ヘヴン

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ヘヴンの評価:

3.42/5点 レビュー 157件。 B ランク

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Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全314件 121〜140 7/16ページ
No.194
(4pt)

倫理的な感じです

(物語の筋や結末などに触れています。)

この本の前に読んだのは
中原昌也 マリ&フィフィの虐殺ソングブック
芥川龍之介 地獄変・偸盗(短編集)
阿部和重 グランド・フィナーレ

イジメについての小説というよりも、(根底では通じてるだろうけれど)倫理的問題、作中では複数の主張、主に僕、コジマ、百瀬(母さんや外科医もか)の三点を対立させてる。観念的な小説とも言える。また、作中で触れられるけれど、子供に関して、学校・金銭(労働)・離婚は、社会的に重要な意義を持つだろう。

「僕」の主張は、相互性の原理を基にした善悪の価値判断。
コジマは、実利ではない曖昧で観念的な目的の為に苦難の受容を説く。恐らく、その目的が達成されたかどうかは、誰にも判断できない。
百瀬は、偶然性に基づく状況にあって、自らに利するよう個々人が自らの行為を決定すると言う。

社会にあって、三つの主張はそれぞれそれなりに有用だろう。

「僕」のものは、作中にもあるように道徳のひとつとして教えられ、また、相互性の原理は、交換(貿易・労使)を支える原理として機能する。全く同じものを与えるわけではないけれど、それに準ずることとして、与えることの同質性を重視する。(与えるという行為の点では同じだが、与えるもの・ことが異なる点で交換は成立する。)

コジマのものは、観念的な目標、例えば、より良い社会・理想的な教育環境といった言説を支える。平等や権利といった理念の達成といったものも観念的目標であるが、それを目標とすることができるということは、歴史的成果とも言えるだろう。

百瀬のものは、個人主義を支え、そのときの状況により協力したり、敵対したりする。これは、競争をも支える。(作中でははっきりとは書かれないけれど、恐らく、二ノ宮と百瀬はゲイだろう。この偶然と成立は、百瀬のニヒリズムを強化し、二ノ宮を混乱させた。)(斜視もそうだけれど、親の離婚を子供が止めることは難しい。というよりも離婚は、子供に無力感を与えるだろう。これは、作中のイジメの受容とも対応する。また、人間は世界に文句を言い続けていると言える。天災をさけ、独裁者を退けたりもする。)

三者の配置としては、常識的な「僕」を間に挟み、超越的な目的を孤独に目指すコジマ、実践的なニヒリストの百瀬という構図だろう。(コジマの名はコジマ・ワーグナーからか)
三者のいわば止揚として、母さんと外科医が置かれる。彼らは思想など語らず、学校に行かなくてもいいと言い、手術を勧める。

イジメの問題に実践的に対処するなら、「逃げてはいけない」「言ってはいけない」この二つの抑圧から開放することが、重要だ。(最近は変わってきたかもしれないが)学校はイジメを認めたがらず、転校や休学は簡単には受け入れられない(地域にもよるだろうが、粘り強く交渉しなければならない)。事件が起これば対処するが、残念ながら、報告・連絡・相談は、学校や警察などの官僚的組織ではなかなか有効でない。逃げ場があることと、言えることを子供に実感させねばならない。日本の子供達はアルコール依存も不倫もしない(外国ではわからない、あるかもしれない)。また、イジメが発覚したとしても、加害者の生徒を罰することは、公教育制度上でも法制度上でも困難だろう。

イジメが社会問題であるなら、当事者を語るより、学校や省庁や刑法の未成年者への扱いの改善を検討すべきだろう。人員を増やすなど公教育により金をかけるべきかもしれない。英語やバソコンよりも、いじめや不登校への対処、具体的には問題の認知、転校・休学などの対応を積極的にとるべきだ。

共同体・組織などへの帰属に関しても、より流動性が保たれたほうが望ましいと思う。倫理に於いても、効率に於いても。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.193
(4pt)

倫理的な感じです

(物語の筋や結末などに触れています。)

この本の前に読んだのは
中原昌也 マリ&フィフィの虐殺ソングブック
芥川龍之介 地獄変・偸盗(短編集)
阿部和重 グランド・フィナーレ

イジメについての小説というよりも、(根底では通じてるだろうけれど)倫理的問題、作中では複数の主張、主に僕、コジマ、百瀬(母さんや外科医もか)の三点を対立させてる。観念的な小説とも言える。また、作中で触れられるけれど、子供に関して、学校・金銭(労働)・離婚は、社会的に重要な意義を持つだろう。

「僕」の主張は、相互性の原理を基にした善悪の価値判断。
コジマは、実利ではない曖昧で観念的な目的の為に苦難の受容を説く。恐らく、その目的が達成されたかどうかは、誰にも判断できない。
百瀬は、偶然性に基づく状況にあって、自らに利するよう個々人が自らの行為を決定すると言う。

社会にあって、三つの主張はそれぞれそれなりに有用だろう。

「僕」のものは、作中にもあるように道徳のひとつとして教えられ、また、相互性の原理は、交換(貿易・労使)を支える原理として機能する。全く同じものを与えるわけではないけれど、それに準ずることとして、与えることの同質性を重視する。(与えるという行為の点では同じだが、与えるもの・ことが異なる点で交換は成立する。)

コジマのものは、観念的な目標、例えば、より良い社会・理想的な教育環境といった言説を支える。平等や権利といった理念の達成といったものも観念的目標であるが、それを目標とすることができるということは、歴史的成果とも言えるだろう。

百瀬のものは、個人主義を支え、そのときの状況により協力したり、敵対したりする。これは、競争をも支える。(作中でははっきりとは書かれないけれど、恐らく、二ノ宮と百瀬はゲイだろう。この偶然と成立は、百瀬のニヒリズムを強化し、二ノ宮を混乱させた。)(斜視もそうだけれど、親の離婚を子供が止めることは難しい。というよりも離婚は、子供に無力感を与えるだろう。これは、作中のイジメの受容とも対応する。また、人間は世界に文句を言い続けていると言える。天災をさけ、独裁者を退けたりもする。)

三者の配置としては、常識的な「僕」を間に挟み、超越的な目的を孤独に目指すコジマ、実践的なニヒリストの百瀬という構図だろう。(コジマの名はコジマ・ワーグナーからか)
三者のいわば止揚として、母さんと外科医が置かれる。彼らは思想など語らず、学校に行かなくてもいいと言い、手術を勧める。

イジメの問題に実践的に対処するなら、「逃げてはいけない」「言ってはいけない」この二つの抑圧から開放することが、重要だ。(最近は変わってきたかもしれないが)学校はイジメを認めたがらず、転校や休学は簡単には受け入れられない(地域にもよるだろうが、粘り強く交渉しなければならない)。事件が起これば対処するが、残念ながら、報告・連絡・相談は、学校や警察などの官僚的組織ではなかなか有効でない。逃げ場があることと、言えることを子供に実感させねばならない。日本の子供達はアルコール依存も不倫もしない(外国ではわからない、あるかもしれない)。また、イジメが発覚したとしても、加害者の生徒を罰することは、公教育制度上でも法制度上でも困難だろう。

イジメが社会問題であるなら、当事者を語るより、学校や省庁や刑法の未成年者への扱いの改善を検討すべきだろう。人員を増やすなど公教育により金をかけるべきかもしれない。英語やバソコンよりも、いじめや不登校への対処、具体的には問題の認知、転校・休学などの対応を積極的にとるべきだ。

共同体・組織などへの帰属に関しても、より流動性が保たれたほうが望ましいと思う。倫理に於いても、効率に於いても。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.192
(3pt)

一人称の難しさ

作者にはいろんな意見を持つ人がいるのだから、テーマ設定はもちろん自由です。描き方が観念的でも、人物がリアルでなくても、話そのものがファンタジーであっても構わない。それは作り方しだいなので、一つの世界がそこにできていれば小説なんか作り物でいい。だけどその作り物の中では、作り方そのものは練っておくべきじゃないかな。
主人公の一人称で書かれているので、いじめを受けたときの辛さは生々しくリアルに感じる。しかしそれに比べて、主人公に関わる人々の内面描写が今ひとつ弱い。コジマや百瀬の主張も今ひとつ納得がいかないし、いじめる側の二ノ宮と百瀬の奇妙な関係は、まあ思うところあって出しているかもしれないが、その内容がわからない。
一人称だと主人公にわけがわからない事は説明できないから書かれていないのかもしれないが、それなら最初から三人称で書けば良かったのでは?いじめを受ける辛さを描きたかったから一人称を選んだのだとしても、別に三人称で書けない事はないでしょうに。そういう意味で、ちょっと作り方が中途半端な感じがしました。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.191
(3pt)

一人称の難しさ

作者にはいろんな意見を持つ人がいるのだから、テーマ設定はもちろん自由です。描き方が観念的でも、人物がリアルでなくても、話そのものがファンタジーであっても構わない。それは作り方しだいなので、一つの世界がそこにできていれば小説なんか作り物でいい。だけどその作り物の中では、作り方そのものは練っておくべきじゃないかな。
主人公の一人称で書かれているので、いじめを受けたときの辛さは生々しくリアルに感じる。しかしそれに比べて、主人公に関わる人々の内面描写が今ひとつ弱い。コジマや百瀬の主張も今ひとつ納得がいかないし、いじめる側の二ノ宮と百瀬の奇妙な関係は、まあ思うところあって出しているかもしれないが、その内容がわからない。
一人称だと主人公にわけがわからない事は説明できないから書かれていないのかもしれないが、それなら最初から三人称で書けば良かったのでは?いじめを受ける辛さを描きたかったから一人称を選んだのだとしても、別に三人称で書けない事はないでしょうに。そういう意味で、ちょっと作り方が中途半端な感じがしました。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.190
(3pt)

期待はずれでした

中学生の胸が悪くなるようないじめの話です。
加害者の一人、百瀬が、主人公に対して、”人生はそれぞれの欲求だけに従って生きればよく、中学生は罪に問われないから、そうしたいなら殺人もかまわない。いじめることに良心の呵責など全くなく、君がいじめる側にならないのは、いじめたくないという君の欲求に従っているのだ。”と言い放ちます。たしかに、人をいじめたい人はそういう人であり、いじめることができない人はまたそういう人なのでしょう、濃淡の差はあっても。
つまり、社会を維持するのは、刑罰の抑止力だけということになりますが、それが一つの現実だとは思います。
しかし、それは、あえて小説の主題にするほどのことでしょうか?
本の帯に、”善悪の根源を問う小説”とありますが、小説の中身はそうなっていないと思います。
百歩譲って、もし、百瀬の話が、いじめがなぜ悪いことで、良心の呵責を覚えなくてはならないのか?という主旨だとすれば、それは、なぜ殺人が悪で処罰の対象になるのかとの問いと答えが同じになり、いささか古いテーマです。
ですが、あえて多用しているひらがなの効果もあり、描写はこまやかでしっとりしていて、さすが芥川賞作家だとは思いました。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.189
(3pt)

期待はずれでした

中学生の胸が悪くなるようないじめの話です。
加害者の一人、百瀬が、主人公に対して、”人生はそれぞれの欲求だけに従って生きればよく、中学生は罪に問われないから、そうしたいなら殺人もかまわない。いじめることに良心の呵責など全くなく、君がいじめる側にならないのは、いじめたくないという君の欲求に従っているのだ。”と言い放ちます。たしかに、人をいじめたい人はそういう人であり、いじめることができない人はまたそういう人なのでしょう、濃淡の差はあっても。
つまり、社会を維持するのは、刑罰の抑止力だけということになりますが、それが一つの現実だとは思います。
しかし、それは、あえて小説の主題にするほどのことでしょうか?
本の帯に、”善悪の根源を問う小説”とありますが、小説の中身はそうなっていないと思います。
百歩譲って、もし、百瀬の話が、いじめがなぜ悪いことで、良心の呵責を覚えなくてはならないのか?という主旨だとすれば、それは、なぜ殺人が悪で処罰の対象になるのかとの問いと答えが同じになり、いささか古いテーマです。
ですが、あえて多用しているひらがなの効果もあり、描写はこまやかでしっとりしていて、さすが芥川賞作家だとは思いました。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.188
(5pt)

考え深いな作品です

最初から最後まで止まらない。人間の矛盾を深い考えさせる作品です
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.187
(5pt)

考え深いな作品です

最初から最後まで止まらない。人間の矛盾を深い考えさせる作品です
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.186
(3pt)

とにかく

いまイジメを受けている学生たちは、親でも学校の先生でも教育委員会でも警察でも誰でもいいから、とにかく第三者に助けを求めてほしい。

問題があるのは一番にイジメる側だが、イジメられて外部に助けを求めないのも非常に問題だと、この小説を読んで思った。

加害者側の1人である百瀬って奴が小説のなかでアレコレ尤もらしいことを述べていたが、あんなのイジメる側の都合の良い屁理屈に過ぎない。騙されちゃいけない。

誰だってイジメに対する欲求や好奇心を多かれ少なかれ持ったことがあるだろうし、現在進行形で持っている人もいるだろう。だけど、欲求や好奇心を持っていることと実行することは別の話。たしかに、それが別ってことを弁えない人間もいることは、知っておくべきかもしれないが。

イジメる側の論理に真実なんて無い。それが真実なら、真実なんて最高にくだらない。

とにかく、イジメの加害者と被害者で世界をつくりあげるのは危険であり、全力で助けを呼ぶなり、逃げるなりしてほしい。オバサンは切に願う。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.185
(3pt)

とにかく

いまイジメを受けている学生たちは、親でも学校の先生でも教育委員会でも警察でも誰でもいいから、とにかく第三者に助けを求めてほしい。

問題があるのは一番にイジメる側だが、イジメられて外部に助けを求めないのも非常に問題だと、この小説を読んで思った。

加害者側の1人である百瀬って奴が小説のなかでアレコレ尤もらしいことを述べていたが、あんなのイジメる側の都合の良い屁理屈に過ぎない。騙されちゃいけない。

誰だってイジメに対する欲求や好奇心を多かれ少なかれ持ったことがあるだろうし、現在進行形で持っている人もいるだろう。だけど、欲求や好奇心を持っていることと実行することは別の話。たしかに、それが別ってことを弁えない人間もいることは、知っておくべきかもしれないが。

イジメる側の論理に真実なんて無い。それが真実なら、真実なんて最高にくだらない。

とにかく、イジメの加害者と被害者で世界をつくりあげるのは危険であり、全力で助けを呼ぶなり、逃げるなりしてほしい。オバサンは切に願う。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.184
(4pt)

これもひとつの選択

初めての川上未映子作品体験は、「思っていたよりも読みやすい」です。
他の作品を読んだことがないので、たまたまこの本が読みやすかっただけかもしれませんが。

内容については、私はけっこう面白く読めました。
いじめにあっている主人公の「僕」と、同じくいじめにあっている「コジマ」との二人の関係が、いつ切れるともわからないような細い糸のようで切なかった。実際、主人公の斜視を治す手術のことで、二人の関係は切れてしまう。
手術することで美しい世界を手に入れた主人公だが、その斜視が好きだと言ってくれたコジマを失ってしまう。皮肉な話だ。

コジマは、弱さという強さを手に入れたかった。それを共に乗り越えてくれる主人公を必要としていた。
しかし、そのしるしである斜視を治してしまっては、意味がないのだと彼女は言う。
主人公は治すべきではなかったのだろうか。共にひたすらいじめに耐え抜くべきだったのだろうか。

私は、斜視を治す選択をした主人公が間違っているとは思えない。いじめられていた事を継母に告白し、学校をやめることにしたことも間違っているとは思わない。つらい環境に留まっているよりも、新しい世界を生きることが可能ならば、それは選択のひとつだ。
そのために温かな友情を失ってしまうのは辛いだろうが、それも一つのステップである。
喪失は、必ず誰にも訪れる通過儀礼だから。

しかし、いじめの描写がグロテスクで、本当にここまでするのだろうかと怖くなる。
事実は小説より奇なりだから、もっとすごいいじめもあるのだろう。
そしていじめは、おそらく人間社会でなくなることはないのだろう。
誰かをいじめることで、自分より弱い人間がいるという安心を得ようとするのも人間の性なのだろう。
ふりかえれば、自分はいじめられたこともあるし、いじめを傍観してしまったこともある。
いじめたことはないが、それを止めるだけの力はなかった。
ある程度の集団ができれば、必ずそこにいじめは生まれてしまう。
そのいじめにあってしまったのなら、戦う勇気も必要だろうし、他の集団に逃げ出す勇気も必要だろう。
そして、できればいじめがなくなるような世界にしたい。無理は承知で言うが。

ひとつの結論として、この小説の選択はありだと思う。
そして、コジマの選択もまたありなのだろう。
美しい世界とは、果たして自分にとってなんなのだろうか、そう考えさせられた。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.183
(4pt)

これもひとつの選択

初めての川上未映子作品体験は、「思っていたよりも読みやすい」です。
他の作品を読んだことがないので、たまたまこの本が読みやすかっただけかもしれませんが。

内容については、私はけっこう面白く読めました。
いじめにあっている主人公の「僕」と、同じくいじめにあっている「コジマ」との二人の関係が、いつ切れるともわからないような細い糸のようで切なかった。実際、主人公の斜視を治す手術のことで、二人の関係は切れてしまう。
手術することで美しい世界を手に入れた主人公だが、その斜視が好きだと言ってくれたコジマを失ってしまう。皮肉な話だ。

コジマは、弱さという強さを手に入れたかった。それを共に乗り越えてくれる主人公を必要としていた。
しかし、そのしるしである斜視を治してしまっては、意味がないのだと彼女は言う。
主人公は治すべきではなかったのだろうか。共にひたすらいじめに耐え抜くべきだったのだろうか。

私は、斜視を治す選択をした主人公が間違っているとは思えない。いじめられていた事を継母に告白し、学校をやめることにしたことも間違っているとは思わない。つらい環境に留まっているよりも、新しい世界を生きることが可能ならば、それは選択のひとつだ。
そのために温かな友情を失ってしまうのは辛いだろうが、それも一つのステップである。
喪失は、必ず誰にも訪れる通過儀礼だから。

しかし、いじめの描写がグロテスクで、本当にここまでするのだろうかと怖くなる。
事実は小説より奇なりだから、もっとすごいいじめもあるのだろう。
そしていじめは、おそらく人間社会でなくなることはないのだろう。
誰かをいじめることで、自分より弱い人間がいるという安心を得ようとするのも人間の性なのだろう。
ふりかえれば、自分はいじめられたこともあるし、いじめを傍観してしまったこともある。
いじめたことはないが、それを止めるだけの力はなかった。
ある程度の集団ができれば、必ずそこにいじめは生まれてしまう。
そのいじめにあってしまったのなら、戦う勇気も必要だろうし、他の集団に逃げ出す勇気も必要だろう。
そして、できればいじめがなくなるような世界にしたい。無理は承知で言うが。

ひとつの結論として、この小説の選択はありだと思う。
そして、コジマの選択もまたありなのだろう。
美しい世界とは、果たして自分にとってなんなのだろうか、そう考えさせられた。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.182
(5pt)

殉教の物語?

クラスの数人のグループから日常酷いいじめを受けている中学生の少年、斜視であり、身体も小さい。物語はこの少年の「僕」という一人称の語りで進む。「僕」の具体的な名前は最後まで出てこない。それはもちろん意図的だろう。そしてもう一人の主人公、コジマ。コジマは同じクラスの女生徒で、痩せて汚れて臭い。それには理由があることであるが彼女も同じようにいじめを受けている。そのコジマから「僕」にある日、手紙がくる。学校の机のなかメモ紙が貼り付けてられるという形で。シャーペンで書かれたそれには<私たちは仲間です>と書かれてあった。
 いじめるグループは、容姿、能力など優れた位置にある子をリーダーとした子達である。彼らは「僕」を日常的に「ロンパリ」あと嘲り、無意味に殴ったり蹴ったり、またゲームと称してチョークを食べさせたり、体育館でバレーボールのぬけがらを頭にかぶせて、サッカーボール代わりにしたりする。コジマも具体的には書かれないが同様の扱いを受けている。
 その間二人の「文通」が続く。このことがいつかいじめグループにばれて、酷い目に遭うのではないかと、読んでてひりひりする思いだった(最後にそうなるが)。ある日二人は一緒に小さな旅に出る。この出来事は物語り上重要な場面であるが、そこで交わす会話や佇まいなど、どちらかといえば醜い子供なのにとても美しい描写である。まるで神の子のように。
 そしてコジマは、いじめられることは自分たちの「宿命」のように「僕」にいう。「僕」が斜視であることもコジマ自身が汚いことも、自分自身であることのしるしであると。だから斜視を手術で直せると「僕」が話したときコジマは強く反発し、通信が途絶える。
 「僕」をいじめているグループの中に百瀬という子がいる。百瀬は、二ノ宮率いるグループの中では超然としていて独特であるから、いつか「僕」を助ける存在なのかなと思っていたがそうではなかった。「僕」の、何故いじめるかという問いに、彼なりの論理、いじめるもいじめられるもそれをどうにかしようと思うこともそれぞれの勝手である、というようなことを答える。それを「僕」は否定しきれない。
 そしてある日二人が待ち合わせた公園に二ノ宮、百瀬他が現れ、ここでセックスしろと迫る。雨の中パンツ一枚にされてかじかむ「僕」。そしてコジマは自ら全裸になり雨の中、笑いながら二ノ宮達に向かい合う。それはもうコジマではなく何者かになったかのようである。
 そのあといじめグループが処罰されたという描写も、コジマがどうなったかという描写もない。ただ「僕」は斜視の手術をしそれは成功し、初めて見る美しい世界に感動し、またそこで「僕」の何かが終わったことを知るのである。予定調和の全くない筋書きで、久しぶりに好いものを読ませてもらったと思った。そして、これはいわば殉教の物語のようだとも思った。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.181
(5pt)

殉教の物語?

クラスの数人のグループから日常酷いいじめを受けている中学生の少年、斜視であり、身体も小さい。物語はこの少年の「僕」という一人称の語りで進む。「僕」の具体的な名前は最後まで出てこない。それはもちろん意図的だろう。そしてもう一人の主人公、コジマ。コジマは同じクラスの女生徒で、痩せて汚れて臭い。それには理由があることであるが彼女も同じようにいじめを受けている。そのコジマから「僕」にある日、手紙がくる。学校の机のなかメモ紙が貼り付けてられるという形で。シャーペンで書かれたそれには<私たちは仲間です>と書かれてあった。
 いじめるグループは、容姿、能力など優れた位置にある子をリーダーとした子達である。彼らは「僕」を日常的に「ロンパリ」あと嘲り、無意味に殴ったり蹴ったり、またゲームと称してチョークを食べさせたり、体育館でバレーボールのぬけがらを頭にかぶせて、サッカーボール代わりにしたりする。コジマも具体的には書かれないが同様の扱いを受けている。
 その間二人の「文通」が続く。このことがいつかいじめグループにばれて、酷い目に遭うのではないかと、読んでてひりひりする思いだった(最後にそうなるが)。ある日二人は一緒に小さな旅に出る。この出来事は物語り上重要な場面であるが、そこで交わす会話や佇まいなど、どちらかといえば醜い子供なのにとても美しい描写である。まるで神の子のように。
 そしてコジマは、いじめられることは自分たちの「宿命」のように「僕」にいう。「僕」が斜視であることもコジマ自身が汚いことも、自分自身であることのしるしであると。だから斜視を手術で直せると「僕」が話したときコジマは強く反発し、通信が途絶える。
 「僕」をいじめているグループの中に百瀬という子がいる。百瀬は、二ノ宮率いるグループの中では超然としていて独特であるから、いつか「僕」を助ける存在なのかなと思っていたがそうではなかった。「僕」の、何故いじめるかという問いに、彼なりの論理、いじめるもいじめられるもそれをどうにかしようと思うこともそれぞれの勝手である、というようなことを答える。それを「僕」は否定しきれない。
 そしてある日二人が待ち合わせた公園に二ノ宮、百瀬他が現れ、ここでセックスしろと迫る。雨の中パンツ一枚にされてかじかむ「僕」。そしてコジマは自ら全裸になり雨の中、笑いながら二ノ宮達に向かい合う。それはもうコジマではなく何者かになったかのようである。
 そのあといじめグループが処罰されたという描写も、コジマがどうなったかという描写もない。ただ「僕」は斜視の手術をしそれは成功し、初めて見る美しい世界に感動し、またそこで「僕」の何かが終わったことを知るのである。予定調和の全くない筋書きで、久しぶりに好いものを読ませてもらったと思った。そして、これはいわば殉教の物語のようだとも思った。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.180
(3pt)

ファイト

何故か中島みゆきの「ファイト」の曲が重なってきました。今いじめとか差別とかに苦しんでいる人よりもいじめや差別をしている人していた人は読むべきです。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.179
(3pt)

ファイト

何故か中島みゆきの「ファイト」の曲が重なってきました。今いじめとか差別とかに苦しんでいる人よりもいじめや差別をしている人していた人は読むべきです。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.178
(1pt)

後味がわるい。

やはり文学なのかなぁ。。。
好みではないです
リーダビリティは良いと思いますが。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.177
(1pt)

後味がわるい。

やはり文学なのかなぁ。。。
好みではないです
リーダビリティは良いと思いますが。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.176
(4pt)

読みやすさで群を抜く

この作家のほかの作品(とくに初期の短・中篇作品)は詩人気質の強い才気走った印象が強く、好き嫌いがわかれると思いますが、この作品はとても読みやすい。平易な文章でつくられています。
長篇ということももちろんありますが、作家としてより広く読者に向かおうとした飛躍作なのだと思います。
題材もふくめて凡庸な箇所も多いかもしれないけれど、きっとその凡庸さこそがこの作家の飛躍であったのだと思います。
ほかの川上作品が読みづらかったというひとは、是非読んでみてください。オススメしたいです。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.175
(4pt)

読みやすさで群を抜く

この作家のほかの作品(とくに初期の短・中篇作品)は詩人気質の強い才気走った印象が強く、好き嫌いがわかれると思いますが、この作品はとても読みやすい。平易な文章でつくられています。
長篇ということももちろんありますが、作家としてより広く読者に向かおうとした飛躍作なのだと思います。
題材もふくめて凡庸な箇所も多いかもしれないけれど、きっとその凡庸さこそがこの作家の飛躍であったのだと思います。
ほかの川上作品が読みづらかったというひとは、是非読んでみてください。オススメしたいです。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469