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水曜日の凱歌
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水曜日の凱歌の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.15pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 21~27 2/2ページ
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戦時中から戦後の、様子が上手く表現されています。読み進むのが楽しみな作品です。乃南アサの視点が読む人の心を誘います。 | ||||
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子供視点で描かれることにより、なにもかもが中途半端。この主題にはもっと切り込むべきだった。乃南アサの逃げた書きぶりが卑怯。 | ||||
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終戦の時は私は5歳だった。 遠く満州、旅順で産まれ生活していた、父は関東軍に所属していた。 旅順はヨーロッパ風の素晴らしいところで不自由なく暮らしていた。 終戦から一年以上を大連ですごし両親も兄弟も激動と苦難の中でボロボロになり、私も絵本の様なマッチ売りの少女をした。 引き上げ船は貨物船の船底ですごした、同じ班に古今亭志ん生さんがいた、ここでも父はみんなの面倒を見ながら頼られていた。 そして台風に船は揉まれてようやく佐世保港にたどりついた。 大人たちが「内地に着いた」と興奮しているが、、内地ってなに??と思っていたわたしでした。 父の本家に身を置いたが母は重い肺炎にかかり苦しそうだった。 戦後の動乱の中で貧乏生活が延々とつづいたが父母の故郷、東京都大田区上池上町で私はおとなになった。 戦後の事は語りたくないが、又戦後の事をきめ細かく書いた小説にも出会わなかった。 今は主人の介護をしながら忙しい日々の中にいるが、ようやく探していた物に出会ったような気がしている。 まだ、ほんの少ししか読んでいないが戦後の様子がとてもよくわかる。 私も学校を休んで宇都宮あたりに買い出しに連れて行かれた、子供がいると食料が少しは手に入るが 冷たい農家の人が多かった。 帰りの電車で眠りこけ、リックからバッタが車中に飛び出して大騒ぎになったりして・・・やっぱり子供だった。 この本を作者と同じ子供の目線で読んでいる。 内地の方も苦労をしたのだと思い、この本を大切に読んでいます。 ありがとう・・・と乃南 アサ さんに言いたい。 | ||||
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久々の乃南さん、ジャケから判る様に戦中~戦後の物語です。 RAAの存在、知りませんでした。国主導でそんな事行っていたなんて。 戦争で亡くなられた方も国民も同じ犠牲者ですね、なんで勝機の無い戦争 始めたんだろうなんて漠然と思いました。 | ||||
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知られざる戦後の女たちの裏面史。終盤、ミドリの叫ぶ啖呵が痛快だ。「覚えておきなっ、日本の男ども!誰もかれも、女のまたの間から生まれたくせに、その恩も忘れやがって、利用するときだけしやがって!戦争中は『産めよふやせよ』で、戦争に負けた途端に、今度は同じまたを白人どもに差し出せとは、何ていう節操のなさなんだっ!女の一人も守れないで、何が日本男児だ、大和男子だ、馬鹿野郎っ!いいかあんたたちは、いつか必ず復讐される。(略)アメリカからじゃなく、日本の女たちからねっ!」 確かにだからこそ戦後の女は強くなった。だが戦争はだれが推進したのか?止めることができなかった以上、だれにも責任はある。女たちにも。(権力者が「一億総懺悔」を言うのとは違う。) 今から見れば無謀、としかいいようのない日米戦争、けれども勢いのついた暴走機関車はもう止まれない。 ミッドウェーからガダルカナルまで敗戦を重ねても講和せず、首都が爆撃され焼け野原になり、沖縄が陥落したのにそれでも降伏しない。いったいこの精神構造はどうなっているのだ? そして戦後70年が経ったのに、まだあの戦争の総括すらしようとしない。東京裁判で終わったことにしている。なぜ戦ったのか?なぜ負けたのか?戦わずに生きる方法はなかったのか?まずすべてに先立って、日本人自らが国としてきちんと総括しなければならなかったし、今でも最優先にすべきことだ。 反省しない人間は、また同じ過ちを繰り返すだろう。それがこの国の怖さだ。集団催眠ともいうべき暴走と無反省。 筆者がこの時期にこれを書いた意味を考える。やはり危険のにおいを感じているのだろう。 | ||||
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全作読んでいる乃南アサさんの最新長編です。 プロローグ 「その日も水曜日」 第一章 「新しい防波堤」 第二章 「占領軍が来た日」 第三章 「大森海岸」 第四章 「クリスマス・プレゼント」 第五章 「お母さま」 第六章 「再会と、そして」 エピローグ 「また水曜日」 で構成された525ページに渡る長編です。 主人公 二宮鈴子(にのみや すずこ)昭和6年生まれ 14歳 比較的裕福な家庭で過ごしていましたが戦争により 7人家族が鈴子と母の二人だけとなってしまいます。 その14歳の鈴子の目線で終戦間近、終戦直後の日本の女達の戦い お母さまと呼ぶ「つたゑ」の変化、さまざまな階層の女性たちの姿をリアルに描いています。 物語には実在した人物もたくさん登場し、耳にした事はあってもその実情を良く理解していなかった RAA(特殊慰安施設協会)の存在が丁寧に描かれ、組織として経営されていた事に衝撃を受けました。 生きる為に逞しく働く母 その母のおかげでよそに比べたら良い暮らしをさせて貰っていると自覚しつつも 思春期の鈴子から見た母は以前は敵性語と呼ばれていた英語を使った仕事をし あれほど忌み嫌い鬼畜と呼んでいたアメリカ進駐軍の将校と付き合う嫌悪する存在でもあります。 元々は素直で優しい鈴子が母の変化によってどんどん卑屈になって行きますが 空襲で右腕を失った幼馴染の勝子ちゃんと再会した時のやり取りは 切なさの中にも和みを感じるひとときで心が温まりました。 戦争と言う特殊な状況の中で生きていかねばならない女性たちが ストーリー全体を通して圧倒的なリアルで描かれています。 戦後70年となり徐々に戦争を語る人達が少なくなる中でたくさんの事を教えてくれる作品でした。 ノンフィクションの様な味わいを持つ読み応えありの1冊です。 | ||||
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読み始めたら、一気に読ませてしまう筆力。忙しいとか疲れてるとか、そんな言い訳をどこかにやってしまって、この作品を読んでしまった。作品に込めたメッセージも大事だが、作家にはまず読者に読ませてしまう力量が必要で、乃南アサさんはその筆力の持ち主だ。 2015年の夏の単行本化。特に作品の初めのところが今の私(たち)に必要なことなのだと思う。 この社会で自分の存在に意味があるとしら、それは何なのだろう。社会の一員であることなど、忘れた生活をしていないか。私の理性であろうと、感性であろうと、生きてこの社会の中にあるとき、それは私ひとりだけの理性、感性にとどまらない。忘れていないか。忘れたふりをして、安楽な日々によりかかって時間を過ごしていないか。安楽は、あっという間に失われることを70年間経験してないから、ぼんやりと生きているのではないか。 | ||||
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