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みかづき
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みかづきの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.29pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全133件 41~60 3/7ページ
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「教育」や「家族」というものを大きなテーマとした作品は少なくないでしょうが、その舞台を学習塾として設定した作品というのは今までみたことがありません。 それだけでもユニークです。 「国力」を考えるうえで何が一番大事かと問われると、やはりそれは子供に対する「教育」なのではないでしょうか。 子供時代の教育によって、その国の民意の高さや道徳心の高さが養われ、かえってはそれが国際的信頼度の高さに影響すると考えます。 例えば、大地震といったクライシスが発生した際、海外では容易に暴動、略奪に発展する姿がみられますが、日本では、東北大地震の際には、人々が先を争い物資を奪い合うような姿は見られず、列を作って順番を待つ姿が世界の称賛をあびたということがありました。この世界に誇るべき国民性の高さも、日本人が幼少期から受けた教育の賜物なのではないでしょうか。 もちろんそれは広い意味での「教育」であり、主に「知力」に重点が置かれた学習塾における教育だけで養われるものでもありませんが、本書における「教育」に対する考え方は、日本の国力を向上させる広い意味での教育についても考えさせるきっかけになります。 「教育は、子どもをコントロールするためにあるんじゃない。不条理に抗う力、たやすくコントロールされないための力を授けるためにあるんだ」 との一郎の考えからもその思いが伝わります。 強引なまでに力強い意志を持つ女性の千明は 「十分な知識さえ与えておけば、いつかまた物騒な時代が訪れたときも、何が義で何が不義なのか、子供たちは自分の頭で判断することができる」 との信念で、当時の学校教育に不足するものを自ら立ち上げる塾にて実現しようとする。 昭和36年における千明のこの発言からはじまる塾を舞台に教育というものを考えさせる本書は、半世紀にわたる大島家という家族のクロニクルでもあります。 ああ、あのころはこういうことがあったなあと思いながらも、ノスタルジックになるでもなく前へ進んでいこうとするバイタリティを大島家に感じます。 それだけに本書ラストでの吾郎のセリフには胸がギュッとなり思わず涙。 大島家のクロニクルを締めくくる実に見事なエンディングでした。 | ||||
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長い物語ですが、飽かずに読み進めることができました。ところどころで涙が出ました。教育にまつわる話と登場人物の人間模様の描写を存分に楽しめる本です。去年読んだ本の中で、最も感動しました。 | ||||
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丹念な取材が生きてます。業界あるある満載で、関係者は教えてきた生徒の顔が浮かんで納得ですし、近現代教育史としても充分楽しめます。 届いたときは分厚さにやや引きましたが、読み始めたらどんどん引き込まれて、2日ほど寝不足で読みきってしまいました。 | ||||
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面白すぎて一気に読んでしまいました。 登場人物たちの鮮烈さ、力強さに、一緒に時代を生きたような疲労感すら有ります。 誰もが迷いながら、妥協せずに生きていて、力をくれる小説です。 | ||||
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私自身が塾講師として30年以上子どもと向き合っていますが、大変面白く読ませていただきました。学校と塾の軋轢も、小説として面白かったし、昭和からやがて終わる平成の歴史的出来事も懐かしく読みました。しかも、例えば、物語のはじめの方に登場する白鷺が、物語終盤にさりげなく現れる等、伏線の張り方が上手く、ディテールまで楽しめます。筋を追うだけではない、「読む」楽しみに溢れた一冊です。教育に関心のない方でも、必ず面白さに引き込まれること請け合いです。TVでもやるようですが、細部を丁寧に映像化するのなら半年間をかけてNHK 朝ドラが良かったかも。 | ||||
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これは小説と言うより日本の教育の変遷史だ。私は昭和32年生まれで35年間公立校の教師をやってきた。 45人のぎちぎちクラスの経験もある。生徒が多すぎ15%ぐらい行く高校が無い状態も経験した。また、現代の少子化で教室の余りや、次々できた専門科の閉科や閉校も経験した。その中で塾や予備校の隆盛や衰亡も見てきた。 これは、自分史のように思える。 | ||||
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昭和から平成。塾の位置づけは時代共に変化していった。学校教育が太陽なら塾は月のような存在と表現されていて、各章の終わりの月の描写がきれいでホっとして次に進める。塾を営む家族の三世代へと紡がれる物語でそれはそれは熱い人間ドラマを見せてくれます。読み終わった時のなんとも言えぬ満ち足りた気分は登場人物の生きざまにいつしか元気をもらっていたのだと思う。 | ||||
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大島吾郎と妻千明が始めた塾は、古い日本家屋の古びた畳の部屋に長机を並べたところに、 子供たちがびっちり座るようなところ。教材はガリ版刷り。なんだか私が小学校から高校まで通っていた塾と似ていて懐かしい。この小さな塾が、高度経済成長期の波に乗り規模を拡大して行く。そこに夫婦間の運営方針を巡っての考え方の違いによる争いもからむ。 吾郎は補習塾として子供たちを支えたい。 千明は進学塾として発展させていきたい。 戦後の皆が貧しかった時代から格差社会の中でたくさんの子供たちが貧困の中で生きなければならない現在まで、教育行政の変化や社会の変化を織り込みながら、物語の流れの中で時代の動きがリズミカルに描かれている。それがちょうど私のこれまで生きてきた時間と重なるので、時代の雰囲気がよくわかる部分がたくさんあった。 吾郎の孫の一郎が、貧困家庭の子供を支援する塾で彼が教えていた子供を通して一つの大切なことを体験する。その体験から得た思いとはー「教育は子供をコントロールするためにあるんじゃない。不条理に抗う力、たやすくコントロールされないための力を授けるためにあるんだ。」この言葉が心に残る。 月は、理想の教育の象徴として描かれている。 大島家の人々の上で、月はいつも満ちているわけではなくて、時には姿を消してしまう。 けれど月は決して無くなったのではないのだ。いつも私たちの頭上にあるのだと、作者からのそんな強い励ましの声が聞こえてくるような物語である。 | ||||
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塾を通しての家族三世代の壮大な物語。時代時代の教育論や経済情勢などで翻弄されつつも、各自が信念をもって前へ進む姿に共感した。そして、物語中に心が熱く、涙するシーンが何度もあった。 人を思いやる気持ち、すれ違うことの切なさを感じたい人にオススメ。 | ||||
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初めての作家の初めての作品を読了。教育というか塾をテーマにした小説で、ここまで興味深く読者を引き付けるとは!凄い作家に出会えて嬉しいです。近年の教育の問題をテーマにしているというより、戦前からのロングレンジで教育の現場を表現したレキシ小説、非常に面白かったです。他の作品も読んでみたくなりました。 | ||||
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全体的には、高評価をしている多くの方々と同様の感想です。 ただ、それまで壮大な時間の流れを感じさせていた物語を一気に安っぽくしてしまった最終章は蛇足であるように思いました。 親が子供の「ら抜き言葉」を咎めたり、先生が生徒のそれをさりげなく言い直したりする場面には、ほっと安心をいたしました。 | ||||
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教育者として生きる家族の物語。三代にわたって紡がれる物語はまるで朝のテレビ小説のようだ。葛藤があり、笑いがあり、断絶して再生する。教育とはなにか。父親も息子も著名な国学者がいるが、教育者もいわれてみると世襲のように教育に関わる場合をよく耳にする。教育の真なる答えは一代ではたどりつけないのかも。 | ||||
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主人公は、主に2人。 小学校で用務員をしている大島吾郎と、 小学生の女児を育てるシングルマザーの赤坂千明。 吾郎は、千明に勧められて一緒に塾を立ち上げる。 塾の趨勢と、吾郎・千秋夫婦と3世代家族の物語。 読みごたえは十分にある。 時代の流れに沿うように奮闘した人々の物語は、 生きる力を与えてくれた。 しかし、不倫や運営に纏わる家族間のいざこざを 美化していることが気になった。 | ||||
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丁度自分の時代と重なるうえ、年代も近いのでとても面白い! 内容は読んでみてください | ||||
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毎日暑くて出かけられなくクーラーのきいた部屋で読むこと5時間。 一気読みしました。私の時代は家の近くに学習塾がなく、塾に通ったことはありませんでした。近くのお姉さんに家庭教師をしてもらったりしてどうにか受験勉強を行いました。今の子供は誰でもが学習塾に通っている時代で、家のまわりにも本当にたくさんの学習塾ができました。 塾に通っていたら・・・私の高校も現実と変っていたのか?本を読みながら塾の経営の大変さも学ぶことができました。 本当に大きなスケールの物語でした。 | ||||
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昭和36年、千葉県習志野市立野瀬小学校の用務員を務めて3年目の青年・大島吾郎は、児童たちに頼まれるまま放課後に勉強を見てやることになる。その児童のひとり蕗子(ふきこ)から様子を聞いた母親の千明がある日訪ねてくる。千明は吾郎に、一緒に「塾」を始めないかと誘う。「塾」なる言葉を聞いたことがない吾郎はためらうが、千明の流した噂がもとで職を追われた末に、彼はその誘いに乗ることになる… ------------------------------- 千明と吾郎が始めた塾の歩みを昭和の半ばから平成の現代までたどる大河小説です。2017年本屋大賞第2位という謳い文句に誘われて、どんな物語かも一切知らぬまま手にしましたが、本屋大賞第1位の恩田陸『』よりもこちらのほうが私の好みに合いました。 まず、この物語の構成が大変巧みです。作者は主人公の現状を各章の冒頭で意図的にぼかし、わざと情報を削って読者に提示します。ですからこの小説はちょっとしたミステリーの要素を随時含み、読者は真相を求めて先を急ぐことになるのです。作者のこの営みにすっかり乗せられて、私は頁を繰り続けました。 そして最後に明かされる「みかづき」という表題の意味が明かされたときにも、その見事なまでの種明かしぶりに膝を打ったほどです。 また、この物語が私の生まれ年に近いところから始まっているため、我が人生の歩みに沿った長年月の日本の教育業界の変遷が、時に懐かしさを伴い、そして時に苦みをたたえながら繰り広げられる点にすっかり引き込まれました。 そして、そもそも塾産業の変遷という特異な題材に着目した作者の斬新さに目を見張ります。半世紀にわたる親子3代の物語の中心に、日本の教育の歴史を置くというのはなかなか思いつくことではないでしょう。 塾を敵視し、なんとか国家の管理下に置こうとする文部官僚との間で主人公たちは幾度も闘いを強いられます。その描写は、社会派小説の色彩を帯びていて、殊に「ゆとり教育」推進の背後に、エリート層と非エリート層の二極化を容認する意図が見え隠れするくだりは、うすら寒さを感じます。 教育とは子供を対象とした人体実験ともいえる要素があるように思います。その実情に主人公たちが悩み、憤り、焦る姿に強い共感を覚えないではいられません。 「知らず知らずに失っているものがある。ここにも。あそこにも。 しかし立ちどまっていては前に進めない」(101頁) 歴史の流れの中で焦燥感たっぷりにこうつぶやく吾郎の言葉が胸を衝きました。 ですが頁を繰り続けると、主人公たちには教育が目指すべきものが明確に見えていることがわかります。 「教育は、子どもをコントロールするためにあるんじゃない。 不条理に抗う力、たやすくコントロールされないための力を授けるためにあるんだ」(457頁) 先の戦争が終わって15年が経ったあの時代に、不条理に立ち向かうために戦後の民主主義教育はあるべきだと信じた主人公たちが、その後50年にわたってその同じ信念を唱え続けなければならない。そんな日本を描いた物語――それがこの小説なのです。 親子三代の家族小説、ミステリー小説、社会派小説、そして主人公たちの成長譚――こうした多様な相貌を持つ物語を大変楽しく味わうことができたのです。 終わってしまうことが惜しく感じられる小説に久しぶりに接しました。ぜひともいつの日か四代目の物語を描いてもらいたいものです。 ------------------------------- この書を読みながら思い返していた以下の書も紹介しておきます。 ◆石川達三『』(新潮文庫) :昭和30年代に実際にあった教職員組合の労働争議を描いた長編小説です。昭和が終わるころに職場の先輩に勧められて読みました。公立学校の教師が貧しく、袖の擦り切れた服を着ている描写が今も記憶に残っています。 ◆北杜夫『』(新潮文庫) :明治・大正・昭和という激動の時代を生きた三代に渡るある医家の物語ですが、登場人物たちがこの大部の小説の中で何かを成し遂げることはありません。それでも最終ページを閉じた時、この物語にはもう本当に続きがないのかと実に惜しい気持ちにとらわれたのは私だけではなかったようです。巻末に作家・辻邦夫が綴っている解説にも同様の記述を見つけました。 ◆有吉 佐和子『』(新潮文庫) :家と女という日本の伝統の流れに身を任せる母、激しく抵抗する娘、そしてその二人を止揚したかのような新世代の孫娘。この三代の血の流れと紀ノ川の流れとが重なるかのような風景の中で、日本の女の物語が静かに編まれています。 作者の早世によって四代目(孫娘である華子の娘)の物語は永遠に書かれることはありませんでした。そのことがとても惜しまれる物語です。 . | ||||
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感動の長編です。 子供が大きくなって先を悩むような年頃になったら読ませてあげたいと思いました。 | ||||
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ある一家の三代の物語を通じて、日本の塾の盛衰という大きな物語を描いています。始まりは、塾というものがまだ市民権を得ていない時期の話しで、こんな風に塾は生まれてきたんだなと面白く読めました。 ただ、後半は前半ほどのわくわく感が落ちました。その理由を自分なりに考えましたが、1)既に自分も生きた時代の話しであり新鮮みが感じられなかった、2)明らかに後付けのエピソード(蕗子と泉先生の恋愛とか全く伏線もなく後から回想で出てきます)、3)塾関係者へのインタビューに力を入れているあまりヒイキの引き倒しになっている感が否めない(塾と対立する文部省側の人間には魅力的な人間が出て来ない)等々といったところです。個人的感想ですが。 | ||||
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「教育は、子どもをコントロールするためにあるんじゃない。不条理に抗う力、たやすくコントロールされない力を授けるためにある。」 そのためには、どのように教育すべきか、そしてどのような人に教育をすべきかをテーマに物語が進んでいく。 一方で、教育に囚われた家族がそれぞれの教育観に突き動かされながら、満月たりえない途上の月として、みかづきであり続けることが、真の教育者であるということを伝えている。み | ||||
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長い物語でありながらも、一気に読ませる。 教育に携わる人々の熱を、たしかに感じさせる。 涙腺が思わず緩んでしまうところも多々あり、オススメ。 | ||||
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