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みかづき
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みかづきの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.29pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全163件 141~160 8/9ページ
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別に哀しい話じゃないのに、読み進めると、なぜか涙がとまらない。親子と血のつながりについて、そして子どもの成長について、深く考えさせられる一冊。 | ||||
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まだ読んではいないですが、表紙のありえないシーンについて描かせて頂きます。まずこれは夕方ですか、それとも、朝方ですか、月の形からしたら朝方だと 思いますが、このみかづきでしたら朝の4:00位ではないとこの形の月は見えないのではないでしょうか。もし夕方でしたら、月は反対ではないでしょうか。 | ||||
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教育とは難しいものだとつくづく思う。赤坂千明は文部省(現在の文部科学省)とその影響下で活動が大きく制約されている公教育を全く信用していない。大島吾郎は事情があって高校を中退し、千明の娘、蕗子が通う小学校で用務員(現在は技能員)の仕事をしているが、授業についていけない子供に放課後勉強を教え、わかりやすいと評判になっている。千明は吾郎を説き伏せ、結婚した後、昭和37年、東京のベッドタウン千葉県八千代町(現在の八千代市)で塾を開く。千明は言う。 「….私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです。太陽の光を十分に吸収できない子どもたちを、暗がりの中で静かに照らす月….」 こうして千明と吾郎は「八千代塾」を起ち上げる。「塾」と言っても「ジュク?」と聞き返される程度の認知度だった塾は、塾に通っていることがなにやら後ろめたかった時期を経て、現在のように通うのが当たり前の存在になった。そうした流れの中で、当初の理想や理念は時代にもまれて、いつのまにか変質していく。物語は、千明と吾郎を中心に、二人の3人の娘、その娘の息子・娘、千明の母頼子という、四世代の目を通して、教育とは何かを問いかけながら進行する。 教育に関して確固たる信念を持つ千明、ところがその3人娘は思うように「教育」されてくれない。長女蕗子は千明が敵視する公立小学校の教員となり、次女の蘭は教育よりビジネスを優先、三女の菜々美は遊び歩いて高校に進学する気すらない。全く人間は思うようにはならないが、一方で、ばらばらな家族はまたひとつになったり、最も教育とは無縁だった一郎(長女蕗子の子、千明の孫)が教育について深く考えることになるなど、思いがけない偶然が予想外の結果を呼んだりする。誰による、いつの、どんな教育が、どう影響を与え、人間をつくっていくのか、それは結果からたどって考えていくしかない。教育のそんな難しさが、四世代を通して移り変わる時代背景とともに描かれていく。 作者は、教育課程審議会の本音「できん者はできんままで結構,,,,,非才、無才にはせめて実直な精神だけを養ってもらればいいんです」(曽野綾子の夫である三浦朱門の言葉)を引用して、この国の「教育」観を否定する。私もこうした考えは本当に醜悪だと思う。では本当の教育とは何か、人間を教え、育てるとはどういうことか。 冒頭でも述べたが、全く教育とは難しい。だからこそ、この本をきっかけに読者一人一人に考えていってほしい、私はそれを作者からのメッセージとして受け取った。八千代台、大和田、勝田台、津田沼、こうした地名に反応する人は、更に感慨を持って読めるだろう。 | ||||
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用務員室で、学校の生徒に勉強を教える吾郎。 そして、のちに妻となる千明に引っ張られるように塾をはじめ、 家庭を持ち、塾を経営し、、、、 妻の千明、こどもである蕗子、蘭、七海、そして孫の一郎。 大島家の、それぞれが、教育という大きなものに取り組み、 当時の社会のいろいろを描きながら、主に塾の現状を伝える。 自分の生まれたころに始まり、ゆとり教育の真っただ中に子育てをし、 教育の在り方に疑問に思うことも多いながら、塾の恩恵にあずかり、 こどもたちを進学させ、 と、自分のこれまでをも振り返りながら、一気に読めた。 学校が太陽なら、塾は月のようなもの、 というはじめから語られることが、このタイトルになったと思いきや それよりも深いおもいが込められたことを、終わりには知らされる。 それぞれの登場人物が 何かにぶつかりながら、それぞれに良いことに気付き、素直に良き方向に進む。 そこが安心して物語を追っていける。 そこがいいのだが、そこが物足りなくもあるのかもしれない。 それでも、それだからこそ、読後感が明るいものとなっているのかな。 | ||||
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著者の森絵都(もり えと)氏(1968-)は、早大卒業後の90年にデビューし、06年には直木賞を受賞しました。 本書は戦後から現代にかけての日本社会の変遷を、「教育」というフィルターを通して描いた作品です。 主人公は大島吾郎、物語は昭和36年から出発します。 吾郎は小学校の用務員、教員免許はありませんが教えるのが抜群にうまく、用務員室で生徒の補習を行なっていました。 補習に来ていた女生徒の「赤坂蕗子」とその母、「千明」に「教える才能」を見込まれ、塾を手伝って欲しいと懇願されます。 当初はあまり気が進まず、一旦は断ります。 しかし、蕗子、千明、祖母の「頼子」の女3人に絡め執られるようにして塾の経営を引き受け、後には千明と結ばれて家族の一員にもなりました。 吾郎たちの塾は千葉で小さな一軒家から始めますが、戦後の復興と経済成長に合わせて順調に拡大します。 この頃、酒を酌み交わして理想の教育を熱く語り、泣きたくなるような愛おしさと焦げ付くような毎日を過ごしました。 「青春-ずっと後になって吾郎がその頃のことを回顧し、これしかないという二文字をあてがった時、もはやそれはそこになかった。」 しかし時代の流れは想像以上に早く、思い描いたような理想の教育は中々実現できませんでした。 当初は「子供の好奇心を促す自主的な学び」や「自分の頭で考えられること」に重きを置いていましたが、過熱化する受験競争にも対応せざるをえませんでした。 時代も爆発的な成長から間もなくバブルが崩壊し、低成長の時代に入りました。 吾郎たち家族にも時は流れ、新しい子供に恵まれ、子供たちはやがて親となり、悲しい別れも経験しました。 「理想の教育はどこにあるのか」 吾郎たち家族はそれぞれが、この問いの答えを求め続けました。 終章で物語の「時」は現代に追いつきます。 日本は衰退の時代に入り、かつては見られなかった「教育を受けられない貧困家庭」も現れました。 そんな中で、「理想の教育」という答えには到達できなくても、そこに近づくべく懸命に努力する姿がありました。 エピローグでは次の世代へとその役割を引き継ぐような象徴的シーンで結ばれ、万感の思いでページを閉じました。 本書は学習塾を経営する家族を切り口にして、教育の変遷や時代の流れを丁寧に追った作品でした。 ページ数は多いものの読み始めると本を置くことができず、所々に挿入された誌的な言葉の数々には胸打たれました。 気軽に手に取ったのですが読み応えがあり、読後も余韻が心に残りました。 | ||||
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全く普通でした。期待以上でもなく,期待以下でも無いといったところです。 | ||||
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あるネット記事での「今年あと1冊だけ読むならこの小説」という紹介(松本大介)に引かれて読み始めた。自分自身の「教育」への関わりと重ね合わせながら、登場人物と共に生きたような気分で読み終えた。 それぞれ同じ「教育」という任務を担いつつ、相容れるには互いにためらい合うかのような「塾」と「学校」、最終章にあった言葉がこの小説全体が含む課題を象徴している。 《私は、この教育現場における官民連携の動きに賛同する者です。学校教員への負荷がここへ来てその限度をこえているのは無論のこと、この連携は塾側にとっても大いに益するものであると考えます。期待するのはかならずしも経営上の利益だけではありません。業界の皆さんには言わずもがなでしょうが、我々塾の人間というのは、すべての子どもに等しく勉強を教えられない現実に、絶えずある種の鬱屈を抱いているものです。商売であることの限界が、喉に剌さった小骨……いや、ナイフのようにつきまとう。故に、塾の看板を負ったまますべての子どもと等しくむきあう場を与えてくれる官民連携のとりくみに、私は新たな可能性を見る思いがするのです。》(462p) 教育機会の均等が基盤の「学校」と金を払ってくれる人のみを対象にひとつの商売として存在する「塾」、しかしそのスタートにおいて、「塾」は商売ではなかった。本書において「塾」は「学校』から漏れ落ちるところを補完する役割を担ったものとしてスタートした。「学校」においても「塾」においても、「教育」という営みにおいて、「教える者」と「教えられる者」の関係はあくまでピュアであるはずであって、そこにおいて「商売(カネ)」の介在は不純である。「 喉に剌さった小骨」のゆえんである。その小骨を抜き去っての大団円、読み終えてすがすがしい。 | ||||
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昭和から平成にかけて塾経営に携わる家族を描く長編。 実話をもとに書かれた作品なのかな?と勘違いしちゃうようなリアリティがあり、なんだか朝ドラっぽいお話でした。 戦時中の極端な教育の末に戦後~高度経済成長期~と時代は流れ、 現代は収入格差による貧困により教育にも格差が出てきている時代です。 時代の流れがわかりやすく、どの時代の教育の現実もリアルに描かれており、 児童文学の作家だった森さんがこんな作品を書くようになったことにただただ驚いています。 教育への姿勢を曲げないことと、経営して利益を得ること。 どちらの面でも妥協することなく成り立たせるのは並大抵のことではなく、そこに塾生の保護者や文部省まで絡んでくるから大変。 「教育がテーマ」なんて聞くと堅苦しい小説なのかな?と思いがちですが、 最初から最後までハラハラドキドキで意外にもスイスイと読める作品でした。 | ||||
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新聞の書評に惹かれてこの本を読んだ。一家族の三代にわたっての生き様が教育塾を背景にして描かれており、著者の初等・中等教育に対する思いの丈に圧倒されて一気に読んだ。 物語の始まりは昭和三十六年の習志野市の小学校の用務員室である。用務員として働く傍ら子供たちに勉強を教えている大島吾郎を主人公としているが、途中からは、吾郎の指導力に惹かれて結婚をした千明を中心とした、教育塾の拡大物語として語られていく。千明が教育塾を補修塾から進学中心の塾に方針を変えて世の親の歓心を得ながら大きくしていくほどに、吾郎の教育思想とは相容れない結果となり、二人は別離の道をたどるのだった。 著者は、子供の学習力を引き出すに天才的な能力を持つ温厚な人柄の吾郎と、文部省の指導要領に激しく反発しながら教育塾を発展させていく向上心の強い千明、という二人を対照的に描きながら、彼らの子供や孫世代にも教育に係らせるという描き方で、日本の教育はどうあるべきかに迫っていく。 私が好きな場面は後半にある。吾郎と千明の孫である一郎が塾というよりは寺子屋のような形で子供たちに勉強を教え始める場面に、人間の在り方と教育方法の原点を見る思いがした。それを応援する福祉事務所や、千明が大きくした塾を引き継いだ塾長達の一郎への思い切りのよい支援に、快哉し、人の情けの深さに涙したものである。 著者の心にある教育への思いが読者(私)の胸を打ち、開発途上国で技術指導をする私自身は、人に学問(私の場合は技術)を教えるとはどういうことかを考えさせてくれた。上質な作品に感慨深い思いをしたのは私だけではないということを、先にアマゾンに書評を書いた人々の内容を読むにつれて知り、同じ志を多くの人々が持っていることを知ってうれしく思った。 | ||||
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日本の義務教育と学習塾の変遷を縦糸に3代にわたる家族の歴史を横糸に絡めた物語。昭和の塾乱立時代に小中生だった私は塾の内部分裂を目の当たりにしたこともあります。学校週休2日制の導入からゆとり教育まで教職にも携わっていたのでその時々の時代背景も蘇ります。小~中学時代の塾に対して良い思い出のない私には、学習の原点を求め続けるこの3世代の生きざまに何度も涙してしまいました。「なぜ勉強をするのか?」「自分で考えることの大切さ」を再認識させられる書です。 | ||||
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レビュー良かったですが、わたしはそれほどでもなかったです。教育に興味がある方は面白いのかな。 | ||||
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読み終わった後も、登場人物が心の中で生き続けている。おすすめです! | ||||
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若い方でも面白く読める内容で、467ページだがページ数以上のボリュームに圧倒されるかもしれない。 帯には、阿川佐和子氏が書評を寄せていて短い文章にも感じるものがあった。 高度経済成長やバブル期の日本は、若い人には実感しにくいと思うし、 敗戦後の日本の教育制度の迷走ぶりは、想像するのも難しい。 一時は、エリート養成のためには落ちこぼれが出ても止む無しという官僚の意向が、 その反動で優劣をつけずに個性を優先する教育へと舵をとったりするうねりの中で、 塾業界に生きた3世代を時代背景とともにうまくストーリー化している。 こういう作品は、やはりブックオフや図書館などではなく、書店で買って読まないと 著者は報われないし、いい作品が続いて出てこない。 いい作品が報われる流れが無くならないことを望む! | ||||
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大笑いしたり涙したりしながら、私としては珍しく、ページを繰る手を止めることができないまま読了しました。久々の感動作でした。元気がでます。おすすめです。 | ||||
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森絵都さんは児童文学の分野で華々しい業績を挙げてこられた。やがて大人向け小説に進み、3作目の「風に舞うビニールシート」が第135回直木賞を受賞した。難民救済の事業に命をかける男女の愛の物語であったが、私は、描かれた愛の形に激しく動揺し胸突かれたのだった。以来、森さんは私の注目する作家となった。本作は「風に舞うビニールシート」から10年目の長編小説となる。 これは塾業界を舞台に昭和30年代から平成まで、親子孫三世代の40年以上に及ぶ大河小説である。千葉県の小学校で用務員の大島吾郎は授業についていけない子どもをこっそり教えていた。家庭教師をしていた赤坂千明はそれを知って吾郎に学習塾を一緒に立ち上げようと誘う。まだ塾が社会から認められていない時代である。結婚した二人が経営する塾は経済成長とベビーブームに後押しされて順調に拡大していった。しかし、塾の乱立は競争激化を生み、小規模の塾は淘汰されていく波乱の時代を迎えた。戦後から平成までの学校教育の変遷が丹念に描かれている。文部省と塾業界の長年の対立が社会の変化に押されて補完関係へと進む過程が興味深い。著者による3年かけた教育現場の取材と調査が細部のリアリティを高めている。 本書の題名は塾開設を決意した赤坂千明が漏らす次の発言に由来する。 「学校教育が太陽としたら、塾は月のような存在になると思うのです。太陽の光を十分に吸収できない子どもたちを、暗がりの中で静かに照らす月。今はまだ儚げな三日月にすぎないけれど、かならず、満ちていきますわ」 子どもたちのための教育、その理想に燃えて吾郎と千明は塾経営に奮闘するが、やがて経営方針をめぐって対立、離反、和解と波乱万丈の展開にいたる。 二人の間に生まれた個性的な3人の子供たちとその孫が加わって、家族の濃厚なドラマが繰り広げられる。揺るぎない信念が世代を超えて脈々と受け継がれていく様には心揺さぶられた。 長年児童文学に専念されてきた森さんの子どもへの強い思いが詰まった小説である。すべての登場人物へ著者の温かい視線が注がれている。大きな価値に向かって献身する人々を愛情込めて描く森さんは「風に舞うビニールシート」から変わっていなかった。いや、読者をして460ページを一気に読ませる長編作家へとパワーアップしていたのである。 最終章、死の床で千明が遺した言葉に私は震えた。 「常に何かが欠けている三日月。教育も自分も同様かもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むのかもしれない」 こんなにも深い意味が「三日月」には含まれていたのか。 追記:この小説は電車の中で読んではいけない。とりわけ最後の章に注意。 | ||||
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『カラフル』も『いつかパラソルの下で』も『ラン』も『この女』も…。 ザワザワとした鳥肌を立てながら、涙をこらえながら、「終わっちゃう、終わっちゃう」と惜しがりながら一気に、休まずにラストまで読み通す。 こんな作家、こんな作家の作品は他に知りません。ああこの本を読んでほんとに良かったと思えるものばかり。 『みかづき』。5年ぶりの長編、その5年間を待って良かった。さらにパワーアップした森絵都さんが帰ってきました。オススメです。 | ||||
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この本から見えてくる教育観は深くて考えさせられます。戦後から現代までの日本における教育の在り方を3世代の登場人物の視点から読み解いていく物語は、これまでにないスタイルで読み応えがあります。青春小説の傑作『DIVE!!』の著者の新境地に拍手をおくります。 | ||||
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面白く読めて、尚且つ「教育」の変遷がどんな流れで今に至ったのかがさらっと理解できた。 自説の善し悪しは別として、皆それぞれ、おのおのの方向で「頑張ってる」のが気持ち良い。 いい気分で裏表紙を閉じる事が出来るラストがこれまた感じ良かった。 楽しみました | ||||
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小学校の教員をしている娘のために買った本です。 ちょうど僕らの生きてきた時代をほぼ満遍なく描いているので、とても懐かしく読むことができました。 描かれていた学習塾の理念が私の子育ての姿勢に近かったこともあり、以外にすらすら読むことができました。 時代の変化と家族の成長。そして教育についてきちんと描けているところがいいですね。 | ||||
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塾の講師を息子がやっており、興味を持ち購入。自分の生きてきた時代と場所がシンクロ。久々の一気読み。登場人物が明確に描かれており、頭の中で映像化されました。爽やかな読後感があります。家族みんなに読んでほしいと思いました。 | ||||
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