何やら甘ったるくて、やたらに思わせぶりで、情緒的だ。一度はそう思ったのだが我慢して読んでいると、さすがにプロの作家はたいしたもので、最初の探りあいを終えると物語は方向を探り当てたらしく徐々に落ち着いてくる。 〇 物語はふたりが共有する記憶のなかに次々に浮かび上がるエピソードや印象を語ることで展開される。描き出されるのはどこか幻想的で詩的で象徴的な異界である。こうなると小川洋子さんに分がある。もともと小川さんは異界ばかりを描いてきた人だ。日常の具体的なものを手掛かり足がかりにして、ふっとそうした世界に入り込むのがいつものことだった。それはこの物語でも少しも変わらない。当たり前のように異なる世界を出入りして見せる。 〇 これに対して堀江さんはいつも正常世界に留まっていた人だ。この世の片隅にからさまざまな出来事を眺めてみたり、知識の世界に遊んでみたりしても正常な世界からはみ出すことはなかった。この作品では異界に手を届かせるために、いつもの知識と、それから比喩に頼ろうとしている。しかしながらその比喩はいかにも苦しいし、そうしたひとひねりのために対象に直接触れることができていない。困った挙句に言葉遊びをして珍奇な知識で水増ししているようにさえ見えてしまう。いかにも居心地が悪そうなのだ。 〇 プロはこんなこともできるのか、とは思った。面白い試みだったと思う。しかし出来上がったものは立派な小説だろうか? 寄席の大喜利は楽しい。しかしきちんと演じられる古典落語の味わいにはかなわない。それと同じことでわたしはよく考え意図され構成された小説を読みたいと思う。 | ||||
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作者二人に最初は期待を寄せたが、2章、3章とすすむ内に読むのが耐えられなくなった。 この気持ちの悪さの原因はなんだろうか。 いかにも物知りを気取った元カップルによる浮世離れしたやり取り。 別れた後も惹かれ合っているという設定なのだが、まったくリアリティを感じない。絵空事だ。 確かに二人の文章は凄い。到底マネできない。だが、これは売文業者が得意げに書いた作品という以上の ものではないように思う。 あまりに気持ち悪くて、途中で投げ出した。世界にも絶対相手にされない作品だろう。 | ||||
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手紙だけでやりとりする作品。 進むにつれてどんどん深くなり、その深みにはまります。 想像するに大枠だけ決めて始めたのではないでしょうか。 相手の反応を見て次の手紙を書いている気がします。 そういう意味では本当の往復書簡集です。 | ||||
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自分には読解力とか想像力とかが足りないのかしら と思わせられました。 よくわからなかったと言うのが正直なところです。 小川さんは好きな作家さんですが ついて行けないなぁ と思う作品も多いです。 | ||||
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ビル・エバンスとスコット・ラファロが音を出す時には主題を追いかけるよりも、二人の関係から生まれる新しい音そのものに注意が向く。テーマや世界観や問題とその解決は後回しにして、ジャズの神に愛された二人の遊戯をしばらくのあいだ聴きつづけたい、と思う。 小川洋子が投げかけて、堀江敏幸がそれに答える形で文章を紡ぐ。 も二人の愛読者であれば、ストーリーを追うまでもなく、静謐で、豊かなセッションをストーリーを追うまでもなく美しい音楽を聴くような豊かな時間を楽しめるはずだ。 手紙を送り合う二人の間にどんな秘密があろうと、あるいは二人がこの世にすでにいないかもしれなくても。 「ふたりの景色が永遠に消えてしまわないことを、心から祈りつつ」 | ||||
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私は小川氏の不条理小説を愛好しているが、堀江氏の作品を読むのは初めて。本作は「私」と「ぼく」との14通の往復書簡で構成される物語だが、多分、「私」の手紙は小川氏が担当し、「ぼく」の手紙は堀江氏が担当していると思われる。しかし、手強い作品である。まず、「私」と「ぼく」との関係が不明である。恋人同士なのか、単なる文通相手なのか、それとも幻想によってどちらか一方が記しているのかさえ分らない。「私」が「これから瞼をずっと閉じている」事を決め、「ぼく」が幼少の頃の事故によって両眼失明しているのは偶然だろうか ? 目に見えるモノではなく、言葉と想像力によって生きているという証しなのか。 手紙の内容も茫洋としている。題名と関連して「切手」について描き込んでいるのは勿論だが、一文字だけを使った手紙、アンネ・フランクの日記、昼蛍(昆虫)、紙鋏、鉛筆、タイプライター、ニュートリノ、旧ソ連の宇宙船、野球、ボート、パブロフの犬とライカ犬、ナチの強制収容所、五つ子(の言語コミュニケーション)、「夜と霧」、「華氏451度」など多彩な表象が散りばめられていて、掴み所がなくて散漫な印象。書簡の進行に連れ、徐々に真相に近づくというキャッチフレーズとは裏腹で、私はてっきり「ぼく」がナチの強制収容所内に幽閉されていると思った。 最後の2通で真相が明かされるが、何だこの程度の事か、という印象を抱かざるを得なかった。「瞼」と「切手」と「想像力(言葉も不要)」だけに焦点を絞れば充分の作品で、2人の作家による往復書簡という形式は単なる実験小説で、徒に読者を惑わせるだけの失敗作だと思った。 | ||||
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「十四通の手紙に編み込まれた哀しい秘密にどこであなたは気づくでしょうか、小川洋子と堀江敏幸が仕掛ける、胸を震わす物語」と紹介されている、悲しくも美しく謎めいた物語。手紙の交換の中で、卓越した表現者ふたりによりスパイラル状に昇華していく現代日本語の極北を示す文学空間。「あとは切手を、一枚貼るだけ」(中央公論新社 2019.6) が人気です。 小川洋子が偏愛する「まぶた」という視点、堀江敏幸が自作のテ-マとして執着した「切手」から始まる手紙の交換。筋肉を失う難病によってついには重力に逆らって瞼を開くことさえ維持できなくなった「わたし」。子供のころに、伝説の昼蛍を観察したいがために木々の中をさまよい松の枝の一撃で片目の視力を失い、もうひとつの目の視力も劣化していく「ぼく」。 病が「わたし」の力を完全に削いでいく前のふたりの交流が見事な日本語に手紙の中で結晶化している。そして、別れ。よぼよぼの魔女が突然湖に現れ、二人が待ち望んでいだけれど残念ながら手に入れることができなかったクライバ-指揮の「薔薇の騎士」の日本公演のチケット一枚を「ぼく」への親切の御礼に、と言って差し出す。無邪気なじゃんけん。さらに謎は深まっていく。 ところで、根本的な謎というか全編を一般の読者にわかりにくくしている問題があります。二人がこの小説を書いている時期とほぼ重なって、ヒッグス粒子という質量の発見、重力波の観測成功、という歴史的な出来事がありました。堀江は、多分、これらの新発見に近づく道がないかと思い、ヒッグス粒子→素粒子→スーパ-カミオカンデの訪問と驚愕の体験、重力波→一般相対性理論→リーマン幾何学→時空のゆがみと連結→重力に押しつぶされるブラックホ-ル、という連想を繰り返し反芻していたに違いない。だから、小説の中で、カミオカンデと遠く離れた湖が空間のゆがみによって実際に連結する場面を想定してみる。確率は小さいけれどありうるかもしれない。重力に押しつぶされる人間の瞼や体を連想してみる。こうした現代物理の発見を文学という想像力の中で解釈しなおすとどうなるのか、という挑戦に堀江は格闘したにちがいない。 | ||||
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小川洋子、堀江敏幸の二人が書いた元恋人たちの書簡小説。 純文学者として独自のスタイルと地位を築いている二人が共作したら、 どのような作品になるのか興味深かったので購入。 もし共作ということを伏せていたら、合作とは気付かなかっただろう。 一度読んだだけでは理解が追い付かない部分も多かったが、物語を追う楽しさ以上に、 美しい詩を読んでいるようにこの小説世界に入りこめことで素晴らしい読書体験ができた。 個人的には人に薦めたい一冊。 | ||||
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大好きな作家、おふたりの新作。 発売日に手に取りました。 ドナルド・エヴァンスの切手。盲目の写真家 ユジュン・バフチャル。そこまで読んだだけで胸がいっぱい。 小川さんの野球の描写はそれだけで詩です。 読んでしまうのがもったいない。 贅沢な一冊です。 | ||||
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